34 / 146
第二章
ケルト・リッシュ
しおりを挟む
内心安堵のため息をついたアレクの思惑など知らぬバロンは、満足そうな笑みを浮かべながらアレクから離れると、戻り際にノーランの亡骸を蹴り飛ばして唾を吐きかけ部屋を後にした。
「アレク様……」
再び静けさを取り戻した部屋にすすり泣く声がする。
床の上に仰向けになったまま、アレクは顔を音のする方に向けた。
「ケルト……泣かないで。僕は大丈夫だから」
「だから! だから、おやめになった方がいいと申し上げたのです! 見知らぬ荒くれものに辱めを受けて満足なのですか!?」
その言葉はどんな刃物よりも鋭くアレクの心に突き刺さる。
ケルトは知らないのだ。国を離れたアレクが何度こういった行為を繰り返して生きてきたのか。
毎日が地獄のような日々だった。ひとを恐れ、自分を恐れ、呪いを恐れ。
それでもみっともなく生にしがみついて生きてきた。
愚かだろう。無様だろう。万人に罵倒されても許されない生き方だろう。
こんなことで生をつなぐ自分に本当に吐き気がする。
でも望んだわけじゃないんだ。望んでこうなったわけじゃない。
いくらそう声をあげても、誰も耳を傾けないだろう。はたから見れば自分は好色家にしか見えないのだから。
でもそんな自分に理解を示し、真摯に向き合ってくれたひとが現れたんだ。
恐れずに他人と向き合えたのは、いつぶりだっただろうか。他人と向き合うことで安堵感を得られる日がくるなんて想像もしていなかった。
地獄の中に救いの手を伸ばしてくれたひと。
そのひとのために自分にできることがあるのなら。
「マーリナスのためにやれることがあるなら、僕はなんでもする。その覚悟を持ってここにきたんだから」
突き刺さった胸の痛みは消えない。きっと一生かかっても消えることはないだろう。だけどアレクはまっすぐに自分の心を見据えていた。
「マーリナス……あの警備隊長殿ですか。その方のためにそこまで……」
ケルトにとってアレクの覚悟は理解の及ばないものだった。確かに恩義はあるのだろうが、ここまで身をていするほどの相手なのか。
理解ができない。アレクの覚悟をみた上で、ケルトの胸に黒い感情がこみ上げる。
「わたしのことはどうでもいいのですか?」
「ケルト?」
「わたしはアレク様をお慕いしているのですよ。それはご存じでしょう!? 目の前であんな行為を見せつけられて、わたしが傷つかないとでも?」
「ケルト……」
アレクの顔がくしゃりと歪む。
ケルト・リッシュ。亡命前アレクの従者として長年に渡りつき従ってくれていたこの男は、バレリアの瞳に魅了された一人目の被害者だった。
「おまえは呪いで……」
「違います。確かにわたしはあなたの眼を見てしまった。だけどそうじゃありません。わたしはその前からずっとあなたに恋い焦がれていた。その気持ちをずっと押し殺していただけなのです。その呪いのおかげで抑えていたものがあふれ出した、ただそれだけなのです。それはアレク様もご存じのはず」
アレクはきゅっと口を結んだ。
このセリフは亡命前に何度もケルトの口から聞かされていたものだったから。
呪いのせいだと何度いい聞かせても、ケルトは違うという一点張りで聞く耳を持たなかった。
もともと幼少時代から従者として傍にいてくれたケルトとは友のように親しかった。くだらないことでよく笑い、秘密だって共有するような間柄だったのだ。
社交界で見知らぬご令嬢と気を遣って話すよりもケルトといた方が断然楽しかったし、気がらくだった。
そんなケルトが瞳に魅了され、アレクに熱い眼差しを向けたあの夜。
『頼みますから、拒まないでください』と泣きそうな顔でささやかれたあの夜。
アレクは胸にこみ上げる感情がなんなのか理解できぬまま、ケルトと唇を重ね合わせた。
嬉しかったのか、悲しかったのか、ケルトのつらそうな表情に胸が痛んだからなのか。
