【完結】お世話になりました

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32.互いを知る(アロイスside)

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 リリは細く長く息を吐いてから、無理やりに笑ってみせた。
 その表情はギクリとするほどに痛ましくて、

「また新しい意地悪ですか?」

 弱々しい声だというのに深く刺さるように響いた。

「わたしもう…疲れちゃったんです。だからこそ、お屋敷を出たんです」

 わたしのことを揶揄っても、つまらないだけだと思いますよ。そう続けて、苦しそうな笑みを浮かべる。
 そんな顔をさせたいわけじゃないのに。

「違う」と、締め付けられたような喉元から、何とか言葉を吐き出した。

「揶揄いとかじゃなくて、ほんとに、本気で、俺は君のことが「もしかして、わたしがシオンさんに貴方の悪口を吹き込むと思っているんでしょうか? 大丈夫です。そんなことはしませんから、お気遣いの必要はありませんよ」

「頼むから俺がアイツのこと好きっていう勘違いから離れて…!!」

 嘆きに近い声で言えば「勘違い?」と、リリは不思議そうに首を捻った。

「アロイス様はシオンさんのことが好きなのではないんですか? だとしたらこれまでのお話って一体誰の…?」

「リリだってば!!」

 深く考える必要などなく、ただ言葉をそのままの意味で捉えてくれるだけでいいのに、これだけ言ってもリリは「全くピンと来ない」とでも言いたげな表情である。

「ではやっぱり、わたしを揶揄っていらっしゃる?」

 そうしてまた振り出しに戻るという無限ループに陥りそうな流れに、俺は頭を抱えたくなった。

 こうまで言っても言葉のままに伝わらないのは、リリのせいじゃない。
 俺だ。俺のせいでリリは、単純に自分が好かれているだけ、という思考に至らなくなっている。

「こんなに分かりやすい嘘、アロイス様らしくないです。もう少しお休みになられた方が良さそうですね」

「嘘じゃないってば! 俺は君が好きなんだよ!!」

「無理しないでください。本当はわたしの顔を見るのも嫌なんですよね? 沢山お話ししてしまって、気分が害されていることだと思います」

 唖然とした。
 話を逸らしているだとかでもなく、本気でそう思っているのだろう申し訳なさげな表情に、改めてこれまで自分がやらかした事の重さがのしかかるようだった。

 あの男の言葉の意味が、今ならよくわかる。
 付いた傷は、どれだけ繕おうが完全に元通りになることはない。
 これまでに負った傷を全て含めて、今のリリが形作られている。

 だから俺の言葉なんて、到底届くはずがないんだ。

 初めて出会った時から彼女はボロボロだった。癒す間もない日々だっただろう。
 だからといって自暴自棄になるような子でもない。
 人が良すぎると、何度呆れたかわからない。

 そんなリリを守りたいと、思っていたはずだったのに、いつの間にか俺がそれに甘えるばかりになっていた。

 沸き起こる焦燥感に歯軋りをし、堪えるようにギュッと瞼を合わせた。
 そして思いっきり──

 ドッ──!

「ァ、アロイス様!?!?!?」

「ッ~……!」

 思いっきり、自分の頬に向けて一発入れた。

 頭がぐわんと揺れて、視界がぐらつく。
 思わずしゃがみ込んで俯いた。視界の奥がチカチカと明滅する。
 痛くなるように殴ったのだから、当然痛い。
 でも、リリの方がもっとずっと痛かったんだろう。

「ど、どどどどうしたんですかアロイス様……!! い、意識ははっきりしていますか…!? ものすごい音で……ひ、ひとまず横に、」

「だいじょ、ぶ……」

「絶対大丈夫じゃないです!!」

「あはは………リリも、殴りたかったら、俺のこと殴っていいよ。煮るなり焼くなりはさ…俺の方だったね。君を散々苦しめたんだから、何されたって文句言えない」

「え、え……?」

「いや、むしろ殴ってほしいな。手は、危ないから…そうだな、その辺りにあるもので適当に、」

「こ、怖いことを言わないでください!!」

 とにかく手当をしましょう、だなんて、俺の心配ばかりをしているリリに、また渇いた笑いが零れた。

「うん、そう…君はそんなことしないよね…できない子なんだって、わかってる。昔からずっと、わかってたはずなのに……」

 ごめん、と絞り出した声は情けないほどに震えていた。

「嘘偽りなく、君のことが好きだ…昔から、ずっと………。だけど、たくさん君を傷つけたきた。素直になれなくて、なんて、言い訳にもならない……だから俺は、君のそばにいるべきじゃないんだろう、けど………」

