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感情を押し隠して、聞く。その先に、声にならぬ言葉をこめた。
――どうやって、あの人にこれほど愛されたの。
マルタは目を見開いた。そうすると、本当に猫のようだった。
それから、ううん、とうなって宙を見る。
「あの人、お忍びでうちに来たの。うちの料理、ちょっとした評判になってて。ご学友っていうの? その人に聞いて、一度食べてみたいって思ってたんだって」
そう切り出してから、マルタは笑った。
「恰好こそ平民っぽくても、やっぱり顔立ちとか所作とかって隠せないでしょ。それにやけにこう、態度が堂々としてるっていうか、余裕があるっていうか。どう見ても貧乏人じゃないし。変な人だなあって思ったの。すぐに、どこかのいいとこの坊ちゃんだろうなって思ったわ」
マルタは嬉しそうだった。
素朴で純朴な――隠すことのない喜びの表情。
エヴェリーナはそれを眺めながら、胸がじりじりと焦げていくような苦しさを味わう。
――料理。給仕。看板娘。
そういった庶民的なものが珍しくて、ジョナタは惹かれたのだろうか。
「でね、その……うちは酔っ払いも多くて。私、絡まれちゃってさ。両手に料理持ってたときで振り払えなかったのよね。すっごく腹が立って蹴ってやろうかと思った時、ジョンが助けてくれて」
「……ジョン?」
「ああ、えっとね、あの人、ジョンって仮名を名乗ったの。安直でしょ」
まさか王太子だなんて思わないじゃない、とマルタは照れくさそうな顔をする。
――酔っ払いから娘を助ける。
ジョナタに、そんな一面があったのかとエヴェリーナは驚く。
エヴェリーナの知るジョナタはいつも完璧な王太子だった。
エスコートはきわめて洗練されて礼儀正しく、婚約者であるエヴェリーナとの関係に不埒な噂をよせつけないほど常に正しい距離と態度を保ち続けた。
その――彼が。
「……そこから、なんとなく知り合いになって。うちの料理が気に入ったとかで、しょっちゅう来るようになって。王太子がまさかそんなことするなんて思わないじゃない? 王太子ってそんなに暇なの?」
「……いいえ、そのようなことは……」
「へ、へえ。じゃあ、よほどうちの料理が気に入ってたのね」
マルタがはにかんだ表情を見せる。
どろりと、エヴェリーナの胸の澱が動く。
――ジョナタが暇であるはずがない。だがわずかな隙間をぬって何度も通うほど、料理が気に入ったというわけでもない。
マルタに、会いに行っていたのだ。
エヴェリーナは胸を押さえた。
「ちょ、ちょっとお嬢さん? 大丈夫?」
「……失礼しました。何でもありません」
マルタが慌て、エヴェリーナは目を伏せながら胸から手を退かせた。かわりに膝の上で組んだ手に力をこめた。
――胸が痛い。どろどろとした黒い澱に、心臓を握りつぶされてしまいそうだ。
(聞きたくない……)
こんな話など聞きたくなかった。
マルタとジョナタの接点を知りたいと願っておきながら、その真実にひどく傷つけられる自分がいた。
どうして。
(どうしてなのですか、殿下……)
なぜ、なぜ、なぜ。
その問いばかりが頭を回る。
自分の何がいけなかったのだろう。なぜこの娘は愛されて、自分はそれがかなわなかったのだろう。
エヴェリーナは王太子妃になるはずだった。そうなるべくして育てられ、そうなるものだと疑わずに生きてきた。
なのにいま、愛というもののせいで押し退けられ、どうしたらいいかわからずにいる。
自分は愛されなかった――そのせいで王太子妃候補ではなくなった。
自分は何を誤ったのかとそればかりが胸を穿つ。
「――マルタ、エヴェリーナ」
ふいにそんな声が聞こえ、エヴェリーナとマルタは同時に顔を向けた。
エヴェリーナの心臓は強く痛みを覚えた。