だが一度受け入れたケルトの想いを突き返すことはアレクにはできず、それからケルトが求めるたび何度も唇を重ねた合わせた。抱きしめ合った互いの肌の温度。ケルトの潤んだ眼差し。甘い言葉。
夜ごと重ね合ったその情事に、いつの間にかアレクも溺れてしまったのだ。
だがそんなおり、アレクの瞳に魅了されてしまった人間が再び現れた。
その相手を――ケルトは嫉妬心から殺してしまったのだ。
「アレク様。どうかわたしのことも受け入れてください」
アレクはそっと目を閉じる。本来ケルトは心優しく、人殺しなどできるような人間ではなかった。
バレリアの呪いのせいだと、ひとことで言えば済むのかもしれないが、ケルトがこうなってしまったのは自分のせいなのだ。
だからこそアレクはケルトを遠ざけた。だが、こうして再び目の前に現れたケルトを拒むことなどアレクにできはしない……それは責任感と同情に他ならなかったが。
アレクはゆっくりと体を起こすと、すこしずつ不自由な足腰を動かしてケルトの傍に移動した。
ケルトの目を覆っている目隠しはうっすらと涙でにじみ、隙間から頬を伝って涙が零れている。
「わかってる。ごめんね、ケルト」
幾人もの相手と重ね合わせた穢れた唇。こんなものでケルトを穢すのはアレクにとっても身が引き裂かれる思いだ。だがそれでも、泣いて求めるケルトを突き放すなどアレクにできなかった。
泣け叫び悲鳴を上げる心に蓋をして、アレクはそっとケルトの唇に自身の唇を重ね合わせた――
「アレク様……」
再び静けさを取り戻した部屋にすすり泣く声がする。
床の上に仰向けになったまま、アレクは顔を音のする方に向けた。
「ケルト……泣かないで。僕は大丈夫だから」
「だから! だから、おやめになった方がいいと申し上げたのです! 見知らぬ荒くれものに辱めを受けて満足なのですか!?」
その言葉はどんな刃物よりも鋭くアレクの心に突き刺さる。
ケルトは知らないのだ。国を離れたアレクが何度こういった行為を繰り返して生きてきたのか。
毎日が地獄のような日々だった。ひとを恐れ、自分を恐れ、呪いを恐れ。
それでもみっともなく生にしがみついて生きてきた。
愚かだろう。無様だろう。万人に罵倒されても許されない生き方だろう。
こんなことで生をつなぐ自分に本当に吐き気がする。
でも望んだわけじゃないんだ。望んでこうなったわけじゃない。
いくらそう声をあげても、誰も耳を傾けないだろう。はたから見れば自分は好色家にしか見えないのだから。
でもそんな自分に理解を示し、真摯に向き合ってくれたひとが現れたんだ。
恐れずに他人と向き合えたのは、いつぶりだっただろうか。他人と向き合うことで安堵感を得られる日がくるなんて想像もしていなかった。
地獄の中に救いの手を伸ばしてくれたひと。
そのひとのために自分にできることがあるのなら。
「マーリナスのためにやれることがあるなら、僕はなんでもする。その覚悟を持ってここにきたんだから」
突き刺さった胸の痛みは消えない。きっと一生かかっても消えることはないだろう。だけどアレクはまっすぐに自分の心を見据えていた。
「マーリナス……あの警備隊長殿ですか。その方のためにそこまで……」
ケルトにとってアレクの覚悟は理解の及ばないものだった。確かに恩義はあるのだろうが、ここまで身をていするほどの相手なのか。
理解ができない。アレクの覚悟をみた上で、ケルトの胸に黒い感情がこみ上げる。
「わたしのことはどうでもいいのですか?」
「ケルト?」
「わたしはアレク様をお慕いしているのですよ。それはご存じでしょう!? 目の前であんな行為を見せつけられて、わたしが傷つかないとでも?」
「ケルト……」
アレクの顔がくしゃりと歪む。
ケルト・リッシュ。亡命前アレクの従者として長年に渡りつき従ってくれていたこの男は、バレリアの瞳に魅了された一人目の被害者だった。
「おまえは呪いで……」
