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9.はじまりの日

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 長かったような、短かったような。
 魔法学園入学の日を迎えたミアは、浮足立つ学生たちとは裏腹に緊張で固唾を呑んでいた。
 震える息を吐き出しながら、仰々しい門を潜り抜ける。

 過去誓った決意は揺るぎなく、ひたむきに鍛錬を続けてきたけれど、果たして窮地を脱すに足りているのだろうか。
 両親に見送られて家を出る時、自分は酷く愚かな行動を取っているのではないかと苦しくなった。
 不安は拭えない──それでも、やはり逃げ出す気にはなれなかった。

 なら腹をくくるしかない。
 自分に言い聞かせ、ミアはパンと頬を叩いて気を取り直した。

 下を向いていた視線を上げれば、聖堂前に人だかりが見え、早速社交的な場が作られているのだと気付く。
 ひときわ大きな輪の中にいるのは見知った美丈夫で、遠くからでも目立っているのがわかる。
 二人きりの場所以外で会うのは思えばこれが初めてで、こうして外で見ると一層、遠い存在であると再認識させられた。

 そもそも彼からすれば自分は、旅先での暇つぶし程度の相手だっただろう。
 去年彼があの場所に現れなかったのもあって、会うのは丸一年ぶりだ。

「きっともう忘れられてるわよね」

 ミアはそれが当然だというような声音で呟いた。
 これが本来の距離だとしっくりくる気さえする。
 彼のような眩しい存在が近くにいるのは、やはり落ち着かないのだ。
 これが生まれ持っての脇役根性だろうか。

 ふいにポンポンと人の波の上を転がっていく小ぶりのテディベアが見えた。
 不自然的に転がるそれは、誰が操っているのか魔法によって転がされているようである。
 皆それに気付いていながら知らないフリ、クスクスと笑う者もいる。
 人波を遠慮がちに掻き分けながらテディベアを追う少女は、物語のヒロインであるクロエ・ハーニッシュ。

 貴重な光の魔力を持つが、生まれが貧困であるためにこうして度々嫌がらせを受けることになる。
 見ていられなくて止めに入りたくなるが、その気持ちをぐっと堪えて見守っていれば、テディベアと、それを捕まえるためつんのめるように人波から飛び出したクロエは、グレンによって抱き留められる。

 まさに映画のワンシーンのようだ。
 ミアはぼんやりとその光景を眺めた。
 ここは確かに自分にとっての現実なのに、そうでないような感覚に陥る。

 いやはやモブには眩しい世界である。
 自分は入学式の時間までにさっさと寮に荷物を置きに行こう、そうミアはくるりと方向転換した、

「ぶっ」

 と思えば人にぶつかった。

 ぶつけた鼻を押さえながら「失礼、しました」と謝罪するミアに、少し遅れて「ああ、こちらこそ…ぼんやりしていて…」と芯の抜けたような声が降ってきた。
 どうやらミアの背後にいた人物も、聖堂前の騒動に目を奪われていたらしい。『ぼんやり』という言葉が嘘ではない様子だった。

 瞳には影が落ち、どこか浮世離れした雰囲気がある。
 見たところ若くはあるが、学生ではなさそうだ。制服も着ていない。
 ミアは未だ心ここにあらずといった青年に「あの…」と控えめに声を掛けた。

「大丈夫ですか?」

「え、あ……すみません、度々。新入生の方に気を付かせてしまうなんて…教師失格、ですね…」

 長い前髪の隙間から、陰ったグリーンの瞳にやんわりと光が宿ったのが見え、やっと正気に戻ったように申し訳なさそうな表情を浮かべた。
 亜麻色の髪はくせ毛なのか、単に梳かしていないだけなのか少々不格好にボサついている。

「私はラルフ・ベルマン…魔法史教諭です」

 どうぞ、よろしく、そう言って控えめに笑みを浮かべる。
 何となく、人付き合いが得意ではないのだろうと一見して分かる雰囲気があった。
 どこか気怠げで、上背はあるのに存在感は希薄。
 地味で印象に残らない教師、その例のような人だ。

 しかしミアは彼の名を知った瞬間、金縛りにあったかのように動けなくなった。
 会うのは勿論初めてだが、彼のことはよく知っていた。
 いつかは会うことになるのだと覚悟していたはずだったけれど、こうも唐突だとは思わなかった。
 ラルフ・ベルマン──この男こそ、物語における黒幕である。

 魔物の襲撃を内側から手引きし、ミアが死ぬキッカケを作った張本人。
 そう思うと恐ろしくて指先が震えた。
 しかしギュッと握り込み、バレない程度に呼吸を整える。

「ミア・コレットと申します」

 挨拶を返し、ラルフはそれに「はい」と教師らしい笑顔を向けるが、ミアには全てが胡散臭く映った。

 彼を目の前にして恐怖はある。しかし何だかそれ以上にムカムカと腹が立ってくる。
 加害者(予定)と被害者(予定)なのだ。
 はた迷惑にもほどがあると、今はまだ起こってもいないことではあるが、物申してやりたい気持ちになる。
 彼からしてみれば死なせた意識さえないだろうけれど。それが余計に腹立たしい。

「えっと…何やら怒らせて、しまいましたか…?」

 ラルフの言葉にミアはハッとした。
 慌てて笑顔を取り繕う。

「いえ、緊張で顔が強張ってしまったようです。お気になさらないでください」

「そういえば、少々顔色が悪い……えっと、医務室へ案内しましょうか…?」

「い、いえいえ! 結構です!」

 前のめりに断れば、ラルフは返事がわかっていたとでも言いたげな様子で「ではくれぐれも、気を付けて」とだけ言って、あっさりとその場を離れようとした。

「え?」

 そんな彼が戸惑った声を上げて振り返るものだから、何事かとミアも不思議そうな顔で瞬きを繰り返した。

「……やはり、案内が必要でしたか?」

 そう問われてやっと、ミアは自分がラルフの袖を掴んで引き留めていることに気付いた。
 自分の行動にギョッとしながら手を放し、

「え、えっとえっと……ま、魔法史の授業、とても楽しみにしているので、よ、よろしくお願いいたします!」

 慌てて誤魔化したわけだが少し無理がある。
 変人だと思われただろうか、そう不安になるが、ラルフはぽかんとした後、どこか嬉しそうに首の裏に手を回した。

「そう、ですか。では私も、引き締めて授業に当たらないと…」

 失望させないように、なんて言うので、ミアは少しばかり寂しくなる。
 物語通りであれば、彼は破滅の道へと進んでしまう。
 そう知っているからといって、自分にできることはあるのだろうか。
 猫背気味な背中を見送りながらどうにも胸がもやついた。

「──ア、──ミア!」

「ふぁいっ!?」

 そんな時、突然名前を呼ばれて飛び上がった。

「……随分熱心に見入って、まさか、ああいうのがタイプだったのか?」

 不機嫌そうに腕を組んでこちらを見下ろす目の前の男を、ミアは間抜け顔で見上げた。
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