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これより洗礼の儀を執り行う
24、こらー!夜中にマンションの廊下を走るな!水商売のお姉さんが帰ってきたりするから!
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自室のベッドの中で。零児は自分が眠っているのか起きているのかよくわからない状態だった。
ラジオでも聴こうかと思ったがすぐに嫌気が指す。
そして本日何度目かの寝返りを打ち、もう眠るのは諦めようかと思った時。
ケータイがメールの着信を告げた。
響季からだった。
真っ暗な部屋の中でメールを読むと、
『起きてる?ワタシひびきちゃん。今あなたのマンションの前にいるの』
ひと昔前の怪談のような文章を送ってきた。
飛び起きた零児が部屋の窓から見るが、姿は見えない。
『マンションのどこ?』
そう片手でメールを打って部屋から出ると、すぐに家の鍵を開けて廊下に出た。
『玄関。オートロックだから入れんとよ。れいちゃん大丈夫?』
それを瞬時に読むと、もうメールなんてまどろっこしいと零児は電話をかけるが、
「何がっ」
「えっ?大丈夫?今大丈夫?」
「何がっ!」
「いや、ぜーはーしてるよ?走ってこっち向かってるの?」
言われて初めて息が切れていることに気づいた。
その間も零児は廊下からエレベーターホールまでを転がるように走っていた。
なのにエレベーターはなかなか来ない。
いっそ階段で降りようかと思ったが、その間に息を整えることにした。
「れいちゃん?」
「エレベーター来たから切るっ」
「ちょっ」
そう言って一方的に通話を切ると、何度も深く大きく呼吸を繰り返し、エレベーターが来るとすぐに一階ボタンと閉ボタンを押した。
-早く早く早くっ。
そんな急ぐ気持ちとともに、零児の中で新たな想いが膨らむ。
来てくれた。
時間と距離を飛び越え、友人関係を振り切って。
いや、友達だからこそ駆けつけてくれたのか。
わからない。
考えてみれば自分にはこんなにも親しい友達が今までいなかったのだ。
馬鹿みたいなわがままに付き合ってくれる友達が。
それだけじゃない。
馬鹿みたいな、打てば響くような小芝居や即興劇に付き合ってくれる友達が。
それだってわがままなのに。
あのコはいつだって面倒臭がらず付き合ってくれて。
そんな申し訳なさと、それを上回るどうしようもないほどの嬉しさが零児の中で膨れ上がる。
ようやく一階につくと、ゆっくり開くドアに体当たりせんばかりの勢いで零児はエレベーターから出た。
エレベーターホールを駆け抜け、一直線に玄関へ。
オートロックの自動ドアの前に、響季はいた。
一瞬見えた不安そうだった顔は、走ってくる零児を見て驚きに変わった。
そしてそのまま、ドアが開くと同時に腕を広げてくれた。
「なんだよ。閉め出しくらってんじゃん」
マンション入り口オートロックの、更に手前の自動ドアの前で、古塚っちは寒そうにしながら旧友を見ていた。
響季はオートロックから先に進めないのか、メールをしたり電話をかけたりと呼び出した友達と連絡を取ろうとしていた。
入り口がL字型に展開されているマンションなので、古塚っちの場所では真横から見守る形になっていたが、その旧友が突然驚いた顔でオートロックの奥を見る。
なんだと思っていると、脱兎のような速さでパジャマ姿の女の子が現れ、自動ドアが開くと同時にその女の子が響季に抱きついてきた。
抱きつかれた方はバランスを崩し、数歩下がった後すぐ後ろにある管理人室のドアに背中をぶつけていた。もう少しズレたらドアノブが当たっていたところだ。
そして抱き締めたまま、旧友はズルズルとその場に座り込んでいた。
「…激しいな。おい」
こちらの寒さが吹き飛ぶほどのアツアツぶりに、少年が呟いた。
「いてて。れいちゃん」