「違います。確かにわたしはあなたの眼を見てしまった。だけどそうじゃありません。わたしはその前からずっとあなたに恋い焦がれていた。その気持ちをずっと押し殺していただけなのです。その呪いのおかげで抑えていたものがあふれ出した、ただそれだけなのです。それはアレク様もご存じのはず」
アレクはきゅっと口を結んだ。
このセリフは亡命前に何度もケルトの口から聞かされていたものだったから。
呪いのせいだと何度いい聞かせても、ケルトは違うという一点張りで聞く耳を持たなかった。
もともと幼少時代から従者として傍にいてくれたケルトとは友のように親しかった。くだらないことでよく笑い、秘密だって共有するような間柄だったのだ。
社交界で見知らぬご令嬢と気を遣って話すよりもケルトといた方が断然楽しかったし、気がらくだった。
そんなケルトが瞳に魅了され、アレクに熱い眼差しを向けたあの夜。
『頼みますから、拒まないでください』と泣きそうな顔でささやかれたあの夜。
アレクは胸にこみ上げる感情がなんなのか理解できぬまま、ケルトと唇を重ね合わせた。
嬉しかったのか、悲しかったのか、ケルトのつらそうな表情に胸が痛んだからなのか。
だが一度受け入れたケルトの想いを突き返すことはアレクにはできず、それからケルトが求めるたび何度も唇を重ねた合わせた。抱きしめ合った互いの肌の温度。ケルトの潤んだ眼差し。甘い言葉。
夜ごと重ね合ったその情事に、いつの間にかアレクも溺れてしまったのだ。
だがそんなおり、アレクの瞳に魅了されてしまった人間が再び現れた。
その相手を――ケルトは嫉妬心から殺してしまったのだ。
「アレク様。どうかわたしのことも受け入れてください」
アレクはそっと目を閉じる。本来ケルトは心優しく、人殺しなどできるような人間ではなかった。
バレリアの呪いのせいだと、ひとことで言えば済むのかもしれないが、ケルトがこうなってしまったのは自分のせいなのだ。
だからこそアレクはケルトを遠ざけた。だが、こうして再び目の前に現れたケルトを拒むことなどアレクにできはしない……それは責任感と同情に他ならなかったが。
アレクはゆっくりと体を起こすと、すこしずつ不自由な足腰を動かしてケルトの傍に移動した。
ケルトの目を覆っている目隠しはうっすらと涙でにじみ、隙間から頬を伝って涙が零れている。
「わかってる。ごめんね、ケルト」
幾人もの相手と重ね合わせた穢れた唇。こんなものでケルトを穢すのはアレクにとっても身が引き裂かれる思いだ。だがそれでも、泣いて求めるケルトを突き放すなどアレクにできなかった。
泣け叫び悲鳴を上げる心に蓋をして、アレクはそっとケルトの唇に自身の唇を重ね合わせた――
1
お気に入りに追加
313
あなたにおすすめの小説
【完結】オレオレ!実は悪い女に唆されて夜会で婚約破棄をしちゃってさ……詐欺で前世を思い出した令嬢は人気の激レア副騎士団長様と事件解決を目指す
堀 和三盆
恋愛
『あっ、もしもし、オレオレ! 実は悪い女に唆されて夜会で婚約破棄をしちゃってさ。怒った両親から廃嫡されそうなんだよね。でも、今日中に婚約者の家に慰謝料5百万オークを支払えば、婚約破棄自体を無かったことにしてもらえるんだ。そう! 何もかもがそれで元通り。それで悪いんだけど、侍従を使いに出すからそいつに金を渡してくれないか? やった、ありがとう! それじゃー、頼むよ、おばあ様!』
「いや、それ絶対、転生者が犯人でしょ」
最近、王都ではそんな感じの詐欺が流行っている――友人からそれを聞いたとき。反射的にそう答えて初めて『ソレ』に気が付いた。
――って、私も『転生者』じゃないのっ!!
友人が詐欺事件に巻き込まれたことから、前世を思い出した伯爵令嬢のソネット。
とりあえず前世知識チートで思いつくままに商売をしているうちに詐欺事件について話が聞きたいと、王都の治安維持を担う騎士団の若き副騎士団長ジャスティスがソネットの元へとやってきた。
ソネットは前世の記憶から『オレオレ婚約破棄詐欺』の解決方法を副騎士団長に提案するが、事態は思わぬ方向へと転がって……!?
