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これより洗礼の儀を執り行う

22、ただ逢いたくなるの

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「ひー坊?今ヒマ?」

  金曜の深夜。随分懐かしい番号から電話がかかってきたなと響季がケータイに出ると、開口一番そう言われた。
  相手は中学の時に同じクラスだった男の子だ。
  響季は女のわりにはウィットに飛んだトークが出来るからと、中学時代から力のある先輩男子に気に入られ、ひー坊と可愛がられていた。
  そして先輩のパワーバランスの裾野に乗っかろうと、周りの男子もそれに倣い、先輩のオキニである響季をひー坊と呼んでいた。
  今話している男子、古塚っちもそのうちの一人だ。

 「ヒマっちゃあヒマですがね」

  たった半年前までの呼び名に響季が懐かしさを感じていると、

 「今学校の奴らと遊んでんだけどさ、お前テキトーレビュウショー、だっけ、ディナーショーだっけ、アレってまだ歌える?みんなが聴きたいって言ってんだけど」

  これまた懐かしいネタを引っぱり出された。
  まったりとした美声で、往年の歌謡曲を歌いながらディナーショー風に練り歩き、周囲に握手を求める。
  それは中学時代に響季が得意としていた鉄板ネタだった。
  そこから更に宝塚チックなレビュウショー風曲に、テキトーな歌詞をつけて歌うネタへと繋げる。
  一人で男役トップ、男役二番手、娘役トップ、専科、ロケットダンサーズを縦横無尽に、一人何役も務めてショーを作り上げる。
  何度も階段を登り降りして全員が恭しくお辞儀をするフィナーレの様を表現する。
  たまたま衛星放送で宝塚の公演を見ただけ。
  その程度の知識で展開されるレビュウショー。
  それを、周囲は面白がってくれた。
  きらびやかな非日常へと誘うそのネタは、ディナーショーもレビュウショーも見たことがない先輩男子は元より、女子人気が高かった。
  そういうこともあって披露していたが、そのネタの出張営業の依頼がわざわざ来た。
  だが響季はあることを思い立つ。

 「まあいいけど。そこに女の子いる?」
 「いるけど」
 「そこに古塚っちの好きな子いる?」
 「えっ!?」

  指摘された旧友が、古塚っちが言葉に詰まる。

 「あー、まあねぇ」

  そして曖昧に肯定する。
  声が遠くなったり近くなったりするのは周囲を見回してだろう。
  あるいは好きな女の子の方を見ているのか。
  ええかっこしいしたい、までは行かないが、好きな女の子に楽しい時間を提供したいのだろう。

 「んじゃあ、行くわ」

  ならばと響季は、快く承諾した。
  今日は聴きたい声優ラジオがある程度で予定など無い。
  それも後日配信されるストリーミング放送を聴けばいい。
  響季は、深夜の営業に出かけた。


くらっぷおんちゃんねる!
パーソナリティ 久東 蘭/河村 鈴佳 
コーナー新アシスタント 大崎しづる

美殊みこと役 猪川都々路(いかわここみ 新人)

ラジオドラマ《雪割櫻の中で君と》より抜粋


 河村「それではお聞きください。ラジオドラマ《雪割櫻の中で君と》第4話です」

 猪川「《雪割櫻の中で君と》第4話、最悪のテンション」

 (ワイワイガヤガヤ)
 美殊「ねえっ、購買部行こう」


 「歯ぁみーがこ」

  そう言うと零児はイヤホンを外し、自室から洗面所へ向かう。
  ラジオ機能付きウォークマンに繋がれたイヤホンからは、放送中のラジオドラマが薄く聴こえてくる。
  聴いていたラジオ番組は、スポンサーがアニメーターや声優を育てるための養成所なので、生徒が作ったラジオドラマが定期的に放送される。
  新人声優の出来上がっていない脚本や演技など、零児は聴いていられなかった。
  養成所が生徒と養成所そのものを売り込むため、無理やり押し込んだコーナーだ。
  男性と呼ぶには若すぎる男子声優は、皆同じ声帯の使い方、同じ間合い、発声で芝居をする。
  女の子も似たり寄ったりだ。
  どうにも耳が滑ると零児はその時間で歯を磨き、寝る準備をする。
  すべてが終わる頃にはラジオドラマも終わっているはずだ。
  が、ふと見るとケータイが着信を知らせる光を放っていた。
  着信は、響季からだった。


 河村「というわけでお聞きいただきました。《雪割櫻の中で君と。》第4話。ねえー、これからどうなるんでしょうかね」
 久東「気になるねぇ」


  本当に聴いていたのか、パーソナリティー二人が形ばかりのコメントを言い、CMになった。
  どうしようか、電話をしようかと零児が迷う。
  よほどのことがない限り、普段はメールだが、今のは直接電話でかかってきていた。
  零児が電話嫌いと知ってのこんな時間での着信。
  何か急ぎの用事か。あるいは事件か何かに巻き込まれ、助けを呼ぶ電話か。
  深夜という時間が心配を増幅させる。

