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菜飯屋後始末
包丁人の仗助
しおりを挟む丈吉は元々鍵師の息子であった。
盗人の錠前破りをする鍵師のことではない。
真っ当な、盗人を妨げる側の鍵職人である。
父親である親方のシゴキに耐えかねて、家出をしたのは十五の時。
安く手に入る材料で紛い物の簪や小物をこさえて売り、父親の仕込みで字も読み書きできたから、字の書けぬ者の代筆なんぞをして、口に粉にする程度の稼ぎはできた。
手先は器用でいろいろ機転の回る丈吉は、一人でも意外にどうにか生きていけた。
代筆の際には、依頼主を騙して証文を自分の懐が潤うように作ることも、平気でやってのけた。
齢二十四を数える頃にはすっかり一人前の詐欺師になっていた。
江戸近辺の村々を巡って、怪しい小物を売り、代筆をし、移り歩いていれば、被害を受けた者に顔を合わせるようなこともなかった。
そんな折、懐が暖かい時に立ち寄った温泉宿にいた湯女が、小助の娘、剛三の双子の妹、おみよであった。
丈吉は小助が昔そうしたのと同じように、おみよを攫った。
同じようにおみよも母同様に、自分を連れ去る男を拒絶しなかった。
飯盛女も湯女も、現代で言う非合法の売春婦である。
宿場で給仕をするとともに客と夜伽するのが飯盛女、風呂屋で垢かきなど入浴時の世話をしつつ、夜伽をするのが湯女である。
大抵は貧しい親から人買いに売られて、宿に流れてくる。
おみよもどう言う巡り合わせか、人買いに買われ、その宿に売られたのであろう。
自分を連れて逃げようと言う男に、全てを任せてしまうのも無理はない。
やはり丈吉もおみよといる間は、堅気に戻ろうとした。
詐欺師で稼いだ蓄えを使って街道の峠に茶屋を開く。
その頃には一般的になっていた菜飯と田楽も出していた。
丈吉には詐欺だけでなく、真っ当な商いの才も備わっていたようだ。
茶屋は評判となり、繁盛していた。
その頃に客として小助が訪れたのである。
小助はすぐにおみよが自分の娘であることを理解した。
剛三にもおみよにも、特徴的な印があった。
剛三は右手、おみよは左手に火傷があったのだ。
鳶の親方に預ける前、小助が一人で面倒を見ていた数ヶ月の間に、誤って熱した火箸に触れてさせてしまったものだ。
小助は父親と名乗ることなく店をでた。
賢い丈吉が真っ当な男に見えたのだろう。
しかし、巡り合わせというのは皮肉なものだった。
おみよは身篭り、娘を産んですぐに亡くなった。
その時の赤子がお夏。
つまり十七年前の出来事である。
小助はちょくちょく丈吉の茶屋を訪れていた。
店を休んで打ちひしがれる丈吉を、昔の自分と重ねたに違いない。
何も手につかない丈吉と赤子のお夏を、小助は茶屋から連れ出した。
今度は同じ過ちを繰り返すつもりはなかった。
小助はお夏を知人の元盗人に預けた。
その男は、表向きは江戸の外れの舟宿の主人だが、その実、舟宿は盗人宿であった。
盗人宿とは、引退した盗賊が表向きの商売をしながら、盗人に潜伏先や盗品の隠し場所を提供する仕事を言う。
表の商いもうまく行っており、それなりに金もある。
元盗人だから荒事にも慣れており、妻もいるからお夏の世話も心配はなかった。
そうしておいてから、小助は丈吉を自分の手下に誘った。
何をやっていいのかわからないほどに憔悴し、悲しんでいる丈吉を放ってはおけず、かといってまともにする術は、盗人である小助にはない。
せめて騙し騙しにでも生き続けるためには、何かをせねばならない。
小助は剛三とはまた違った理由で、丈吉を本格派の盗人に育てることにしたのである。
「それからは、多分、ご存知の通りで。隙間風の親分とは妙に息があった。盗人のつとめはうまくいくし、あっしのことも認めてくれる。でも、あっしは気づかなかったんで。痛めつけられて育った剛三の気持ちってやつには」