猫不足の王子様にご指名されました
白峰暁
恋愛
元日本人のミーシャが転生した先は、災厄が断続的に人を襲う国だった。
災厄に襲われたミーシャは、王子のアーサーに命を救われる。
後日、ミーシャはアーサーに王宮に呼び出され、とある依頼をされた。
『自分の猫になってほしい』と――
※ヒーロー・ヒロインどちらも鈍いです。
悪役令息に転生したけど…俺…嫌われすぎ?
「ARIA」
BL
階段から落ちた衝撃であっけなく死んでしまった主人公はとある乙女ゲームの悪役令息に転生したが...主人公は乙女ゲームの家族から甘やかされて育ったというのを無視して存在を抹消されていた。
王道じゃないですけど王道です(何言ってんだ?)どちらかと言うとファンタジー寄り
更新頻度=適当
ブレスレットが運んできたもの
mahiro
BL
第一王子が15歳を迎える日、お祝いとは別に未来の妃を探すことを目的としたパーティーが開催することが発表された。
そのパーティーには身分関係なく未婚である女性や歳の近い女性全員に招待状が配られたのだという。
血の繋がりはないが訳あって一緒に住むことになった妹ーーーミシェルも例外ではなく招待されていた。
これまた俺ーーーアレットとは血の繋がりのない兄ーーーベルナールは妹大好きなだけあって大いに喜んでいたのだと思う。
俺はといえば会場のウェイターが足りないため人材募集が貼り出されていたので応募してみたらたまたま通った。
そして迎えた当日、グラスを片付けるため会場から出た所、廊下のすみに光輝く何かを発見し………?
運命を変えるために良い子を目指したら、ハイスペ従者に溺愛されました
十夜 篁
BL
初めて会った家族や使用人に『バケモノ』として扱われ、傷ついたユーリ(5歳)は、階段から落ちたことがきっかけで神様に出会った。
そして、神様から教えてもらった未来はとんでもないものだった…。
「えぇ!僕、16歳で死んじゃうの!?
しかも、死ぬまでずっと1人ぼっちだなんて…」
ユーリは神様からもらったチートスキルを活かして未来を変えることを決意!
「いい子になってみんなに愛してもらえるように頑張ります!」
まずユーリは、1番近くにいてくれる従者のアルバートと仲良くなろうとするが…?
「ユーリ様を害する者は、すべて私が排除しましょう」
「うぇ!?は、排除はしなくていいよ!!」
健気に頑張るご主人様に、ハイスペ従者の溺愛が急成長中!?
そんなユーリの周りにはいつの間にか人が集まり…。
《これは、1人ぼっちになった少年が、温かい居場所を見つけ、運命を変えるまでの物語》
伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
*
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃんでした。
実際に逢ってみたら、え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこいー伴侶がいますので!
おじいちゃんと孫じゃないよ!
【完】悪女と呼ばれた悪役令息〜身代わりの花嫁〜
咲
BL
公爵家の長女、アイリス
国で一番と言われる第一王子の妻で、周りからは“悪女”と呼ばれている
それが「私」……いや、
それが今の「僕」
僕は10年前の事故で行方不明になった姉の代わりに、愛する人の元へ嫁ぐ
前世にプレイしていた乙女ゲームの世界のバグになった僕は、僕の2回目の人生を狂わせた実父である公爵へと復讐を決意する
復讐を遂げるまではなんとか男である事を隠して生き延び、そして、僕の死刑の時には公爵を道連れにする
そう思った矢先に、夫の弟である第二王子に正体がバレてしまい……⁉︎
切なく甘い新感覚転生BL!
下記の内容を含みます
・差別表現
・嘔吐
・座薬
・R-18❇︎
130話少し前のエリーサイド小説も投稿しています。(百合)
《イラスト》黒咲留時(@black_illust)
※流血表現、死ネタを含みます
※誤字脱字は教えて頂けると嬉しいです
※感想なども頂けると跳んで喜びます!
※恋愛描写は少なめですが、終盤に詰め込む予定です
※若干の百合要素を含みます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる