上 下
3 / 39

宝石と瘤

しおりを挟む

 王都セレス。エマはここが好きだった。
 田舎と違って、根も葉もない噂話に現を抜かしている余裕などない。そんな活気づいた雰囲気が好ましかった。
 可愛いものやお洒落なものが沢山あって、キラキラと輝いていて、この街の道を貴族然とした馬車で進み平民を見下ろす時、エマの心はいくらかスッキリするのだ。


 王宮に着き、レオンは国王に会いに謁見の間へと、エマは使用人に連れられ庭園へと別れる。

「じゃあエマ、殿下に失礼のないようにね」

「はい。お父様」

 素直に返事をするエマに若干複雑な表情を浮かべるレオン。
 そんなやり取りを経て、エマは庭園へとやってきた。
 ガゼボの柱の陰に隠れた金髪を見つけ、足早に駆け寄る。

「ユーリ様!」

「あれ…エマ様…? ということは、もうそんな時間だったんですね」

 お迎えに上がれず申し訳ありません、と大人びた調子で話し、手に持っていた本を閉じたのは、ウィレニア王国第二王子、ユーリ・シア・ウィレニア。
 澄んだブルーグレイの瞳に、少し癖のある透けるような金髪。幼いながらも整いきっている顔立ちは、まさに物語の主人公といった風で、今は可愛らしいと、将来はかっこいいともてはやされるだろう少年。
 エマと同い年。そして──婚約者である。

「いいんですよ。ねえ、何の本を読んでらしたの?」

「ああ、これは……」

 エマが王子と会うのは、これで五度目になる。
『王国の第二王子』そんな肩書きを聞かされていたからか、エマは初対面からしおらしいお嬢様を演じている。
 相変わらずの猫被りに、離れた場所から仕えているニーアは溜め息を吐いた。
 子どものうちからこんな様子では、成長すればどうなってしまうのか。
 流石は、地位や権力に貪欲だったという魔女から生まれた子だ。
 ニーアは再度吐きそうになった溜め息を何とか飲み込んだ。

「ユーリ様、むずしい本を読まれるのですね」

「そうでもないですよ」

「わたしも本は読みますが、物語ばかりで」

「そうなんですか」

「何かおすすめがあれば、教えてください」

「じゃあ、これを」

「え?」

 にっこりと作り物のような笑みを浮かべたまま、読んでいた本を差し出したユーリに、エマはポカンと呆けた。

「僕は図書室で別のものを探してきますので」

「え、いや、あの」

「お気になさらず、読んでいてください」

 あー……
 二人のやり取りを見ていられないとばかりに目を閉じたニーアは、「お嬢様、本格的に避けられています」と心の中で呟いた。

 エマとユーリの間には決定的な温度差があった。
 幼い頃から様々な大人に囲まれて過ごしてきたユーリは、他人が自分に向ける視線、その種類を見分けることに長けている。
 つまるところ、エマの媚びはバレバレなのだ。

 エマが自分に惹かれているのは、肩書きのせい。
 ユーリからすればこれまで何人も見てきた有象無象の一人にすぎない。
 それでも公爵家のご令嬢で、父親同士が仲が良いとなると、ほぼ雁字搦めである。
 決まったものは仕方がない、そういうものなのだと婚約を受け入れているユーリは、もちろんエマに向ける大した感情は持ち合わせていなかった。

 一方エマはというと、田舎町の小汚い子どもたちとはわけが違う、ユーリ様は美しい宝石だ。そんな特別な眼差しを彼に向けていた。
 そして、この宝石は自分のものだ、なんて思い込んでおり、宝物を取られたくない幼い子どもそのものだった。

「ユーリ様、わたしも──」

「殿下、紅茶淹れてきました」

 エマの言葉を遮って現れたのは、気だるげな雰囲気を纏った少年。
 ティーワゴンを押しながら、頭の上には何やら奇妙な生物を乗せている。

 赤黒い髪に、鋭い金色の瞳。執事服なんて到底似合いっこない顔付き、改めて、エマは初めて会った時と変わらない印象を受けた。
 エマ、ユーリと歳を同じくする少年、リュカ・フレロ。
 ユーリの従者である──が、ユーリは友人だと言い張っている。
 二人の関係についてはエマにとってどうでもいいことなのだが、如何せんリュカは目の上の瘤だった。
 警戒心が高く、ユーリに害を及ぼすものには誰彼構わず噛みつくぞといった風な狂犬である。
 当然のように、エマとの相性は最悪だった。

