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良き声優ほど早めに飛び立つ

4、落ち着いて行動してください。私は落ち着いています

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 流れてきたコメントに、響季の心臓がキュッとなる。
  このくだりを初めて見た時はゲラゲラ笑っていた。
  だが今は笑えない。
  かつて笑っていた場面で、もう笑えない。
  もうこの人はこの世に居ないのだという現実が重くのしかかる。
  映像ではクッキー作りが始まるが、悲しみにくれる視聴者コメントと、そんな現在を知らぬ過去の浮かれたコメントが交差し、

 「ダメだ……」

  響季は見ていられなくなる。だが、

 「…あ」

  動画を閉じるとまた新たな動画が上がっていた。
 『驚くべき胆力で地震情報を伝え続ける三谷河拠子』という動画。
  説明文によると、かつて地方でやっていたアニソンを中心に流すラジオの生番組。それの地震発生時の放送らしい。
  みやかーちゃんはそれの番組アシスタントを勤めていたそうだ。
  よせばいいのに、響季はそれを再生してしまう。


  真っ暗な画面。そこにうっすらと曲が流れてきた。
  同時に、動画を見ている人のコメントも流れてきた。

 《誰の曲?》
 《土倉さんじゃん》
 《これ知ってる》
 《はじめて聴いた》

  流れていたのはアニソン歌手の土倉佐記の曲だ。
  だいぶ古い曲だが名曲ゆえ、今でもよく耳にする。
  テレビの懐かしアニソンスペシャルでも、番組サイドにセンスの良いスタッフが居れば流れるような曲だ。
  動画説明を見ると、名曲アニソンかリクエスト曲をかけるコーナーの最中の放送らしい。
  真っ暗な画面に突如『地震まであと15秒』という文字が現れた。
  10秒前になると9、8、7、とカウントが始まり、

 《こわいこわい》
 《くるぞ》
 《わかってんのに怖い》

  動画を見ている人達が恐怖に備える。
  カウントがゼロになると、数秒ののち、曲が絞られ、ギッ、ギッ、ギッという不吉な音が聞こえてきた。


 三谷河「曲の途中ですが、ただいまスタジオで非常に大きな揺れを感じております。ラジオをお聞きの方で揺れを感じられてる方は、落ち着いて行動し、ご自分の身を守ってください」
    「うわうわうわ、」

ギッシ、ギッシ、ギッシ。
キュゥッ、キシュッ、キュゥッ。


  みやかーちゃんと、おそらく男性パーソナリティの声、スタジオ内の様々な音がログインする。
  みやかーちゃんの声は聞き慣れたものと少し違い、やや硬質だ。


 《うわうわ言ってんの誰?》
 《パーソナリティ。かーちゃんはアシ》
 《DJ慌てすぎじゃね?》
 《周りの音すごいな》
 《スタジオいがんじゃう》
 《ちゃんと耐震してんのか?これ》
 《遠く?でガラスがしゃがしゃなってる》


ガチャン!ガチャン!!


    「はっ、はっ、はっ」
 三谷河「お車を運転されている方はハザードランプをつけたのち、ゆっくりと停車してください。ご自宅におられる方は、火の元、天井から落ちてくるものがないかを十分注意してください。大きな建物内におられる方は、上からガラスが降ってくる場合などがあり、いきなり外に飛び出すのは危険です。建物内が危険と判断した場合は、揺れが収まったのち、落ち着いて脱出してください」


ギッチ!ギッチ!ギッチ!
ガガッ、ガッ、ガッ、ガァーッ!

 《ギシギシ音でかくなってきた》
 《こわいぃー》
 《にげてー》

ガチャン!パリン!