 もう自分でもわけがわからないほどに感情がグチャグチャだった。
 言葉が続かなくなってしまって、押し黙っていれば、

「ほ、本当に……? 本当にアロイス様は、わ、わたし、のことが…すき、なんですか……?」

 理解不能とでも言いたげな顔でリリが問うてくるので、迷わず頷く。
 するとリリは少し考え込むような素振りをした後、「……やっぱりあり得ません」と独り言のように呟いた。

「言いづらいのですが………これまでのお言葉からアロイス様はわたしのことが、お嫌いなのだと」

「それは、その…誤解で……」

「?」

「独占欲だとか、照れ隠しだとか、そういう……」

 とても子供地味た感情から、とどんどん尻すぼみになりながらも何とか言葉にする。
 言葉にしながら思う、実に愚かだったと。

 彼女からしたらたまったものではないだろうと、頭に冷や水をぶっかけられたような状況になるまで考えられなかったのだから、本当に愚か極まりない。

 リリも「すみません、理解が追い付かなくて」と額を押さえ始めた。

「で、ではシオンさんに乱暴をしようとしたのは…?」

 俺は遂に手のひらで目元を覆って項垂れた。

「君があの男と、良い仲なんじゃないかと思うと、止まらなくなって……」

 所謂嫉妬であると言えば、

「わ、わたしとシオンさんはそのような仲ではありませんし、百歩譲ってそうだったとして、相手の方を傷つけるなんて……」

 返す言葉もなくて、ただ何度も頷いた。
 冷静になった今ならわかるんだ、自分の愚かさが身に染みるように。

「でも本当に、わたしなのですか……? 何度考えてみてもわかりません……わたしのような無価値な──」

 反射的に彼女の口元を伸ばした手で覆った。
 自分を貶すような言葉を当たり前のように口にする彼女を、止めずにはいられなかった。

 リリは出会った頃からこういう節があった。なのにそれを直させるどころか悪化させたのは俺だ。

「そんな風に言わないで。信じられないのも仕方がないし、どの口が言うんだって思うだろうけど、それでもリリを好きなのは嘘じゃない。
 全部俺が間違ってたんだ──だから、君がそんな風に自分を卑下する必要なんて、これっぽっちも無いんだよ」

 そう伝えても、リリは悲しげな表情のまま、俺の手を取ってそっと下ろさせた。

「………ごめんなさい。
 アロイス様の言葉を信じたいと、そう思うのに…どうしても、信じきれなくて、わたしは──」

 そんな自分が嫌いです、と、リリは押し殺すよう泣き出した。

「そ、そんなこと言わないで…そんな風に考えないでよ…責めるなら自分じゃなくて俺にして」

 再び手を伸ばし、涙を拭っても、次から次へと溢れてくる。

「ぅ…ぅぅ゛………」

「泣かせたいわけじゃ、ないんだ」

 泣かないでよと言えば、アロイス様も泣かないでくださいと返ってきた。
 自分の頬に触れれば濡れていた。指摘されて初めて自分も泣いていることに気付いた。

「ご、ごめん…無理だ……なんか、止まんなくて、」

「ふふ。アロイス様って意外と泣き虫だったんですね…」

 泣き笑いするリリに、俺も小さく笑って見せたけれど、上手く笑えたかどうかはわからない。
 リリが少しびっくりしたような顔をしていたから、もしかしたらまた嫌な表情でもしてしまったのかもしれない。
 本当に、どこまでいっても上手くいかない。

 それからしばらくの間、二人して子どものように泣き続けていた。

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