事態がわからないまま、響季は走ってきた少女を抱きとめていた。
その腕の中で、零児は相手の首に腕を回し、胸に顔を埋める。
響季の匂いがした。
自分の欲しい暖かさがあった。
自室の暖かな布団とは違う、体温を伴う暖かさが。
そしてそのコが自分を抱き締めてくれている。
それだけで充分だった。
こんな深夜に逢いに来てくれた。
それだけで充分だった。
「れいちゃん」
抱きついたまま何も言わない零児に、響季が声をかけ、髪を撫でる。
その声と手つきに、零児は不安にさせてしまったかと顔をあげると、
「ありがとう」
「えっ?」
「逢いに来てくれて」
そう伝えて微笑んだ。
もしかしたら目には涙が滲んでいたかもしれない。
だが、それだけ嬉しかった。
「いや、うん。どおぞ、お気になさらず」
笑顔と素直な言葉に響季が目を反らす。
明らかにいつもと違う零児を、どう受け止めていいかわからなかった。
「あの、なんかあったのかなーって。逢いたいなんて、言ってくれないからさ」
顔を背けたまま響季がそう訊くと、
「うん…」
こっちを見てないのをいいことに、零児がまた目の前の胸に顔を埋め、ぐりぐりと額を擦り付ける。
甘えるような仕草に、響季の身体がわかりやすいくらいに強ばる。
「なん、も、なかったの?特、には」
「何もって?」
「だから、なんか、やなこととか」
嫌なことは日々ある。しかしそれぐらいで深夜に大切な人を呼んでいたらタクシー業界はもっと潤うだろう。
「何もないよ」
「誰かに、なんかやなことされたとか」
「ないよ」
「じゃあなんで」
「ただ、逢いたかった」
寒い玄関ホールでは消えてしまいそうなその小さな声は、確かに響季の耳に届いていた。なのに、
「ほんとに?」
そう響季は問いかける。零児が頷く。
「ほんとにそれだけ?」
もう一度問うと、もう一度頷いた。
響季は信じられなかった。
この少女がそんな感情的に動くことがあるのかと。
こんなに理知的で賢い子が、時間も考えずにわがままを言い、なりふり構わず走ってきて胸に飛び込んできた。
だがそうさせたのはおそらく自分だ。
そうさせてしまったのは、変えてしまったのは自分だった。
言いようのない申し訳なさと嬉しさに響季は包まれる。
その想いごと腕の中の少女を抱き締め、
「零児」
普段はしない呼び捨てで名を呼んだ。
呼ばれた方は快感にも似た気配が背中を駆け上がり、内臓を刺激される。
「ひび、き」
こちらも名を呼ぶ。小さな声で。
いつもの呼び捨てと変わらないのに、まるでそれ自体が大事なもののように。
名を呼ぶことで、ぞくぞくじわりとした気配が胸に広がる。
内から沸き上がる感情に振り落とされないよう、零児が目の前の身体にしがみつく。
その力はあまりに弱々しかった。
初めて経験する、恐怖にも似たその感情は、おそらく《愛おしさ》だった。
「ただ、逢いたかっただけなの?」
響季が最後にもう一度だけ訊くと、零児は腕の中で小さく頷いてくれた。
「すごいね…。すごいな…」
ため息をつくように、響季はそう言った。
逢いたいだけで深夜に呼び出し、逢いたいと言われたから行動に移す。
お互いの言葉と行動力に驚いていた。
「来てくれて、ありがとう」
胸元から耳の近くまで這い上がると、零児はそう囁いた。
自然と互いの胸の柔らかさが重なり合い、響季の心臓が震える。
だがその一瞬後、零児は重ねた身体を離した。
距離を取って改めて見ると、そこにはいつものアーモンドアイの少女がいた。
冷静で理知的で、眼の白い部分には青みがかった聡明な光を湛えていた。
その眼に響季は安堵し、落胆する。
もう少しで彼女の瞳の奥が見れたのにと。
「どうってことないですよ」
すっかり冷えてしまったように感じる身体を、響季はもう一度抱き締め、艶やかな黒髪を撫でる。
いつものクールな零児に戻ってしまったが、逢いたいと言ってくれたのは事実だ。
そして、今はこうして自分の腕で暖めるように抱きしめている。
