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38、その花は咲かずに散っていた

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 受付窓口で外出券を貰うと、二人はすぐにマンガ喫茶へ向かった。
 次はトリの踊り子さんのステージだったが関係ない。飛び込んだマンガ喫茶のパソコンで、遥心が《三田 しずく》と検索する。
 すぐに消えた声優とその行方、というサイトのページがヒットし、三田しずくなる消えた声優の項目を見る。

 オーディションを勝ち抜き、15歳の時に声優の卵としてラジオデビュー。
 その後デビューするアニメの企画で、他の主演声優二人とユニットを結成。
 しかしデビュー作のアニメが大変理不尽な大人の事情で流れ、その後消息不明。 サイトによると学業優先により業界から引退という説が濃厚だった。
 三田しずくの画像を検索すると、ユニット三人のぎこちない表情の写真と、垢抜けない私服姿で喋っているラジオ番組の収録風景の写真がいくつか出てきた。
 動画を検索すると、ユニットのミニライブの映像がアジア圏の動画サイトにアップされていた。
 記録用映像のような荒い画質で、ラジオ局が主催したイベントステージの様子らしい。
 三田しずくは声をあてるはずだった、命を吹き込むはずだったキャラクターのコスチュームを着てセンターで歌い、踊っていた。
 ライブ後MCにコメントを求められると、見覚えのある内股気味の立ち姿で、一回り以上は歳が上の観客に向かって一生懸命に喋っていた。
 動画の再生数は1000にも満たない。
 パソコンを操る遥心の後ろで、詩帆はコーラに自分でソフトクリームを載せたものを飲んでいた。
 クリームを崩し、掬って食べ、パソコンモニターを見つめる恋人をただじっと見ていた。

「25か…」

 ディスプレイに映し出されたデビュー時期から、詩帆が逢瀬さくらの今現在の年齢をはじき出す。
 年の割には幼く見える。
 いかにも遥心の好きなタイプだった。



 30分を少し過ぎて二人は劇場に戻った。
 遥心は一言も喋らず、詩帆も話しかけない。
 二時間半後、遥心は再び逢瀬さくらの撮影ショーの列に並んでいた。
 衣装ではなく、逢瀬さくらはすでに全裸になっていた。

「調べました?」

 逢瀬さくらは開口一番、遥心にそう聞いてきた。
 若い子は情報の検索も早いと思ったのだろう。確かに二時間もあれば人の半生など調べられてしまう。現に30分で大体のことは、逢瀬さくらのことはわかってしまった。

「はい」
「わかりました?」
「なんとなく」

 会話が、続かない。そもそもなぜもう一度列に並んでしまったのか。
 ああ、そうだ、問いの答えと報告だったと遥心は気付く。しかしそれはもう済んだ。

「リリス、なんですか?」

 仕方なく二人の共通の話題を振る。
 田崎凛々花ファンで女性ファンのことはリリスと呼ばれる。男性ファンはリリンだが。

「はい」
「ああ…」

 話が通じてしまった。つまり田崎凛々花ファンということだ。
 いや、それは選曲でわかったはずだ。それ以前に、ブログなどでなんとなく知っていた。
 でも、遥心の中では何かが違った。
 あくまでファンという立場から田崎凛々花を好きでいて欲しかったのだ。
 一度あちらに首を突っ込み、日の目を見る前で転落したという歴史がショックだったのだ。

「ライブとか、行くんですか?」
「はい」

 喉に引っかかるような声で訊くと、逢瀬さくらが嬉しそうに返事をする。遥心はその笑顔を知っていた。
 好きなアニメ、好きなアイドル、好きな声優の話をしている時の顔だ。
 オタクが同志を見つけた時の顔だ。一度はプロになりかけたのに。

「そうですか…」
「でも、お仕事が入ってるとなかなかですねぇ」

 ストリッパーは基本的に十日間拘束で色んな劇場に、日本各地の劇場に出演する。仕事のスケジュールとライブの日程を合わせるのは難しいのかもしれない。

「だから、ライブのDVDとか見てステージの参考にさせてもらってます」

 あんな大掛かりで何万人も魅了するステージをストリップなんかの参考に?ふざけるなと遥心が奥歯を噛み締めたくなる。
 それ以上に、好きだからって勝手にこんな性風俗なんかのBGMに使っていいとでも?とも。
 だが逢瀬さくらが楽しそうに話すのを見て、遥心に常連客から嫉妬の視線が刺さり始める。

「じゃあ、」

 ショーをスムーズに進行させるには喋り過ぎかと切り上げようとすると

「そうだ、曲使ってること言わないでくださいね、ネットとかで。アレの問題もあるし」
「あ、はい。わかりました…」

 アレとは、著作権のことだ。我等がリリ様の曲を性風俗で使われてるとあれば、ファンもレコード会社もあまりいい顔はしないだろう。

「今日のステージの曲ってラジオの、ですよね」
「うん、そう。時間的にリアルタイムじゃ放送聴けないから録音して聴いてる。聴ける時は楽屋でこうやって、イヤホン片耳に差して聴いてる」

