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1章

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 勢田は母からの絶大な信用を得た後も、相変わらず飄々として、掴みどころがなかった。
 変わったことと言えば、始める前と終わった後に、何の断りもなく、部屋の中のものを隈なくチェックするようになったことくらいだ。
「今日はプラスチックケースにひびが入っただけか……。いや、定規にもひびが入ってるな。あ、本のカバーも破れてるよ。もうちょっと、物は大事にしようよ」
 壊れた物を見つけると、ねちねちと嫌味を言ってくる。
 悔しいが、散々喘がされた後だけに、抗議するほどの気力は残っていなかった。
 母に「イーヴィルアイ」を発動しかけて以来、翔は真剣に「イーヴィルアイ」を制御する方法について試行錯誤を始めた。勢田もそれに気づき、協力する気なのか、翔を煽る方法のバリエーションを増やしているようだ。
 ――だからって、いきなりナイフを突きつけられたり、散々罵倒されたり……。感謝する気にはなれないんだけど……。
 とはいえ、「イーヴィルアイ」が効かない勢田に対してだからこそ、翔も思う存分試してみることができる。少しずつではあるが、壊れるものが減っているのは確かだった。
「まあ、この程度まで抑えられるようになったら、一応合格かな」
 部屋のチェックを終えた勢田が、満足げに呟いた。
 ――何なんだよ、合格って……。
 腹立たしいが、口を開くのも億劫だった。
「なんだよ、無視?」
 勢田は、ベッドに横たわる翔の傍らに腰を下ろすと、翔の顔を覗き込んできた。
「……疲れたんです」
「ふーん、そっか」
 勢田は呟きながら、剥き出しになったままの翔の双丘を撫でた。
「ちょっと、やめてくださいよ……」
 身を捩ろうとしたその時、勢田が妙なことを囁いた。
「なあ、俺とゲームしないか?」
 勢田はポケットの中から、親指くらいの大きさの卵型の物体を取り出し、翔の目の前に翳して見せた。
「何ですか、それ?」
「分からない?」
 笑いを含んだ声で囁くと、勢田はその物体を翔の蕾に押し込んできた。異物感に、翔は身体を強張らせたが、その物体はするりと体内に収まった。
「何なんですか? 変なことしないでくださいよ」
 動揺する翔をよそに、勢田は悪戯っぽく笑ってから、ポケットからコントローラーを取り出した。
「こういう玩具、知らない?」
 勢田がコントローラーを操作した途端、翔の体内の異物が振動を始めた。
「ひっ……」
 思わず翔は引き攣った声を上げた。内側からの蠢くような振動に、翔の身体が小刻みに震えた。
「この振動に2時間、耐えきれたら、君の勝ちってことでどう?」
 気持ちが悪いが、規則的な振動なので、耐えられそうな気がした。
「……悪趣味なゲームですね。僕が勝ったら、何してくれるんですか? 即日、家庭教師を辞めてくれるなら、考えてもいいですよ」
 翔は挑発的に勢田を見上げた。
 もちろん、勢田がこんな提案に乗って来るとは思っていなかった。腹いせに、勢田が受け付けないであろうことを提案してみたまでだ。
 ところが勢田は、頷いた。
「了解。じゃあ、早速始めようか」
 思いがけない展開に、翔は慌てた。
「ちょっと待ってくださいよ。僕が負けたら、何するんですか?」
 勢田が思案顔を浮かべた。少し顔色が曇ったように見えたが、翔の気のせいかもしれない。
「……そうだな。まあ、その時に話すよ」
「は? それって、卑怯じゃないですか」
「勝つ自信ないんだ?」
「そんなわけじゃ……」
「じゃあ、別にいいじゃん」
「……まあ……」
「じゃ、成立だな」
 強引に言い切ると、勢田は翔の身体を起こした。 
「じゃ、出掛けようか」
「は? 何言ってるんですか? 出掛けるって、こんなもの入れて……」
 悪趣味にもほどがある。冗談だと思いたかったが、勢田は本気のようだ。
「ずっと家に籠りきりだろ。たまには外に出たほうがいいって」
「そんな話、聞いてませんよ」
 翔の必死の抵抗も虚しく、勢田は翔に服を着せると、引きずるように部屋から連れ出した。