王太子ジョナタその人が、応接間の扉に立っていた。
――どうやって、あの人にこれほど愛されたの。
マルタは目を見開いた。そうすると、本当に猫のようだった。
それから、ううん、とうなって宙を見る。
「あの人、お忍びでうちに来たの。うちの料理、ちょっとした評判になってて。ご学友っていうの? その人に聞いて、一度食べてみたいって思ってたんだって」
そう切り出してから、マルタは笑った。
「恰好こそ平民っぽくても、やっぱり顔立ちとか所作とかって隠せないでしょ。それにやけにこう、態度が堂々としてるっていうか、余裕があるっていうか。どう見ても貧乏人じゃないし。変な人だなあって思ったの。すぐに、どこかのいいとこの坊ちゃんだろうなって思ったわ」
マルタは嬉しそうだった。
素朴で純朴な――隠すことのない喜びの表情。
エヴェリーナはそれを眺めながら、胸がじりじりと焦げていくような苦しさを味わう。
――料理。給仕。看板娘。
そういった庶民的なものが珍しくて、ジョナタは惹かれたのだろうか。
「でね、その……うちは酔っ払いも多くて。私、絡まれちゃってさ。両手に料理持ってたときで振り払えなかったのよね。すっごく腹が立って蹴ってやろうかと思った時、ジョンが助けてくれて」
「……ジョン?」
「ああ、えっとね、あの人、ジョンって仮名を名乗ったの。安直でしょ」
まさか王太子だなんて思わないじゃない、とマルタは照れくさそうな顔をする。
――酔っ払いから娘を助ける。
ジョナタに、そんな一面があったのかとエヴェリーナは驚く。
エヴェリーナの知るジョナタはいつも完璧な王太子だった。
エスコートはきわめて洗練されて礼儀正しく、婚約者であるエヴェリーナとの関係に不埒な噂をよせつけないほど常に正しい距離と態度を保ち続けた。
その――彼が。
「……そこから、なんとなく知り合いになって。うちの料理が気に入ったとかで、しょっちゅう来るようになって。王太子がまさかそんなことするなんて思わないじゃない? 王太子ってそんなに暇なの?」
「……いいえ、そのようなことは……」
「へ、へえ。じゃあ、よほどうちの料理が気に入ってたのね」
マルタがはにかんだ表情を見せる。
どろりと、エヴェリーナの胸の澱が動く。
――ジョナタが暇であるはずがない。だがわずかな隙間をぬって何度も通うほど、料理が気に入ったというわけでもない。
マルタに、会いに行っていたのだ。
エヴェリーナは胸を押さえた。
「ちょ、ちょっとお嬢さん? 大丈夫?」
「……失礼しました。何でもありません」
マルタが慌て、エヴェリーナは目を伏せながら胸から手を退かせた。かわりに膝の上で組んだ手に力をこめた。
――胸が痛い。どろどろとした黒い澱に、心臓を握りつぶされてしまいそうだ。
(聞きたくない……)
こんな話など聞きたくなかった。
マルタとジョナタの接点を知りたいと願っておきながら、その真実にひどく傷つけられる自分がいた。
どうして。
(どうしてなのですか、殿下……)
なぜ、なぜ、なぜ。
その問いばかりが頭を回る。
自分の何がいけなかったのだろう。なぜこの娘は愛されて、自分はそれがかなわなかったのだろう。
エヴェリーナは王太子妃になるはずだった。そうなるべくして育てられ、そうなるものだと疑わずに生きてきた。
なのにいま、愛というもののせいで押し退けられ、どうしたらいいかわからずにいる。
自分は愛されなかった――そのせいで王太子妃候補ではなくなった。
自分は何を誤ったのかとそればかりが胸を穿つ。
「――マルタ、エヴェリーナ」
ふいにそんな声が聞こえ、エヴェリーナとマルタは同時に顔を向けた。
エヴェリーナの心臓は強く痛みを覚えた。
王太子ジョナタその人が、応接間の扉に立っていた。
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