上 下
3 / 38

2-1

しおりを挟む
 感情を押し隠して、聞く。その先に、声にならぬ言葉をこめた。
 ――どうやって、あの人にこれほど愛されたの。

 マルタは目を見開いた。そうすると、本当に猫のようだった。
 それから、ううん、とうなって宙を見る。

「あの人、お忍びでうちに来たの。うちの料理、ちょっとした評判になってて。ご学友っていうの? その人に聞いて、一度食べてみたいって思ってたんだって」

 そう切り出してから、マルタは笑った。

「恰好こそ平民っぽくても、やっぱり顔立ちとか所作とかって隠せないでしょ。それにやけにこう、態度が堂々としてるっていうか、余裕があるっていうか。どう見ても貧乏人じゃないし。変な人だなあって思ったの。すぐに、どこかのいいとこの坊ちゃんだろうなって思ったわ」

 マルタは嬉しそうだった。
 素朴で純朴な――隠すことのない喜びの表情。

 エヴェリーナはそれを眺めながら、胸がじりじりと焦げていくような苦しさを味わう。
 ――料理。給仕。看板娘。
 そういった庶民的なものが珍しくて、ジョナタは惹かれたのだろうか。

「でね、その……うちは酔っ払いも多くて。私、絡まれちゃってさ。両手に料理持ってたときで振り払えなかったのよね。すっごく腹が立って蹴ってやろうかと思った時、ジョンが助けてくれて」
「……ジョン?」
「ああ、えっとね、あの人、ジョンって仮名を名乗ったの。安直でしょ」

 まさか王太子だなんて思わないじゃない、とマルタは照れくさそうな顔をする。
 ――酔っ払いから娘を助ける。
 ジョナタに、そんな一面があったのかとエヴェリーナは驚く。

 エヴェリーナの知るジョナタはいつも完璧な王太子だった。
 エスコートはきわめて洗練されて礼儀正しく、婚約者であるエヴェリーナとの関係に不埒ふらちな噂をよせつけないほど常に正しい距離と態度を保ち続けた。
 その――彼が。

「……そこから、なんとなく知り合いになって。うちの料理が気に入ったとかで、しょっちゅう来るようになって。王太子がまさかそんなことするなんて思わないじゃない? 王太子ってそんなに暇なの?」
「……いいえ、そのようなことは……」
「へ、へえ。じゃあ、よほどうちの料理が気に入ってたのね」

 マルタがはにかんだ表情を見せる。
 どろりと、エヴェリーナの胸の澱が動く。

 ――ジョナタが暇であるはずがない。だがわずかな隙間をぬって何度も通うほど、料理が気に入ったというわけでもない。
 マルタに、会いに行っていたのだ。

 エヴェリーナは胸を押さえた。

「ちょ、ちょっとお嬢さん? 大丈夫?」
「……失礼しました。何でもありません」

 マルタが慌て、エヴェリーナは目を伏せながら胸から手を退かせた。かわりに膝の上で組んだ手に力をこめた。
 ――胸が痛い。どろどろとした黒い澱に、心臓を握りつぶされてしまいそうだ。

(聞きたくない……)

 こんな話など聞きたくなかった。
 マルタとジョナタの接点を知りたいと願っておきながら、その真実にひどく傷つけられる自分がいた。
 どうして。

(どうしてなのですか、殿下……)

 なぜ、なぜ、なぜ。
 その問いばかりが頭を回る。
 自分の何がいけなかったのだろう。なぜこの娘は愛されて、自分はそれがかなわなかったのだろう。

 エヴェリーナは王太子妃になるはずだった。そうなるべくして育てられ、そうなるものだと疑わずに生きてきた。
 なのにいま、愛というもののせいで押し退けられ、どうしたらいいかわからずにいる。
 自分は愛されなかった――そのせいで王太子妃候補ではなくなった。

 自分は何を誤ったのかとそればかりが胸を穿つ。
 
「――マルタ、エヴェリーナ」

 ふいにそんな声が聞こえ、エヴェリーナとマルタは同時に顔を向けた。
 エヴェリーナの心臓は強く痛みを覚えた。
 王太子ジョナタその人が、応接間の扉に立っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

至って普通のネグレクト系脇役お姫様に転生したようなので物語の主人公である姉姫さまから主役の座を奪い取りにいきます

下菊みこと
恋愛
至って普通の女子高生でありながら事故に巻き込まれ(というか自分から首を突っ込み)転生した天宮めぐ。転生した先はよく知った大好きな恋愛小説の世界。でも主人公ではなくほぼ登場しない脇役姫に転生してしまった。姉姫は優しくて朗らかで誰からも愛されて、両親である国王、王妃に愛され貴公子達からもモテモテ。一方自分は妾の子で陰鬱で誰からも愛されておらず王位継承権もあってないに等しいお姫様になる予定。こんな待遇満足できるか!羨ましさこそあれど恨みはない姉姫さまを守りつつ、目指せ隣国の王太子ルート!小説家になろう様でも「主人公気質なわけでもなく恋愛フラグもなければ死亡フラグに満ち溢れているわけでもない至って普通のネグレクト系脇役お姫様に転生したようなので物語の主人公である姉姫さまから主役の座を奪い取りにいきます」というタイトルで掲載しています。

