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第一章【少年よ冒険者になれ】

24・総力戦とその後

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 テレスにとどめを刺さんとする鬼の攻撃は、確かに彼に向ってきたはずであった。流石に死を覚悟した彼が次に目にしたのは、強い光。耳にしたのは大きな衝突音と、魔力と魔力が押し合うようなギリギリバチバチとした音であった。それ以外で不思議なことは、痛みを感じていないことだ。あの鬼の一撃をくらって、無事で済むはずがない。先ほどは体をひねって少し衝撃を減らしたにもかかわらず、空へと飛ばされてしまったのだ。今回は何もできていない。テレスの朦朧とした意識では、目の前の光景が理解できないでいた。

「……スさん! テレスさん!」

 何者かが名前を呼びながら体を引きずっているのがわかる。少しずつ遠くなる光。エメラルドグリーン色の大きな光がだんだんとその全貌を明らかにする。そしてようやく、テレスの意識が戻る。

「そんな、どうして!」

 テレスの前に現れた光は、ボードであった。彼の固形のオーラが体から大きくはみ出て、鬼の一撃をしっかりと受け止めていたのだ。そして、自身を引きずりながら叫んでいた人物にも気が付く。リプリィだ。

「私たちで決めたんです。やっぱり、リーダーを置いて逃げるわけにはいきませんから!」

 きっと恐怖でどうにかなりそうだろうに、怖がりな少女はテレスに向かって、笑顔すら作って見せた。

「まあ、言い出しっぺは私じゃないですけどね」

 テレスは状況の整理ができないでいた。それでも今だけは助かった、という安堵が体の力を抜いてくれる。

「ボードさん! テレスさんは無事です!」
「わかった! ここは、僕がなんとかしてみせるよ!」

 つい先日まで障害物にしかならなかった少年は、今誰よりも立派に鬼の障害物になってくれている。そして、テレスはその光景に見とれてしまってすらいた。あまりにも強大な、エメラルドグリーン色の壁。いや、盾といった方がいいかもしれない。それは正に、仲間を守るための正義の盾であった。
 そして、このまま押してもどうにもならないと悟ったのか、鬼は何度もその盾を殴りつける。だが、盾はヒビ一つ入らないでいる。それにも飽きたのか、盾を諦めて鬼はボードを避けてテレスたちの元へ向かおうとする。だが、光の盾は広がり、鬼は元の位置に近いところまで戻される。

「シールドバッシュ!!」

 これが好機だと見たボードは、鬼を光の盾で吹き飛ばす。前傾姿勢だった鬼は頭を強く打ち、左ひざから崩れ落ちる。その姿を見ながらリプリィは続ける。

「テレスさんを失うわけにはいかない。一人でも戻る、なんて言いだしたのは」

 ――ザンッ!――。

 意識が戻り切っていない鬼の背中を、黒い何かが通り過ぎる。そしてそれは、鬼の背中を目にも止まらぬ速さで何度も何度も斬りつけていく。右手にレイピア、左手にナイフ。間合いもへったくれもない両手からの攻撃は、ダメージはなくとも、飛び散るように黒いオーラが鬼を蝕んでいくのがわかる、凄まじいものだった。

「ア、アリス」
「ええ。と、言うわけでテレスさん。ここは私たちに任せてください!」

 そう言って、リプリィは立ち上がる。すでにある程度の魔力を杖に貯めこんでいたようだが、更に杖に魔力を込めていく。三人とも、今までの戦闘で学んだことをなぞっていくかのように動いているのが、他でもないテレスにはわかった。
 鬼は脳震盪のうしんとうからは回復したが、アリスの毒が徐々に効いてきているのだろう、動きが先ほどよりもだいぶ鈍ってきている。アリスは鬼の攻撃を避けつつ、連撃を続ける。それが途切れると、ボードの光の盾の裏に戻る。便利なことに、ボードの光の盾は、アリスのことはそこに何もないかのように通す。追ってきた鬼は当然盾にぶつかる。そしてそのタイミングでボードは効果的にシールドバッシュを決めていく。そしてまた、アリスの連撃である。
 鬼がフラフラと体を揺らしながら、何を狙っているのかすらわからない方向を殴りはじめた。あと少しで倒せそうな状況ではあるが、何せ体力がけた違いにあるのだろう、倒れそうで倒れない。これでは結局、手負いのアリスと、いつまでこの盾を維持できるのかわからないボードが先に消耗してしまう。

