警視庁特殊影動課トカゲ

都貴

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第二章

スナッフフィルム①

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五月十八日月曜日。
十六日の代休の予定が、緊急性の高い新たな事件で午後から急遽出勤することになった。
友達も恋人もいなくて、特にすることもなかったから出勤なのは別に構わない。
だけど、緊急性の高い事件というのが引っかかる。

那白のような明晰な頭脳があるならともかく、新人で体力しか取り柄の無い自分が呼び出されるということは、血生臭い事件の可能性が高い。

アパートを出て電車に乗った。
午後一時過ぎという中途半端な時間なので、乗客は比較的少ない。
空いた席に腰を下ろし、黒須は小さく溜息を吐いた。

 職場につくなり会議室に行くよう莉々香に指示された。
会議室には制服姿の那白と澪の姿があった。
那白は普段と変わらない澄ました顔だが、いつも元気な澪の顔が暗い。

「休日出勤お疲れさん、クロ。竜から指令だ、まずはこれを見てくれ」

 那白がノートパソコンを操作して映像を再生する。

澪が咄嗟に耳を覆い、机に突っ伏した。かなり様子が変だ。

気になって声を掛けようとしたが、那白が鋭い表情で顎をパソコンの画面に向け「映像を見ろ」と無言で命じているので、話しかけられなかった。

 薄暗い中、巨大なアクリル水槽が青い光でライトアップされている。
袖やスカートの裾がひらひらしたシースルー素材の赤いドレスを纏った女性が現れ、足を引き摺りながら水槽に近づいていく。

女性の右足には重たそうな砂袋が結び付けられている。
虚ろな瞳で女性は水槽の淵に立ち、飛び降りた。
派手な水飛沫を上げて、女性が水底に沈んでいく。

 リンと澄んだ鈴の音が響いた。刹那、女性の虚ろな瞳に光が宿る。

さっきまでプクプクと小さな水泡を出していた口が大きく開き、ゴボリと空気の塊が口から吐き出された。
女性は恐怖に引き攣った表情で手足をばたつかせる。
袖やスカートの裾が青く光る水に揺蕩い、鮮やかな赤の金魚が泳いでいる様だ。

幻想的で美しい光景だが、溺れる女性の顔は苦しみと恐怖に歪んでいく。
黒須は思わず目を背けたくなった。

 藻掻いていた女性が動きを止め、水底に静かに沈んだ。暫くして映像が消える。

今度は鬱蒼とした森が映し出された。葉の間から煌びやかな木漏れ日が零れている。昼間のようだ。

茂みを掻き分けて長い茶髪の不良っぽい少年が現れた。
少年は那白と同じ制服を着ていた。少年の手には鋭利なナイフが握られている。

少年は大きな木に凭れ、手にしたナイフを自らの体に突き立てた。
腕、胸、太ももと次々に自分の体を突き刺していく。
手品でもしているのかと思ったが、ナイフが刺さった場所からは真っ赤な血がドクドクと流れていた。
ナイフが首を掻き切ると、リンと澄んだ鈴の音が響いた。

すると、虚ろだった少年は正気を取り戻し、痛みに絶叫して地面を転げまわる。首からは噴水のように血が噴き出していた。
少年が「血を止めてくれ、助けてっ、死にたくない!」と必死に叫ぶ。
やがて少年は動かなくなった。