 「どうしよう…」

  迷っている間にCMが終わった。
  終わればおそらくすぐに、待っていたネタコーナーだ。
  それは聴きたい。でも響季の電話も気になる。
  ラジオと友達。どちらをとるか。
  普通の女の子なら簡単に答えが出そうなものを、零児は悩んでしまう。
  だが結局は響季のことが気になった。
  安全であるという声が聞きたかった。
  通話ボタンを押し、ケータイを耳に当てる。
  1コール目、寝てしまったか、いや早すぎる。
  2コール目、自分のように寝る支度をしているのか。
  3コール目、次で出ないならもう切ろうと決めた時、相手が出た。

「ああ、れいちゃん」

  深夜だというのに周りが随分騒がしい。自宅ではないのかと零児が思っていると、

 「今友達といるんだけどさあ。れいちゃん放送作家のカギタマコトって知ってる?」
 「…知ってる」

  テレビなどのスタッフロールでもよく目にする、芸人系ラジオや声優ラジオでハスキーな笑い声が特徴な作家だ。

 「あの人昔声優だったってほんと?」
 「ちょっと待って」

  言って零児が自室の本棚からカギタが関わったラジオの番組本をとり出す。
  確かにプロフィールに元声優と書いてあった。
  それを告げると、

 「そう。やっぱそうだってぇー」

  向こうにいる誰かに響季が言い、ほら言ったやんというネイティブではない関西弁が聞こえた。
  笑いを誘うような鼻につく関西弁が。

 「代表作は」

  更に本に載っている情報を教えると、それが伝言ゲームのように響季からその周囲にいるであろう人間達に伝わる様子が電話からわかった。
  しかし代表作を知らされると、ほらやっぱり!というテンションの高い声と、知らねーというバカ笑いがした。

 「ありがとう。ちょっと気になったからさあ。ごめんね」

  響季がつられて笑いながら零児に言う。
  なんでもその場にいる女の子の一人が気になる映画があると言い、その映画は放送作家のカギタマコトが脚本を書いたやつではないかと響季が言い出し、別の女の子が小さい頃好きだったアニメのイケメン役がそんな名前だった気がすると言って、しかしその場にいる全員に知識がないので詳しそうな友人に訊いてみると響季が電話してきたらしい。

  そう長々と説明してもらったが、零児にはどうでもよかった。
  電話をかけてきた友人は、実に若者らしい喧騒に包まれていた。
  それが健全か不健全なのかはわからない。
  対して自分は一人で深夜ラジオを聴いていた。
  誰とも繋がっていない、どうしようもない寂寥感に零児が苛まれる。
  若者時代の夜の楽しさなど知らず、一人だけ真っ白なシェルターに閉じこもっているような。
  それは今まで感じたことのないものだった。
  いや、本当はずっと前から、ひたひたと自分の周りに冷水のように満ちていた寂しさだったのかもしれない。
  中学生になっても高校生になっても、出歩きもせず夜を孤独に過ごす。
  世間の感覚からすれば闇にも等しいその孤独を、零児は大好きな友人を通して実感した。

 「響季」

  電話越しにそう名を呼び、零児が息を吸い込む。しかし何か言おうとしても言葉が出てこない。

 「どした?れいちゃん」

  だが向こうはそんな変化にも気づかない。当たり前だ。零児の大好きなこのコは相変わらずの朴念仁だ。

 「…何でもない」
 「そっか。もう寝るの?」
 「うん」
 「早いなあ。早寝だね」

  深夜アニラジをリアルタイムで聴いているのだ。そんなに早寝でもないが、週末にオールで遊ばない高校生は皆早寝かもしれない。

 「じゃ、おやすみ。暖かくして寝るのよ」

  冗談めいたお母さん口調で響季が言う。
  この場合の正しい反応は、軽く流すか、素直に良い子の返事をするかだ。
  だがその日の零児はいつもと違った。

 「響季」
 「はい?」
 「逢いたい」

  それだけ言って、通話を切った。
  部屋には再び静寂が戻った。
  いや違う。ヘッドホンから声優の声が漏れ聞こえていた。
  どうせ後日配信されるストリーミング放送を聴けばいい。
  そんなことを零児は考えていたが、意志とは関係なく指が唇をなぞった。

 -逢いたい。

  唇に触れたまま、声に出さずに言ってみる。
  この唇は確かにそう言った。
  口をついて出てしまった。
  意識していなかった。
  だが不意に出た四文字は、紛れも無く本心だった。

 「わがままだな、ただの」

  まるでさっきのラジオドラマに出てくる聞き分けのないヒロインのような。
  たった一話目でそのはた迷惑な性格がわかったあのヒロインのような。
  そんなわがままを言って、向こうは時間と距離を飛び越え、逢いに来てくれるとでも思ったのか。
  零児が喉の奥で小さく笑う。
  そんなわけ無いのにと。
  せいぜいメールで明日会おうなどと送ってきてくれるだけだ。
  逢いに来られても対応に困るだけだ。
  期待と予想と言い訳のようなものを自分にし、イヤホンを耳にすると、番組はもうエンディングだった。
  立ったまま最後まで番組を聴くと、零児は自分のベッドに潜った。

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