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13歳

341 人間になって

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 このままでは夏が終わってしまう。
 俺はまだ、湖で泳いでいなかった。ブルース兄様の嘘つき。

 乗馬は結構上手くなったと思う。クレイグ団長がにこにこしているから、上手くなったと思う。団長は、最近ユリスにも練習させようとしている。だがユリスは我儘なお子様だ。やりたくないことは絶対にやらない。馬に乗る意味がわからないと吐き捨てて、団長が呼びにきてもガン無視している。

 一度、ブルース兄様にも俺が馬に乗るところを見せた。「おぉ、すごいな」と素直に感心した兄様であったが、湖の話を出した途端、ダメ出ししてきた。なんて嫌な兄だ。俺を湖で泳がせたくないという本音が丸わかりである。

「あー、夏が終わってしまう。ブルース兄様め。嘘つきはダメなんだぞ。アロンみたいになるぞ」
『さらっとアロンさんの悪口言ったねぇ』

 もふもふと体を揺らしながら一生懸命歩く綿毛ちゃんは、時折俺に不満そうな視線を向けてくる。それを無視して、お散歩を続ける。

 俺は今、庭で犬の散歩をしていた。

 どうしても犬の散歩がしたいと駄々をこねたところ、アロンがリードを用意してくれた。リードを見た瞬間、きらきらと目を輝かせる俺とは対照的に、綿毛ちゃんは絶望していた。

 そんな不機嫌毛玉をなんとか捕まえて、首輪に装着した俺は、意気揚々と庭に出た。

 念願のお散歩である。俺はずっと、犬の散歩がしてみたかった。

 ルンルン気分でひたすら庭を歩く俺に、綿毛ちゃんは渋々ついてくる。ちなみに、俺は今ひとりだった。

 ロニーはブルース兄様に呼ばれてどこかへ行ったし、ジャンは本日お休みをとっている。

 俺をひとりにすることにロニーは不安を覚えたようだが、綿毛ちゃんも居るから大丈夫と言って説得した。遠くへは行かないと約束して、ロニーは心配そうに兄様の元へと行ってしまった。

 ロニーとの約束を破るわけにはいかない。言われた通り、俺はひたすら屋敷の玄関前スペースを歩き回っていた。

「楽しいか? 綿毛ちゃん」
『あんまり。その紐離してくれない? 紐がない方がオレは楽しいよ』
「水飲むか?」
『坊ちゃんって、都合の悪い言葉は全部無視するよねぇ』

 半眼になる綿毛ちゃん。なんだその顔は。ペットのくせに生意気だ。

 そのまま狭い範囲を、ひたすらぐるぐる歩く。

『もうちょい向こうまで行かない? なにもこんな狭いとこぐるぐるしなくても』
「ロニーに迷惑かけたらダメなの」
『そうなんだぁ。そりゃ大変だねぇ』

 適当に相槌を打ってくる綿毛ちゃんは、とことんやる気がなかった。

「よし! じゃあ、もっと楽しいことしよう」
『嫌な予感しかしない』

 さっと周囲を見回して、枝かなにかが落ちていないかと探してみるが、なにも落ちていない。庭師が手入れしているらしく、大きな石や枝なんかはほとんど見当たらない。そういえば、先程まで掃除していたな。玄関先は特に念入りに手入れされている。

 考えたすえに、俺は靴を片方脱ぐ。片足立ちでバランスをとりながら「とってこい!」と勢いよく靴を上に投げた。

『あ』

 綿毛ちゃんが間抜けな声を発する。俺の手から離れた靴は、パサっと気の抜ける音と共に、近くにあった木の上に引っかかった。

「……綿毛ちゃん。とってこい」
『すんごい無茶振り』
「ダメ! 犬なんだからとってきて!」
『オレは木登りできないんだよ、坊ちゃん』

 これはまずい。靴下が汚れるが、それどころではない。片足立ちを諦めて、地面に足を下ろす。今は、まず靴をどうにかしなければならなかった。

 慌てて手を伸ばすが、勢いよく投げ過ぎた。俺の手の届かないところに引っかかっている。ぴょんぴょん跳ねるが、それでも届かない。

「どうしよう。ブルース兄様に怒られる」

 兄様が知ったら、間違いなくキレる。くだらないことをするんじゃないと怒鳴りつけてくるに決まっている。

 周囲に視線を走らせるが、こんな時に限って誰もいない。こういう時こそアロンの出番なのに。今日はおサボりせずに、真面目に仕事しているらしい。

「綿毛ちゃん! どうにかして!」
『無理だってば』
「人間になって! とってきて! お願い!」
『嫌だよぉ。人間姿を人に見られたらどうするのさ』
「ケチ! ケチ毛玉!」

 もう! と地団駄を踏んで、リードをずるずる引っ張っておく。『やめてぇ』と毛玉がジタバタする。綿毛ちゃんは、人間になると結構背が高かった。多分、手が届くと思う。

「とってくれないなら綿毛ちゃんが人間になれるってブルース兄様にバラしてやる!」
『絶対ダメだよ!』

 ふるふると首を振る綿毛ちゃんを、頑張って引っ張る。

「バラしてやる! ロニーとセドリックにも言ってやる!」
『副団長さんは本当にやめてぇ。あの人すんげぇ物騒じゃん』

 セドリックは、綿毛ちゃんに斬りかかった前科がある。その時のことを思い出したのか、綿毛ちゃんは変な顔をして『わかったよ!』とやけくそ気味に降参した。

『とればいいんでしょ、とれば』

 ぷんぷん怒る綿毛ちゃんは、誰もいないか周囲を確認している。

『誰もいない?』
「いないよ」

 幸いにも、人影はない。俺が見張っておくと伝えれば、綿毛ちゃんはため息をつく。

 そうして嫌々人間姿になった綿毛ちゃんは、髪を結んでいなかった。

「だから! 髪結ばないとダメだって!」
「その変な執着はなんなのぉ? オレ知ってるよ。それ坊ちゃんの好みの話だろぉ」

 面倒くさいと言いつつも、どこからか取り出した紐で器用に髪を括る綿毛お兄さんは、きらきらとした銀髪にキリッとした顔立ちのイケメンだった。

「綿毛ちゃん。黙ってればイケメンだね」
「まぁ、それはわかる。だがオレはここまで喋り一本でやってきてるからねぇ。黙れっていうのは無理な相談だよ」

 綿毛ちゃんのお喋りへの情熱はよくわからない。なんかずっとひとりで暮らしていたらしいから、お喋り相手が居てテンション高めなのかもしれない。

 だが、綿毛ちゃんのお喋り事情はどうでもいい。早くとってと靴を指差す。「はいはい」と怠そうな返事をした綿毛ちゃんであったが、彼が件の木へと一歩足を踏み出した瞬間、誰かの足音がした。

 ピシッと固まる綿毛ちゃん。まさかロニーがもう戻ってきたのか。

 おそるおそる視線をやれば、屋敷玄関へと向かってくる人影が見えた。知らない人だ。だが、身につけている白い騎士服には覚えがある。あれは王立騎士団のものだ。

 こちらに足を踏み出した格好で、不自然に動きを止めている騎士さんは、綿毛ちゃんのことをすごい目で見ている。それを受けて、綿毛ちゃんは小声で「やばいやばい」と繰り返している。

 あれ? もしかしてこの騎士さん、綿毛ちゃんが人間になる瞬間を見ちゃった感じ? やっばぁ。
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