上 下
110 / 139
第四回公演

19、さあ、幕を下ろす時間だ 

しおりを挟む
 ショーが終わり場内が明るくなると、息を詰めて見ていた客達が皆ふうーっと息を吐く。
 流れてきたBGMは腐女子向けアニメの主題歌だった。
 男性アイドルを育成させるゲームが元になっているアニメだ。
 型で押したようなイケメンボイスソングを耳に、一度袖に引っ込んだ演者達を待っていると、

「はーい、撮影ショーでーす」

 先程の妖艶なショーとは一転して、CHAOS嬢の元気な声と共に二人が再登場する。
 格好はラフな甚平姿で、可愛らしく手まで繋いでいた。
 CHAOSは黄色いギャル甚平で側頭部に狐の面。たんぽぽは男物の灰色っぽい甚平で、側頭部には般若の面。
 二人が出てくるまでにすでに撮影希望者の長い列が出来ていたが、お面を被っての撮影希望も多かった。
 それじゃあ顔が見えないじゃないかと遥心は思ったが、客は楽しそうだ。
 そもそも一枚じゃ撮り足らず、何枚か撮っていた。
 それを見ながら、今から自分達がしようとしていることに恐怖する。
 こんな楽しい空間を自分達はぶち壊すのかと。
 すると、

「もう撮影大丈夫すかー。衣装ー」

 軽い口調でCHAOSが客達に声をかけ、甚平を脱ぎにかかりだすが、相変わらずたんぽぽは脱がない。
 相変わらずそれは許されていた。
   行儀悪く立膝で座ってるだけ。
 甚平から覗く白い足が妙に艶めかしい。
 だがCHAOSが準備している間、鬼の面を被ると、その顔のまま遥心達の方を見てきた、ような気がした。
 どうした、来ないのか。
 そう言われている気がした。
 だから、

「…行こう」
「うん」

 詩帆の声を合図に二人は立ち上がり、舞台端へと向かった。
 シャオちゃんは不安そうにそれを見るだけだった。

「お、いらっしゃい」

 若いお初の女性客二人を、乳を放り出した姿のままCHAOSがにこやかに迎えてくれた。
 しかしこちらに用はない。
 遥心が紅たんぽぽの方を向くと、向こうが面を外した。
 間近で見ると戸惑った。本人なのかと。

「あ…」

 本来の名前を呼びかけていいものか迷う。だから、遥心は着ていたシャツの胸元からタバコケースを取り出した。
 一見するとタバコケースとは分からない、シルバーのケース。
 名刺入れを流用したそれは、詩帆の手によってデコデコにデコられていた。
 が、その中には。
 蓋を開け、遥心が中を無言で見せる。
 タバコが数本入っているが、一本どうですかと勧めているのでは当然無い。
 場内は禁煙だ。
 遥心が見せたかったのは、蓋の内側に貼られたシールだ。
 コンビニのスタンプラリーを制覇し、詩帆が手に入れてきた戦隊シリーズに出てくる歴代合体ロボのシール。
 かつて蘭ちゃんが一番好きだと言っていたシリーズの。
 デザインがキテレツで大好きと言っていた。
 二人、詩帆を含め三人にしかわからないメッセージのように、紅たんぽぽにそれを見せる。
 見せられたシールを、たんぽぽは冷めた目で見ていた。
 違うのか、あの子じゃなかったかと遥心は思うが、たんぽぽは少し寂しそうに目を伏せると、

「見っかっちゃった」

と、言った。
 詩帆と遥心にしか聞こえない声量で。
 その声は、二人のよく知ってる声だった。
 楽しそうによく笑ったり、好きな特撮モノのオープニング曲を突然歌いだすあの声だった。
 あるいは、かくれんぼで見つかった子供みたいな、残念そうなホッとしたような声だった。
 そして、すくっと立ち上がると、

「みんな、聞いてくれっ!」

と、狭い場内に響き渡る声で言った。

「なーにー?」

 それに、客がリアクションよく答える。
 みんなの大好きな踊り子が、何か楽しいことを言うのかと。

「僕はっ、…ああちょっと、音下げてくれ」

 たんぽぽが音響担当の従業員にBGMの音量を下げろと指示するが、

「僕はもう、おい!下げろっつんだよ!」

 従業員はいたずら心で一度下げたボリュームをまた上げた。
 宣言がかき消されたたんぽぽが笑顔でツッこむ。
 従業員は笑っていた。客もみんな、そのやりとりに笑っていた。
 これからする残酷な宣言など誰も予想もしてない。
 従業員が指示通りボリュームを下げると、

「僕はもう、元いた場所に戻らなきゃいけない」

 場内に朗々と響き渡る宣言に、えっ、と誰かが声を漏らした。
 いたずらをしかけた従業員の笑顔も固まる。
 CHAOS嬢もあっけにとられたような顔で、凛とした立ち姿の踊り子を見上げていた。
 紅たんぽぽの声、立ち姿、眼差し。そのすべてが凛々しく綺麗だった。
 稀代の大女優が大劇場で見せる一場面のような。
 こんなチンケなストリップ小屋で見るには勿体無いほどの。
 客の誰かが、たんぽぽの総合窓口になっている踊り子の名を上げた。
 その子の付き人に戻るのかと。
 それにたんぽぽは、いいや、違うよと芝居がかった素振りで首を振り、

