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第四章
その思いを汲み
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時はしばし遡る。
こっちだと先を急ぐマーリナスの背中を追いかけていたケルトの耳に、もぞもぞとくぐもった声が聞こえた。
周囲はまだひとで溢れ返っていたし、ざわざわとうるさい。
そんな中でやたらと耳についたその声にケルトは思わず立ち止まり、周囲を見渡した。
「?」
すぐ近くで聞こえた気がしたが、みんな逃げることに必死でこちらを見ていない。
気のせいか?
小首を傾げたケルトは今度こそマーリナスを見失わないように慌てて後を追いかけた。
そして東階段を抜け、温かい夜風を肺いっぱいに吸い込んだときだ。
『なんだよ、つれないな。キスした仲だろ? いまさら照れるなって。そんなところもかわいいけどな』
そんな声がハッキリと聞こえた。ケルトは反射的に顔をしかめる。
どこのバカップルがこんなところでイチャついているんだ。
そう思ったが次の一声で、嫌いな食べ物でも口にした顔をするはめになった。
『呆れた。好みの顔なら男女関係なくキスするのね』
男女関係なく? ゲイリーみたいな奴だ。
まだ本人に会ったことはないが、酒場の店主から散々話を聞かされたばかりなのだから、そう思ってしまったのも仕方がない。
『俺は型にハマるのが嫌いなんだ。世の中には色んな世界があるってことをおまえも知るべきだな。ホーキンスなんかとくだらねえ火遊びなんかやってねえでさ』
ホーキンス?
ケルトは目をしばたく。あれ? ホーキンスって確か……
「マーリナス!」
反射的にケルトは叫んだ。どこかで聞いた名前だと思ったが、すぐに思いだす。アレク様が話していた地下街の薬師だ。
「ケルト、どうした」
「なんか変な会話が聞こえるんだ」
「変な会話?」
マーリナスは眉をひそめて周囲を警戒する。
地下街の入り口はみな市街地から離れた郊外に設置してある。この東口も例に漏れず、草原の入り口にひっそりとその口を開き、行き場を失った者や裏社会と縁のある人間を手招いていた。
周辺にはそれほど視界を遮る物もなく、どちらかといえば見通しはいい。ひとの気配があればすぐに気がつく。
話し声など聞こえるはずが――
『あんたと会うために必要だっただけよ。自慢げに俺はゲイリーと取引してるんだって話すもんだから。ほんとバカな男よね』
ケルトとマーリナスは顔を見合わせる。
「ゲイリー?」
誰に問いかけるわけでもなく、オウム返しに口から出た言葉。ケルトは茫然としながら声の発信源をたどる。
その声はケルトと場所を重ねるように、その場から聞こえてくる。でも少し、もごもごとして聞き取りにくい。
いったいどこから……
「あっ!」
ケルトは小さく叫ぶと、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。取り出したのは、青い発光を繰り返す小さな球体。
「これは……」
マーリナスは端正な顔に驚きを浮かべながら、その瞳に夜空の色を映して球体を見下ろした。
「アレク様を探しに行ったとき、あんたの部屋で見つけたんだ。机の真ん中にぽんと置いてあったから目に付いてさ。これ、魔道具だよな?」
夕日に反射して煌めいたこの珠を無意識に手に取ったケルトは、警備隊に捕まってうやむやになった流れで、そのままポケットに突っ込んだまま持ってきてしまっていたのだ。
魔道具であることは一目で分かったが、あんな置き方。いかにも「取って下さい」といっているようなモンじゃないか。
「盗んだわけじゃないからなっ! 誰かが持って行けっていってる気がして!」