「なんだよ、この悪趣味な映像は。こんなもん見せんなよ」

 映像が終了するなり文句を言うと、那白は肩を竦めた。

「別にオレが趣味で見せてるわけじゃないっつーの。これが次の任務だよ」
「次の任務、どういうことだ」

「実はね、これただの自殺映像じゃないんだ。この少女もこの青年も、澪が探していた行方不明者なんだよ。なあ、澪」

 名前を呼ばれた澪がのろのろと顔を上げる。今にも泣きだしそうな顔だ。

「アタシが見つけられなかったから、二人は死んじゃったの?」
「この映像がいつのものかわからないけど、汐崎の所為じゃないだろ」

「クロの言う通りだぜ、澪。だからいつまでも落ち込んでないで、さっさと自分の任務に戻れよ。まだ行方不明者の捜索依頼が他にも来てるんだろ?こうなる前に探しだせ」

 那白の言葉に澪が弾かれたように立ち上がり、無言で会議室を飛び出していった。

「そんで、オレとシロも行方不明者が自殺する前に探せって任務か?」

「半分正解。近頃、二十三区という狭い範囲で高校生から二十代前半ぐらいの失踪の事例が立て続けに持ち込まれている。
行方不明者は統計上、捜索依頼の提出から九割は一週間以内に見つかるんだけど、今回うちに回された行方不明者は、誰一人として見つかっていない。
そして行方不明者の結末がこの自殺だ。因みに、死体はまだ見つかっていない」

「さっきの自殺映像はどこで手に入れたんだ?」

「課金することでログインできる、マインチューブっていう動画サイト。
オレはよく知らないけど、ちょっとグロテスクな映像や、芸能人や政治家の隠し撮り映像なんかもアップされているサイトらしいね。
一般人では探しにくい場所に存在する上、会員制だから普通の人はまず知らないサイトだって、田賀さんが言ってた」

「誰がこんな動画アップしたんだ?」

「そう、問題はそこ。この映像は誰がどう撮ったのかって話さ。
二十三区で頻発する若者の行方不明。
そして探していた行方不明者の自殺映像。
誰かが意図的に若者を攫って自殺させている可能性が高い。
マインチューブにはフェイク動画も多いそうだから、この自殺映像も虚実かもしれないけど、動画が本物だと仮定して、行方不明者を自殺に導いた犯人を突き止めるの。それが今回の任務だ」

「動画の投稿履歴を調べたら犯人が特定できるんじゃねぇか?」

「マインチューブは厄介なサイトで、投稿者のプライバシーはいついかなる時でも守られる上に、どんな映像を投稿しようが罪に問えない。警察が踏み込めない場所ってわけ」

「じゃあどうやって犯人捜しをするんだ?」

「地道に聞き込みしたり歩き回ったりして行方不明者を探し、犯人が接触するのを待つ。当分忙しくなるぜ、覚悟しとけよクロ」

 悪魔の笑みを浮かべる那白に、黒須はがっくりと項垂れた。

こんな意味不明で得体のしれない自殺事件調べたくない。
喉まで出かかった言葉を、那白の責めるような鋭い視線に晒されて渋々と飲み込んだ。




 焦げ茶に染めたセミロングのストレートヘアに地味な顔立ち。

何処に居ても目立たなさそうな女子校生。黒須が探すことになった、皆川の写真の第一印象だ。

黒須は若者で溢れ返る渋谷をうろついていた。
彼女の通っていた高校で聞き込みをした結果、三日くらい前に渋谷で見かけたという情報を得たからやってきたが、騒がしくてどうにも苦手な場所だ。

人で溢れている中、特徴の無い少女を探せるのか。甚だ疑問だ。

 写真を手に道行く人に適当に声を掛けるものの、高確率で無視されている。やっと答えてくれても「知らない」という答えしか返ってこない。

「埒があかねえな」

 一人ごちる声がざわめきに消える。

適当に声掛け作戦に早々に見切りをつけ、女子高生が入りそうなカフェや洋服店に入って、聞き込み対象を店員に変えた。客商売なので流石に無視されることはなかったが、皆川を見たという証言はなかなか出てこない。

 調査開始から三時間。黒須の目にとある看板が目に入った。

緑色の看板に金色の文字でハピネスヒーリングと英語で書いた看板。
ほんの小さなビルの一階、白い壁に緑の木の扉の店だ。
窓がないので店内の様子が全く分からないが、不思議と心安らぐ店構えだ。いったい何の店だろう。