 リビングに母の姿を見つけて、助けを求めようとした。だがその瞬間、体内の振動が激しくなった。足がガクガクと震え、立っているのも精いっぱいだ。母に身体の異変を悟られたくなくて、翔は勢田の背後に身を隠した。
「あら、やっぱり出かけるの? 翔くんも、すっかり先生のこと信用してるのねえ。じゃ、せっかくだから楽しんでいらっしゃい」
 すでに勢田は、母と話をつけていたらしい。勢田は例によって満面の笑みで社交辞令を並べて母の機嫌を取り、母も黄色い声を上げて、それに応えている。その間も、体内に埋め込まれたローターは、容赦なく翔が責め続けていた。
 翔は息を乱しながら、勢田の腕に爪を立てた。勢田は苦笑を浮かべるとコントローラーを操作して振動を緩めてから、家を出た。
「おいおい、もう顔が真っ赤だよ?」
 勢田がにやりと笑った。翔は唇を噛み締め、俯いた。ここまで下劣なことをする男とまでは、思っていなかった。
 ――ずるいぞ。振動の大きさが変えられるなんて……。
「ごめん、ごめん。ちゃんと元の振動に戻したから、大丈夫だろ」
 確かに、ローターは当初のままの、軽い振動に戻っていた。
 だが、時間が経てば経つほど、緩慢なはずの振動が、翔の身体をじわじわと苛んでいった。歩く際の身体の揺れにも、身体が反応してしまう。
 下腹部が勃起しているのを鞄で隠しながら、翔は踏み締めるように慎重に歩いた。勢田がわざとらしく手を差し伸べてきたが、翔は敢えて無視した。
 しばらくバスに揺られて、連れて来られたのは、ベイエリアにある複合商業施設だった。大観覧車が有名で、翔は以前から一度乗ってみたいと思っていた。だが、どう見ても男が二人で来る場所ではなかった。
「海なんて、久しぶりだなぁ。俺、潮の香り、結構好きかも」
 遊歩道を歩きながら、勢田は目を細めて夕日で赤く染まった海を眺めている。
 だが、翔は、海を眺める余裕などなかった。下腹部が痛いほど反りかえり、先走りで下着を汚している。達してしまいたいのに、緩慢なローターの動きでは、そこまでの刺激は与えられない。呼吸が乱れ、意識が遠のいていた。
「ショップも覗いてみる?」
 首を横に振ろうとした時、身体のバランスが崩れた。勢田に支えられ、転倒は免れた。
「腕、貸してあげようか?」
 勝ち誇ったように囁く勢田が腹立たしくて、翔は勢田の背中を力いっぱい拳で叩いた。
「そんなに怒ることないじゃん。翔だって、楽しんでただろ。……まあいいや。ゲームはちょっと休止ってことで」
 勢田はポケットに手を突っ込んでリモコンを操作した。振動が止まり、翔はようやく一息吐くことができた。
「……楽しいわけないだろ。だいたい、外出するなんて、聞いてなかった……」
 怒鳴ろうとしたが、その声は涙声になっていた。
「そうだっけ? ごめん、ごめん」
 全く悪いと思っていない口調が腹立たしかったが、あまりしつこく噛みついて、またローターの電源を入れられては堪らない。翔は仏頂面で唇を固く結んだ。
 その時、色とりどりに光る電光が目に映った。大観覧車だった。
 翔の視線に気づいた勢田が、尋ねてきた。
「乗りたい?」
 うろたえながらも、翔は小さく頷いた。
 だが、観覧車の列に並んだ途端、翔は後悔した。並んでいるのは、大半がカップルだった。男同士で並んでいるのは、翔たちだけだ。それなのに、勢田は何のつもりか、翔の手を強く握っていた。
 ――これじゃ、ゲイのカップルみたいじゃないか。
 恥ずかしくて、勢田の手を振り払おうとした。だが、勢田は離そうとしない。
 ようやく観覧車に乗る番が来た。
 ゴンドラは弧を描きながら、ゆっくりと上昇していった。あっという間に、地上から遠ざかっていく。
 翔は窓ガラスに額を押し付け、外の風景を見入っていた。高い所から風景を眺めるのは好きだった。そろそろ頂上に達しようとしたところで、急にゴンドラが揺れた。振り向くと、勢田の顔が間近にあった。
 身体を引く余裕もなく、いきなり唇を押し当てられた。勢田の舌が翔の口内に侵入したと思ったが、一瞬舌を絡められただけで、すぐに離れていった。
 翔は呆然と、勢田の顔を見つめた。
 ――キス……された?
