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剣術試合面倒始末
撃ち込まれし楔
しおりを挟む赤面しながら冬吉は当惑していた。
武術には優れ、一見隙のない男とみられがちだが、意外にこうした不可抗力の事故にはたびたび遭う。
落とし物を拾うときにうっかり手が触れたり、転びそうな娘を支えようとして、乳房をつかんでしまったり。
それでも、役者顔負けの色男であるから、こうした反応は返ってこないのである。
赤面しながら、逆に平謝りされる程度のことであった。
当惑しながら冬吉は再度構えた。
ただし、まだ上の空である。
雪枝の方は腓返りは収まったものの、まだ痛む。
それでも羞恥と屈辱で燃え上がらんばかりに、いきり立っていた。
「はじめよっ!」
こらえ切れぬ忍び笑いをかみ殺しながら丹斎が叫んだとき、雪枝はほとんど破れかぶれで、大上段から打ちかかった。
本来なら、一本目より鈍い踏み込みであるから、打ち合わすこともなく勝負がついていたはずである。
だが、呆然としていた冬吉は、踏み込まれてから打ち込みに気がついた。
もう、こちらから踏み込む暇はないし、受けを使うにも片手では心許ない。
あわてて跳び退いた瞬間、破れかぶれの一撃は、片手に軽く握られていた冬吉の木太刀をたたき落としてしまった。
しーんと、沈黙が続いた。
烏の鳴く声が聞こえる。
「い、一本っ!」
呆然としていた丹斎がやっとのことで叫んだとき、平蔵の爆笑が響きわたった。
「ひ、ひっひっ・・ひぃ・・な、なんつう」
「ち、父上っ!し、失礼ではありませぬかっ」
赤面しながら辰蔵が平蔵をたしなめる。
平蔵が笑ったので、あちこちから野卑な笑い声が聞こえた。
「お静かにっ!三本目、参りますぞっ!」
丹斎は真剣な顔であった。
娘の様子が違ったのだ。
雪枝は意外な勝利に何か感づいたらしい。
無心であることだった。
冬吉程の達人であっても、気が入らなければ不覚を取ることがある。
自分はどうであったか。
己の強さを過信するあまり、気は散じ、自惚れで傲慢に木太刀を振るっていた。
おそらくは、もう、冬吉はこのような不覚は取るまい。
しかし、精一杯を自分はまだ出していない。
策よりも技よりも心、それが足りなかったのである。
雪枝の様子が変わったことには冬吉も気づいた。
この勝負で初めて冬吉は両手で青眼にかまえる。
「はじめっ!」
丹斎の声と同時に雪枝は踏み込んだ。
まっすぐに、諸手突きから入る。
冬吉はそれを紙一重でかわし、踏み込んで胴を狙った横凪を放つが、雪枝はすかさず跳び退き、再び青眼に構える。
もう一度、雪枝から踏み込んだ。
今度は上段からの飛び込み面。
冬吉は諸手の逆袈裟でこれを迎え打った。
渾身の面打ちは、正面から叩きつけられた冬吉の打ち込みに耐えきれず、雪枝の木太刀は宙を舞う。
「参りました」
雪枝はきちんと居住まいを正し、平伏した。
先ほどまでとは全く違う、落ち着いた様子であった。
少しも笑みを含まず、先の小島以上に武人らしい顔つきであったが、不思議といつよりも美しい乙女の姿に見えた。
決勝を前に小休止が言い渡される。
連戦では冬吉に不利すぎると思われたからである。
手ぬぐいで汗の始末をする雪枝に、父親である丹斎が声をかけた。
「どうだ?良い修行であったろう」
「はい。父上。本当に……」
付き物が晴れたような雪枝の顔を、丹斎はまぶしく思った。
「負ければその相手に嫁になるなどという、戯けた覚悟では剣の道は極められぬ。それがわかったなら、負けもまた……」
言いかけた丹斎が黙る。