「ありがとう。じゃあ読書は一旦止めにして、冷めないうちにいただこうか」

「スコーン焼き立てですよ」

「やった。僕、紅茶味のがいいな」

「はいはい。わかってますから」

 目の前で仲の良さを見せつけられているようで、つい愛想笑いが引き攣った。

 リュカはてきぱきと紅茶を注ぎ淹れ、スコーンを取り分け、テーブルに並べていく。
 その間、一度もエマの方を見ない。
 というのに、お茶を注ぎ終えユーリの斜め後ろで仕えている時は、じっとエマを背後から見つめるのだ。
 いや、見つめるなんて生易しいものでなく、監視するように睨んでいる。
 肩に付いた埃を払うためにと触れようものなら、目にもとまらぬ速さで先を越される。まだ話していたいのに「殿下、そろそろ」と邪魔を入れて会をお開きにするのはいつもこの男だ。
 時たま目が合ったと思えば、しれっとした無表情を崩すこともなく、挨拶なんて「どーも」くらいのものだ。
 舐めている。使用人のくせに。

『ユーリ様、この男をどこかへやってもらえませんか』

 苛立ちのあまりそんなことを口走ってしまったことがある。
 これが、ユーリとの間に大きな溝を作る最大の原因となってしまった。
 あれは失態だったと、エマは今でも後悔している。

 こんな犬のことは放っておけばいいんだ。
 もう婚約は成立しているのだから、あとはユーリに寄り添っているだけで自分はお姫様になれる。

 ──わたしは魔女なんかじゃなくて、お姫様になる女の子なんだ。

 エマの中に根付いているコンプレックスは、最悪の形で彼女の意欲を掻き立てていた。
 輝かしい未来の想像に胸を躍らせたエマはいくらか機嫌が良くなり、スコーンをパクパクと口に運んだ。
 王宮の料理人が作ったというだけで、ただのスコーンとは一味違って感じる。

「エマ様」

 ユーリに名前を呼ばれ、無心でスコーンを頬張っていたことに気付いた。

「す、すみません、はしたなかったでしょうか……」

「いえ、そうではなく」

 首を傾げるエマに向かって、ユーリは自身の口の端をトントンと指先で叩き、

「付いていますよ」

 エマはパッと掌で口元を覆った。
 いくら背伸びをしようがまだ十歳のエマ、口元に食べかすが付いてしまうこともある。
「お恥ずかしい」と誤魔化すように笑いながら、さっと払おうとしたところで、ふと、静止する。

「……ユーリ様、取ってくださいませんか?」

 そう言ってエマは、ユーリに向かって前のめりに顔を突き出した。
 お姫様は、王子様に甘やかされるもの。
 こういったシチュエーションに憧れるのも、まだ残されているエマのあどけない子どもらしさを表していた。
 ユーリの笑顔が冷え冷えと青ざめているなんてことも、お構いなしである。

 目を閉じ、期待した様子で待つエマ。
 ユーリは持てる全ての優しさと愛想を総動員させ、壊れたブリキ人形のような動きで腕を持ち上げる。

 彼の指先が、エマの口元に触れる──

「んぐぅ……!」

 その前に、乱暴にハンカチで拭われた。

「はい。きれーになりましたよー」

 そんな棒読みが背後から聞こえ、エマは愛想笑いを取っ払っていつもの仏頂面で勢いよく振り向いた。
 柵に手を掛け、ガゼボの外へと身を乗り出し、

「少々無礼が過ぎるのではなくて?」

 あくまで最低限の体裁を守りつつ、リュカに言い放つ。
 人を凍らせてしまいそうな冷たさを孕んだエマの目に怯むことなく「失礼しましたー」とわざとらしい棒読みで答えるリュカに、流石のエマもなりふり構わず青筋を立てた。

「こらリュカ。エマ様、リュカが失礼を働き申し訳ありません、ですがどうか落ち着いてください」

 仲裁に入ったユーリの声に意識が向く。駄々っ子に言い聞かせるような口調だった。
 諭すように言われ、ついカッと頭が熱くなった。

 エマの手元から冷気が漂い始めたところで、辺りの使用人たちが一斉に駆け寄ってくる。
 ああ、ついにお嬢様の癇癪が、そんなことを思いながらニーアは急ぎ彼女のフォローに回ろうとする──それらよりも早く、当初からずっとリュカの頭の上に乗っていた生物が、目を開いた。

 丸々と太っているせいで原型を留めておらず、一目見ただけでは巨大なマシュマロだろうかと見紛うソレは、魔獣、カーバンクルだった。
 額にあるルビーのような美しい魔石が、じわりと光を帯びた。
 魔獣はエマとリュカの間に飛び出し、そして、

「キュゥーーーーーー!!!」

 鳴き声と共に──火を吹いた。

 瞬間的にボッと広がったそれは小さな風船が弾けたような小規模なもので、精々威嚇程度の威力でしかなく、なにに燃え移る事もなく瞬く間に消えた。

 しかし目の前で広がった鮮烈な赤と熱さに、エマは絶叫した。

 恐怖で目が回り、息が詰まる。
 視界が真っ暗になった。
 全身が硬直し、後方へと倒れ込む。
 ティーセットを巻き込んで倒れたその音を、どこか遠くで聞いているような気がした。
 それを最後に、エマは意識を手放した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