 翔の心臓が、激しく鼓動している。
 すでにゴンドラは下降し始めていた。
「人生で一度くらい、やってみたかったんだ」
 勢田が小さく微笑んだ。
「観覧車の頂上で、キスですか?」
 勢田は照れ臭そうに頷いた。
 意外だった。バカップルのようなことを、やりたがるような男には見えなかった。
「まともな恋愛、したことないからなぁ」
 遠い目で呟いた勢田は、嘘を言っているようには見えなかった。
 ――でも……。
「随分手慣れていたみたいですけど?」
 つい嫌味を言ってしまったが、勢田には全く通じていない様子だ。
「だって、場数は踏んでるもん」
「男ですか? 女ですか?」
「そりゃ、女のほうが多いよ。でも、男もたまに言い寄って来るよ」
 こんな男に心臓を高鳴らせてしまったのかと思うと、翔は自分のことが腹立たしかった。
「別に俺から口説いてるわけじゃないって。勝手に近づいてくるんだよ。据え膳食わぬは男の恥、ってやつ?」
 ――絵に描いたような軽薄な男……。
 翔は大きな溜息を漏らした。
「まともな恋愛なんか、する気ないでしょ」
 勢田は苦笑混じりに、小さく頷いた。
「あなたみたいな軽薄で下劣な人って、結局最後は誰からも見限られて、独りで野垂れ死にしそうですよね」
 翔は捨て台詞を吐くと、逃げるように窓の外に視線を向けた。勢田の反応を見るのが怖かった。さすがに、怒らせてしまったかもしれない。
 だが、勢田は特に怒っている様子はなく、真顔で小さく頷いてから、口元にいつもと変わらない皮肉な笑みを浮かべた。
「確かに、そうだな。でも、君だって、似たようなものじゃないの? バケモノくん」
 ――バケモノ……。
 そんな風に、陰で罵られている事実は、翔もよく知っていた。だが、なぜか勢田にだけは、そんな風に言われたくなかった。
 反射的に、勢田の頬を平手打っていた。
 翔は、そんな自分の行動に驚いた。勢田も驚いたようで、まじまじと翔の顔を見つめた。それから、吹き出した。
「実力行使かよ? だったらはじめから『イーヴィルアイ』なんか使わなくて、殴りかかればいいのにさ」
 勢田は翔の身体をじっと観察してから、小首を傾げた。
「んー、でも、華奢だもんな。受身もそんなに上手いわけじゃなかったし、暴力沙汰は避けたほうが身のためかもね。綺麗な顔が腫れ上がってるのは、あまり見たくないしな」
 勢田は打たれた頬を撫でながら、面白そうに笑った。
「そうそう、俺みたいな下劣な人間は、やられたらやり返したくなるもんだよな」
 にやりと笑うと、勢田はポケットからおもむろにコントローラーを取り出した。その存在をすっかり忘れていた翔は、身を固くした。
「…んっ……」
 激しい振動に、思わず声が漏れた。ローターは容赦なく翔の身体の中を掻き回した。
 ゴンドラが止まり、扉が開いた。だが、翔は立ち上がれなかった。係員が不思議そうに翔を見ている。翔は焦ったが、どうしても足に力が入らない。
 勢田が翔の手を引いて立たせてくれた。翔は勢田にしがみつくようにして、ゴンドラから下りた。もはや、係員の視線を気にする余裕はなかった。
 息を殺しながら、沸き上がってくる愉悦をひたすら飲み込み続けた。身体が激しく震え、汗が全身から滲み出てきた。
「顔、赤いね。暑いの?」
 わざとらしく囁いたと思ったら、鞄を取り上げられた。
「返してください」
 前を隠していた鞄を取り上げられ、翔は焦った。これでは、下腹部が目立ってしまう。
「さっきの仕返し。それにさぁ、俺、高いところが苦手なんだよねぇ。観覧車の中、怖くて堪らなかったんだ。それも合わせ技でね」
 ――乗るって言い出したのは、あんたの方だろ!
