警視庁特殊影動課トカゲ

都貴

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第二章

スナッフフィルム③

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 泥の底に沈んでいたかのような深い眠り。どれ程の時間が過ぎただろう。

 少しずつ意識が覚醒する。月尋は重たい瞼を押し上げた。辺りはすでに薄暗い。

 白くペイントされたコンクリートの壁、地面にペイントされた青いライン。
屋外プールの底に座っているらしい。滝が流れるような激しい水音が聞こえる。
足元が冷たい。地面に座り込んだ尻もヒンヤリとする

周囲を見回すと、プールにすごい勢いで水が注がれていた。

立ち上がろうとして、漸く手首を手錠で拘束されていることに気付いた。
それぞれの手首に嵌められた手錠はすぐ背後にある梯子と繋がれていて、立ち上がることができない。

 ふと視線を感じて顔を上げると、プールの縁に人が立っているのが見えた。
黒いフードの衣に白い仮面。まるで死神だ。死神が手に持ったベルがリンと澄んだ音を響かせる。

仙堂が持っていたベルに酷似した形と音。そうか、目の前の死神の正体は仙堂だ。
そして恐らく、自殺動画で少年を自殺に導き、その動画を撮って公開した犯人も彼だ。

水位がぐんぐんと上がって、冷たい水がズボンを濡らす。ひたひたと纏わりつく水は冷たい。
空を仰ぐと雨は止んでいたけど、黒い雲が沢山浮かんでいた。
千切れた雲の間から除く月は縦で真っ二つに割れた上弦の月だ。
銀色の光を地上に頼りなく注いでいる。

 寒々しい月の光にお似合いの冷たい空気が頬を撫でる。春を過ぎ、夏を迎えようとしている五月下旬とは思えない気温に自然と体が震えた。

 何としてでも逃げないと。両親は炎に包まれて死んだ。
そして自分は冷たい水に呑み込まれて死ぬかもしれない。
遺された兄の那白はどう思うだろう。

兄の為にも大人しく死ねない。
手錠は警察で使っているような頑丈なものではなく、手首とプールの梯子を繋ぐ短い鎖は頼りない。
頑張れば外れるかもしれない。

 月尋は繋がれた腕を激しく揺らした。金属同士が擦れる耳障りな音が響く。
手首に食い込む痛みを堪えて必死に手錠を外そうと藻掻いた。
しかし手錠は壊れない。

 足掻く自分を見つめている死神は無言だ。口元は憂いか笑みか曖昧な感情が滲んでいる。

ただ、黒い穴のような目の奥が輝いている。
彼は人の死を楽しんでいるのだ。こちらをじっと映すカメラがそれを物語っている。

マインチューブの自殺動画はスナッフフィルムだ。
巽の予想は当たっていた。彼の警告をちゃんと聞いていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。

今は後悔している場合じゃない、自力で逃げなくては。

鎖を引き千切ろうと足掻く月尋を、奈落の双眸がじっと見つめていた。





 月尋が帰っていない、連絡も取れない。

七時過ぎ、那白からかかってきた電話に、黒須は全身の血の気がひくのを感じた。

昨日、月尋から仙堂に付き纏われていると聞いていたのに、もっと警戒すべきだった。
夜の行方不明者の捜索中、目の前で起きた死に引き摺られ、悶々と自分の今後に悩んでしまい、仕事がおざなりだったことが悔まれる。

 黒須はバイクの後ろに那白を乗せ、月尋を探して、そこら中を駆けずり回った。

「やっぱり、失踪自殺事件に巻き込まれちまったのか?」

「だと思う。昨日クロが帰ってから月に今の事件について聞かれた時、月が自殺現場に行ってサイコメトリーしたって話してた。犯人にそこを目撃されて狙われたのかも。
そして犯人はクロの話を聞く限り、仙堂の可能性が高い。昨日の皆川の自殺も奴が犯人だね」