娘の表情にまた別の心づもりがあることに気づいたのだ。
いぶかしく自分を見る父に、娘はきっぱりと言った。。
「父上、ですから、往事の言葉は訂正させてください。私は、負けた殿方には、たとえ断られようとも必ず輿入れいたします。決して自分から引くことはありません」
「な、なんと……」
丹斎はずっこけて、しばらく立ち上がれなかった。
幸いにして、この発言は冬吉だけでなく、辰蔵や平蔵にも聞こえてはいなかった。
意外な隙を見せてしまい、一本は取られたものの、見る者が見れば、冬吉が辰蔵と比べるまでもない達者であることがわかる。
それでも辰蔵は負ける気はしていなかった。
勝てると思っているわけでもない。
ただ、無心であった。
どちらが強いかを、比べようと言う考えそのものが失せていた。
雪枝のことも、もうすでに頭にはなかった。
これほどの剣客と勝負ができる。
ならば、己の全てをぶつけてみたい。
結果など、もうどうでも良いことであった。
それは冬吉も同様であった。
礼をして木太刀を構えたとき、辰蔵の気持ちの全てが伝わってきた。
潔く、清々しい、若者らしい一本気な闘志を身に受けて、冬吉自身も心地よいほどにそれに感化されたのだった。
一本目の勝負は激戦であった。
雪枝との一本目のように、辰蔵の初太刀のおこりは読んでいたが、振り下ろす前に勝負をつけるまでとはいかず、つばぜり合いとなる。
すぐに離れた二人は、凄まじい音を立てながら、猛烈に打ち合った。
冬吉得意の入り身が、使えないほどの激しい連撃を辰蔵は放つ。
冬吉はそれを裁きながら隙を伺うが、見つけられない。
同時に跳び退いて、息を整えた二人。
今度は冬吉から踏み込んだ。
辰蔵は焦らずにそれを迎え打ち、横凪の胴を放つ。
辰蔵の木太刀がはじけ飛んだ。
冬吉は木太刀の刀身ではなく、それを掴む左右の手の隙間、柄の真ん中を下から打ち抜いたのである。
「一本っ!お見事っ!」
会場が拍手に満たされる。
誰も瞬きすら忘れるような勝負だった。
二本目、冬吉は初めて、本当に本気になった。
辰蔵の闘志に敬意を表してのことである。
誰も見たことのない構えだった。
左足を前に出して半身で構え、左手で木太刀を眼前、目の高さに水平構える。
切っ先は辰蔵の額に向けられていた。
右手は柄尻に、手の平を当てるように添えられている。
辰蔵にもこの構えの意味はわからない。
だが、それはどうでもよかった。
とにかくこのすごい男に本気で挑みたかった。
辰蔵は思い切り踏み込み、諸手突きを送る。
力も、気持ちも栗原以上だったかもしれない。
同時に冬吉も突きを放つ。
冬吉の木太刀は錐のように一点にねじ込まる。
それが正確に辰蔵の突きの先端に当たった瞬間、柄尻に添えられた右手がたたき込まれた。
雷にも似た轟音を発し、辰蔵の木太刀が中程から折れた。
もし、これが木太刀の先端ではなく、辰蔵の体に当たっていたなら、木刀であっても串刺しにしていたかもしれない。
「参りました。私の負けです」
潔く、若々しいと言うよりも、武人らしい態度で、辰蔵は負けを認め平伏して見せた。
「一本っ!勝負ありっ!」
丹斎の声が高らかに響きわたる。
「両者お見事っ!いや、みな、素晴らしい勝負であった」
大きな声でそう叫んだのは、本戦が始まってから一言も言葉を発していない、主催者の水野伊勢守である。
満足の笑みを浮かべていた。
その晩の草間。
「で、結局最後まで勝っちゃったんですか?」
「ええと、はい……」
冬吉は力なくうなだれて返事をした。
「負けるつもりでいたのに、名高い剣客を三人も、派手にやっつけて一番になっちゃったと」
「まったく、その通りで」