 怒鳴ってやりたかったが、翔にはそんな余力は残されていなかった。
「もう無理……」
 勢田にしがみついたまま、翔は息も絶え絶えに訴えた。勢田の脚に、自分の股間を擦りつけようとしていることに気づき、翔は慌てて首を大きく横に振った。
「ゲームは俺の勝ちだな」
 勝ち誇ったような笑みに腹が立つが、頷くしかなかった。
 だが、勢田はローターのスイッチを切ってはくれない。
「僕の負けでいいから、早く切って……」
「ちょっと休憩していこうか。スイッチを切ったところで、それじゃ、辛そうだよ」
 勢田の視線が、翔の下腹部に注がれた。傍から見ても勃起しているのが分かる状態だった。
 ――休憩って、まさかラブホテル? もしかして、僕を抱く気なのか?
 翔の身体を弄り回すだけなら、いつも翔の部屋でやっている。だが、勢田自身は着衣をほとんど乱さない。
 さすがに、互いに全裸になろうとすると、いつ母が現れるか分からない翔の部屋では難しい、という判断なのだろうか。
 ――これが、ゲームの条件だったのか?
 もっとも、先に告げられていたとしても、翔はその条件を呑んだだろう。敢えて条件を伏せた理由が全く掴めない。 
 不安と恐怖が渦巻いたが、もはや翔に選択肢はなかった。

 デートスポットだけあって、洒落たシティホテルやラブホテルが近くにあったが、勢田が選んだのは安っぽい古びたビジネスホテルだった。
 一緒に入るのかと思えば、勢田は翔に、部屋を取ったら連絡するとだけ言い残し、ひとりでフロントに向かった。
 ――シングルルームで済ませたいってわけか。どれだけケチなんだよ。
 翔は人目につきにくい場所で壁に凭れながら、内心毒吐いた。初体験になってしまうことを考えると、せめてもう少し小綺麗なホテルにして欲しかった。
 五分ほど経ってから、ようやく電話が入り、部屋番号を伝えてきた。
「西側に小さい出入り口あるだろ。あそこなら監視カメラもないし、余裕で入れる。堂々としてたら、却って目立たないから大丈夫」
 ふざけた台詞を残して、電話は切れた。その間も、ローターの振動が、翔を苛み続けていた。達してしまいたいのに、達するには弱い刺激だった。さらに、歩くたびに身体が揺れてしまう。
 だが、不審に思われたら最後だ。翔は必死で無表情を装いながら、勢田に指定された部屋に向かった。
 部屋に入るなり、翔はその場に崩れ落ちた。
「誰にも見られなかったか?」
 珍しく真剣な声で訊ねてきた。
 ――そんなに、シングルルームの室料で済ませることが大事なのか? この守銭奴は……。
 翔は腹立たしく思いながらも、頷いた。
 勢田はいつもの軽薄な笑みを浮かべて翔を見下ろしてから、ようやくローターを止めた。
「立てるか?」
 手を差し伸べられたが、立ち上がる気力も体力もなかった。
 勢田は翔を抱き上げてベッドまで運んでくれた。布越しに伝わってくる勢田の体温に、翔の心臓が跳ねた。
 勢田が翔の身体をベッドに放り投げた時、翔は安堵の溜息を吐いた。だが、心から喜べなかった。
