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暗殺剣同門始末
火盗改の闇
しおりを挟む火盗改与力、山根十内は、昨晩起こったと言う火災の現場に来ていた。
火付盗賊改方はその名の示す通り、放火と盗賊の取締りをその任務としている。
時代によってはこれに、博打改、つまり違法賭博の取締りも加わったが、寛政の頃には町奉行の管轄に移っている。
江戸は火事の多い都市で、それが大火となった頻度は、世界でも類を見ないものであった。
その理由としては、ほとんどの建物が木造建築であることと、冬季に湿度が下がると言った気象条件もあったものと思われる。
特に町人街ではそれに加えて、住居が密集している町割りのあり方に問題があった。
火盗改は、現在の消防団にも繋がる町火消しとは違い、消化活動そのものではなく、火付、つまり放火の捜査を担当していた。
冬季は先手組の中からもう一組が任命されるぐらいに、放火対策の仕事も重要視されていたのである。
十内が来ているのは、本所の外れ、もう田畑が広がり始めるあたりにある、古寺であった。
上司である長谷川平蔵が絡んだ奇妙な事件、というか、いたずらの現場であったことは十内も知っている。
かの事件で大恥をかいた生臭坊主は、すでにここから逃げ出しているので、寺は無人のはずであった。
無人の建物であっても火災が、発生することはないでもない。
寄る辺のない浮浪者や、破落戸達が一夜の宿を求めて空き家で一晩を過ごすと言うこともあるし、遊び半分に火を付ける不届きな奴というのもいる。
付け火の可能性が皆無ではないので、主に本所界隈を担当している十内が現場検証に現れたのである。
「奇妙だな」
「何かありましたか?」
十内の呟きに、一緒に来ていた同心が聞き返した。
まだこの仕事に慣れきっていないが、爽やかな風貌が印象的な若者である。
「新之助、無人の古寺に、割れた酒器が置いてあるのは不思議ではないかね」
寺はほぼ全焼していた。
ただし、本殿のみが綺麗に焼けた形で周囲には被害を及ぼしていない。
その焼け落ちた本殿に、徳利と盃が転がっていたのである。
煤けているが古いものでは無い。
火頭改同心、高島新之助は考えた。
中に人がいたとしよう。
真新しい盃で浮浪者が酒を飲むだろうか。
何かの理由で酒を手に入れたとしても、わざわざ徳利や盃を用意したりはしない。
用意できない。
中にいたのは、と言うことは浮浪者よりは多少は金のある者、後ろ暗い仕事で銭を稼ぐ破落戸共と言うことだろうか。
「ところがだ、ボロ寺の割りに、境内の地面が妙に綺麗だとは思わないか」
「た、確かに」
火事があって、中に人がいたと言うのなら、逃げ出した者達の足跡が残っていてもおかしく無い。
それが、周辺は足跡もなければ、火の粉が飛んで、焼けた雑草すら見当たらないのだ。
そもそも、本殿だけが燃えて、周辺の庭木なども焼けていないと言うのも少々不自然であった。
山根十内の『勘』が何かを告げていた。
『ヤマカン』などと言い、勘というのは適当、いい加減に当てずっぽうで物事を決めたりすることと捉えられがちだが、実際にはそう馬鹿にしたものでも無い。
無意識の思考、言語化できない心の働きというのもは確かにある。
例えばスポーツ選手などのスーパープレイは、瞬間の判断から生まれるものではあるが、その瞬間に頭の中で言語化して思考していたものとは決して思われない。
あとから、『あれはこうだったからこう判断した」と説明することはできる。
しかし、その瞬間は無意識に判断しているからこそ、一瞬で対応できるのである。
『サブリミナル効果』と呼ばれる現象もある。
有名になったのは、映画館で、人間が意識できないほどのほんの一瞬、コーラの映像を一コマ表示すると、上映終了後の自販機のコーラの売り上げが大きく上がったというものである。
人間の脳は、意識できない情報も大量に蓄積しており、それをやはり意識しない情報処理によって、行動につなげることがある。
これが『勘』と呼ばれるものであろう。
様々な職業のベテランが持つ、『長年の勘』の正体がこれである。
多くの経験を積む中で、無意識に溜め込んだ情報は膨大なものとなり、ほんの些細なきっかけでその情報が刺激され、無意識の情報処理によって、経過を言語化できない形で結論だけが導かれる。
山根十内に今起こったことも、まさしくそれであった。
加役の頭が変わっても、貸し出される形で長年火付盗賊改方に属してきた山根ならではの勘働は、今までも多くの盗賊達を捕らえて来ている。
十内は、同心と二手に別れて、周辺を歩いた。
焼け落ちた本堂の周辺ではなく、境内の外側である。
裏側の林に入ったあたりで、奇妙なものを見つけた。
それほど大きなものでは無いが、人の頭程度の石がある。
普通に見ればなんてこともない。
元々そこにあったもののようにも思える。
周辺にも特に不審なものはない。
しかし、十内が石のあるあたりの地面を掴むと、そこに生えている雑草がペロリと布のように剥がれてしまった。
何かを隠すために、芝をしいた。
そうとしか思われない。
「新之助っ!鋤か鍬を探して来てくれっ!」
「は、はいっ!」
高島新之助は、急いで境内に戻り、物置小屋から鍬二本を見つけて来た。
それを使って、二人で石のあったあたりを掘る。
鍬は簡単に土に入った。
これも、一度掘って埋めたところを掘り返しているのなら、当然であろう。
「あっ!出ましたっ!」
新之助が見つけたのは死体の足だった。
