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第5話 あやかしだって前進したい!

11 朱音の正体

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 犬神。

 こちらを凝視する朱音の周囲に、微かではあるが黒い靄のようなものが漂っている。胸を締め付けられるような不快感が押し寄せてきて、思わず胸元を押さえた。部屋の空気が重くて、息苦しい。

「あれは?」
「妖気だ。まぁ、ほとんど呪いのようなものだがな」
「呪い?」
「犬神は昔から呪詛に使われてきた。人間を呪い殺すために生み出されたあやかしだ」
「呪い殺すって――」

 物騒な言い回しに、心臓が跳ねる。だが、山瀬さんが冗談を言っているようには見えない。だから、すぐにあやかしとはそういうものだと思い至った。

 いままで、宮下さんや山瀬さん、恵さんなど人間にとって無害なあやかしとしか関係を持ってこなかった。当たり前だ。彼らは人間に紛れて、人間と共に生活しようとしていたのだから。しかし、本来あやかしとは人間に忌み嫌われるものである。存在が不確かな彼らを、古来より人間は恐れてきたではないか。

 はっとして、山瀬さんを見た。
 彼は人間に好意的なあやかしだ。そして、朱音もそうだと思い込んでいた。もしかして、僕の思い込みだったのだろうか。

「まぁ、人を呪っていたのは昔の話だ」

 僕の疑問を察してか、山瀬さんがぽつりと呟いた。その眉間には、皺が寄っている。

「犬神といえども理性を保つ方法はある。それが、人間を主に持つことだ」
「主?」

 そういえば前に朱音が、主がどうこう言っていた。あれは初めて朱音に出会ったとき。僕の兄に成りすますというとんでもない荒業を使っておいて、僕に言ったんだ。おまえを主とは認めない、と。

 山瀬さんの言葉を信じれば、朱音は犬神としての本能を捨てて人間に紛れるため、己の主を探していたということになる。

「犬神は人間によって生み出され、人間の言葉によって動くあやかしだ。だから、犬神を使ってやる主が必要なんだ」
「主がいないとどうなるんですか?」
「見ての通りだな。本能のままに、やがて人間を呪うだけのあやかしに成り果てる」

 部屋の中央で蹲る朱音は、じっと、黒い瞳でこちらを睨みつけている。

「朱音は、どうやったら元に戻ってくれますか」

 この間までの、僕の知っている朱音に戻って欲しい。

 そのときである。先程から微動だにしなかった朱音が、ゆっくりと立ち上がった。身を屈めて、威嚇するように低い唸り声を発する。その視線は、しっかりと僕らに注がれていた。
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