警視庁特殊影動課トカゲ

都貴

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第一章

奇妙な殺人事件

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身動き一つとれないすし詰めの満員電車から吐き出され、人波に揉まれながら駅舎を出ると、黒須慶(くろすけい)はほっと息を吐いた。

満員電車に乗るのは久しぶりで、凄まじさをすっかり忘れていた。毎日あんな恐ろしい物に乗っていた過去の自分を褒めてやりたい。凝り固まった肩を回すと、ポケットに突っ込んだ頼りない手描きの地図を出し、道順を確認して歩きだす。

本当に目的地は存在するのだろうか。ネットで検索しても地図はおろか電話番号すら出てこない場所だ、幻だったとしてもおかしくない。オフィス街に比べると割と閑散とした道は人足がまばらだ。スーツ姿の者は少なく、学生の方が多い。

地図を何度も確認しながら歩くこと十五分、一階が喫茶店の小さな三階建てのビルが見えてきた。

モーニング営業をしている一階の喫茶店からコーヒーの良い香りが漂ってくる。足を向けたい誘惑に駆られるのを堪えて、二階への階段を上がった。

 二階の廊下の突き当たり、木の扉の上のプレートを確認する。プレートにはゴシック体で『特殊影動課(とくしゅえいどうか)』と書いてあった。どうやらここのようだ。

 ノックを二回してドアを開いた。見た感じ、新卒から半年ほど勤めていた警備会社の事務所と変わらない普通のオフィスだ。もっと特殊な場所を想像していたので拍子抜けしつつ、カウンターに立つ。

「おはようございます。今日からお世話になる黒須慶です」

 大声で挨拶すると、薄暗い事務所の奥で蠢いていた小さな影がこちらに向かってきた。

「へえ、アンタが新人サン?マジで来たんだ」

 近付いてきたのは白銀の髪の少年だった。黒須は腕時計を確認する。時刻はまだ八時前、勤務時間は八時半からなので早く来すぎたかもしれない。

三番目の会社で駅からの道順を間違い、初日から遅刻したせいで先輩社員との間にいきなり罅が入り、毎日嫌がらせされた。とうとうブチ切れてしまい、三カ月を待たず退職となったのを反省して、今回は遅刻防止に余裕を持って出勤したのが裏目に出たようだ。

事務所には少年以外誰もいない。この少年は誰だろう。ビルの管理人の息子だろうか。

「坊主、どこのガキだ?ここの事務所の人、誰かいるか?」
「坊主じゃねーよ、失礼なヤツ。オレは高校二年だっつーの」

 高校二年生にしては少し顔が幼い。猫目の大きな青い瞳、身長は百七十に少し届かないほどで華奢な体つきだ。ショートヘアの白銀の柔らかそうな髪は、真ん中わけした前髪と顔の横の顎まで伸びた長い毛だけやや内巻で、あとは外ハネのくせ毛だ。

カウンター越しに睨みあげられて、黒須は困ったように頭を掻く。

「高校二年生も俺から見りゃガキだ。学校はどうしたんだよ?」

「今日は自主休業。新人サンがやって来るっていうからさ、ちゃんと自分の目で見とこうと思ってね。アンタ、名前は?」

 小生意気なガキだ。カウンター越しに身を乗り出して、挑発的にこちらを睨みあげる青い目を、黒須は琥珀色の瞳でジロリと睨み返す。

「自主休業なんてふざけたこと言ってないで、ガキはさっさと学校に行けよ。お前、誰なんだよ。この事務所の人、知らねぇか?」
「オレがその事務所の人だよ」
「はあ?ふざけんなよ、ガキの遊びに付き合ってやるほど大人は暇じゃねぇんだよ」
「ふざけてねーよ、オレは学生兼業だけど警視庁特殊影動課所属のれっきとした警官だよ」