「準備、できました」

 その声の方をテレスが向くと、今までにない集中力で魔力をコントロールしているリプリィの姿があった。テレスは叫ぶ。

「ボード! アリス!」

 何か合図を決めていたわけではない。それでも彼らは、すでにしっかりとパーティになっていた。それを証拠に、二人はテレスのやってほしいことを見事にやって見せた。アリスは今持てる全ての力をぶつけるつもりで連撃を放ち、鬼を引き付けつつ盾に隠れる。そして、ボードがシールドバッシュを決める。鬼が完全にしりもちをつき、意識が飛びかけた状態になると、アリスとボードは左右に森の中へと退避する。すると今まさに、リプリィが魔法を鬼に叩き込む道が出来上がったのだ。
 必死に魔力をコントロールしようとするリプリィ。だが、鬼を倒せるであろう程の魔力の制御は想像以上に難しい。

「く、力が、上手く……」

 暴走しかけるリプリィの背後にテレスがたつ。

「大丈夫。僕が魔法の道を作るから。リプリィはそれをなぞるだけでいい」

 鬼が少しずつ意識を覚醒させようとしている。テレスはその鬼の腹めがけて光の線を放つ。攻撃力はないが、休んでいる間に回復したちっぽけな魔力ではこれが限界であった。そして、リプリィにとっては、そのわずかな魔法でも、魔法を撃つ勇気が出るには充分であった。
 轟音を立てて、リプリィの杖から恐ろしく大きなエネルギー体が放たれる。属性もくそもない、ただただ強力なエネルギーの塊だ。そしてそれは、テレスの小さな魔法を呑み込むように真っすぐに鬼へと向かっていった。それは鬼の上半身を見事に捉える。そして、大きな爆発が起こった後、そこには上半身を完全に失った鬼の姿があった。それも次第に崩れ、後には小さく鋭利な骨のようなもの、ただそれだけが残った。

「やった……やりましたよ! テレスさん!!」

 リプリィがテレスに抱きつこうとするが、リプリィの目の前からテレスは消えてしまう。

「全く、油断も隙もあったもんじゃない」

 犯人はアリスであった。鬼と戦っているときよりも数段上の速さで、テレスをお姫様抱っこで奪っていったのだ。

「そんなぁ、アリスさん。私はただ、喜びを分かち合おうと」

 涙目のリプリィをみて、ついテレスは笑ってしまう。それはアリス、リプリィにも伝染し、森からのしのしと出てきたボードも、事情を全く呑み込めないまま、ただただ笑った。
 そして、通常はとらない選択肢だが、パーティはこの場で簡易的な休憩スペースを確保し、各々体力の回復に努めることにした。薄暗く死角が多く、魔物の生息数自体が多いヤナギモリは早く通り過ぎるに限るのだが、鬼との戦いとリプリィの強力な魔法によって、ぽっかりと開けた場所が出来ていたのだ。

「正直、死ぬかと思った」

 体力回復のための食事がすむと、アリスがぽつりとこぼす。

「そうですね。でも、アリスさんが戻ると言い出した時、逆に自由になれたというか……。迷いが吹っ切れた気がしました。ああ、自分もこのまま逃げることに葛藤があったんだなって。私は自分では何も決められなかった。ほんと、恥ずかしいです」

 リプリィが深く反省するように、物憂げな表情を浮かべる。

「いや、そんなことはないよ。こうして戻ってきてくれた。僕はあの時、本当に打つ手がなくなって、絶体絶命だったんだ」

 これはテレスのまごうことなき本心であった。二つ目の作戦はあの時点で完全に詰んでいたのだ。もちろん、ダンジョンから遠く離れれば追ってこなくなる、という仮説はまだ間違っているとは言い切れない。が、動けなくなってしまったらどうしようもないのだ。