それだけで充分だった。
こんな深夜に逢いたいとわがままを言ってくれた。
それはおそらく、零児が自分にだけ向けられるわがままだ。
それだけで充分だった。
ラジオでも聴こうかと思ったがすぐに嫌気が指す。
そして本日何度目かの寝返りを打ち、もう眠るのは諦めようかと思った時。
ケータイがメールの着信を告げた。
響季からだった。
真っ暗な部屋の中でメールを読むと、
『起きてる?ワタシひびきちゃん。今あなたのマンションの前にいるの』
ひと昔前の怪談のような文章を送ってきた。
飛び起きた零児が部屋の窓から見るが、姿は見えない。
『マンションのどこ?』
そう片手でメールを打って部屋から出ると、すぐに家の鍵を開けて廊下に出た。
『玄関。オートロックだから入れんとよ。れいちゃん大丈夫?』
それを瞬時に読むと、もうメールなんてまどろっこしいと零児は電話をかけるが、
「何がっ」
「えっ?大丈夫?今大丈夫?」
「何がっ!」
「いや、ぜーはーしてるよ?走ってこっち向かってるの?」
言われて初めて息が切れていることに気づいた。
その間も零児は廊下からエレベーターホールまでを転がるように走っていた。
なのにエレベーターはなかなか来ない。
いっそ階段で降りようかと思ったが、その間に息を整えることにした。
「れいちゃん?」
「エレベーター来たから切るっ」
「ちょっ」
そう言って一方的に通話を切ると、何度も深く大きく呼吸を繰り返し、エレベーターが来るとすぐに一階ボタンと閉ボタンを押した。
-早く早く早くっ。
そんな急ぐ気持ちとともに、零児の中で新たな想いが膨らむ。
来てくれた。
時間と距離を飛び越え、友人関係を振り切って。
いや、友達だからこそ駆けつけてくれたのか。
わからない。
考えてみれば自分にはこんなにも親しい友達が今までいなかったのだ。
馬鹿みたいなわがままに付き合ってくれる友達が。
それだけじゃない。
馬鹿みたいな、打てば響くような小芝居や即興劇に付き合ってくれる友達が。
それだってわがままなのに。
あのコはいつだって面倒臭がらず付き合ってくれて。
そんな申し訳なさと、それを上回るどうしようもないほどの嬉しさが零児の中で膨れ上がる。
ようやく一階につくと、ゆっくり開くドアに体当たりせんばかりの勢いで零児はエレベーターから出た。
エレベーターホールを駆け抜け、一直線に玄関へ。
オートロックの自動ドアの前に、響季はいた。
一瞬見えた不安そうだった顔は、走ってくる零児を見て驚きに変わった。
そしてそのまま、ドアが開くと同時に腕を広げてくれた。
「なんだよ。閉め出しくらってんじゃん」
マンション入り口オートロックの、更に手前の自動ドアの前で、古塚っちは寒そうにしながら旧友を見ていた。
響季はオートロックから先に進めないのか、メールをしたり電話をかけたりと呼び出した友達と連絡を取ろうとしていた。
入り口がL字型に展開されているマンションなので、古塚っちの場所では真横から見守る形になっていたが、その旧友が突然驚いた顔でオートロックの奥を見る。
なんだと思っていると、脱兎のような速さでパジャマ姿の女の子が現れ、自動ドアが開くと同時にその女の子が響季に抱きついてきた。
抱きつかれた方はバランスを崩し、数歩下がった後すぐ後ろにある管理人室のドアに背中をぶつけていた。もう少しズレたらドアノブが当たっていたところだ。
そして抱き締めたまま、旧友はズルズルとその場に座り込んでいた。
「…激しいな。おい」
こちらの寒さが吹き飛ぶほどのアツアツぶりに、少年が呟いた。
「いてて。れいちゃん」
事態がわからないまま、響季は走ってきた少女を抱きとめていた。
その腕の中で、零児は相手の首に腕を回し、胸に顔を埋める。
響季の匂いがした。
自分の欲しい暖かさがあった。
自室の暖かな布団とは違う、体温を伴う暖かさが。
そしてそのコが自分を抱き締めてくれている。
それだけで充分だった。
