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11、麦チョコの甘さが疲れた身体に染み入る

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 突如警告音のようなものが聞こえてきた。出どころは当然零児の口からだ。
  耳障りな低音に響季は驚き、

 「きゃあああっ!」
 「うおおう」

  パイロットが悲鳴とともに身体を大きく傾かせてきた。
  自分の右腕に寄りかかる形になり、コックピット役は舞台装置が破綻しないようそれを受け止めるが、

 「なに!?今の衝撃っ!まだやつらがっ!」

  敵の攻撃かと、緊迫したパイロットの演技に周囲の子供達は惹き付けられる。

 「一体どうなってるのっ!?戦況はっ!?」

  そう言いながらパイロットがコックピット役の右腕の上でキーボードを叩くように指を踊らせると、

 「ぴしゅん」

  そんな効果音とともに。コックピット役の左腕の上あたりの宙空に、L字にした人差し指と親指を互い違いにし、真横にした直方体を切り取る。
  そして切り取った空間を手のひらでなぞるようにするりと左へ流していく。
  それを見ながら響季は、そうか、空中に浮かんだホログラムだと理解する。
  キーボードでホログラムスクリーンを呼び出し、どういった状況になっているか情報を集めているのだ。
  空中をなぞっているのはホログラムをスクロールしているのだ。
  芝居がわかる、見えることに興奮するが、

 「あれ?」

  パイロットが声をあげる。おかしいなと。
  なぞる動きがなんだか鈍い。
  スクロールが引っ掛かったように、短い間隔で空中を何度もなぞり、手についた粉砂糖でも払うように指同士をこすりあわせると、

 「反応しない」
 「えええー…」

  静電気か手汗か、なんらかの理由でスクロール出来ないらしい。
  残念ITあるあるに、そんなぁとコックピット役が声をあげると、

 「うーむ」

  パイロットは仕方ないと唸り、

 「Trac ball」
 「ぐっふ!」

  見えないホログラムを見ながら、コックピット役の膝小僧をなぞりだした。
  どうやら操作法を切り替えたらしい。
  コックピット役の膝小僧を勝手にトラックボールに見立てだした。
  冷たく湿った手がひどくくすぐったくて、触れられるのが嬉しくて響季は身悶える。
  それでもコックピットになりきろうと踵で床を蹴ったり、顔を背けたり手でソファーを掴んで耐えるが、

 「トゥラッ、ボゥー」
 「う、ぐうっ」

  無駄にいい発音でパイロットがとぅるんとぅるんと撫で、また耐える。
  その発音と姿に、女児様があははと声をあげて笑う。
  足をパタパタさせて楽しそうに。
  くすぐったさに耐えながらも、なるほどあれぐらいの子はこういうのが面白いのかと響季は理解する。
  その間もパイロットはホログラムをうーむと唸りながら見て、

 「えー?日ハム負けてるやん。あ、こんなのどうでもいいわ」
 「戦況ってそっち!?」

  自分達と敵の戦況ではなく、野球の試合経過を見ていた。
  コックピット役の的確なツッコミにその場に居る子供達が笑い、響季はまたゾクゾクする。

 「ちょっと本部っ!!どうなってるのっ!?応答してっ!誰かいないの!?艦長っ!!艦長っ!!」

  そんな小ボケを挟んだ後。パイロットが緊迫した声で本部に呼びかけると、

 「びびー、がががっ」

  コックピット役の右腕下あたりにまたL字ウインドウを開き、

 「SOUND ONLY」

  そう言いながらサーという効果音付きでL字で区切ったあたりを手のひらでしゃしゃしゃとなぞる。
  どうやら映像が来てないらしく、砂嵐のようだ。

 「こちら本部。どうやら敵から強力なジャミング攻撃を受けているわ」
 「ジャミング?また原始的な」

  声色を使い分け、零児が本部にいる人間とパイロットを演じ分ける。
  その演技力に、ほう、と観ていた者達が声を漏らすが、

 「今の人はあの台詞だけです」
 「もうちょい働いてっ!」

  零児の言葉にコックピット役がツっこむ。

 「あれだけで今日の分のギャラ貰えます」
 「ギャラ泥棒っ!」

  そんな零児とコックピット役のやりとりに周囲が笑う。
  そして、

 「ジャミングって…、きゃあああ!」
 「うわあ」

  急に役に戻り、突如攻撃を受けたのかパイロットがコックピット役の足の間でかなり大きく、ぐりんぐりん身体を動かし、

 「これもジャミング!?どうなってるの!!」
 「があっ、肘ぃぃ!腿ぉぉぉ!」

  どさくさでコックピット役の腿の前側を肘でぐりぐりする。
  お客さんこってますねえとばかりに立てた肘でぐりぐりと。
  これは痛い!と逃れようとするが、逃さんとばかりにパイロットはぐりぐり追いかけ、その姿を見て女児様がお腹を抱えてまた笑う。
  その笑い声が嬉しくて、コックピット役の腿の痛さが帳消しになる。