掘り起こして出て来たのは、破落戸風の二人の死体であった。
「一人は目立った傷はなく、もう一人は喉をぱっくりと切り裂かれておりました。あと、近くには、吹き矢と脇差が二本。どちらも同じ毒が使われておりましたが、死因は毒によるものとは思われません」
「む、そうか……」
十内の報告に平蔵は渋面を作って応じた。
同席している他の与力も何があったのかはわかってない。
「死体の素性についてですが、密偵の何人かに面通ししたところ、武家屋敷狙いの凶賊として名を売る、赤首の甚兵衛の下にいた二人に似ていると……」
「何ぞやらかして、勘兵衛に粛清されたのだろうか」
首を傾げている仕草は、本当に分からずに困っているように見える。
しかし、やはり、十内の勘働では、平蔵の様子が少しおかしい。
「凶賊の仲間割れにしては、殺しに手が込みすぎています。。何が起こったのかはよくわかりませんが」
十内の勘働もここまでである。
凶賊二人の不審死、しかし、それが意味するところまでは分からない。
異常なことが起こっているとは、分かってはいても。
「とは言え、江戸から凶賊が二人減ったということは、悪いことではあるまい」
「それはそうですが……」
山根としては、この件をもっと力を入れて調べねばならないと考えている。
しかし、平蔵はそれを許しそうにないとは、報告の前から思っていた。
理由はない。
これも勘である。
「山根、深川の付け火の調べを手伝ってもらいたい。そっちの件は、新之助に任せる」
山根十内と高島新之助は平伏してそれを受けた。
いつもの様子ではあるのだが、有無を言わせぬ迫力がある。
高島一人では、新しいことは何も見つけられまい。
しっかりした男ではあるが、まだ若く、父親を次いで火頭改の役についたばかりの男なのである。
今で言えば、O J Tで実習中というところで、どうにか仕事に慣れて来た程度である。
まだ、独り立ちできるはずがなかった。
『ったく、勘の良いやつというのは頼りにもなるが、隠し事をするときには困らせる。柏屋の旦那も冬吉には苦労しているんだろうな』
長谷川平蔵は腹の中だけでそう言い、キセルをふっと吹いた。
柏屋の宴は終わった。
多少は泊まりの客もいるが、それらもいいかげん酔っ払って寝静まった頃、冬吉は半左衛門が一人で住う奥に向かって歩いていた。
独身であるから、本来なら冬吉も焼き方たちと同室で、雑魚寝するところなのだが、今回は客分の手伝いという扱いであるため、個室があてがわれている。
そうでなければ、こうして深夜に部屋を出て歩き回るなどということは、同僚たちに見咎められたことであろう。
「おや、冬吉さんどうなすった?ああ、手伝いに来ているとは旦那さんに聞いているが」
大柄な筋骨隆々の武士が、気さくに声をかけて来た。
夜なので小声ではある。
半左衛門の住む離れまで続く渡廊下の中程のところで、この男、用心棒の篠塚龍右衛門はいつも、一晩中少量の酒を舐めながら番をしている。
木刀を用いた道場での試合であれば、以前、冬吉に敗れた栗原周平には劣るであろう。
良くて長谷川辰蔵と互角かというところであるが、真剣での立ち合い、斬り合いとなると話が違う。
篠塚竜右衛門は、実戦に強い剣術の使い手である。
生まれは肥後であり、祖父の不祥事に連座して若いうちに浪人してから、諸国を放浪していたところを半左衛門に拾われた男である。
剣術の流派は二天一流。
あの宮本武蔵が伝えた二刀を用いる剣術を修めており、武者修行と称する放浪の中で 腕を磨いてきた。
同じように諸国を放浪しながら、剣を磨いて来た冬吉から見ても、本気で立ち会えばどうなるか分からないと思うほどの強者である。
「ええ、少し、寝付けませんで。夜風にでも当たろうかと思いましてね」
江戸時代というのは、現代よりも随分と涼しかったようである。
地球温暖化という近代化の中で進行した現象以前に、百年二百年単位の気象変動により、世界的に今よりも気温が低かったのだという。
夏でも三十度を超す日が数日しかなかったというのであるから、少し前の北海道程度の気温であったのではないか。
となれば、夏でも夜風は涼しく、心地よいものであったはずだ。
しかし、篠塚は冬吉の言葉など信じてはない。
冬吉も、篠塚がすでに自分と同じことを察してはいると、確信していた。
「それはそれは。一杯やるかね」
そう言って、盃を干し、わざわざ着物の裾で盃の端を拭ってから酒を注いで冬吉に渡した。
本人はふくべに直接口をつけて飲み始める。
冬吉は、盃をおし頂いて、軽く口をつけた。
「これを持って行きなさい」
篠塚が差し出したのは、自分の脇差である。
二刀の技を操る篠塚龍右衛門は、普段から二本差しであった。
やはり、篠塚も今夜の不穏な空気を察していた。
実戦経験豊富な剣客特有の勘働である。
「しかし、それでは篠塚さんは……」
「別に二天一流には、二刀の技しかないわけではない。冬吉さんの方は、いくら腕が立つと言っても素手ではね」
そう言って、脇差を押し付けた。
にかり、と良い笑顔をむけてくる。
篠塚は年の頃三十代半ばであるが、冬吉はこの男のことが好きであった。
性格は豪放磊落、口数は少ないが人の話はよく聞くし、何よりも人なりが優しい。
それでいて、冬吉でも油断ならぬほどの剣客である。
「ありがとうございます。では、ちょっと見て来ます」
冬吉は盃を干し、それを置いて脇差を腰に刺してその場を去った。
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