 にやりと笑った白銀の髪の少年に眩暈を覚えた。黒須は切れ長の三白眼を見開いて、ポカンと口を開けて少年を見る。

「つまり、オレはアンタの先輩ってわけだぜ、新人サン。わかったら、さっさと名前教えてよ。ずっと新人サン呼ばわりされたいなら、教えてくんなくていいけどさ」

 チェシャ猫のように少年が笑う。

彼の話が本当か嘘かわからないが、新人呼ばわりされるのは癪に障る。
「俺は黒須慶だ」

「ふーん、黒須ね。よろしく」
「ちょっと待て、呼び捨てにすんなよ」
「えー、いいじゃん。オレ、先輩だよ」
「よくねぇよ、高校生に呼び捨てにされたくねぇよ」
「そんじゃあ黒須慶だから、クロスケ」
「ふざけんな、変なあだ名つけやがって」
「じゃあクロで」
「クロも駄目だ、ちゃんと黒須さんって言えよ」
「却下。三度目の正直って言うでしょ。だから、もう決定。オマエはクロな。いくつ?」
「今年、二十五だ」
「ふうん、けっこう若いね。オレ、椎名那白(しいななしろ)。よろしく」

 なんの冗談だ。からわかれているに決まっている。愛想よく笑う那白を前に、黒須は引きつった顔をしていた。そこに、自分をここへ誘った張本人が登場する。

 薄茶色のくせ毛、右わけの前髪。百七十九センチの黒須を見下ろせるほど高い身長の柔和な顔立ちの青年が鷹揚と手を上げる。

「やあ、黒須君。はやかったね、おはよう。那白もおはよう」

 にこりと微笑んだ青年は和乃竜之介(わのりゅうのすけ)。
大学卒業後いろんな職場で馴染めずに職を転々とし、今年四月十二日に開催された警察の採用試験に一次試験の筆記と集団面接の時点で落ちて、途方に暮れている黒須に声をかけてきた青年だ。

よく知らないが和乃は警察の人間であり、特殊な部署の責任者だと言っていた。その部署で勤めないかと彼に誘われて、特に他にやることもなかったので誘いを受けて黒須は今この場にいる。


「おはようございます、和乃さん。あの、この子供何者っすか?」

「ああ、那白のことだね。君のパートナーだよ、黒須君。那白は特殊影動課のれっきとした職員さ。学生だから毎日出勤ではないけどね」

 にこやかに答えた和乃の顔を黒須はマジマジと見つめる。嘘を吐いている様子はない。

 準公務員として警察の関連組織の特殊な部署で雇ってやると言われてきたが、なんだか妙な話に乗ってしまったのかもしれない。

大きな猫目で楽しそうにこちらを見ている那白に、黒須は早くも転職を考えた。
そもそも、特殊影動課とはなんなのだろうか。

「みんなまだ来ていないね。那白、先に黒須君に事務所を案内してあげてくれるかな?」

「やだね。なんでオレがこんなダメそうなヤツの面倒みなきゃいけないんだよ。珍しく新入りが来るって言うから顔見に来ただけで、お世話なんてごめんだね。それに、パートナーとか、ウザいだけだからお断りだっつーの。オレは一人でいい」

「はは、そう言わないで那白。黒須君が君のパートナーになるのはもう決定事項だよ。お願いだよ、那白」
「ちぇっ、しょうがないなー」

 明確に和乃の身分を知るわけではないが、彼は警視庁の一員だと聞いている。警視庁といえば東京の警察をとりまとめる機関であり、そこで若くして役職についている、それも警察官の試験に落ちた人間を雇えるぐらいには偉い身分であるのだから、和乃は相当なエリートのはずだ。

そんな人に対して、那白はたかが高校生のくせになんて口をきくのだろう。

自分も礼儀知らずだが那白は自分以上だ。警視庁のエリート警官に乱雑な口の利き方をするなんて、子供ゆえの恐れ知らずか、那白本人の性格ゆえか。とにかく那白が扱いづらい子供ということがわかった。そんな奴がパートナーで上手くやっていけるのか。

「クソガキ……」

 思わず本音が零れた。
すると那白は目を細めて、カウンターをひらりと飛び越えた。

高い身体能力に驚いていると、那白が隣に立って凄い速さで脛に蹴りを入れてきた。持ち前の反射神経で避けたが躱しきれず、容赦ない蹴りが脛の上に入った。

「いてっ、なにすんだよ!」

「新入りの分際で人のことクソガキ呼ばわりするからだよ。案内してやるから、さっさとついてこいよ、クロ。置いてっちゃうぜ」

 蹴り返したいところだが、和乃が見ているので衝動を堪えて、大人しく那白に続いた。

 事務所内のデスクや物の置き場所や応接室などの説明を受けた後、事務所から廊下に出てトイレ、給湯室、仮眠室、階段を上がって三階の部屋をいくつか案内された。過去の事件の資料がある資料室、射撃訓練場、柔道場を見ていると、ここが本当に警察組織の一部なのだと思い知る。那白に連れられて二階に戻ってくると、今度は事務所に入って右手にある応接室に通された。

