100年後の君へ送る愛

ジャンマル

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100年後へ(前)

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 践祚終戦間近だったあの日俺は国の特攻隊に選ばれながらも一人だけ生存してしまうという生き恥を晒した。命からがらではあったがきっと国はこんな俺を見つけたら罵声を浴びせるしどんな手を使ってでも死んだ人間として扱おうとするかもしれない。そんな失意のどん底の俺は泣く泣く我が家に帰る。
 しかしそこにあったのは自分が国のために戦地に赴く前の優しくて暖かいものはそこにはなくあるのは燃えて灰になる寸前の炭の塊であった。しかし不思議にも自分の身体は悲しみで地面に膝をつく、なんて行動はせずただひたすら「そこにあるべきもの」を探すために灰となった木の塊をひたすらにかき分けていた。もしかしたら彼女は生き延びていて、俺を探すために家に一度来ているかもしれない。もしかしたら奇跡的に彼女だけはきれいなまま生きているかもしれない。そんな可能性にかけることでもしかしたら自分自身を落ち着かせようとしていたのかもしれない。

「ああ、ああ……きっとまだ生きている。俺が生き延びてしまったんだ。きっと俺の悪運は彼女にも移っている」

 亡骸がないとわかっていても彼女がもうすでにいないとわかっていても。俺には、情けなく生き延びてしまった俺には彼女しかない。その一心でただひたすらにがれきをどけて探し続ける。一時間、いや二時間ほどが経ったとき自分のボロボロになった手のひらを見て俺は彼女が死んだと自分に言い聞かせ確信する以外の選択肢はなくなった。受け入れがたい現実を受け入れるしかなくなったのだ。悔しいし受け入れたくはない。だけどそれで変わる現実ならばきっと彼女はとっくに自分の前に現れて「もう、そんなに無茶をして」そう言いながらもおかえりそう声をかけてくれるはずなのだ……

 現れるはずもない。生きているわけもない。なぜならここは原爆の爆心地。落とされたのは既に数か月以上前であり仮に彼女は生き延びていてもそれはもうあの戦争に向かった俺を送り出してくれた時のような姿ではなかっただろう……愚かな行為、それはこの場所の放射能を処理している国の職員が言っていた言葉であり今の自分にまるで楔のようにその言葉は胸に突き刺さった。国のため? 世のため? 馬鹿な。国のために戦争に向かい生きて帰ってきたらすべてを失っていた……? 戦争は国の敗北というもの以上に俺を始めとした多くの罪のない人間が犠牲に犠牲となり幕を下ろした。

「まったく、お笑いだよなあ。俺はこんな結末のために戦地に赴いたわけではないのに。こんな現実を受け入れるくらいなら俺は戦場で死にたかったよ……夏南(かな)」

 彼女の、最愛の妻であった「咎夏南(とがめかな)」の墓すら作ってやれないその現実にやるせない気持ちと共に俺に一つの考えをもたらしていた。『自殺』である。元々死ぬために戦場に行ったこの身が自殺しようが構わないそんな気持ちでいっぱいいっぱいだった。何も守れない。何もない俺にとって唯一守るべきものだった妻は戦地において絶望的状況に陥ってもその帰りを彼女が待っていると思うだけでそれは力に変わった。だけど現実はどうだろうか? そんな俺の気持ちとは裏腹に敵国の進軍と共に自分の国に帰ることの許されなかった当時の俺たち日本兵にとって自国と敵国に板挟みにされた状態であった。そして戦地にいる俺たちに国の状態などは伝達されず、教えられる情報も敵国の情報や日本政府からの指示だけだった。そして帰還して帰ってきた俺に伝えられたのは核兵器が落とされ我が国が敗戦したという知らせだった。

 彼女の亡骸は発見されていない。いや……発見されるはずがないだろう。核兵器はあたり一帯を無残な姿に変える。放射能によって死体の判別すらできないだろう。それに落とされた爆弾によって塵一つ残っていないだろう。
 間もなくこの一帯の核による放射能の除去作業は終わる。終わるとはいっても決して傷跡が言えるわけではない。人が、人間がもう一度この地に住めるようになるだけである。核や自爆特攻にすら嫌われ生き残ってしまった俺に生きていく価値は、いや生きていく希望はあるのだろうか……?