 ――熱い……。
 長時間、ローターの緩慢な刺激を与え続けられたせいか、身体の奥が、とろ火で炙られるように熱かった。ローターよりももっと大きいもので、滅茶苦茶に突いて欲しかった。
 翔は縋るような目で勢田を見上げた。勢田の目は嗜虐の色を帯びていた。
「どうして欲しい?」
 翔は口ごもった。だが勢田は意地悪な目で翔を見つめるだけで、助け船を出してはくれない。翔は乾いた唇を舐めてから、僅かに唇を開いた。
「……熱い……」
「そう。それで?」
 どうしても、翔に言わせたいらしい。翔は目を固く閉じ、吐息のように小さく呟いた。
「……抱いて…ください」
「抱いてあげてもいいけど、君が頼んできたんだから、後になって被害者面するなよ」
 勢田が恫喝するように低く囁いた。ガラス玉のような無機質な瞳が底光りしている。翔の背筋に悪寒が走った。
「服を脱いで、足を広げろ」
 今まで聞いたことがない命令口調に、翔は戸惑った。だが、なぜか逆らえなかった。
 操られるように、翔はのろのろと自分の服を脱ぎ、おずおずと足を開いた。反り返った性器を隠すことができないどころか、奥の蕾まで丸見えだった。
 ――僕、何してるんだ? こんな屈辱的な扱いを受けているのに、言いなりになってるなんて……。
 だが、矜持も理性も、まるで靄がかかったように、機能していなかった。
 勢田の無遠慮な視線に晒され、蕾がひくつき、それに呼応するかのように性器が蜜を吐き出している。
「こんなに汚して、恥ずかしくないの?」
 侮蔑的な笑いを含んだ勢田の声に、急に羞恥心を覚えた。そんな翔の羞恥心を煽るように、勢田の指が、襞を擦り上げながら体内に侵入してきた。
「んっ……、あ…っ」
 探るような指の動きに、翔は声を上げた。
「随分奥まで飲み込んだんだね。ローター、なかなか取り出せないな」
 散々中を掻き回して、ようやくローターが取り出された。
 ほっとしたのも束の間、勢田がもう一方の手で、翔の乳首に触れた。固く尖った乳首は、指先で軽く触れられただけで、痺れるようなもどかしい痛みが走った。
「乳首も、尖ってるね」
 勢田は翔の乳首を指先で摘まみ上げると、指の腹で転がし、捏ねくり回す。焦らすような仕草に、身体ががくがくと震えた。先走りが溢れるが、絶頂に達するには、刺激が足りなかった。
「せんせ……」
 助けを乞うような惨めな声で訴えた。
 その時、シャッター音が聞こえた。勢田が手にしているのは、翔の携帯電話だった。
「何したんですか?」
 翔は慌てて身体を起こした。
「これくらい無様な恰好を晒したら、吉田君だって、許してくれるんじゃないかな、と思うんだ。だって、君にとって、命の次に大事なのは見栄だろ?」
 勢田はにやりと笑いながら、画像を翔のほうに向けた。自分の浅ましい姿に、翔は瞬時に目を背けた。
「この画像を添付して、謝罪メール送ってみたら? さすがに吉田君も、君の謝罪が本気だと感じると思うよ」
 勢田がまた何か操作をしようとした。
 ――勝手に送る気か?