応接室には出勤してきた二人の社員がいた。長い黒髪ストレートヘアの身長の高いセクシーな垂れ目の女性と、赤毛のポニーテイルのくりっとした目が愛らしい少女。
それぞれ警察組織とは思えない私服姿だ。

そういえば、那白もフードのついた肩出しの藤紫色パーカーに黒のスキニ―とラフな格好をしている。まったく、変な組織だ。

「さてみんな、新しい仲間を紹介しよう。今日からここで働いてもらう黒須慶君だ。簡単に挨拶してくれるかな、黒須君」

 和乃に言われて、黒須はソファから立ち上がって和乃の隣に立つと、軽く頭を下げた。

「黒須慶です。まだ研修段階でここに本当に就職するかどうかわからないけど、早く仕事に慣れるようにします。どうぞ、よろしく」

「なに、その挨拶。マジで簡単すぎ」

 野次をとばしてきた那白を軽く睨み、黒須はもう一度頭を下げた。女性職員の二人がお情け程度の拍手をまばらに送る。

「黒須君、黒髪の女性が歌辺莉々加(うたべりりか)さん、赤い髪の女の子は汐崎澪(しおざきみお)ちゃん。また後でゆっくり自己紹介してもらってね。さて、黒須君にはまずここのことについて、きちんと話さなくてはいけないね」

「仕事内容を話さずにつれてくるとか、けっこう鬼だよね。竜」
「鬼だなんて酷いな、那白。危険な仕事だとはちゃんと話してあるよ」
「ふん、どうだか」

 那白は頭の後ろで腕を組むと、ソファにふんぞり返って目を閉じた。

本当になんて酷い態度なのだろう。青い猫目と柔らかな白銀の髪の猫っぽい容姿も手伝って、那白が気紛れな野良猫に見えてくる。仮にも準公務員で警察の一員(年齢的に本来ありえないが)とは思えない態度に、黒須は思わず呆れてしまった。


那白と上手くやっていける気がしない。黒須の不安をよそに、和乃は話を進める。
「ここは警察の異端支部の特殊影動課、通称トカゲと呼ばれている。僕はここのトップで和乃だ。まあトップといっても基本的には警視庁勤務で、あまり顔は出せない名前だけの在籍って形になるかな。一応ここの職員は準公務員という扱いになるけど、正式には公務員とはちょっと違う。まあ、その辺は後で職務規定を読んでおいてね。トカゲの存在は極秘であり、トカゲの人員やこのオフィスの場所は警察でもごく一部の人しか知らない。黒須君、必要な場合以外はトカゲの一員であることは口外しないようにね」

「あ、はい」

「さて、うちで扱う仕事について話そうか。うちの仕事は普段警察が扱わない仕事。例えば行方不明者の捜索や学校のいじめ問題、近隣トラブルとかだね。まあいわば雑用だ。でも、それはメインの仕事じゃない。メインはありえない事件の解決だ」

「はあ、ありえない事件、ですか?」
「そう、ありえない事件だよ」

 意味深に微笑む和乃に、黒須は眉を顰める。

「ありえないって、たとえばどんな事件ですか?」

「そうだね、なかなか説明が難しいな。まあ、たとえば丑の刻参りをして呪いの力で人を殺したとか、そんな事件かな」

 突拍子もない和乃の返答に、黒須はますます顔を顰める。呪いで人を殺すなんてありえない。そんな馬鹿みたいな事件を調べるというのか、それとも何かの喩えなのか。

黒須が悩んでいると、那白がチッチと舌を鳴らして指を振った。

「竜、そんな説明じゃ誰も納得しないぜ。もっと分かりやすく教えてやんなきゃダメだって。クロ、オレ達が捜査するのは未解決事件になること間違いなしの事件さ。平たく言えば、非現実的すぎて解決するのが困難で、一課が調べるだけ時間の無駄だってぶん投げた事件を調べるんだ。あとはあまりにも凶悪すぎる事件、警察が表だって関与し辛い、警察が隠蔽してる事件や政治家や権力者が金でもみ消した事件とかも調べるよ」