言い訳がましく虚勢を張ると、マーリナスはぼんやりと光る球体に視線を落としたまま、薄い笑みを浮かべた。
「そうだろうな。持っていけと、言っていたんだろう。ケルト、よくやった」
「は?」
間抜けな声を出したケルトはマーリナスを振り向く。
声はとても穏やかで静か。それが不思議な違和感を生んだが、魔道具を見つめるマーリナスの表情は穏やかというよりは少し切なく映る。
どこか嬉しそうで、そして悲しそうで。なぜそんな顔をするのかケルトには分からなかった。
不思議そうな顔で自分を見つめるケルトにマーリナスは口を開く。
「これは録音を兼ねた通信機だ。よく斥候を買って出るロナルドが常に持ち歩いている」
「あいつが?」
自分の目覚めと同時になにも告げることなく地下に赴いたロナルド。それはきっと呪いにかかったことを悟られたと思ったからだろう。誤魔化してみたがそれが通用する相手ではない。
バレリアの呪いにかかったとなれば停職処分となる。アレクからは離され、その後の動向は監視しなければならない。
呪力による影響がどのように及んでいるのかまで理解することは難しいが。おそらくアレクと離れるのが嫌だったのだろう。
いわずともロナルドの思考を想像するのはたやすい。
だがそれはロナルドも同じだったのだと思い知る。
その後マーリナスがどのような行動に出るのか予測していた。呪いにかかったことを知り、自分を追いかけてくると。
隊長室にこれを置いていったのは、別々の場所にいても連携を図れるようにするためだ。
まっ先に自分が危険な場所に踏みこむと予想し、身動きが取れなくなったときのために保険として。
だがそれは相手を信用しているからこそ思いつく手段だ。下手を打てばこの通信は誰の耳にも届かず、気がついたときにはロナルドの命は絶えているかもしれない。
あの男のことだ。最悪それでもいいと考えているかもしれないが。期待には応えなければならないだろう。
「戻るぞ」
「戻るってどこに」
「駐屯地だ」
「真逆だろ。戻ってどうするんだよ」
「隊を集結させる。オクルール大臣の官邸は広い。ロナルドが連れて行った人員では足りないからな」
片方の口角を引き上げ、挑むように遠くに見える高級住宅街に目を向けたマーリナスにケルトは渋い顔を浮かべる。「オクルール大臣って誰だよ」と。
*ケルトのシーンを思い返したい方は、第三章「逃げ水」を参照
こっちだと先を急ぐマーリナスの背中を追いかけていたケルトの耳に、もぞもぞとくぐもった声が聞こえた。
周囲はまだひとで溢れ返っていたし、ざわざわとうるさい。
そんな中でやたらと耳についたその声にケルトは思わず立ち止まり、周囲を見渡した。
「?」
すぐ近くで聞こえた気がしたが、みんな逃げることに必死でこちらを見ていない。
気のせいか?
小首を傾げたケルトは今度こそマーリナスを見失わないように慌てて後を追いかけた。
そして東階段を抜け、温かい夜風を肺いっぱいに吸い込んだときだ。
『なんだよ、つれないな。キスした仲だろ? いまさら照れるなって。そんなところもかわいいけどな』
そんな声がハッキリと聞こえた。ケルトは反射的に顔をしかめる。
どこのバカップルがこんなところでイチャついているんだ。
そう思ったが次の一声で、嫌いな食べ物でも口にした顔をするはめになった。
『呆れた。好みの顔なら男女関係なくキスするのね』
男女関係なく? ゲイリーみたいな奴だ。
まだ本人に会ったことはないが、酒場の店主から散々話を聞かされたばかりなのだから、そう思ってしまったのも仕方がない。
『俺は型にハマるのが嫌いなんだ。世の中には色んな世界があるってことをおまえも知るべきだな。ホーキンスなんかとくだらねえ火遊びなんかやってねえでさ』
ホーキンス?