「テレスは凄いよね」

 アリスの言葉に、テレスは首を傾げる。結局鬼を倒したのは自分ではない。結果から言えば、ただただ逃げ回っていただけなのだ。

「わたしがあの鬼に出会ったとき、油断していたつもりじゃなかったけど、想像以上の速さで攻撃を全く防げなかった。気を失っていた時間がどれくらいかわからないけれど、きっと長い時間テレスはあの猛攻を防ぎ切ったんだもん。やっぱり、凄いよ。鬼の動きが鈍っていたのも、テレスがやったんでしょ?」
「うん、それが一つ目の作戦だったんだ。あれだけの巨体を動かすには、そうとうな魔力や体力が必要だからね。避け続けていればいつかは、って。まあ、一種の賭けだったわけだけれども」

 少し照れながらも、テレスは自分が狙っていたことや分析を語っていく。きっと、こういうことがパーティの意思疎通や総合力を上げていくものだと、特に今は信じられるのだ。そして、成功とはいかなかったが、二つ目の作戦についても詳しく説明する。三人は、あのボードさえもしっかりとその話を聞き、テレスの判断力に舌を巻くばかりだった。

「そうか、それで僕でもあの鬼の力に対抗できたんだね。それでも凄い力だったもんね」

 こう言うが実際、この戦いでの一番の収穫はボードだろう。素早さは最低、攻撃も命中力が皆無、本来なら全く向かない職業なのだろうが、あの強敵相手にあの立ち回りである。事実、あの鬼と平気でぶつかり合えるのは、世の中にどれだけの人がいるのかわからない。きっと数えるほどだろう。これでまだ素人に毛が生えた程度と考えると、末恐ろしい素材なのかもしれない。
 ともかく、手負いのアリスを連れてリプリィとボードが逃げ、唯一鬼の攻撃を予測できるテレスが時間稼ぎと相手の体力を削る。その間に少し回復したアリスが目を覚まし、テレスはダメージを負いながらも鬼の体力を下げ、素早さや攻撃力を下げることに成功する。そのテレスが限界を迎えたところで三人が到着。鬼の力が下がっていたからこそ、アリスとボードで立ち回ることが可能になる。そうやって敵の体力を更に下げたところで、リプリィの魔法が炸裂する。これらの行動は、一つでも順序が逆であれば成立していない。それだけ綱渡りの攻防だったのだ。そう考えると、テレスは少しヒヤリ、とした。
 もっと言えば、ボードを連れていなかったり、彼の強化を違う方向に間違っていたら……。全てはたらればの話だが、奇跡に近いものを感じた。

「それにしても、あの強大な鬼を倒した報酬がこれっぽっちだなんてね」

 アリスが苦笑いしながら鬼の残した小さな牙を手に取る。だが、その顔に悲壮感はない。あの強敵とわたりあったことでそれぞれの経験や力が更に上がっていくのを、各々感じているからだ。
 とはいえ、やるべきことはかなり増えてしまった。まずは体力を回復した後、この森を日暮れまでに脱出しなければいけない。あのレベルの敵がまだ潜んでいるとは思いたくないが、可能性はゼロではない。そして、これだけ頻繁に強敵が現れたなら、ダンジョンの発生を考慮すべきだ。次の集落で村長に報告し、早馬で街へと報告してもらわなければならない。これは冒険者や騎士だけに求められることではない。一般民でも、大きな魔物を見かけたり、周辺に違和感を感じたら報告の義務があるのだ。そして王国は早急に調査隊や必要ならば討伐隊を編成することになる。そうやって、この国は平和を保ってきたのだ。
 そして、テレス個人としても確かめなければいけないが心中にある。今受けている任務と並行して、そちらも情報を集めたいところだ。
 なんにせよその疑念がある限り、次はあれくらいの鬼ならば、圧倒的な差で勝利する程の力がなければいけない。強くならなければならないのだ。
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