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孤独の先

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 あの日から、ただひたすらに歩く日々が続いた。
 誰の手も届かないところまで、誰にも見つけられっこないところまで、そう思って歩いた。

 幸いなことに生命維持には魔法が役立ち、資金の調達方法も身に付き、生きるための分くらいなら手に入れられるようになった。
 長かった髪は手入れが面倒になったので、短く切り揃えた。
 また一つ軽くなった体で、歩いた。

 世界の端にあるという、はみ出し者たちが暮らす地を目指していた。
 魔女のおとぎ話が嘘ではないのだから、同様に語りものとされる秘境の話も信じる価値はある──というか、それくらいしか縋るものがなかった。

 家には寄らずに──夜空の小瓶を置き土産に残して──エマはワーズを出た日からずっと一人である。

 独り言が増え、

「今日はちゃんとしたベッドで寝たいなぁ……宿でも取ろうか…お金が勿体ない? 久しぶりなんだし、ちょっとくらい贅沢してもよくない? ね、いいよね、うん、決まり」

 こうして当たり前のように一人で会話をするようになるくらいには、時が経った。


/


 名前も知らないような村に辿り着き、エマはキョロキョロと辺りを見渡した。
 建物はそれなりに立ち並んでいるが、人が少ないのか酷く静かだ。
 宿を探すが、生憎その類の施設はないらしい。

 ふかふかのベッドは難しそうだと息を吐いた時、

「外からのお客さんとは、珍しいね」

 真っ白いローブに身を包んだ老婆が、そう声を掛けてきた。

 エマが見下ろすほど小さなその人は、この村には来訪者をもてなせるものはひとつもないと言う。
 その代わりに、実りは豊かで人々は優しいのだ、ノックをすればどの家も入れてくれるだろうと。

「もう遅い。ウチに泊まるといいよ」

 そんな言葉にエマは素直に甘えることにした。

 老婆の家は木造りの大きな建物だが、目を凝らせば荒い作りなのがよくわかる、そんな家だった。
 土人形ゴーレムなどに造らせれば一週間ほどで出来上がってしまいそうな粗悪な建築に見えるが、まぁ辺境の村であれば住居などこんなものなのか、なんて思った。

 エマが足を踏み入れようとすれば、

「入る前に、この水で手を清めるんだ」

 エマは固まり、数度瞬きを繰り返した。

「なに、村の決まりみたいなものでね、聖水で身を清めてからじゃないと、建物の中には通せないんだ」

 ちゃぷん、と水差しに入った水を揺らした老婆は、エマに向けて皺くちゃの手を伸ばした。

 ああ、またここでもかと、エマは重い息を溢しそうになった。
 数歩下がって「ごめんなさい。やっぱり遠慮します」と顔の前で手を振った。

「──あぁ…ごめんねぇ。異邦の方が戸惑うのも無理はない。こんな村のしきたり、気味が悪いと言うんだろう?」
「いえ、そういう…わけでは……」

 そういうわけでは…あるかもしれない。
 ──が、年老いた女性にしょんぼりと暗い顔をされると、どうにも罪悪感を刺激される。

「しきたりなんて大袈裟に言ってはいるが、皆そういうフリのようなもでねぇ。だからまぁ、付き合ってやったというていでいいよ」

 そう言って更に皺を増やして笑った老婆は、水差しを置いて手招きをした。
 エマは少し迷ったが、久しぶりの人との触れ合いが惜しく、結局はひょこひょこと老婆の後を追った。


 /


 いつの間にか、前世の夢を見ることが少なくなった。
 かわりにこれまでの十数年を思い出すかのような記憶を夢に見る。
 それがまた、これといった特徴のない何でもない日常のワンシーンだったりするので、悪夢なんかよりずっとタチが悪い。

 今日だって、彼の手作りお菓子を口いっぱいに頬張っている夢を──

「ぅむ………?」

 体感的にまだ朝になる程眠っていないのがわかるが、違和感を感じて目が覚めた。

 地下の部屋を借りさせてもらって、ふかふかとはいかないが野宿に比べたら数段良い環境で、久しぶりに気を緩めて眠りについたはずだったのに。

 すん、と鼻を揺らせば、焦げ付いた臭いがした。

 恐る恐る外の廊下へと出れば、地下一帯には黒煙が充満していた。

 此処にいては死ぬと、そんなことは直ぐにわかった。
 エマは目も口も塞いで、外界へと必死に走った。

 上手く開かないの地下扉を何とか魔法でこじ開け、外へと顔を出すが、そこも、大きく息を吸い込める状態ではなかった。

 家が燃えている。
 轟々と音を立てて、一面火の海だった。
 柱は燃え崩れ、酸素は薄く、いるだけで溶け落ちそうな熱が広がっている。

 逃げなければ、魔法でも何でも使って、早くこの家から出ないと。そう思うのに、体は全く言うことを聞かない。
 吹き出す汗はおそらく熱とは別のもの。しかしそれも高温によって直ぐに乾いてしまうほど、火の巡りは凄まじい。

 エマは両手で顔を覆ってその場に塞ぎ込んだ。
 受け止められないほどの恐怖が彼女の精神を埋め、体を雁字搦めにした。
 カチカチと歯が鳴り、尋常じゃない震えが起きる。

 火は駄目だ。火だけは本当に、駄目なのだ。

「ぅ……ぁぁ………」

 絶望の中で呻きを上げる。
 自分はまた、こんな終わり方なのか。
 熱い熱いと嘆いた過去の自分と、現在の自分が重なり合うようで、目が回りそうだ。

 結局自分は死ぬのかと、遠くなる意識の中で思う。


 ──でも、もういい。もういいや。


 抗った結果がこれなのだ。受け入れるしかない。
 そう観念した瞬間、随分と心が軽くなった気がした。

 何一つ上手くはいかなかったけれど、やっと終われる。

 燃え崩れる柱がエマへと倒れ込む。
 床に蹲ったまま、彼女は自分が終わる瞬間を静かに待った──

 ──しかし、

 まさにドンガラガッシャンと表せるようなけたたましい音が響いて、エマの体は暴風に当てられコロリと一回転した。

 顔を上げれば、柱は横っ面を殴られたように吹き飛んで、外に向かって突き刺さっていた。


「──アンタ…やっと見つけたと、思ったら…なんつーとこに、いるんですか……」


 息も絶え絶えに言う男の声に、脳の奥底から震えが走った気がした。

 眩む視線を持ち上げれば、目の前には少し懐かしい顔がある。
 名前を呼ぼうとしたが、乾き切った喉は音を発することができない。

 エマが何か反応するよりも先に、外套に乱雑に包まれ荷物のように担ぎ上げられた。

 もしかして今更、助かってしまうのだろうか。
 エマは他人事のように考えながら、じっと彼に身を委ねた。
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