3 / 74
君恋1
1-2
しおりを挟む雑貨フロアを少しばかり横切って、カフェフロアの脇にある厨房の扉を押し開く。
「木村さん、お疲れ様です」
コックコート姿の彼に声を掛けると、見た目とは裏腹に繊細な手つきでカップケーキにトッピングをあしらっている木村さんが、その手を止めてちらりとこっちへ視線を寄こした。
「ああ、店長。お疲れ様です。今日はなかなかの売れ行きですよー」
そう告げてからまたカップケーキに視線を落とす木村さんに「そうですか」と微笑み返す。
売れ行きが良いのは、多分小笠原が出ていたせいだろう。
女性客に人気のある彼がシフトに入っている日はすこぶる売れ行きがいい。
まあ奴を褒めると調子に乗って良からぬ方へエスカレートしそうだから変に褒めた事は一度もないが。
「あれ? 店長が居るってことは、僕は休憩に入っていいんですか?」
背後から声が掛かって振り向くと、ほんわかとした雰囲気の童顔で大きな丸い瞳がこっちを見上げていた。
男の俺でもコイツは可愛い部類に入るだろうと思う。
「あぁ、お疲れさん。時間的に客も引いて来ただろうから、先に休憩に入っちまってくれ」
「はい。じゃあちょっと外出て来ますね。――木村さーん、僕休憩入りますねー!」
「はいよー。いってらっしゃい」
俺の後ろで作業を続ける木村へヒョコッと顔を覗かせて言葉を交わしてから、日野潔はパタパタと厨房を出て行った。
腕時計を見ると十三時十五分前を告げていた。
カフェフロア開放時間は雑貨フロアより一時間遅い十一時からで、ランチタイムを終えて一時には一旦閉めるシステムになっている。
シフトはA帯とP帯の二つに分けており、A帯の九時半から出て来ている日野が一番に休憩に入れるというわけだ。――三十分早いのは店を開ける準備時間を取るため。
俺は厨房の布巾を一つ持ち出してテラスへ向かった。
「いらっしゃいませ」
食事をしながらお喋りを楽しんでいる女性客に接客用のセリフを投げかけて、近くのテーブルを持ってきた布巾で手際よく拭く。
今居る客が帰ったらカフェフロアを閉じる予定だ。
「あ! 店長さん、店長さん!」
声のした方を振り向くと、少し離れたテーブルからこっちに手を振っている二十代半ばといったところの女性客ふたりと目が合った。
俺は手にしていた布巾をひっくり返して綺麗な面を外に向けてから、その女性客の待つテーブルへ歩を進めた。
「いらっしゃいませ。お呼びでしょうか?」
軽めのお辞儀をしてから尋ねると、待ってましたと言わんばかりにキャーッと声を上げられ、体がビクリと後方へ跳ねた。
この手には何度も遭遇しているが、全く慣れない。
「彼女に誘われて初めて来たんですけどぉ。今日はもう会えないかと思っちゃいましたよ」
彼女というのは向かいに座る友人のことだろう。
「ね? カッコイイでしょー? ――私もこの前友達に教えてもらってこっそり何度か来てるんですけど、なかなか声掛けられなくって」
後半の言葉は俺に投げ掛けられたもので、正直どう返せばいいのか悩む。
あの小笠原なら卒なく返すのだろうが、俺にそんな技術はない。
それでも笑顔を絶やさずにいる自分を褒めてやりたい。
「そうですか。いつもご来店ありがとうございます」
定番文句しか出て来ない自分を叱咤してやりたい。
己を持ち上げたり落としたりしている間も、彼女たちの会話は続く。
「英さんって言うんですね! なんだかそれっぽーい!」
それっぽいとはどういう意味だろうか。
胸につけているネームプレートを見つめながらはしゃぐ彼女達に心中で溜息を零した。
女の会話を理解する日がいつか来るのだろうか……。
いや、それ以前に出来る気がしない。
「あの、彼女は?」
「……はい?」
「恋人とかいらっしゃいます?」
(とかってなんだ?)
恋人って言っている以上濁す必要があるのだろうか。
考えられるとしたら、照れ隠しのつもりで付け加えたもの。
下からじっくりと、ねっとりと? 見上げてくる瞳。
(これが小笠原が言っていた熱い視線ってやつか)
四つの目を避けるように俺は一歩後ろへ引く。
「今は仕事が楽しいので、恋人は作る気ないんですよ。あなた方のようにいつも足を運んで下さるお客様なら随時募集中ですが」
微笑みながら半分冗談めいた口調でそう告げると、彼女たちからハァという熱い吐息のようなものが発せられた。
気を害した様子は見られないから、きっとこのまま離れても大丈夫だろう。
「他にご用がなければ失礼します」
また軽めのお辞儀をして、残りのテーブルを拭きに足早に離れた。
本当なら、もしかしたら、少し前に恋人が出来ていたかもしれない。
望みはやっぱり薄かったし、案の定実りはしなかったが……。
俺はここのオーナーに恋をしていた。
名前は神条雪乃といって、幼馴染でもある。
女みたいな名前だが、歴とした男で俺より四つも年上だ。
幼い頃は雪にぃと呼んで懐いていた記憶がある。
そう呼ばなくなったのは、自分の気持ちに気付いた頃からだった。
俺は高校、神条さんは大学に上がって環境も変わったせいか会う機会が減り、離れる時間が増えたことで相手の存在の大きさを思い知った。
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
【完結】遍く、歪んだ花たちに。
古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。
和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。
「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」
No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。
愛などもう求めない
白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。
「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」
「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」
目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。
本当に自分を愛してくれる人と生きたい。
ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。
ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
ハイスペックストーカーに追われています
たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!!
と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。
完結しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる