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『活字中毒』 3冊目

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 鹿乃が私の家の、温かい陽の入るリビングのソファに寝転がり、ケータイをいじっている。
 クリオもいつもの魅力を感じないのか近づかない。
 その姿は読書家美青年などではない。ただのケータイ依存性だ。

「昔の作家の小説とか読んでるだけなのにさあ」

 お母さんの小言が嫌だったのか、ケータイ画面をスクロールさせながら、鹿乃がそんなことも言う。
 嫌なのはこれもだ。
 昔の文豪作品に触れてることで、なんだか自分は少し位の高い存在になったような雰囲気を出している。
 国語教師と、今更ダザイだのアクタガワだのについて語る鹿乃を見たくなかった。
 そんな恥ずかしいことは、私が中学二年のあたりにとっくにやっといてあげたのに。
 もっと乱雑に、手当たり次第に、時代も何もめちゃくちゃに、追い立てられるように読んでほしかった。
 隣街の図書館まで本を読みに行く読書バカぶりを見たかった。
 ページをめくり、綺麗な手で表紙を支えてほしかった。
 文庫本を片手で器用にめくって読んでいてほしかった。
 寝っ転がって本を胸に置き、反芻する姿を見せてほしかった。
 私になんか目もくれず、一心不乱に本を読んでいてほしかったのに。

「ケータイばっかいじってんじゃねえよ!」

 気づけば私はそう叫んでいた。鹿乃は当然びっくりしていた。

「ケータイじゃ…、だから読書して、」

 ソファに寝転がったまま、鹿乃が反論しようとする。ケータイを持ったまま。
 私の怒声が、それを遮る。

「本読めよっ!!」

 我ながら呆れる。語彙の無さに。
 お前こそ本読めよと言いたくなる。が、止まらない。

「紙の本読めよっ!!図書館でっ、本借りてこいよっ!!バカみたいにさっ!!どっさり!!」

 そんな訴えに、鹿乃は驚いていた。そして、

「……わかった」
「へ?」

 鹿乃はあっさり承諾し、

「でもちょっと待って」

 またケータイに目線を戻した。
 わからない。
 わかったと言ったのに、全然わかってない。
 そして―、


 そして鹿乃はまたアホみたいに本を借りてきた。図書館から。どっさり、上限までのきっちり10冊。
 持ち物の少ない鹿乃の部屋には本棚がない。
 が、唯一家具らしいものとしてアルミラックがある。
 ここにも置かれている物は少ない。
 そこに、本が積まれていた。二つに分けて。いかにも適当な平積みで。
 書店員なら思わず直してしまう適当さで。
 私がよく見る、見ていた光景だ。
 それは薄いビニールに覆われ、裏にバーコードが貼られた図書館で借りてきた本だ。
 サイズも作者も厚さも出版社も出版された年代も、おそらく内容も全部バラバラ。
 二つに分けられているのはすでに読んだ本とこれから読む本だろう。
 それを入れ替えてやろうかという悪戯心をぐっと抑え、

「サイトのは?」

 椅子もクッションもなく、ひんやりとしたフローリングに直接座って本を読んでいる鹿乃にそう訊いてみた。

「読みたいの、大体読んじゃったし。いやでもすごい時代だなあと思ってさ」

 本に目を向けたまま独り言みたいに鹿乃が喋る。
 独り言ではない。目が、文字を追っていない。
 同じ空間にいる私に向かって喋りかけてくれている。

「ああいう古い人の本って全集みたいのでまとめられてるのしか無いんだ。あと書庫っていう図書館の地下室みたいなとこにあったり。そういうのって分厚くて重たいから図書館で読まなきゃいけないし、申請して借りたりしなきゃいけないからちょっと躊躇してたんだけど。あそこでサクッと読めて良かったよ。でも」

 私でも知ってるそんなことをそこまで言って、本から目線を外し、鹿乃はやっとこっちを見てくれた。

「読みやすいけど目がつるつるしてさ」

 少し困ったような、笑った顔でそう言った。
 それは青年の顔だ。皮肉った、文学青年の顔。
 しかしすぐに手当たり次第、ケーキ、焼肉、お寿司、唐揚げが並ぶバイキングのように、下品なくらい本を貪り喰らい尽くす欲にまみれた少女の顔になる。

「ページ数であとどれくらいかなってのがわからないから疲れるし、でもまあ、読みたいのはほとんど読んじゃったから」

 だから、紙の本をまた読み出した。
 どっさり借りてきた。また確実に追い立てられる量を。
 訊けば私がブチ切れたあの日あの瞬間、鹿乃はちょうど借りたい本をケータイで図書館のサイトから検索していたらしい。
 本当かどうかわからないが、紙に書かれた字が読みたくなったのは真実なのだろう。
 ともかく、デジタルの海にどっぷり浸かり、アナログの地に戻ってきたようだ。
 私に言われてではなく、自発的に。

「禁断症状、みたいな?」

 そう訊いてみると、

「それかなあ。鶏肉ばっか食べててたまに豚肉食べたらおいしーってなったんだけど、やっぱ鶏肉だなあ、みたいな?」

 そんな、わかる人にしかわからない表現で言う。
 私にはわかるが。


「こっち」

 陽の差し込む我が家のリビングで。
 マニキュアを塗り終わった私を鹿乃が呼び寄せる。こっち来てと。
 よくもまあこんなシンナー臭い空間で読書なんて出来るものだと思いながらも、私はそれに従う。
 クリオはいない。向こうの部屋、おそらく私の部屋にでもいる。
 鹿乃の身体の上は今空いている。
 ケータイをいじりながら片手間に、ではなく文庫本を読みながら。その片手間に私を呼んだ。
 本の世界に浸り、でも身体は私を抱いていてくれる。
 それくらいがちょうどいい。本当に。
                                  (了)

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