出戻り皇妃と壊れた皇帝

黒崎
恋愛
ある国の皇妃だった私は、夫たる皇帝に愛されていたものの、毒殺され死んでしまった。 そんな異世界で皇妃だった記憶を持つ社会人の私。 ある日事故にあい、呆気なく死んでしまう。 しかし、それを神様が見ていたようで、なんと転生前の世界に転移させてくれるという。 あの人にもう一度会いたいと転移した先。 かつて愛した人は――壊れた皇帝――狂皇として恐れられていた。 かつてと同じ美貌を受け継いだ私は、当然の如く執着され、壊れた彼に愛されるのだが……。

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

転生皇太子は、虐待され生命力を奪われた聖女を救い溺愛する。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。

【完結済み】追放された貴族は、村で運命の愛を見つける

ゆうな
恋愛
リリアナ・フォン・シュタインは、銀色の髪と紫の瞳を持つ美しい貴族令嬢。知的で正義感の強い彼女は、名門貴族の娘としての立場を全うしていたが、突然の陰謀により家族や友人に裏切られ、濡れ衣を着せられて追放される。すべてを失った彼女は、寂れた村で新しい生活を余儀なくされる。 異国の地で、リリアナは幼い頃から学んできた薬草学や医療の知識を活かし、村人たちを助けていく。最初は冷たい視線を向けられていた彼女だが、次第にその実力と真摯な姿勢が村人の信頼を得るようになる。村の陽気な娘・エマとの友情も生まれ、リリアナは自らの手で新しい居場所を築いていく。 しかし、そんな平穏な生活に影を落とす出来事が起きる。村の外れに現れたのは、獣のような姿をした「守護者たち」。彼らはかつてこの土地を守っていた存在だが、今は自らの故郷を取り戻すために村に脅威をもたらしていた。村人たちは恐怖に怯えるが、リリアナは冷静に対処し、守護者たちと直接対話を試みる。 守護者たちは、村人たちがこの土地を汚したと感じ、力で取り戻そうとしていた。しかし、リリアナは彼らと話し合い、争いではなく共存の道を模索することを提案する。守護者たちもまた、彼女の誠意に応じ、彼らの要求を聞き入れる形で共存を目指すことになる。 そんな中、リリアナは守護者たちのリーダーである謎めいた人物と深い交流を重ねていく。彼は過去に大きな傷を抱え、故郷を失ったことで心を閉ざしているが、リリアナとの交流を通じて次第に心を開き始める。リリアナもまた、追放された孤独を抱えており、二人はお互いに惹かれ合う。 しかし、村に平穏が訪れたのも束の間、リリアナを追放した貴族社会から新たな陰謀の影が迫ってくる。過去の罪が再び彼女を追い詰め、村に危機をもたらす中、リリアナは自らの力で守るべきものを守ろうと決意する。 「もう私は逃げない。愛するこの村を、守護者たちと共に守り抜く」 新たな仲間との絆と、深まる愛に支えられながら、リリアナは自らの運命を切り開き、運命の戦いに立ち向かう。

「すまない」で済まされた令嬢の数奇な運命

玉響なつめ
恋愛
アナ・ベイア子爵令嬢はごくごく普通の貴族令嬢だ。 彼女は短期間で二度の婚約解消を経験した結果、世間から「傷物令嬢」と呼ばれる悲劇の女性であった。 「すまない」 そう言って彼らはアナを前に悲痛な顔をして別れを切り出す。 アナの方が辛いのに。 婚約解消を告げられて自己肯定感が落ちていた令嬢が、周りから大事にされて気がついたら愛されていたよくあるお話。

私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。 彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。 それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。 そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。 公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。 そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。 「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」 こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。 彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。 同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。

婚約者を奪った王女様は噂と違って優しい人でした。

四折 柊
恋愛
 ヴァレリア・サルトーリ公爵令嬢は半年後に婚約者であるアンブラ王国の王太子と結婚式を上げる予定だった。だが昨年から続く干ばつの影響による食料不足の解決のために他国に取引量の引き上げを求めたところ、その国の王女と王太子の婚姻が条件となりヴァレリアとの婚約は解消されることになってしまった。悲しみから抜け出せない中、王女と交流することになったヴァレリアは……。※ご都合主義です。寛大な心で読んで頂けるとありがたいです。

【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。

たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。 わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。 ううん、もう見るのも嫌だった。 結婚して1年を過ぎた。 政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。 なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。 見ようとしない。 わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。 義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。 わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。 そして彼は側室を迎えた。 拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。 ただそれがオリエに伝わることは…… とても設定はゆるいお話です。 短編から長編へ変更しました。 すみません

処理中です...