黒須は緑の扉に吸い寄せられるように近付き、ふらりと扉の向こうに足を踏み入れた。

 扉の向こうは白い壁や床と観葉植物が優しい待合室となっていた。皮張りのソファだけが黒く存在を主張している。

思わず座りたくなる柔らかそうなソファに吸い寄せられるように近付くと、小さなカウンターの向こうから三十代くらいの女性が声を掛けてきた。

「ご予約ですか?」
「あ、えと。違います」
「今、ちょうど空きがあります。初めての方ですよね?お話なさいますか?」
「え、ああ。はい。お願いします」

 何の店か分からないまま、優しい笑顔と穏やかな声の女性に導かれ、奥の部屋への扉を開ける。

実は新手の風俗店だったらどうしよう、財布にあんまり金が入っていないのに。

扉の向こうは小さな応接室になっていた。ここにも観葉植物が置いてある。
ふわりとお香の様な匂いが漂い、静かな音楽が流れる、良い意味で気が抜ける空間だ。

「どうぞ、お座りください」

一重の糸目に面長な顔の二十代後半ぐらいの男が、菩薩めいた笑みでソファを勧めてくれる。

男にしては赤い唇と真っ白な歯がちょっと気味悪いが、柔らかな仏顔だから然程気にならない。抗うことなく、黒須はソファに沈み込むように腰掛けた。

「初めまして、私は仙堂(せんどう)です。貴方のお名前は?」
「俺は黒須だ」
「黒須さん。今日はどうなさいました?私でよければお話を聞かせて下さい」

 どうやらここは心療内科かなにかで、目の前の仙堂という男はカウンセラーらしい。

「いや、俺は相談とかに来たわけじゃなくて、人を探してるんだ。知らないか?」 

 黒須は仙堂に皆川の写真を見せた。仙堂はさっきと一ミリも変らない表情で、穏やかな声で答える。

「お答えできません。ここでは旅人の方のプライバシーにかかわることは一切答えられないのです。ご了承ください」

「旅人?」

「何も知らずにいらっしゃったようですね。ここは迷える旅人のお話を伺い、ちょっとした助言をしています。つまり、悩みを抱える相談者を救うカウンセリング場所みたいなものです」

「は、はあ」

 間抜けな返事を返す黒須を、仙堂がじっと見た。彼は柔らかく微笑む。

「貴方はお疲れのようだけど、どうやら話すような心の悩みはないようですね」
「あの、実は俺は警察で、皆川というこの少女を探してるんだ。家出したみたいで」

「珍しいですね、警察が積極的に行方不明者を探すなんて。事件性がない限り高校生の捜索はしないでしょう」

「ちょっと、色々あって捜査することになって。この写真の子を見かけたとか、知ってることがあるのなら教えて下さい」

「捜査令状が無い限り答える義務はありません。と、言いたいところですが答えましょう。皆川さんは何度かここを訪れています」

 まさかの当たりに、黒須は思わず前のめりになる。

「皆川がここに来た!?マジかよ、何しに来たんだ?」

「相談にいらっしゃいました。彼女は家族との仲が良好でないようでして。それに学校にも居場所がなく苛められていると、悩んでいました」

「いつ、皆川はいつ来たんだ?」

「来訪歴を見ます。ああ、彼女が来たのは一週間前の二時、三日前の四時半です。それ以降はお会いしていません」
「来た時、何処にいるとか、何をしているとか言ってなかったか?」

「いいえ。どうしたら周囲に馴染めるかとか、愛されるかという悩みの相談だけです」

 手掛かりなしか。黒須は脱力して、再びソファに身を預けた。

「お力になれずに、申し訳ございません」
「あ、いえ。ありがとうございました」

 他に聞くべきことはない。黒須は重たい腰を上げると、頭を下げて応接室を出た。

仙堂も一緒に出てきて「彼は旅人じゃなくて人探しに来ただけですので、料金は頂かなくて結構です」と受付の女性に声を掛けてくれたので、無駄にカウンセリング料を払わずに済んだ。
仙堂、いい人だ。