ケルトは目をしばたく。あれ? ホーキンスって確か……
「マーリナス!」
反射的にケルトは叫んだ。どこかで聞いた名前だと思ったが、すぐに思いだす。アレク様が話していた地下街の薬師だ。
「ケルト、どうした」
「なんか変な会話が聞こえるんだ」
「変な会話?」
マーリナスは眉をひそめて周囲を警戒する。
地下街の入り口はみな市街地から離れた郊外に設置してある。この東口も例に漏れず、草原の入り口にひっそりとその口を開き、行き場を失った者や裏社会と縁のある人間を手招いていた。
周辺にはそれほど視界を遮る物もなく、どちらかといえば見通しはいい。ひとの気配があればすぐに気がつく。
話し声など聞こえるはずが――
『あんたと会うために必要だっただけよ。自慢げに俺はゲイリーと取引してるんだって話すもんだから。ほんとバカな男よね』
ケルトとマーリナスは顔を見合わせる。
「ゲイリー?」
誰に問いかけるわけでもなく、オウム返しに口から出た言葉。ケルトは茫然としながら声の発信源をたどる。
その声はケルトと場所を重ねるように、その場から聞こえてくる。でも少し、もごもごとして聞き取りにくい。
いったいどこから……
「あっ!」
ケルトは小さく叫ぶと、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。取り出したのは、青い発光を繰り返す小さな球体。
「これは……」
マーリナスは端正な顔に驚きを浮かべながら、その瞳に夜空の色を映して球体を見下ろした。
「アレク様を探しに行ったとき、あんたの部屋で見つけたんだ。机の真ん中にぽんと置いてあったから目に付いてさ。これ、魔道具だよな?」
夕日に反射して煌めいたこの珠を無意識に手に取ったケルトは、警備隊に捕まってうやむやになった流れで、そのままポケットに突っ込んだまま持ってきてしまっていたのだ。
魔道具であることは一目で分かったが、あんな置き方。いかにも「取って下さい」といっているようなモンじゃないか。
「盗んだわけじゃないからなっ! 誰かが持って行けっていってる気がして!」
言い訳がましく虚勢を張ると、マーリナスはぼんやりと光る球体に視線を落としたまま、薄い笑みを浮かべた。
「そうだろうな。持っていけと、言っていたんだろう。ケルト、よくやった」
「は?」
間抜けな声を出したケルトはマーリナスを振り向く。
声はとても穏やかで静か。それが不思議な違和感を生んだが、魔道具を見つめるマーリナスの表情は穏やかというよりは少し切なく映る。
どこか嬉しそうで、そして悲しそうで。なぜそんな顔をするのかケルトには分からなかった。
不思議そうな顔で自分を見つめるケルトにマーリナスは口を開く。
「これは録音を兼ねた通信機だ。よく斥候を買って出るロナルドが常に持ち歩いている」
「あいつが?」
自分の目覚めと同時になにも告げることなく地下に赴いたロナルド。それはきっと呪いにかかったことを悟られたと思ったからだろう。誤魔化してみたがそれが通用する相手ではない。
バレリアの呪いにかかったとなれば停職処分となる。アレクからは離され、その後の動向は監視しなければならない。
呪力による影響がどのように及んでいるのかまで理解することは難しいが。おそらくアレクと離れるのが嫌だったのだろう。
いわずともロナルドの思考を想像するのはたやすい。
だがそれはロナルドも同じだったのだと思い知る。
その後マーリナスがどのような行動に出るのか予測していた。呪いにかかったことを知り、自分を追いかけてくると。
隊長室にこれを置いていったのは、別々の場所にいても連携を図れるようにするためだ。
まっ先に自分が危険な場所に踏みこむと予想し、身動きが取れなくなったときのために保険として。
だがそれは相手を信用しているからこそ思いつく手段だ。下手を打てばこの通信は誰の耳にも届かず、気がついたときにはロナルドの命は絶えているかもしれない。
あの男のことだ。最悪それでもいいと考えているかもしれないが。期待には応えなければならないだろう。
「戻るぞ」
「戻るってどこに」
「駐屯地だ」
「真逆だろ。戻ってどうするんだよ」
「隊を集結させる。オクルール大臣の官邸は広い。ロナルドが連れて行った人員では足りないからな」
片方の口角を引き上げ、挑むように遠くに見える高級住宅街に目を向けたマーリナスにケルトは渋い顔を浮かべる。「オクルール大臣って誰だよ」と。
*ケルトのシーンを思い返したい方は、第三章「逃げ水」を参照
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