 「本部っ!本部応答してっ!何か変よっ!」

  更にパイロットは指でウインドウを開き、すかさずソファに置かれたキャラメルの箱を取ると、

 「こ…ら、ほん、部…。至急こ…区域を離れ…。貴方、だ…でも」

  ビニール部分に唇を当て、息で振動させると通信状態の悪さを表現しだした。

 「ここで!?」

  ここで使うのかとコックピット役がツッこむ。
  攻撃され、通信機能がやられた本部。それでも逃げてと伝えてくる艦長。
  そんなシーンでキャラメルの包装ビニールを。
  緊迫したシーンと芝居に、このあとどうなるのかと固唾を飲んで見守るが、

 「と、まあこんな感じで」
 「えええええ!?終わりぃ!?」

 唐突に終わったロング小芝居に、もうちょっと見たかった響季が声をあげる。
  そもそもこれはキャラメルの箱のビニールをどう使うか、というのが発端だ。
  使い終わったらそこで小芝居が終わりなのは響季と同じだ。
  それでも、響季はまだ見たかった。
  零児には自分とは違い、永遠にこんな小芝居を続けられそうな力量があるからだ。
  同じように、まだまだ続きが見たかった休憩スペースの面々からも、えええ?と残念そうな声が漏れると、

 「次回予告っ」

  力強く言う零児に、まだおまけがあるのかとその場にいる子達のテンションが一瞬、おっ、と上がるが、

 「…は、もう疲れたからやらないけど」
 「えええっ!?」

  演者の言葉にテンションが一気に下がる。そして、

 「はいはいもうおしまーい。もう何も出ないよー」

  ぱちぱち演者が手を叩いて、自らもうお開きだと言う。どうやら本日の公演は本当に終わりらしい。
  休憩スペースにいる子達が、なんだあー、ちぇー、っと落胆し、またそれぞれ雑誌を読んだりケータイをいじったりに戻る。
  響季はそれをぼんやり見ていたが、

 「お?」

  零児が自分のキャラメルを一つ取りだし、ペーパーワックスを剥くと、それをノールックで後ろにいる響季の口元あたりに持ってきた。
  差し出されたキャラメルに響季が唇を近づけると、

 「むぐ」

  見つけた感触に押し込むようにして零児がキャラメルを食べさせてきた。

 「んん」

  入れられたら仕方ないと、甘ったるいそれをカラコロちゅぱちゅぱと口の中で転がす。
  ただただ甘い。
  しかしそれは体が欲してる甘さだった。
  糖分が脳に染み渡り、意外とカロリーを消費していたことに気づく。
  なにせ献結終わりで警視庁24時間コントをし、 アドリブロボット大戦コントに付き合ったのだ。
  役を切り替えながらテレビで見た映像を体現し、面白いのをいくつか放る。
  観客の反応を探りながら歓喜し、台詞と流れを突貫で考えながら声を張る。
  その後は神経を研ぎ澄まして、相手の顔が見えないまま撃ち込まれるボケのスパイクを受け止め、瞬時に理解し、ツッコミとして返した。
  特に強要されたわけでもないのにそれらをやっていた。
  ただ、楽しいから。

  だがよくよく考えれば、ロボット大戦もボケのラリーを止めないよう、出来るだけ短いセンテンスでツッコんでいた。
  かといって短すぎないよう、リアクションで時間もとった。
  ラリーを止めないのも大事だが、アドリブで小芝居をやるならそれを繋げるためののりしろ、余白があった方がやりやすいからだ。
  そんなことを脳をフル回転させ、響季は無意識にやってのけた。
  周りの観客を意識したのもあるが、何より零児のやりたいことを実現させたくて。
  そんな一仕事のあとにはキャラメルの甘さがやけに染みた。

  だからだろうか。
  気付かないうちに蓄積した疲労が糖分で回復すると、欲が出てきた。
  やはり、もうちょっとだけ見たいなという。
  まだまだコントにも付き合えそうだ。
  零児も自分の足の間に座ったまま、麦チョコのおかわりを食べていた。
  真新しい袋で、見れば自分の駄菓子袋はキャラメルしか出してないのにかさが減っていて、

 「あれ!?それあたしのじゃないの!?」
 「ほえ」

  ようやく気づき、そう訊くと、零児はすっとぼけた返事をするだけでむぉりむぉり麦チョコを食べ続ける。
  まあ別にいいけど、貰った中では一番マシなお菓子だけどと響季は思うが、その脳裏にピンとあることが浮かぶ。
  あやすように、下ろしたコックピット用の腕で後ろから零児のお腹をとんとんし、

 「ほんとに終わりぃ?」

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