上 下
196 / 201
アニラジを聴いて笑ってる僕らは、誰かが起こした人身事故のニュースに泣いたりもする。(下り線)

29、明日なんて待てない

しおりを挟む
 零児は泣いていた。
  先程の子供みたいな大粒ぼたぼた涙ではない。
  はらはらとした、儚い美しい女性の涙だった。
  勝手な思い違いだった。楽しい放課後はまた続けられる。あれだけの傷を負ったのに、響季はこんなに元気になった。
  そんな自分の馬鹿さ加減と嬉しさが、涙になって零児から溢れてきた。
  だが泣かれた方はその美しさに戸惑ってしまう。
  見慣れた女の子が、一気に女性へと進化してしまっていた。

 「あ、の」

  なんだか見てはいけない気すらして響季が下を向くと、零児はよかった、と小さく呟いた。
  その言葉に、今度は響季から抑えていたものが溢れ出す。

 「なんか…、もうこれっきり逢えないのかなって、怖かった」

  布団に視線を落としてそう言い、

 「入院中さ、本とかいっぱい読んで…、病院も色んなとこ回ったりして色んなネタ拾って。れいちゃんが、お見舞い来てくれたらこんな本読んだよって話そうって、退院したら話そうって思っててさ、なのに」

  とつとつと、そんなことを語りだした。子供みたいにまとまりのない口調で。
  その目には涙が浮かんでいた。零児とは違い、溢れるほどではないけれど。
  自由に外に出られない状態で、会いたい人に会えない、会いに来てくれない。
  入院生活は退屈こそしなかったが、辛いことはそれなりにあった。
  もう子供ではない、が大人ではない。
  迷惑をかけている家族には甘えたり辛いことを吐き出すことが出来ない。
  見舞いに来てくれる友人達にも、毎日のように来てくれる柿内君にも。
  だからせめて、零児にはぶちまけてしまいたかった。
  精一杯の笑いとジョークを交えて、面白おかしく。

 「おみまい…、きてほしかったよ」

  声と涙を絞りだすように、響季がずっと言いたかったことを言う。
  目から溢れるそれは、甘えたり泣いたりするのを恥ずかしがる、中途半端な年頃の涙だった。
  そして出た言葉は意地なんか張らず、もっと早く言ってしまえばよかった言葉だ。

 「うん」

  その言葉と涙を零児がまっすぐ受け取る。
  先程よりもっとストレートに言われても、零児に罪悪感はなかった。
  罪滅ぼしの方法を知っているからだ。子供みたいな彼女をなだめる方法も。

 「話して。今度」

  頬に添えた手を下ろし、両手で相手の手を握りながら零児が言うと、

 「うん。こんどね」

  拗ねたように尖らした唇で響季も言う。
  相手のお話を聴いてあげるのが、仕入れた楽しいことを聴くのが何よりの罪滅ぼしだろうとわかっていた。
  きっとそれを聴いて話せば、二人の距離は元通りになる。
  だから今度、と二人は固く、柔らかく約束する。
  いつかではない、絶対的な今度だ。
  今日はもう帰らなくてはならないけれど、自分達はその話を話すことが出来る。聴くことが出来る。
  明日か明後日か。今度はすぐ来る。
  ずっと先、これからも。
  そして、

 「…あ」
 「ああ。もう時間ですねぇ」

  流れてきた音楽に二人が天井を見上げる。
  これが流れてきたら面会時間はもう終わりという合図の曲だ。
  オルゴール調の、ゆっくりした曲。
  響季は入院して以来もう何度も聴いているが、初めて聴いた零児はアーモンドアイを大きく見開く。
  アレンジが少々違っているが、そのメロディには聴き覚えがあった。

 「これ、」
 「うん、そう。気づいた?」

  天井を指さす零児に、さっきまでの泣き顔などどこへやら、響季が楽しそうな顔と声で言う。
  流れてきたのは汐谷茉波のラジオ番組 最神コーディネイトのエンディング曲だった。
  曲自体はだいぶ前に出したファーストアルバムからなので、かなり古いものらしいが。

 「病院の人の趣味?」
 「わかんない。訊いてみたけど結構前からこれだったみたい。看護師さんにこれって声優さんの歌ですよねって言ったら、へーそうなんだー、って言ってたし」
 「へえ」

  選曲理由を聴き、零児がまた天井を見上げる。
  原曲の良さを残しつつ、柔らかく穏やかなメロディ。
  随分前にこの病院に勤めていた人にファンでもいたのか、単純にいい曲だからと採用されたのかはわからない。
  しかし、まさかこんなところで耳にするなんて、という嬉しさがあった。
  自分達ぐらいしか知らないであろう名曲が、あまり関わり合いのない生活圏内で使われている。それはなんだかとても嬉しくて誇らしかった。
  だが普段聴いているのはイントロから番組の終わりを予感させ、パーソナリティがメールの宛先を読み上げる、そんなシーンだ。
  来週もまた放送は聴けるのに、今週はもう終わりという寂しさに、条件反射的に二人はしんみりしてしまう。だから、

 「明日、」
 「ん?」
 「あ…、学校、いつから行けるの?」
 「明日はたぶんバタバタするから、学校行けるのは明後日くらいかな。だから、れいちゃんとちゃんと逢えるのも明後日くらい?」
 「……そっか」

  明日逢えるかと訊こうとする零児の意図を汲んで、響季が先回りして教えてくれた。

 「寂しい?」

  うひひっと笑いながら、からかうトーンで響季が訊いてくるが、

 「…さびしい」

  零児は素直にそう言う。嘘偽りのない言葉を。
  そして、また熱を孕んだ目で見てくる。
  響季が滅法弱い目で。

 「うっ」

  その目で見つめられ、それ弱いんですけど、と響季が身体を引く。ドキドキして体調に悪い。

 「れい…、ちゃん」

  どうにかして相手と、何より自分を落ち着かせようと名前を呼ぶが、

ジャしゃーっ!!

 「ぬおぅっ!」

  突然零児は立ち上がり、大きな音を立ててベッド周りのカーテンを閉めた。
  片足を上げ、くるりとしたコンパスのような半円を描いて。
  その音と行動に響季がびっくりし、改めて状況を見る。
  零児はカーテンで外界から目隠しし、二人だけの空間を作り上げた。
  作り上げた張本人は、目と全身から熱を放ち、響季を見つめてくる。明後日までなんて待てないと。


しおりを挟む

処理中です...