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第四章

魔女の芳香

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 ピーッ!

 そんな警笛音が少し遠くに聞こえたのは、マーリナスとケルトが酒場の店主からゲイリー・ヴァレットの情報に耳を傾けていたときだった。店内の雑音に紛れ空耳とも思える微かな音だったが、瞬時にマーリナスの顔色が変わる。

「行くぞ」

「え? ああ、うん」

 ケルトも小首を傾げて入り口を振り返っていたが、マーリナスの有無をいわさぬ雰囲気に押され慌てて席を立った。

「なあ、さっき笛みたいな音が聞こえなかった?」

「あれは警備隊の笛だ。なにかあったのだろう、急ぐぞ」

 厳しい顔つきでそういったマーリナスの言葉にケルトの顔にも焦りが生まれる。

「行こう! こっちだ!」

 ふたりは店主から教わった道を駆けだした。

 情報料を上乗せしたのがよほど気に入ったのか、あの店主はゲイリー・ヴァレットの居所だけでなく噂話まで饒舌に話し始めた。

 所々にゲイリーに対する妬みが込められていたから、元々良く思っていなかったのだろう。

 ずる賢いとか、女たらしだとか、顔は綺麗だが男でも相手にする男娼みたいな奴だとか。上層部のコネもあいつが寝た相手がほとんどだとか。

 ケルトとしてはアレクを連れ戻したいだけだったので、そんな余計な情報はいらなかったのだが、マーリナスは黙ってその話に耳を傾けていた。敵の情報は大いに超したことはない。そう踏んだのかも知れない。

 ずっと黙って店主の一方的な話に耳を傾けていたマーリナスだったが、ひとつだけ質問を返した内容がある。

 店主が上層部のコネの話をしたときだ。店主はきょろきょろと店内を確認してからマーリナスに耳打ちをしたからその内容はケルトには聞こえなかった。

 だけどフードの下でマーリナスが驚いた顔をしたのはわかった。地下街で商売する連中は貴族の後ろ盾を持っているのは今や当たり前だし、なにをいまさらそんなに驚くことがあるんだとケルトは思ったのだ。

 しばらく走るとふたりが向かっている方向から流れるようにひとの波が押し寄せてきた。皆パニックに陥っているようで慌てふためき、口々になにか叫んでいる。もう地下街も安全じゃない、とかそんなことを。

 逃げるようにして走ってくる連中と肩をぶつけながら、ふたりは逆流に逆らうように前へ進む。

「なんなんだよ、なにがあったんだ?」

 どんっと力一杯ぶつかってきた男をにらみながらケルトは吐き捨てた。だがその声はマーリナスには届かなかったらしい。すいすいと押し寄せる人波を器用にくぐり抜けながらどんどん先に進んでいく。

「マーリナス! 待てよ!」

 置いていくなって!

「待てって……」

 どんっ!

 思うように前に進めない苛立ちと、マーリナスを見失いそうな焦りがケルトの気持ちを荒立てた。

「邪魔なんだよ、通せ!」

 またもやぶつかってきた相手に向かって怒鳴った。

 それは八つ当たり以外の何者でもなかったが、一瞬相手が振り返った。

 真っ黒なローブを着込んでフードで顔が隠れていた。絶えず流れてくる人波の中には似たような格好をした奴は沢山いたし、特に目を引くものでもない。

 が、ケルトは思わず怒りを忘れ言葉を失った。

「あいつが俺の宝物を奪ったんだ……殺す、殺す、殺す……」

 わけのわからないことをぶつぶつと呟いて、そいつはすぐに背を向けてまた人混みの中に消えていったが、茫然とその様子を眺めていたケルトの目は大きく見開かれている。

 のだ。

 黒いローブ姿を覆う、禍々しい暗紫色のオーラが。

 それは魔女の芳香ウィザード・キスと呼ばれるもので、魔術が使用された際に痕跡として現れるものである。

 魔術が廃止された現在では教育課程からその項目は撤廃され、知り得るものはごく一部のものだけであるし、なにより視るためには特殊な能力がいる。

 魔術が廃止される前まで、そういった特殊な人間は重宝され王族貴族などに好待遇で招かれたりもしたが、いまとなってはその必要性もなくなりお役御免となっていた。

 魔術を使えば死罪。その掟はスタローン王国に限らず世界共通の法律となって定められたからだ。その法律が定められてから三百年近く経つ。

 『バレリアの呪い』による血塗られた黒歴史が引き起こされ、術者バレリア・ヘルモントが処刑されたその日から、元々少数しかいなかった魔術師は完全にこの世から姿を消したのだ。

 だがケルトはハッキリと視た。あれは間違いなく魔女の芳香だ。

「嘘だろ……」

 そのつぶやきは押し寄せる人波に飲みこまれ消えていった。

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