 《なんか割れた?》
 《食器?》
 《ティファニー?》


 三谷河「こちらのスタジオも現在、非常に大きく揺れております。番組をお聞きの方は、まず自分の身を守ってください。特に頭部を守ってください。ご自宅におられる方で、余裕のある方は出口の確保をお願いします」
    「あっ、あっ、あっ」


 《DJさん喘ぎすぎ》
 《喘いでないだろ》
 《茶化すな》
 《男でも怖いだろこれわ》


ギシィッ、ギチィッ!
ガタン、ガタッ!

 「キャー!!」

 《悲鳴が…》
 《女性スタッフさん?》
 《女うるせーよ。騒ぐな》


ギュゥーイ!!ギュゥーイ!!
ピーッ!ピーッ!ピーッ!

 《警報!!!》
 《警報鳴ってるよ!》
 《いやあああああ》
 《ひいいぃいい》
 《警報音でかいよー。こわいよー》
 《でかくないと聞こえないだろ》
 《涙出てきた…》


「あっ、あっ、あっ」

  動画を見ていた響季の心臓がばくばくしてくる。
  音声だけなのにスタジオ内の緊迫感が伝わってくる。
  自分も、かつて経験したことがある。空間自体が大きな力で揺さぶられるようなあの感覚。
  どうしようもなく心が揺らいでしまい、自分の出す情けない声で更に揺らいでしまう。
  なのに、みやかーちゃんは。
  どうしてこの人はこんなに落ち着いた声が出せるのか。
  しっかりとした発声で状況を説明しつつ、必要なことを伝えてくれる。
  ブレずに何度も。
  スタジオ内の音が大きくなるにつれ、逆に声の硬度が増す。
  不安定な空間で、彼女の声だけがそれを支える軸となってるようだった。
  それがどれだけありがたいか。


 三谷河「揺れが激しくなってきました。決して慌てず、落ち着いて行動してください。現在地震のため、スタジオ内非常に大きく揺れております。今ラジオをお聞きの方は、まず身の安全を守ってください」


ガシャーッ!!

 《まだでかくなんのかよ…》
 《かーちゃんの声一切ブレない》
 《こええ。あかん、閉じる。おもいだす》
 《声だけなのになんでこんな頼もしいんだ》
 《めっちゃしっかりお伝えしてる》
 《揺れる船の上でアフレコしてるみたいな感じか》
 《かーちゃんの前にローソク立てて喋らせたい》


 三谷河「河口付近、沿岸付近におられる方、お住まいの方は津波の危険性がありますので、揺れが収まったのち、落ち着いて、すぐに高台などに避難してください」


 《落ち着いてすぐに》
 《難しいな…》
 《これアドリブで喋ってんの?》
 《たぶん地震の時用の台本というかマニュアルがある》
 《台本あんのか》
 《それでもすごいだろ》

ギシッ、キシ、キッ、キッ、キッ。


 三谷河「えー、揺れが、現在幾分落ち着いてきました。」
    「ふはっ、はっ、収まっ、た?」



 《DJのマイク切ったほうが良かったんじゃ…》
 《怖がってる人の声聞くと怖くなるよね》


 三谷河「まだこちらのスタジオも少し揺れております。これからも断続的に余震は続くと思われます。倒れたものや割れたガラスなどに気をつけてください。決して慌てず、落ち着いて行動してください」



 《以下ループ?》
 《いいんだよそれで。マニュアルなんだし》
 《落ち着いてる人の声聴くだけで落ち着く》



 三谷河「また近くにご高齢の方、特にお一人住まいのご高齢の方や、小さなお子さんがおられる場合はすぐに安全の確認をお願いします。火災などが起きている場合は、落ち着いて、速やかに消火活動を行ってください」


 《よびかけよびかけ》
 《呼びかけ大事よ》


 三谷河「現在少しづつですが、こちらのスタジオも揺れが収まってきました。ですがまだ余震が続くかと思われます。引き続き警戒を怠らないでください。まずは落ち着いて行動してください。また、災害時にはこうしたラジオは情報を得る上で大変役立ちます。地域によっては今後停電などにより、情報の確保が困難になることもあります。お手元の近くに出来るだけラジオを置くようにしてください」


