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良き声優ほど早めに飛び立つ

8、泣いてたまるか。泣いてもいいよ。

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 人気のない場所まで来ると、響季はとりあえず零児を壁際に断たせ、自分はその前に立った。
  こんなところはめったに人は来ない。
  ともすれば少し色っぽいことでも起きそうだが、今日は違う。
  零児はふてくされたように通路に目線を落としていた。

 「なんで叩かれたかは、わかる?」

  内心困ったなと思いながらも響季が訊く。
  末っ子ゆえか、人を叱ったり怒ったりというのが苦手だった。
  零児はだんまりを決め込み答えない。
  それを見て、響季ははたと気づく。
  もしかして、零児のこの態度は「それ」をしていないのではないかと。
  冷めているのではない、悲しみを受け止め、受け流したのではない。
  儀式をしてないからこんなに突っ張っているのではと。

 「れいちゃん」

  いつもと同じトーンで訊くと、零児はようやく顔を上げたが、

 「ちゃんと泣いた?」

  そう訊かれ、アーモンドアイがぎゅっと険しくなる。
  だがそれに対し、

 「あたしは、泣いたよ。散々泣いた。めちゃくちゃ泣いた。んもー、泣いた泣いた。カッキーに付き合ってもらって、死んだって聞いた日に酒飲みながらうだうだ泣いた。昨日もだよ。ふっとした時に、あ、もういないんだって。ネットとかでもこっち界隈はその話で持ち切りだし。で、たぶん、まだ泣くと思う」

  響季は一気にそう言った。
  途中は少し面白混じりで、でも最後はどこかしんみりと。自分に語りかけるように。
  今はまだ、好きな声優の死というものから全然立ち直れていない。
  それは泣く期間でもあった。
  泣いて、すっきりして、普通に過ごし、ふと思い出して、じわじわ泣いて、平常に戻り、ふとした時に思い出して、もういないんだと泣いて。
  おそらくそれを繰り返して死を受け止めていくのだ。
  その第一歩を、零児はしていない気がした。
  まず、泣くという行為を。

 「泣いた?」

  訊かれても零児は子供のように俯く。
  逆に響季は上を向いて息を吐くと、

 「いいよ。泣いて」

  直ぐ目の前の身体を抱きしめた。

 「あたししか、居ないから」

  ちょうどこんな死角みたいなところ誰も来ない。
  抱きしめているから泣き顔を見られもしない。
  響季は泣き場所を作ってあげた。

 「…ほっぺ痛い?」

  零児は答えない。あんなもん、痛くも痒くもないとばかりに。

 「痛くないの?」
 「………頭の方が痛い」
 「ああ、脳揺さぶられたから?」

  そして、違う箇所のほうが痛いと答えた。頬は認めたくないらしい。

 「いたいねえ~。じゃあ、泣いたらスッキリして痛み引くかもね」

  泣けば痛みが引くかもしれない、と響季は泣く理由を授けてやる。実に適当な。
  あくまで、医療的行為として泣けと。
  それだけのお膳立てをしてあげて、

 「……ふ、ううううううっ」

  零児はようやく泣き出した。
  泣きながら響季の肩から腕のあたりをこぶしで殴ってくる。

 「なん、で。なんでっ」

  怒りと共に殴ってくる。
  漠然とした不条理さ。悲しさ。
  あとは、恐怖もあるかもしれない。
  近くて遠い好きな人が、突然いなくなる。
  年齢という順番制を一切無視して。
  それを、世間のほとんどの人間が知らないことへの怒り。
  声だけでいえば深く浸透はしてるのに、それがいなくなったことに気づかない者たちへの怒り。
  自分を抱きしめてくれている腕を、零児が思い切り掴む。
  痛みに響季の顔が歪むが、なんてことはないとそれも受け止めた。
  泣きながら零児が、けへっ、けへ、とむせだした。
  その声に、また響季の目から涙が出てきた。

 「…うん」

  そうだね、辛いね、苦しいねと、今ある気持ちを吐き出させるように背中を擦りながら。
  悲しみが伝播し、勝手に涙が出てくる。
  お酒を飲みながら柿内君が話してくれた。
  かーちゃんの出演作を探っていたら、とある懐かしいタイトルを見つけたと。
  それは中学の時に二人共よく見ていた深夜ドラマだった。

  売れない芸人達が突如異世界に飛ばされ、そこでコンビを組み替えたりピンでやってみたりして模索し、異世界に住む者たちを笑わせるという。
  それなりに凝ったコント系ドラマだったが、その冒頭ナレーションがみやかーちゃんだった。
  淡々と、話の流れと芸人一人づつのひとことメモを紹介してくれるあのナレーションが。
  毎週欠かさず見ていたのに響季は気づかなかった。
  かーちゃんはあまり特徴がある声という方ではない。
  だが特徴がないからこそ、ナレーションとして作品を邪魔せず溶け込んでいたのだ。
  それを、そうと知らずに自分は体内に取り入れていた。

  まだ泣ける。
  まだまだ泣ける。
  泣いた分だけ悲しみを取り込んだら、それもきっと自分のものに出来ると響季は思った


「おまたせ」

  しばらくのち。響季は零児とともに目を腫らして帰ってきた。
  仲谷君は驚くが、柿内君は一応儀式は終えたのだろうと思った。

  おそらくは、今後まだ何度も訪れるであろう儀式だが。
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