「なあ、あいつだろ? 生き残って帰ってきた奴って」
「ああ。いったい自分だけのうのうと生きてどういう神経してるんだろうな」

 あぁ。街を歩けば罵倒や避難が俺を襲った。「戦争を生き延びた」ただそれだけの理由で家族を失った多くの人から疎まれた。俺だって失ったのは富とか名誉とかそんなものではないのに。生きていても疎まれて行くだけなのに果たして俺はこの先まともに死ねるのだろうか。

 否、そんな自信など俺にはない。考えるよりも先に自分の身を投げ出していたのだから。だけど体が落下しきるそれとも完全に地べたに着いたときだろうか……? 声が聞こえた。優しい声でまるでまだ死なせないそう訴えかけるかのように。

「あなたは……夏南さんにもう一度会えるならこの先の地獄も耐えられますか?」
「もう一度、もう一度夏南に会えるのか!?」
「ええ。だけどきっとそれは地獄の先です」
「いい、どんな地獄だっていいんだ! 夏南に会えるならなんだってする!」
「わかりました。百年後の七月七日にたった一度だけあなたは夏南さん……いいえ、彼女の生まれ変わりである人と再会するでしょう。いわば不老不死。決して死ねない、それでもいいですか?」

 きっとこの声は神様の声なのだろう。神様は残酷な選択を俺に強いた。ここで死んで楽になるか。それともここで死なずに百年という長い時間の地獄の先に夏南と再会するか。生きる希望がないならもちろん死んで楽になっていたかもしれない。神様なんて信用したくない。それでも俺は神様の言う通り再開できるそれだけでこの地獄みたいな世界でも生きていけるそんな自信があった。

「ああ。ところで言い忘れたのだが」
「はい」
「子供は作れない。そこだけ承知してくれ」
「わかりました」

 そして次に目が覚めたら俺は病院のベッドの上に寝ていた。それくらい寝ていたのか誰がここまで運んだのか。そんな記憶すら定かではない。目が覚めるとお医者さんが数人がかりで俺に症状を聞いたり色々検査をしたりしたが診断の結果は「ありえない……」といいつつもどこにも外傷や異常はないらしい。運ばれたときに相当ひどい状態だったのかまさしく奇跡の生還だ。そんなことを何度も何度も言われた。

 数日後、面会が可能になると数人の刑事が俺のところを訪ねた。あれだけひどい傷だったんだ、事件性があるかもしれない。そういって何時間にも及ぶ聞き込み調査をされた。だけど自殺しようとしたんです。そういっても最初は信じてもらえず存在するはずのない事件性を何度も尋ねられた。長時間にも及びお医者さんもしびれを切らしたのか、最終的には自殺未遂で事件性は無しという報告で終わることになった。

「それにしてもあなた記憶にあいまいな部分はありませんか?」
「ああ。それならありませんよ」
「一年間の昏睡です。最初はいろいろと混乱するでしょうが時期になれるでしょう」

 医者曰く救急通報から運ばれた俺は昏睡状態が続き、ちょうど1年の今日突然意識が回復したという。理由はともかく一週間ほど精密検査をしたのちに解放されるそうだ。夢の中で話しかけてきたあのうさん臭い髪と名乗る男の言葉を鵜呑みにするわけではないのだが本当に不老不死の身体を夏南に再会するためだけに手に入れたのなら何年かかろうと彼女の見つけ出し、俺は会いに行かなければならないだろう。それが今の自分に課せられた使命なようなものだから。
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