お夏は丈吉の口から初めて実の父親であることを聞いた。
小助や丈吉、十二の歳まで育ててくれた舟宿の主人が盗人であったこともである。
しかし、なんとなく気づいてはいたのだ。
小助と丈吉のあまりにも暖かい自分を見るまなこに、どこか後ろめたさなのようなものを感じていた。
十五の頃の多少は物がわかるようになった自分には、二人がとても堅気とは思ぬ、周囲の町人たちと違う心構えと術を持っていることもわかっていた。
小助の最後の言葉はすぐにはわからなかったが、いまわの際に丈吉が父であることを伝えようしていたのだろう。
剛三に捕らえられている間はそのことばかり考えていたのだ。
剛三が自分の叔父であることは考えないことにした。
おそらく剛三も知らなかったのであろう。
知っていたら、どうしていたかもわかりはしない。
「親分が膝を壊し、剛三が逃げ去ってから、あっしが手下たちを受け継ぎやした。でも、どうも、人を使うのは性に合わなかったようで。それでも、もう一度堅気に戻るにも元手がないとどうしようもなく、ケチくさい一人働をしばらくしていたんで」
平蔵の隣に座る十内は頷いた。
どう見ても丈吉の仕事と見える仕掛けが、あまりにもケチくさい、小さなものになっていたのには気づいていたのだ。
「五年前に船宿の女房が体を壊した時が潮時で。お夏を引き取り親分と三人で菜飯屋を始めやした。剛三以外にも隙間風の親分やあっしの腕を使いたいとか、盗人宿をやれなどと言ってくる連中が結構いたもんで、ちょくちょく場所を変えて今の店に流れてきたんでさぁ」
ここまで、ほとんど一気に話した。丈吉は少し疲れたようだ。
だが、大切なことを言わねばならなかった。
平伏し、懇願するようなていで今一度口を開いた。
「あっしは盗人だ。それに形の上では義兄である剛三を殺めやした。打ち首でも獄門でも恨みやいたしやせん。でも、どうか、お夏は、お夏のことだけはどうか平に、お願いいたしやす」
「おとっつあん……」
お夏はほうけたように呟いた。
平蔵は苦笑いを浮かべている。
江戸の世だけでなく、日本では昭和の頃まで、尊属殺、つまり両親や奉公先の主、あるいは兄姉を殺すことはその逆よりも罪が重かった。
だが、丈吉と剛三の関係は今聞けば義兄弟であるが、小助の手下たちを引き継いだのは丈吉であるし、菜飯屋で働いていたのも丈吉だ。
これを家督の相続と捉えれば、娘婿と言える丈吉の方がそれを継いだと考えられる。
仮に弟であろうと、家督を相続すれば尊属となるのは、そちらの方だ。
そもそも、人別帳にもまともに記載されていない流れ者であるのだから、尊属も何もないのだ。
何より、剛三を殺したことは正当防衛以外の何物でもないし、五年以上も前のケチな盗みや本格派の仕事を、今更裁くことなど考えてもいなかった。
平蔵は改まった態度から、姿勢を崩してニタリと笑って話し始めた。
「イタチの丈吉はすでに死んだのだ。マムシの剛三と相討ちでな。隙間風の小助の仇を、命をかけて討ち取ったのだろう」
「へ……」
なんのことかわからないというふうに、丈吉とお夏が顔を見合わせる。
平蔵は今度は妙に伝法な口調になった。
「おめぇさんは、イタチの丈吉と名が同じだ。紛らわしいから改名しな。そうだな、じょうすけ、でどうだ?」
横に座る十内から紙と筆を受け取り、意外な達筆を披露する。
『仗助』
そう書かれてあった。
『助』は小助から一文字をもらい、『丈』に人偏を加えて『仗」としたのだ。
名を変えて、人がましく生きて見せろ、そう言っているのである。
「へ、へぇっ、あ、ありがとう、ご、ごぜぇやす」
仗助は泣き顔を隠すように、改めて平伏した。
並んでお夏も頭を下げた。
「二人の身の振り方だがな、その前におめぇさんに礼を言いたいと言う御仁がいる」
平蔵が手を叩くと、隣の間から品の良い服装の老人が現れた。