こんな深夜に逢いに来てくれた。
それだけで充分だった。
「れいちゃん」
抱きついたまま何も言わない零児に、響季が声をかけ、髪を撫でる。
その声と手つきに、零児は不安にさせてしまったかと顔をあげると、
「ありがとう」
「えっ?」
「逢いに来てくれて」
そう伝えて微笑んだ。
もしかしたら目には涙が滲んでいたかもしれない。
だが、それだけ嬉しかった。
「いや、うん。どおぞ、お気になさらず」
笑顔と素直な言葉に響季が目を反らす。
明らかにいつもと違う零児を、どう受け止めていいかわからなかった。
「あの、なんかあったのかなーって。逢いたいなんて、言ってくれないからさ」
顔を背けたまま響季がそう訊くと、
「うん…」
こっちを見てないのをいいことに、零児がまた目の前の胸に顔を埋め、ぐりぐりと額を擦り付ける。
甘えるような仕草に、響季の身体がわかりやすいくらいに強ばる。
「なん、も、なかったの?特、には」
「何もって?」
「だから、なんか、やなこととか」
嫌なことは日々ある。しかしそれぐらいで深夜に大切な人を呼んでいたらタクシー業界はもっと潤うだろう。
「何もないよ」
「誰かに、なんかやなことされたとか」
「ないよ」
「じゃあなんで」
「ただ、逢いたかった」
寒い玄関ホールでは消えてしまいそうなその小さな声は、確かに響季の耳に届いていた。なのに、
「ほんとに?」
そう響季は問いかける。零児が頷く。
「ほんとにそれだけ?」
もう一度問うと、もう一度頷いた。
響季は信じられなかった。
この少女がそんな感情的に動くことがあるのかと。
こんなに理知的で賢い子が、時間も考えずにわがままを言い、なりふり構わず走ってきて胸に飛び込んできた。
だがそうさせたのはおそらく自分だ。
そうさせてしまったのは、変えてしまったのは自分だった。
言いようのない申し訳なさと嬉しさに響季は包まれる。
その想いごと腕の中の少女を抱き締め、
「零児」
普段はしない呼び捨てで名を呼んだ。
呼ばれた方は快感にも似た気配が背中を駆け上がり、内臓を刺激される。
「ひび、き」
こちらも名を呼ぶ。小さな声で。
いつもの呼び捨てと変わらないのに、まるでそれ自体が大事なもののように。
名を呼ぶことで、ぞくぞくじわりとした気配が胸に広がる。
内から沸き上がる感情に振り落とされないよう、零児が目の前の身体にしがみつく。
その力はあまりに弱々しかった。
初めて経験する、恐怖にも似たその感情は、おそらく《愛おしさ》だった。
「ただ、逢いたかっただけなの?」
響季が最後にもう一度だけ訊くと、零児は腕の中で小さく頷いてくれた。
「すごいね…。すごいな…」
ため息をつくように、響季はそう言った。
逢いたいだけで深夜に呼び出し、逢いたいと言われたから行動に移す。
お互いの言葉と行動力に驚いていた。
「来てくれて、ありがとう」
胸元から耳の近くまで這い上がると、零児はそう囁いた。
自然と互いの胸の柔らかさが重なり合い、響季の心臓が震える。
だがその一瞬後、零児は重ねた身体を離した。
距離を取って改めて見ると、そこにはいつものアーモンドアイの少女がいた。
冷静で理知的で、眼の白い部分には青みがかった聡明な光を湛えていた。
その眼に響季は安堵し、落胆する。
もう少しで彼女の瞳の奥が見れたのにと。
「どうってことないですよ」
すっかり冷えてしまったように感じる身体を、響季はもう一度抱き締め、艶やかな黒髪を撫でる。
いつものクールな零児に戻ってしまったが、逢いたいと言ってくれたのは事実だ。
そして、今はこうして自分の腕で暖めるように抱きしめている。
それだけで充分だった。
こんな深夜に逢いたいとわがままを言ってくれた。
それはおそらく、零児が自分にだけ向けられるわがままだ。
それだけで充分だった。
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