ハピネスヒーリングを出ると、またあてどない聞き込み調査の旅にでる。

さっきの店が幸運の契機となったのか、その後の調査で皆川の目撃情報を何個かゲットしたが、結局、彼女自身を発見することが出来ず、殆ど成果がないまま家に帰った。

 それから三日後のことだ、黒須が皆川を見つけたのは。




 那白が『学生の家出人は目立たないように、学校のある時間帯はホテルや満喫やカラオケの個室に篭っていて、午後から夜にかけて徘徊していることが多い』とアドバイスをくれたので、
その日、黒須は午前中に休みを取って午後二時から調査に励んでいた。

終電のギリギリまで粘って捜索にあたる予定だ。作戦はない。とりあえず、片っ端から視界に入った人の顔を確認するだけの見当たり捜査に励んでいた。地味だが一番探し人を発見できる可能性が高い。

何の進歩もないまま、悪戯に時間が過ぎていく。いつのまにかネオンが輝き、街が喧騒に包まれた。だが、那白のアドバイスを信じるなら、ここからが本番だ。

駅周辺のチェーン店やカフェ、ゲームセンターなどの女子高生が好みそうな場所を、片っ端から訪問する。

両手でも訪問先の件数を数えきれなくなった頃、黒須は屋上テラスでナイトカフェをしているストロベリームーンという店を見付けて、訪問した。

ランタンの灯が幻想的な女子受けしそうな店だ。
大通りから一本奥まった通りにあり、騒がし過ぎず静か過ぎることもない落ち着く雰囲気の店だ。夜風が爽やかで心地よく、開放感がある。

橙色のランタンと青白い星月の灯だけが照らす屋上は、互いの顔が見えにくく、他人の存在が気になりにくい。こういう店なら、家出少女もゆったりと寛げるのではないかと、期待した。

しかし、そう都合よく店内で皆川を発見という展開はない。

諦めて店を去る途中、黒須はふと立ち止まり、空を見上げた。

蓮向かいの細長い殆ど灯の消えたビルがぼんやり見える。その屋上に人影が見えた途端、奇妙に心臓が高鳴った。
いる。黒須は反射的にそう思った。

 黒須は蓮向かいの八階建てのビルに走った。ワンフロア一店舗の小さなビルは一階の喫茶店と三階のマッサージ店が営業している以外は休業で、エレベーターは動いていない。
三階より上は電気が消えていて、階段は真っ暗だ。
おっかない雰囲気を振り切って階段を一気に駆け上り、屋上へ急ぐ。

屋上への鍵は開いていた。外に飛び出すと、妙にひんやりとした夜風が頬を撫でた。

「皆川!」

 皆川かどうか分からないうちから、フェンスの向こう側に立つ人影に声を掛ける。

無機質な風が人影の髪を闇に靡かせた。

大きな月の灯で遠目に浮かんだ横顔に、黒須はぞっとした。

小さくて細長い目は何も見ていない。ただ、黒い穴が空いているようだった。
 向こうに待ち構えている闇に引っ張られるように、皆川の体がぐらりと前に傾く。

「待て、皆川!」

黒須は慌てて駆け寄って手を伸ばした。その指先が望んだものを掴みとることはなかった。これまでと同じ結果だ。この手に掴めるのは虚無だけなのかもしれない。

鈍い音が聞こえ、下から悲鳴が聞こえてきた。
通行人が足を止めて、蟻のように落ちて潰れた皆川の周りに群がるのが遥か下方で見えた。

黒須はフェンスを握り締め、その場に頽れる。

「クソッ、なんでだよ……っ」

 絞り出した声が闇に虚しく消える。目の前で掻き消えた命に胸が酷く痛んだ。

 那白なら、類まれなるサイキックの彼なら超能力で彼女の体を強制的に地上に引き止めることが出来たかもしれない。そう思うと、悔しくて虚しかった。

 この仕事は俺に向いているのだろうか。

犯人を糾弾して死者の未練を晴らしたのも、怪盗を捕まえて絵画を守ったのも那白だ、自分は殆ど役に立てていない。

黒須は固く拳を握りしめた。
地面に膝を着いたまま見上げた蒼ざめた月が冷たく此方を見下ろしていた。



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