「踊り子を、やめる」

 はっきりとそう言った。
 しん、と水を打ったような静けさの中、薄っぺらなイケメンボイスのアニソンだけが流れていた。
 そんな静寂のあと。

「ぃゃっ  」

 という小さな声が聞こえ、

「やめないで!」
「やめないでぇー!」
「いやあー!」
「嘘だろ」
「やめないで」
「やめんなよ!」

 事態を理解し、そんな悲痛な声が大合唱となった。
 大人達が口々に叫ぶ。悲しみを。
 だが、遥心にはなんだか楽しんでるようにも思えた。
 舞台を挟み、上と下でのこの状況を。
 それは一種の共犯意識だ。
 人気踊り子の突然の引退宣言。
 それを、その場に居合わせた者として空気を楽しんでいた。
 引退劇を観客が演者として参加しているように見えた。
 たんぽぽが、はあっと短く息をつくと悲鳴がぴたりとやんだ。
 それ自体もなんだか段取りみたいに見えた。
 遥心がシャオちゃんの顔を盗み見ると、信じられない、という顔をしていた。
 まだ観劇歴が浅く、純粋な彼女は演者にも観客にもなりきれないでいた。

「すぐに、じゃあない。ショーの予約もありがたいことにいっぱい入ってるし」

 たんぽぽの声に涙ぐんでいた大人が、なんだ、良かったという顔をする。
 今すぐ、今日じゃないんだと。だが、

「でも、それが終わったら」

 その言葉にまたハッと涙ぐみそうになり、

「まあ、一旦ね。うちに帰るよ。いい加減」

 そんなことを言う。
 最後の最後で優しさを見せた。一旦帰ると。
 一度帰るだけだと希望を持たせる。
 小娘が、いい大人達に夢を見させる。

「また、戻ってきてくれる?」

 その希望にすがるように女性客の一人が言う。
 遥心は目の前の光景が、まるで特撮ヒーローものの最終回のように思えた。
 地球を救い、役目を終えたからと自分の星に帰るヒーロー。
 それに、帰らないでとヒーローを慕うちびっこ達が必死に訴えかける。
 また逢える?とちびっこ達が約束をねだる。
 蘭は、紅たんぽぽは一瞬とはいえこのストリップという斜陽文化を面白く救った救世主だったのかもしれない。

「そうだな。帰ってまた、まだ立てる劇場があればね」

 紅たんぽぽは優しい声でそう言った。
 それは残酷な言葉だった。
 遥心達が取材中の間も一つの劇場が営業停止処分になり、一つの劇場が来年度に閉めると発表した。
 確実に終焉はやって来ている。

「わざわざ飛行機でやって来てくれたそこの君っ!」

 突然、たんぽぽが舞台上からサラリーマン風の男性をびしっと指差す。
 びっくりしつつも彼は、う、うんと頷く。

「お友達をいっぱい連れてきてくれたそこの君っ!」

 更に四人ぐらいの学生風の女性陣のうちの一人を指す。目は潤んでいたが彼女もうんうんと頷く。

「写真をいっぱい撮ってくれるそこの君っ!」

 すぐ近くの席に座っていた男性を指差し、

「…いつも僕達のモチーフ作品のわかりやすい設定集を手書きで書いて、ロビーに置いといてくれるそこの君」

 後方にいた40絡みの女性客に、芝居がかった動きで手を差し伸べ、優しく言い、

「こんな僕とショーをやりたいと声をかけてくれたそこの君」

 そして、傍らに座り、突然の引退劇に付き合わされているCHAOS嬢に優しい視線を向けてそう言い、

「ありがとう」

 胸に手を当て、彼らに、客席に向かってゆっくり深々と頭を下げた。
 それに女性客の一人がやめて、と涙する。
 改めての感謝の言葉は別れをリアルに感じさせた。
 そんなこと言わないでと。
 もっといつもの、ツンツンして、つれない態度の貴方でいてと。
 たんぽぽは下げた頭をゆっくり顔を上げると、

「僕は、一度は去る。でも、次に現れた時は、君の町にも、君の地元の劇場にも行くかもしれない」

 それは優しい嘘だった。
 大人達への精一杯の。
 優しいヒーローにみんなぐすんぐすん泣き出す。
 そんな言葉を信じられるほど皆子供ではなかった。

「さあ、ショーは終わりだっ!締めてくれっ!」

 湿っぽい空気を振り払うようにたんぽぽが言うと、

「お写真、よろしいですか」

 マイクを通して言うそんな従業員の声に、

「…お願いします」
「私もっ」
「お願いします!」

 駆け込みで撮影希望者が殺到した。

「大丈夫?シャッター押せる?」

 普段は聞かない紅たんぽぽの優しい声に、客が泣きながらカメラを構える。

「大丈夫。まだいるよ。しばらくは」

 だが、確実に目の前の踊り子はいなくなる。
 だから、客たちはシャッターを切った。
 思い出を残そうと。
 踊り子は、いついなくなるかわからない。
 今日か明日か。
 すぐやめそうな踊り子ほどずるずると長く居る。
 惰性で続け、向上心のないショーを客に見せ続ける。
 この子は将来が楽しみだ、業界を背負ってくれそうだという子ほど急に居なくなり、伝説となってしまう。
 紅たんぽぽがカメラに向かって優しく微笑む。
 普段と違い、サインは?などのやり取りを率先して客とする。
 遥心達は邪魔にならぬようそっと自分の席の方へ戻った。
 たんぽぽは客と言葉を交わし、写真を撮られ、握手していた。
 そんなことを何人もこなす。それはいっぱしのパフォーマーと言えた。


しおりを挟む

処理中です...