「つまりそれって、面倒事を押し付けられてる部署ってことじゃねぇか」

「そう、その通り。わかってるじゃん、クロ。アンタ、竜の人の好さそうな顔に騙されて、とんだ面倒部署に放り込まれたってこと」

和乃が苦笑いを浮かべているのが見えて、黒須は気まずい思いだった。

子供の頃は学校、大人になってからは会社という普通の社会に上手く馴染めないあぶれ者の自分を拾ってくれた和乃には感謝している。でも那白の話を聞いていると、とんでもない部署に連れてこられた気がしてならなかった。
 黒須が不安になっているところに、那白が更にとどめを刺す。

「ちなみにここ、特殊影動課はトカゲって呼ばれてるって説明されたじゃん、あれ、いつでも尻尾切りできるって皮肉だから。不祥事や問題が起これば、簡単に首切れる末端組織ってわけさ」

 ケラケラと笑う那白に、和乃が大股で近づいた。

とうとう雷が落ちるのか。

黒須の予想に反して、和乃は大きな背を屈めると、そっと那白の柔らかい髪を撫でた。

「違うよ、那白。警視庁ではトカゲのことをそんなふうに揶揄する連中もいる。だけど、僕は違うと思うんだ。トカゲの尻尾は切り落とされても単独で動ける。ここは常識や警察という大きな権力に囚われることなく、自由に動き回れる組織だと僕は考えている」

 頭を撫でながら柔らかく微笑む和乃に、那白は白い頬を薄っすらと朱に染めた。ツンとそっぽを向いて「都合のいい解釈だね」とつっけんどんに返す。
怒ったような態度だけど、たぶん照れているのだろう。耳がほんのり赤い。

 和乃は満足したように大きく頷くと、屈めていた腰を伸ばして黒須の方を向いた。

「大まかな説明は以上だ。さて、何か質問はあるかな?」
「いえ、特にないっす」
「よろしい。僕は警視庁に出勤するからお暇させてもらうよ、それじゃあまた」

 和乃は那白の方を見てひらりと手を振った。那白がおざなりに手を振り返す。本当に彼らはどういう関係なのか。黒須は首を捻った。和乃が出て行くなり、毛先だけ緩く巻いたポニーテイルの赤毛の少女、澪が黒須に近づいてきて手を差し出した。

「ちょうど今は大きな案件は抱えてないし、せかせか仕事なんてしないで、ゆっくり自己紹介しようよ。アタシ、汐崎澪。今年十九歳だよ、よろしくね」

 澪が天真爛漫な笑みを浮かべ、大きな丸い目で見上げてくる。警察官にしては小柄な彼女の小さい手を握り返し、黒須は軽く「よろしく」と挨拶した。

「黒須さんってけっこう男前だね。アタシ、けっこう好みかも。ぼんやりした顔してないでもっとキリッとしてたらモテるよ、きっと」
「へ、はあ。どうも」

「今までアタシが一番下だったから、新人さんが来てくれて嬉しい。仲良くしようね」

 仲良くって、学校じゃねぇんだぞ。喉まで出かかった言葉を辛うじて飲み込みつつ、黒須は澪を上から下までじろりと観察した。太腿丸出しのミニスカートに思わず目がいく。彼女は本当に警察組織の人間なのだろうか。

「あー、黒須さんってばアタシの太腿じっと見てる!もう、エッチ」
「あっ、いや。俺はそういうつもりは」
「年齢的にはピチピチの女子大生だもんね。見惚れてもしょうがないよ。許してあげる」

「なにが許してあげるだよ。クロはオマエの逞しい足になんて興味ないっつーの。あんまりにも短いスカートだから呆れてただけ。なあ、クロ」

 那白が同意を求めて黒須を見る。まさしく那白の言う通りだけど、ここで頷くと澪に恨みを買いそうなので返事をしなかった。

「ちょっと、那白。失礼だよ!ほんと、生意気なんだから」
「ふん、後輩のくせに生意気なのはオマエだっつーの。きゃんきゃん五月蠅いヤツ」
「なんですって、もう、許さないんだから!」

 那白と澪が口喧嘩を始める。まるきり学生のノリだ。唖然とする黒須をよそに、莉々加は慣れたようにパンパンと手を叩いて、二人の喧嘩を止める。

「ほらほら二人とも、やめなさい。黒須君も迷惑しているわ。澪ちゃん、大きな案件はなくても仕事はあるのよ、はしゃいでいてはいけないわ。
ごめんなさいね、黒須君。私は主に事務やプロファイリングを担当している、歌辺莉々加よ。
黒須君のデスクは一番隅よ。分からない事や必要な物があればなんでも言ってちょうだいね。
さて、仕事を始めましょう。黒須君は報告書をまとめてちょうだい」