「皆川が死ぬ三日前、仙堂は俺に彼女が店に来たって話をしているのにか?関与してるって疑われるだろ」

「疑われる覚悟であえて皆川を殺すことで、捜査を攪乱したかったのかもね。或いは警察への挑発かも」

「どっちにせよ、犯人は仙堂の可能性大か。ワリィ、シロ。月尋から幸福の会の仙堂に付き纏われてるって聞いたこと、お前にも言えばよかった」

「いいよ、そんな謝罪。それより、月探しに集中しろ」

 背後の那白にちらりと目を向けると、殺気立った顔をしていた。

那白の目には、憎しみが宿っていた。
最愛の弟を攫われた怒りだけじゃない。
もっと後ろ暗いものが潜んでいるように見える。

 信号待ちをしていると、鳥がバサバサと頭上で羽ばたく音が聞こえた。

見上げると、鷹のようなものが夜空を飛んでいる。こんな町中に何故、鷹がいるのか。

「シロ、見ろよ。頭の上、鷹が飛んでる」
「クロ、教養なさすぎ。鷹は夜行性じゃないよ」
「あ、そうか。じゃあ、あれはなんだ?」

「あれは竜が放し飼いにしてるワシミミズク。風魔(ふうま)っていうんだ。月探しを手伝って貰ってる」

風魔が那白の方に降りてきて、彼の肩をトンと蹴った。
再び上昇して一度大きく空を旋回すると、自分達が向かっているのとは別の方向にゆっくり飛んでいく。

「クロ、風魔を追え」

 黒須は那白の言葉を疑うことなく、風魔をバイクで追う。

練馬駅の近くを通り過ぎ、賑やかな駅前から閑静な住宅街に差し掛かった。
時刻は十時に近く、ファミリー層が多い辺りなので道は閑散としている。
田畑もあって静かで落ち着いた場所だ。

風魔が羽を止めたのは小学校の上だった。グラウンドの隅にあるプールのフェンスに止まっている。

黒須はバイクのままグランドを突っ走り、プールの横に停車した。不気味なほど静かな夜の校庭にドバドバと何かを注ぐ音が聞こえる。

プールを囲むフェンスの扉は鍵が開いていた。プールの中に金色の頭を見つける。

「月っ!」

 プールに駆け寄った那白がちらりと闇に目を向けた。
視線を向けると、黒いマントを視界の端に捕らえた。きっと犯人だ。
でも、今は追いかける余裕がない。

「風魔、追え」

 闇を指さして叫んだ那白の言葉をちゃんと理解したらしく、風魔が飛び去る。

 月尋はプールの底に座り込んでいた。プールには勢いよく水が注ぎこまれている。
プールサイドに置きっぱなしになっている大きなライトが水に呑まれそうになっている月尋を眩しく照らしていた。

三脚に置かれた水中用のカメラが、溺れそうな月尋の姿を映している。
きっと、マインチューブにアップする為の動画を撮っているのだ。

 冷たい水はすでに月尋の顎に達している。あと少しで座った月尋の頭を超えるだろう。

「月、待ってろ。今助ける」

 黒須が止める間もなく、那白は水の中に飛び込んだ。

「梯子に手錠で繋がれてるのか?すぐ助けてやるから待ってろ、月」
「兄さん、すみません。俺のせいで迷惑を」
「月は悪くねーよ、すぐ助けるから。ちょっと痛いかもしんないけど、我慢してくれよ」

 那白が月尋を繋ぐ手錠の鎖に手を翳して念動力を発動する。しかし、鎖は壊れない。

「くそっ、器用に鎖だけに強い力を送るのはさすがに無理か。排水は間に合わないから手錠を壊すしかない。でも、強い力を使ったら月が怪我するかも。どうすれば……」

「シロ、俺に任せろ!」

 黒須は水に飛び込み、歯を食いしばって手錠の鎖を力任せに引っ張った。

鎖がブチリと千切れた。もう片方の鎖も同じようにして引き千切り、黒須は月尋の脇の下に腕を回して彼を立ち上がらせた。

水を飲んだのか月尋は咽ていたし手首に血が滲んでいる。
だけど元気そうだ。一先ず胸を撫で下ろす。

「ありがとうございます、兄さん、慶さん」

 頭を下げる月尋を那白が抱きしめる。
黒須は那白ごと月尋を抱き締めた。

「クロ、重い。オレと月を潰す気か」
「わりぃ、心配しすぎてつい。無事でよかったよ、月尋。那白もよかったな」

「クロのおかげだよ。やっぱクロ能力者じゃん。いくら玩具の手錠の鎖とはいえ、普通あんなの引き千切れないし」
「超能力か……。まあ、役に立てて良かったよ。それより、犯人を追わねえと」

「風魔に追わせてる。竜に連絡した。忍と警視庁が犯人確保に動いたって。忍は足が速いしバイクの運転技術も折り紙つきだ。風魔もいるし、犯人は逃がさない」

「そっか、よかった。なあ月尋、犯人見たんだよな。誰かわかるか?」
「俺を攫ったのは恐らく仙堂です。自殺事件も仙堂が犯人かと」
「幸福の会か。シロ、なんかやばそうだなこの組織」

「やばいに決まってんじゃん。オレの弟に手を出したんだ。ぜってーただじゃおかねーよ。証拠不十分で警察が捜査できなくってもオレらトカゲが追いかけて、潰してやる」

 決意を込めて那白が空に浮かぶ半分の月を眺める。

黒須は彼の視線を追いかけた。

もしも那白の言う通り自分に怪力という超能力があるのなら、自分はあの欠けた半分の月になれるだろうか。
ふと、そんな事を考えた。



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