 翔は勢田に飛びつき、携帯電話を奪おうとした。だが勢田は翔の動きを読んでいたかのように、優雅な仕草で翔の動きをかわした。
「そんなに嫌? でも、人を命を奪うところだったんだから、口先の謝罪なんかじゃ、済むわけないよね」
 勢田は携帯電話をサイドテーブルの上に置くと、勢田が翔の身体にのしかかってきた。
「僕の……せいじゃ……」
「まだ言うんだ? じゃあ君は平気なんだ? 自分のせいで人が死んでも」
「僕のせいなんかじゃない!」
 だが、言葉とは裏腹に、翔の胸は張り裂けそうに痛んだ。
 ――平気なら、こんなに苦しくない……。
 涙腺が熱を帯びた。
「じゃあ、教えてくださいよ。どうして僕だけが、こんな目に遭わなきゃいけないんですか? 誰だって、ムカつくことくらい、あるはずでしょう。集団で暴行してこられたら、誰だって腹が立ちますよ。それが、いけないことなんですか?」
 呟いているうちに、悔しさと怒りが込み上げてきた。
「どうして僕が、源川第三高校なんかの奴らに、足蹴にされたり、あることないこと言い立てられて、馬鹿にされなきゃならないんですか? あんな奴ら、どうせ社会の屑じゃないですか。線路に落としたくらい、どうということないでしょ」
「そっか。じゃあ君は、前の高校に戻りたいんだ? 彼らなら、もうちょっと上品なやり方を選ぶのかな?」
 翔は、ぼんやりと前の学校のクラスメイトを思い浮かべた。確かに公衆の面前で、暴力行為を受けたことはなかった。だが、彫刻刀を翔に向けた同級生は、翔の初等部時代のことまで粘着質に調べ上げて、初等部時代に受けた角膜移植手術を違法手術だと誹謗中傷した。翔の机の中に紙切れを忍ばせて、カンニングの汚名を着せられ、模範生としての信頼を失った。クラスの事務連絡網から外されて、課外学習の際に恥をかかされたこともあった。
「あいつらも嫌だ……。卑怯な手ばかり使って……」
「じゃあ、君はどうしたいんだ? どこに居たいの?」
 翔は小さく首を横に振った。
「……居場所……ない」
 呟いた途端、涙が溢れた。意地でも認めたくなかいと思ってきたが、本当は、いつもそう感じていた。
 勢田が指先で翔の涙を拭った。
「じゃ、このまま俺のペットになる? 可愛がってあげてもいいけど?」
 ――ペット……?
 屈辱的な言葉のはずが、なぜかその言葉に縋りたくなった。
 ――ペットなら、もう何も考えなくていい? 意地もプライドも捨てて、楽になれる……?
「なーんてね。俺、何にでもすぐに飽きて放り投げちゃう性質だから、飼ってはあげられないなぁ。気紛れに餌を与えてやることくらいなら、できるけどね」
 霞んだ頭で、ぼんやりと目を開くと、勢田がベルトを外し、自分の性器を取り出しているのが見えた。他人の性器をまともに見たのは初めてで、翔は生唾を飲み込んだ。
 勢田は先端部を翔の蕾に押し当てると、ゆっくりと翔の身体の中に埋め込んでいった。
「ああっ……っ」
 想像以上の圧迫感に、翔は悲鳴を上げた。呼吸もままならず、口から唾液が零しながら、喘ぎ声を上げ続けていた。
 激しく突き上げられ、接合部に激しい熱が走った。淫らな水音が、ひっきりなしに狭い室内に響いている。痛みなのか快感なのかすら、もはや分からなかった。
 翔の中で、何かが音を立てて崩壊した。耳をつんざくような轟音が胸の内で響き渡った。
「どうして僕だけ……こんな目に……。助けて……、助けてよ」
 翔は勢田の背中に爪を立て、泣き叫んでいた。

 気がつくと、翔はひとりでベッドに横たわっていた。頭が重たく、顔が腫れていた。喉も痛かった。泣き喚いたせいに違いない。