私は王妃になりません! ~王子に婚約解消された公爵令嬢、街外れの魔道具店に就職する~

瑠美るみ子
恋愛
 サリクスは王妃になるため幼少期から虐待紛いな教育をされ、過剰な躾に心を殺された少女だった。  だが彼女が十八歳になったとき、婚約者である第一王子から婚約解消を言い渡されてしまう。サリクスの代わりに妹のヘレナが結婚すると告げられた上、両親から「これからは自由に生きて欲しい」と勝手なことを言われる始末。  今までの人生はなんだったのかとサリクスは思わず自殺してしまうが、精霊達が精霊王に頼んだせいで生き返ってしまう。  好きに死ぬこともできないなんてと嘆くサリクスに、流石の精霊王も酷なことをしたと反省し、「弟子であるユーカリの様子を見にいってほしい」と彼女に仕事を与えた。  王国で有数の魔法使いであるユーカリの下で働いているうちに、サリクスは殺してきた己の心を取り戻していく。  一方で、サリクスが突然いなくなった公爵家では、両親が悲しみに暮れ、何としてでも見つけ出すとサリクスを探し始め…… *小説家になろう様にても掲載しています。*タイトル少し変えました

妹ばかりを贔屓し溺愛する婚約者にウンザリなので、わたしも辺境の大公様と婚約しちゃいます

新世界のウサギさん
恋愛
わたし、リエナは今日婚約者であるローウェンとデートをする予定だった。 ところが、いつになっても彼が現れる気配は無く、待ちぼうけを喰らう羽目になる。 「私はレイナが好きなんだ!」 それなりの誠実さが売りだった彼は突如としてわたしを捨て、妹のレイナにぞっこんになっていく。 こうなったら仕方ないので、わたしも前から繋がりがあった大公様と付き合うことにします!

悪役令嬢はヒロインの幼なじみと結ばれました

四つ葉菫
恋愛
「シャルロッテ・シュミット!! お前に婚約破棄を言い渡す!」  シャルロッテは婚約者である皇太子に婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には『ヒロイン』の姿が。  理由はシャルロッテがヒロインを何度も虐めたためだ。  覚えのない罪ではあるが、ここまでの道のりはゲームの筋書き通り。悪役は断罪される運命なのだろうと、諦めかけたその時――。 「ちょっと待ってくださいっ!!」  ヒロインの幼なじみであり、ゲームのサポートキャラであるカイル・ブレイズが現れた――。 ゆる〜い設定です。 なので、ゆる〜い目でご覧下さい。

噂の悪女が妻になりました

はくまいキャベツ
恋愛
ミラ・イヴァンチスカ。 国王の右腕と言われている宰相を父に持つ彼女は見目麗しく気品溢れる容姿とは裏腹に、父の権力を良い事に贅沢を好み、自分と同等かそれ以上の人間としか付き合わないプライドの塊の様な女だという。 その名前は国中に知れ渡っており、田舎の貧乏貴族ローガン・ウィリアムズの耳にも届いていた。そんな彼に一通の手紙が届く。その手紙にはあの噂の悪女、ミラ・イヴァンチスカとの婚姻を勧める内容が書かれていた。

なんでも私のせいにする姉に婚約者を奪われました。分かり合えることはなさそうなので、姉妹の関係を終わらせようと思います。

冬吹せいら
恋愛
侯爵家令嬢のミゼス・ワグナーは、何かあるとすぐに妹のリズのせいにして八つ当たりをした。 ある日ミゼスは、リズの態度に腹を立て、婚約者を奪おうとする。 リズはこれまで黙って耐えていた分、全てやり返すことにした……。

【完結】婚約破棄をされたわたしは万能第一王子に溺愛されるようです

葉桜鹿乃
恋愛
婚約者であるパーシバル殿下に婚約破棄を言い渡されました。それも王侯貴族の通う学園の卒業パーティーの日に、大勢の前で。わたしより格下貴族である伯爵令嬢からの嘘の罪状の訴えで。幼少時より英才教育の過密スケジュールをこなしてきたわたしより優秀な婚約者はいらっしゃらないと思うのですがね、殿下。 わたしは国のため早々にこのパーシバル殿下に見切りをつけ、病弱だと言われて全てが秘されている王位継承権第二位の第一王子に望みを託そうと思っていたところ、偶然にも彼と出会い、そこからわたしは昔から想いを寄せられていた事を知り、さらには彼が王位継承権第一位に返り咲こうと動く中で彼に溺愛されて……? 陰謀渦巻く王宮を舞台に動く、万能王太子妃候補の恋愛物語開幕!(ただしバカ多め) 小説家になろう様でも別名義で連載しています。 ※感想の取り扱いについては近況ボードを参照してください。

処理中です...