「それって、その道の人たちには、物凄く失礼なのではありません?」
お夏の呆れた声に、ますます項垂れて冬吉は反省していた。
『負けるつもりなら、ちょっとぐらい怪我しても良かったんだよ。いなくてもそれなりに店は回るんだから……』
店に帰ってきてから、それに気づいたのである。
仗助とお夏が加わった草間は、誰か一人がしばらく休んでも、他の三人の頑張りでどうにかなる。
そういう体勢にはなっているのだから。
「あの、冬吉さん。そもそも負けるつもりで出場するのが失礼です。実力一番の人がそれをやるのは、嫌味以外の何ものでもありませんよ」
「す、すみません」
お夏に謝ってもしょうがないのであるが、この手の正論に対しては、冬吉も平身低頭するかしかない。
「無双冬吉 包丁冴えるし 刀は切れる 言葉切れるは お夏の方か」
試合のあらましを、冬吉に睨まれながらお夏に語った平蔵。
上機嫌で先日の自己盗作くさい、怪しい都々逸らしきものを唄い、酒を舐めていた。
雪枝の輿入れ先の話は保留、辰蔵は今一度剣の奥深さを知り、谷三郎は足軽での召抱えが決まった。
全ては自分の筋書き通りだった。
冬吉が結局勝ち進んでしまうのもだ。
人の悪い男である。
お夏は冬吉に呆れながら、別のことを考えていた。
「うーん、一番になってしまったとなると、多少は噂は流れちゃうから、この辺の剣客気取りとか、道場の門弟とかもやってきますかね」
「そりゃあ、そうだろうよ。こんだけの剣術使いが居酒屋の主人なんて話は、そうそうねぇからな」
お夏と平蔵が顔を合わせてにやりとする。
なぜか、それを見て仗助がため息をついた。
「いつもの食通の飲兵衛に、追っかけ娘さんたち、これに剣術狂いの方々が加わると、さすがにこの広さじゃ厳しいですね」
冬吉は嫌な予感がした。
「うん、冬吉さん。明日は柏屋に行く日でしたよね。大旦那様にご相談してくださいね」
お夏の顔は人が悪いものであった。
これで冬吉も気づいた。
平蔵が連んでいたのは、樋口正助と大野久兵衛ではない。
お夏と柏屋半左衛門だったのだ。
店の拡張について、いつまでも煮え切らない冬吉に、業を煮やした柏屋半左衛門は、お夏を抱き込んだのである。
お夏は草間の料理はもっと多くの人々の口に入るべきだと考えている。
剣術なら別に、知る人ぞ知る達人ということでも構わない。
目に留まる不幸にあった人だけでも助けられればいいし、剣一本ではそれで精一杯だ。
だが、包丁のことは違う。
冬吉の料理は美味いが、決して高価なものではない。
ならば、より多くの人々の口に入るようにするのが、世のため人のためだとお夏は考える。
半左衛門も同じ考えであるから、頑固な冬吉を納得させる仕掛けは、お夏に任せていたのである。
昼の営業には冬吉はほとんどいない。
ならば、昼に菜飯を食いに来る山根十内を通じて平蔵とは繋がれるし、大野久兵衛は風割り蒸しを買いに毎日のように現れるから、剣術試合の話は前々から知っていたのだ。
さすがに樋口正助とは連絡はとっていなかったし、久兵衛の馬鹿息子、大野久太郎の道場破りは全くの偶然であるが、その時点で平蔵とは無言の連携が成立していたのである。
今度は冬吉も、自分のしたことで店が満員御礼になってしまうのだから、柏屋の出資で店を大きくすることを断ることはできない。
『喰ない親父たちに、いつの間に楔を撃ち込まれていたのか』
もはや逃れようがないこの罠。
冬吉は今後もお夏にやり込められ続けることを覚悟したのであった。
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