 起き上がろうとすると、下腹部に鈍痛が走った。勢田に抱かれたことを思い出し、羞恥心に身悶えした。
 どこかから、ごそごそと何かを動かしているような音がした。翔はゆっくりと音のするほうに視線を向けた。
 勢田がホテルの備品を探ってるようだ。壊れたものがないか、チェックしているのだろう。
「お見事。何も壊してなかったよ」
 飲みかけのミネラルウォーターを片手に、ベッドまで戻ってきた勢田は、普段と変わらない、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「飲む?」
 飲みかけのミネラルウォーターを差し出された。
 翔は慌てて目を逸らせた。恥ずかしくて、勢田の顔を直視できなかった。
「ん? どうした? さては、思い出して、恥ずかしくなったんだ? 俺に縋りついて、あんあん喘いだこと? それとも、自分が喚き散らしたこと?」
 翔は自分が捲くし立ててしまった罵詈雑言を思い起こした。途端に、肝が冷えた。普段の自分が聞けば、発言者の人間性を疑うに違いない、数々の罵倒文句が、まざまざと脳裏に甦ってきた。
 ――社会の屑とか……。なんであんなこと言っちゃったんだ? あんなこと言う奴の方が、よほど屑じゃないか。
 翔は頭を抱え、髪を掻き毟った。
「まあ、飲めよ」
 勢田がペットボトルを押し付けてきた。だがそれどころではなかった。翔は差し出されたペットボトルを払いのけた。水を零しながら床に落ちたペットボトルを、勢田は苦笑を浮かべながら拾い上げた。
「そんなにショック? 君はよっぽど、良い子ちゃんでいたいんだねぇ。模範生を演じて楽しい?」
 勢田は翔の顎を掴むと、強引に顔を上げさせた。
「それが君の本性だよ。どれだけメッキでごまかしても、所詮その程度の人間だってこと。いい加減、認めたら?」
 胸に錐が突き刺さるような痛みを感じた。
「まあ、君が認めるかどうかは好きにしたらいいけど、少なくとも俺は、君のことを高尚な人間とも、善良な人間とも思ってないよ」
 勢田はどうでもいいような口調で吐き捨てた。
 翔の頭の中が、死刑宣告を受けた囚人のように、真っ白になった。
 ――この人は、初めから僕のことを軽蔑してた……?
 学校の試験でカンニングの汚名を着せられた時、教師たちが見せた失望と軽蔑の眼差しが脳裏に過った。
「あ、そうだ。学校、行きなよ」
「え?」
 突然の言葉に、翔はびっくりして勢田を顔をまじまじと見た。
「なんだよ。そんなにびっくりするほどのことか? 俺が勝ったんだから、俺の言うこと聞いてくれるんだろ?」
「……それって、その……、僕を抱いたので終わりなんじゃ……」
「それは君の方から、せがんできただけだろ。忘れたのかよ? 自分から服脱いで股開いたくせに、何言ってんだ」
 馬鹿にしたような口調で、勢田は言い放った。
「さてと、シャワー浴びてこようかな」
 勢田は無防備に背中を向けた。
 ――自分から股開いて……。
 確かに翔は、勢田に命じられるままに、自ら服を脱ぎ、股を開いた。
 ――それが君の本性だよ。
  絶望的な科白が、頭蓋に木霊した。
 ひび割れそうな金属音が響き渡り、目の奥に激痛が走った。勢田の背中に無数のガラス片が突き刺さり、血塗れになる姿が、はっきりと脳裏に浮かんだ。
 ――あ……、どうしよう……。来る……!
 翔は耳を塞ぎ、目を瞑った。
 だが、いつまで経ってもガラスが割れる音はしなかった。代わりに、勢田の大きな溜息が聞こえた。
「……がっかりだな」
 独り言のように小さく呟くと、勢田はバスルームに消えた。
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