髷は町人のものだが、折り目正しい態度はその辺の商店主のものではない。
「丈吉さん、いえ仗助さん。ありがとうございました。あなたが思い切って冬吉さんの店に入ってくれなければ、今頃は私も家人もどうなっていたかはわかりません」
わざわざ庭まで降りてきて、深々と頭を下げた。
この老人は、マムシの剛三が仗助に嘗めさせた料亭『柏屋』の主である。
「柏屋半左衛門、お二人の行末、しかと承ります」
今度は平蔵に相対して、歳に似合わぬ張りのある声でそう言った。
大きく頷いた平蔵は、少しだけ口元を歪めてから、改めて聞き返す。
「して、当面はどうなさる?」
これはほとんど芝居であった。
おそらくは初めから平蔵も知っていたであろう。
「うちの店は手が足りておりますが、店を出す時に世話をした居酒屋が随分繁盛しておりまして。包丁人の主人一人と給仕の老婆だけではもう回りますまい。仗助さんは包丁の腕もなかなかのものと聞き及んでおります」
「あの冬吉さんが、飯物ではかなわないと言っておりましたからな。お陰で私がいつもかっこんでいた菜飯を、出さなくなったぐらいで」
口を挟んだのは十内である。
ある意味ちょっと迷惑している、と言うような口調だがやはり口元は笑っていた。
「うむ。冬吉の店、草間に親子二人で奉公か。それでどうだ? それなら山根も美味い菜飯を食えるようになると言うことだ」
きょとんとしていたイタチ顔が、くしゃくしゃになった。
「か、重ね重ね、ありがとうごぜぇます。お夏ともども一心に働きやす」
もう、仗助は涙が止まらなかった。
冬吉は仗助とお夏の命の恩人でもあるのだ。
自分は包丁人としては半端者と思っているが、できることはなんでもやろう。
お夏の客あしらいはすでに道に入ったものであるから、それもうまくいくはずだ。
万が一、マムシの剛三の手下が他にいたり、他の盗賊に狙われることがあっても、あの腕っこきが一緒なら心配なかった。
お夏と仗助のことはこれで決まったが、まだ気にかかることはあった。
一つは、マムシの剛三が『あのクソジジィ』と呼んだ人物である。
隙間風の小助のことではないから、おそらくはその人物の指図で料亭『柏屋』を的にしたのであろう。
これについては、剛三の手下たちを取り調べても不明のままであった。
手下たちは剛三の後ろに何者かがいることには気づいてはいたが、気にしてはいなかったのだ。
次に、マムシの剛三が意外なほどに剣を使えたこと。
仗助の記憶でも、小助のもとを離れるまでの剛三は喧嘩は達者だったが、剣術など学んでもいなかったし、脇差は持ち歩いても振り回すだけの素人だった。
これは手下たちによると、その下についた時にはすでにそれなりの腕であったようだ。
頭に収まるまでの間に、どこかで修めたのだろう。
実際、破落戸や盗人の中にも剣客崩れと言うのがいる。
主を持たない浪人の生活はたいてい苦しいものであるから、身持ちを崩して悪に走ることはよくあった。
その中には、若い頃はしっかりとした道場などに通い、剣を修めていた者もいる。
そういう剣客崩れから稽古をつけてもらうということは考えられなくもない。
それについては平蔵は、何か嫌な予感がしている。
この年の前年、長谷川平蔵は、剣客にして大盗賊『真刀徳次郎』を捕縛している。
移動する時は公儀の一行を装うなど大胆な賊であった。
そして、その剣術で多くの無辜の命を切り捨てていったのだ。
考えるだけで暗澹となる。
得体のしれない物が背後にあるように思われた。
そのため、万が一を考えて、仗助に名を改めさせ、冬吉に預けると言う結論に至ったのである。
とはいえ、他にも平蔵と柏屋半左衛門にはいろいろと思惑はある。
だが、それはまた、別の機会に語られるべきであろう。
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