 たおやかな笑みを浮かべながら、莉々加がどさりと黒須のデスクに書類の束を置く。黒須はその中の数枚を手に取って見た。

先月発見された家出少女が家出している間にどこで何をしていたのかとか、高校で起きたいじめの被害者と加害者の意見などが散文的に殴り書きされていた。
字は汚いし、単語しか書かれていない部分もあって、内容は混沌としている。

「調査は終了しているけど、報告書にする作業が済んでいないの。
ここは人手不足で、大きな案件が入ると殆どみんな現場に行ってしまうから、
事務作業がなかなかすすまないのよ。あいた時にどんどんやってしまわないといけないの」

「あの、ここの職員って和乃さんを抜いたら、今ここにいる人で全員なんすか?」

「いいえ。正式にはあと二人いるわね。一人は内勤の田賀茂之(たがしげゆき)さんよ。
コンピューター関連のスペシャリストで、色んな雑務や事務関係の作業を殆ど彼一人で仕切ってくれているわ。
とても人見知りで、三階の隅のコンピュータールームからめったに姿を現さないわ」

「冗談みたいな話だけど、ホントにそうなの。アタシは昨年の夏にここに来たんだけどね、二回ぐらいしか顔を合わせてないから、どんな人かすっかり忘れちゃった。おじさんだったってことしか覚えてないの、超レアキャラだよ」

 澪が唇を尖がらせた。昨年からいた彼女がそれだけしか顔を合わせていないのなら、自分が田賀と顔を合わせるのは当分先だろう。それどころか、試験雇用期間中に仕事が嫌になって退職したら、一度も顔を見ないままとなる可能性もある。

大の大人が引きこもっている職場なんて初めてだ。このぶんだと、残る一人もまともじゃないだろう。

「で、もう一人はどんな人なんすか?」

「アイツのことなんて教えなくていいよ、歌辺さん。ほとんど単独行動で外飛び回ってるし、イカれた野郎だし」

 那白が心底嫌そうな顔をする。黒須はごくりと唾を飲んだ。

「そんなに変な奴なのか?」

 那白はいつものチェシャ猫めいた笑顔をおもいきり顰め、大真面目な声で言う。

「マジで変なヤツなんだ。クロ、ぜったい関わんなよ。ろくなことないから」

「そう言わないのよ、那白君。まあ少し変わった人だけど、私達の味方よ。安心してね、黒須君。その噂の彼は松風忍(まつかぜしのぶ)。
二十七歳の男性で、かなりの武闘派でキレ者だけど、地道に調べものをするのが嫌いで、実力行使に出てしまうことが多いの。
めっぽう強いから、よく機動隊に駆り出されていないわ。顔を合わせたら軽く挨拶してもらうわね。
正式なメンバーはこれで全員よ。さあ、紹介も済んだことだし仕事を始めましょう」

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図で今度こそみんなが席に着いて書類に向き合う。そんな中、那白は鞄を掴むとデスクに座らず入口に向かった。
「今のところ特に捜査ないみたいだし、オレは学校に行く。そんじゃクロ、またな」
「ちょっと待てよ、お前は報告書作成しねぇのかよ?」
「オレ、事務仕事って嫌いなんだよね。クロと違って時間給だから帰る。バイバーイ」
「なっ、俺だって事務なんて苦手だよ。待て、逃げんな!」

 手を振ってさっさと帰っていく那白を追いかけようとしたが、澪に腕を掴まれる。

「那白なんてほっといて、一緒に仕事しようよ。ね、黒須さん」

 澪に大きな目に上目遣いで見詰められて、黒須は引きつり笑いを浮かべた。さり気なく彼女の腕を解いて席に戻る。

気紛れに仕事を投げ出して帰ってしまう男子高校生。新入りの男を誘惑する未成年の女。引きこもりの中年男。そして変人。トカゲには碌な人材がいないようだ。やっぱり変な所に来てしまったかもしれない。

油断すると退職の二文字が頭の中にちらつくのを振り払う為、黒須は書類に向き合った。

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