 《ラジオすげえ》
 《アニラジも、ラジオか。ラジオだな》
 《急にまじめな番組に》
 《テレビとかだと情報が無駄に多すぎんだよ》

番組スタッフ「報道」
 三谷河   「それでは報道に繋ぎます」

 報道スタッフ「はい、お伝えします」

みやかーちゃんは最後まで落ち着いたトーンで報道デスクに繋げた。


 《すげえ》
 《やりきりおった》
 《ずっと落ち着いてたな》
 《よく噛まなかったな》
 《かーちゃんアナウンサーなれんじゃね?》


  そんな姿を、コメント達が称える。
  そうだ、かーちゃんはどんなアナウンサーよりも冷静に落ち着いて対処出来ていた。声優なのにだ。素晴らしい胆力で。
  それを、響季は誇らしい気持ちで受け止めていた。
  だが、

 《でももう死んぢゃったからなれないじゃん》


 「っぐ!」

  表示されたコメントに、また涙がぶわっと溢れだした。
  どれだけ泣けばいいのか。泣かされればいいのか。
  死という言葉がダイレクトに突き刺さる。
  そんなこと言うなよ、と思うがそれが事実だった。
  ラジオでのおもしろお姉さんボイスしか知らなかったから、あんなに落ち着きのある、しっかりとした芯のある声だなんて知らなかった。
  彼女の声の持つ力を知らなかった。
  だが今知ったところで、もうこの世に彼女は居ない。
  どれほど貴重な存在だったのか、今更ながらに思い知らされた。

 「う、うっうっ」

  ギリギリと歯を食いしばる。また嗚咽が漏れそうになる。
  知らなかったことに、どうしようもない罪悪感に見舞われ、

 「カキウチスァーン!」

  気がついたら、響季はケータイを手に親友に助けを求めていた。
  似非外国人のような発声で。この悲しみをどうにかしてくれと。
  出た相手は電話の向こうで細く溜息をつく。予想はしていたがそろそろかなと。

 「カタセスヮーン。何ヨォー」
 「お、オ酒飲ミタイいい」

  そして、頼みも予想通りのもの。
  外国人キャラはそのままだ。余裕が有るのかないのかわからない。

 「リクエストは?なんでもいいのか」
 「飲みやすいのおお」
 「甘いのでいいか。あったかいやつ」
 「いいいいよぉぉおお。それでええ」

  オーダーの確認を取るが、向こうは涙と悲しみでぐちゃぐちゃだった。
  それを聞きながら柿内君が呑める場所とメニューを考える。
  あとは、つまみはどうしようかなどを。

 「どれぐらいで来る?」
 「バイクで行くからああ。たぶんんん」
 「バイクじゃ帰りダメだろ」
 「泊めてええ」

  うーむと唸りながらも柿内君がわかったと承諾する。
  今日はとことん付きあおうと。


 「さて」

  電話を切ると、頭をフル回転しつつ柿内君がすぐに行動に移す。
  コーヒーや紅茶などをしまっている台所の棚を漁り、冷蔵庫からつまみになりそうなものを探す。
  更に大きめの水筒と、軽くて保温性に優れたマグカップも出す。

 「なにしてんの?」

  何やらガチャガチャやっている弟に、二番目の姉者が声を掛けてくる。

 「響季が来て、これから酒盛り」
 「ひびちゃん?なにそれいいなぁー。たのしそー。あたしも混ざりたーい」
 「今日はダメです」
 「えー?なんでー?」
 「弔い酒だから」
 「……なに?誰か死んだの?」
 「ニュースになってただろ」
 「えっ?誰?」

  姉が訊いてくるが弟は答えない。
  姉者は知らない。だが柿内君は知らなくていいと思った。
  彼女の死は、知っている者達だけで共有すればいいと。


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