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18.ヒロイン
しおりを挟む夕暮れ時を告げる鐘の音に、グレンは視線を上げた。
がらんとした書庫には自分以外誰もおらず、いつもは埋まっている隣の席も空いたまま。
小さく息を吐いて本を閉じる。
何も約束をしているわけでもないのに、すっぽかされたような気になっていけない。
さっさと立ち上がって書庫を出た。
先日一緒に街へ出掛けられて、どうにも自分は浮足立っているらしい。
ミアは『また何かお礼をする』とも言っていたから、それに少なからず期待しているところもあった。
お礼の内容は正直なんだってよくて、それどころか礼などいらないのに、と思う。
ただ傍にいられるだけで満ち足りるのだ。
そう口にしたとしても、彼女はこれっぽっちも信じないのだろうなと、グレンは苦笑を漏らした。
思い浮かべれば余計に顔が見たくなる、
借りていた本を返す体で会いに行ってみようか。
直接会いになんて行ったらまた、目立つだのなんだのとどやされるだろうか。
──と、そんな風に現を抜かしながら歩いていたか、
「キャッ…!」
曲がり角で人とぶつかってしまった。
か細い声が響き、少女の体が背後に傾く。
慌てて手を引けば、少女──クロエの体は抵抗なく引き戻され、グレンの胸へと寄り掛かりながら何とか態勢を立て直したようだった。
「すまない、僕の不注意だ」
金髪の小さな頭上へ向けて言葉を落とす。
クロエはきゅっとグレンの服を掴んで、ゆっくりと顔を上げた。
「こうして抱き留めていただくのは、二度目ですね」
照れたように頬を染め、熱い薄緑色の瞳がグレンを真っ直ぐに見上げた。
どこかバツが悪いような心地を味わいながらも、グレンは彼女の両肩を押して距離を離した。
「やっと二人になれましたね。私ずっと、グレン様とお話がしたくて」
「何か用が?」
「あの日のお礼を」
あの日、というと入学式の日のことだろう。彼女とはそれ以来これといった関りはない。
グレンが「気にしなくていい」と言えば、クロエは首を横に振る。
「私はグレン様に救われたんです」
「大袈裟だ。偶々僕だっただけで、僕がいなければ誰かがそうしてくれていたはずだ」
「そんなこと言わないでください。私に優しくしてくださるのは、グレン様だけです…──あの、今日お菓子を作ったんです。なので是非、お礼も兼ねて振舞わせてください」
ああ、こういう時マルセルがいたら喜んで代役を務めてくれるんだけどな。
なんてことを頭の中だけでぼやいて、グレンはもう何度も言いなれた様子で断りを入れた。
目に見えてしゅんとしたクロエは「他に用事があるんですか?」と問う。
あると言えばあるが、無いと言えば無い。
ミアのところへ押しかけに行こうとしていたなんて、流石に口が裂けても言えない。
というのに、
「もしかして、コレットさんをお探しですか?」
脈絡もなく、クロエは言い当てた。
驚いていれば「お二人は仲がよろしいのですね」と続ける。
「先日、外出届を一緒に出されていたのを見ましたよ」
にこりと微笑むクロエに、グレンはどうしたものかと考える。
あまり関わるなと言われているだけで、関係を隠せとは言われていないし、ミアもそこまで神経質に捉えてはいないはずだ。
ここで素直に言わずに勘違いをされても彼女が困るだろうと、幼馴染であると伝えた。
するとクロエは「そうですか」と納得した様子で、
「ということは、グレン様はコレットさんの恋を応援してあげているのですね! やっぱりお優しい」
「は」と声にならない声を発するグレンに気付くことなくクロエは続ける。
「コレットさんはベルマン先生のことがお好きなのでしょう? 魔法史の授業ではいつも先生のことを熱く見つめていらっしゃるし」
そんな言葉にグレンはあまりピンと来ない。
それもそのはず『あまりこっちを見ないで』法を律儀に守るグレンには、ミアの細かい挙動は探れない。
「甲斐甲斐しく魔法史の準備室に通われて、今日も紙袋を持って向かわれていました。外出した際に買ったものでしょうね」
執拗に構いすぎて嫌われたくないし、女を一々監視するような男にもなりたくないと、偶然でもない限りミアの行動を気に掛けないようにしていたせいで知らなかった。
口を一文字に結ぶグレンをよそに、クロエは柔い頬に朱を乗せて囁くように言う。
「グレン様、今日は私とお話しませんか?」
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