 逢瀬さくらからだんだんと踊り子の皮が剥がれ、声優オタクの顔が見えてくる。それは遥心にとって見たくない姿だったが、

「野球が延長したら」
「逆に万々歳だよね!こっちとしては。放送始まるの遅れるから!」

 更に声優ラジオあるあるを言うと、テンション高く逢瀬さくらが返す。口調も、いつしかたおやかで柔らかな遊女のようなものではなく、くだけたものになっていた。
 声優ラジオは週末の深夜に放送されることが多いので、野球中継が延長すれば放送時間は後ろに後ろに、深夜に押していく。
 早く眠りたいラジオキッズにはキツいが、夜の仕事をしているオトナにはちょうどいい時間になるのだろう。
 儚げな遊女が、同胞に出逢ったただの声優オタクになっていた。
 あるいは声優という職業に憧れ、一度は夢を掴んだ少女に。大人の都合に振り回された、ある種そんな業界に関われば吐いて捨てるほどいる少女に。

「あとラジオとかにもメール送んないでね。ストリップでリリ様の曲使って踊ってるひといるよー、みたいな。迷惑かかるから」

 寂しそうに笑って、逢瀬さくらが、三田しずくが言う。
 特徴は無いが、すっと心に入る声。
 キャラクターに命を吹き込んだかもしれないその声。
 彼女が命を吹き込まれたそのキャラクターなら、好きになるかもしれない。そんな声。
 遥心がいたたまれなくなっていると、そんな顔しないで、と三田しずくが踊り子の顔に戻って言った。

「どんな顔してます?」
 
 遥心自身、自分でもどんな顔なのかわからなかった。

「どんな顔したらいいかわからない、って顔してる」

 遥心が、ははは、と乾いた笑い声をあげる。

「あとね、実はこっちのお仕事もしてるんだよ。同人系だけど」

 こっち、と逢瀬さくらが指先で自分の喉をとんとん、と突く。どうやら声のお仕事らしい。

「どういうやつですか?」
「それは、探してみて」
「ヒントは?」
「これはノーヒントかなぁ」

 それは、ほんとにあたしのこと好きなら探してみて、と言ってるようだった。
 だが、おそらく遥心は探さないだろうと思った。自身の声優絶対音感を駆使すればわかるかもしれないが、探したくない。探したくもない。

「ポーズどうする?」
「ええと、じゃあ」

 逢瀬さくらが話を切り上げたのを合図に、遥心がカメラを構える。
 撮影者の列に並んだのだから写真を撮らなくてはならない。
 遥心が本日二枚目に撮ったのは、大きく股間を開かせたオープン写真だった。



 その後のショーはどれもこれも退屈だった。
 トリも人気があるだけで、技量の無い踊り子さんだった。
 撮影ショーの時間が押してか、フィナーレはカットとなった。自分を取り巻く全てに対してざわざわとした怒りが胸の中に渦巻き、それが遥心の全身を支配する。

「なんで凹んでんの?」
「わかんない」

 詩帆に聞かれ、遥心はステージを見ながらぼんやり答えた。
 身体の中で渦巻く怒りに反して、表情と外部への反応は緩慢なものだった。
 その瞳には何も映っていない。踊り子さんの踊りも、衣装も、小道具も、演出も、照明も。今がどの踊り子さんのステージなのかもわからない。
 遥心はなぜだか自分の中で整理がつかなかった。
 例えば、好きなアイドルが完全ヌードになった時はこんな感じなのだろうか、と思ったが何かが違う気がした。
 例えば、好きな女性声優が18禁ゲームに出ていたと知った時はこんな感じだっただろうか、と思ったがそれも違う気がした。それだけ未知なる体験だった。

「女の人生って色々だなあ」

 死んだ目で遥心が言う。その隣で詩帆が飲み干したペットボトルを指先でぺこぺこ押す。

「まあ退屈はしないよね。っていうかさあ、遥心ちゅわーん」
「うん」
「バカみたいだよ?」
「えっ?」

 言われて遥心がやっと詩帆の方を向いた。

「可愛いAV女優さん見て、なんであんな可愛い子がAV出てるんだー、うおおー、みたいな変な同情勝手に抱いてるバカな男みたい」
「……そうだね」

 確かに、この感覚はそれに一番近いのかもしれない。

「あと気付いてないかもしれないけど、あたし今、超ジェラシーの化身」

 改めて詩帆を見ると、ミュールを脱いだ足をベンチに乗せて、むすっとした顔で膝を抱えていた。ペディキュアを塗った足の指がピアノでも弾くように波打っている。
 遥心が昨日塗ってあげたペディキュアだ。詩帆が、可愛い恋人がわかりやすく嫉妬していた。
 確かにデートの最中に自分の彼女が他の女のことを考えていたら気分はよくない。
 恋人の可愛らしい嫉妬に、わかりやすい膨れ面に遥心は小さく笑う。

「混んできたね。帰る?」
「もういいの?」
「んー。なんかもう、散々見たからもういいや」

と、席を立ち、早々に帰り支度を始めた。
 それは今日のステージのことでも、ストリップのことでもあった。
 酒臭い男衆の間をすり抜け、名残惜しさすらなく二人は劇場の外に出た。

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