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好きなひと…の、好きなひと
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気が付いた時にはもう恋に落ちていた。
いつの間にか。
好き、だった。
誰よりも特別になっていた。
生まれて初めての、恋をしていたのだ。
…決して叶うことのない、儚い恋とも知らずに。
覚束無い恋心そのままにシアが想いを寄せたそのひとには、好きなひとがいた。
自分では相手にもならないほど、素敵なひとだった。
好きなひとの、好きなひと、は。
報われない恋だと項垂れるしかないその初恋は、――それでもシアにとって大切なものだった。
それは物心ついた時から一緒に居たひと。
…ひと達。
臆病でひ弱で到底戦力に数えられやしない足手まといの自分をひとりこの鬼人族の里に残し、世界のあちらこちらを旅している両親よりもずっと『家族』らしく過ごしてくれている『赤の他人』。
親指の先ほどの小さな角一本しかない、鬼人族の中でも最弱の自分を見下し差別することなく普通に接してくれる優しくて…それと時々ちょっとだけいじわるなひとだった、シアが好きになったそのひとは。
そしてシアの好きなひとの、好きなひとも、とても優しく、頼もしいひとだった。
(あ…)
共に住まわせてもらっている里長の屋敷の離れから下の沢へと洗濯に向かう途中で目にした姿に、シアの胸中で小さく声が漏れていた。
…と、その胸が痛んだのは同時だった。
目尻が垂れ気味の白瞳が咄嗟にそこから逸らされる。
認めた姿を、まるで視界から追い出すように。
離れと母屋の間にある生け垣の向こう、母屋側に、並んで立っている二人の鬼人の姿があった。
ひとりは、シアとは比べものにならないほど美しい艷やかな濃紫の長髪を背中に流した立派な五本の角を持った鬼人。
髪も瞳も肌も『色無し』と里の者達に忌み嫌われ敬遠されている『白』のシアとは大違いで、強さも美しさも自分などでは到底足下にも及ばない、シアの密かな恋敵であり、良き家族であり、そしてシアの想い人の…兄嫁でもあるイオそのひとだった。
烟るような長い睫毛に縁取られた切れ長で勝ち気な群青の瞳をした容貌は、誰もが目を奪われるほど美しい。
程良く引き締まった体躯とも相俟った美丈夫で、角の多さで強さが決まると言われている鬼人族の中でも非常に好まれる容姿をしていた。
背が低く垂れ目で、内面の気弱さが顔からも全身からも滲み出ているような、十四歳になった今でも鬼人らしい強靭な筋肉がまるでないガリガリのシアとは大違いで、子ども一人生んでいるとは思えないほど文句なしにイオはこの里一番のスタイル抜群の器量良しだった。
人妻になってからも里でイオに憧れる者は少なくない。
その兄嫁の隣に並んでいるがっしりとした強靭な肉体の、背の高いもうひとりの鬼人こそがシアの長年の想い人、コウガだった。
この鬼人族の里長の次男で、七本の長く立派な角を持っているコウガは、彼の兄・グレンと並んで一族の中でも最強の部類に数えられている。
怪力自慢が多い鬼人族らしく筋骨隆々とした鋼のような肉体は、遠目でも巌のように大きい。
隣に並ぶイオがいっそ華奢に見えるほどだ。
コウガの胸下ほどの背丈しかないシアなど華奢を通り越してただただ貧相・貧弱にしか見えないだろう。
あの二人のように絵になることなどまずない。
青みがかった黒髪は短く無造作に後ろに流され、強面にも見える精悍な構えの容貌は非常にモテもするが細く鋭い切れ長の赤眼の双眸の所為もあってか、里の者でも…特に角の本数が少ない格下の者ほど、場合によってはおいそれと近寄り難く感じることがあるようだ。
コウガ本人が特段何か威圧めいたことをしたわけでなくとも。
性格も、些か短気な面がある…らしい。
…と言うのも、何処となく気怠そうにしているコウガの姿ならシアもいつも目にしているのだが、他の者が言うような彼の一面を殆ど見たことがないので、らしい、としか言えなかった。
勿論コウガにも感情があるので本当に時々立腹している姿を目にすることはあったし、シアも過去に何度かやらかし説教されたことがあった。
それでも、シアからすればコウガもまたイオ同様に良き『家族』であることに違いはないのだが。
中でもコウガはシアに一等良くしてくれている。
物心も碌につかない時分に実の両親に置き去りにされ、長年放っておかれている自分を可哀想に思ってくれているのか、幼い頃から何くれと気に掛け、構ってくれたり面倒を見たりしてくれていた。
狭い世間しか知らないシアが惹かれるにはきっと十分過ぎるほどに。
時折ひ弱な彼にちょっかいを掛けてきては揶揄う、厄介ないじめっこになることもあるが、それでも基本的には優しい『兄貴分』であった。
二人とも、昔からシアにとって本当にとても大切な存在だった。
そして時たま、苦しくさせられる存在でもあった。
(…イオ様と一緒にいる時だけだ。コウガ様が、あんな風に笑うのは)
洗濯籠を抱くシアの手に自然と力がこもる。
逸らしたばかりの視線がそろりと無意識にまたそちらを向いてしまう。
目にする光景にこうして悲しい気持ちになるとわかっていてもどうしても恋しいひとを目が追ってしまうのだ、自然と。
自分には決して向けられない、屈託ない笑顔をイオへと向けているコウガに、やはりきゅうと胸の奥深くが軋むように締め付けられて苦しくなった。
わかっていたことだと言うのに。
ズキズキと痛む、何処にも吐き出せない胸の内が。
そっと唇の内側を噛んで俯いた。
一度は認めた姿に緩んだ狭い歩幅の歩みが、途端に大きく忙しくなる。
(…せめてこんな小さな一本角なんかじゃなきゃ…、もう少しぼくにも望みはあったのかな…?)
触れた額の真ん中、髪との生え際。
角と呼ぶのも烏滸がましい控えめなその突起物に、悲しみだけが増していた。
どう足掻いても己などが敵うはずがないのだと、再確認するばかり。
強く美しく、そして優しい、シアの理想そのものの、あのイオに。
たとえ既婚者であっても。
グレンとラブラブのイオに全くその気が無くとも。
コウガがイオを想い続ける限り一生自分などが敵いやしないのだと、ああして二人が並ぶ姿を目にする度に思い知らされた。
(…あるわけないか。…ぼくみたいなちんちくりんの、鬼人族の面汚しなんかに…望みなんて…最初からそんなもの…)
――里で…鬼人族で最弱の、魔物もひとりでは碌に狩ることが出来ない役立たずの自分などには。
(あるわけないのに…馬鹿だな、ぼくは…)
俯いた顔に浮かぶ自嘲…くしゃりと歪んだ不細工な泣き笑いのような、傷付いた顔。
二人に見付からないように…。
自分同様実らぬ恋をしているのだとしても、それでも、コウガの…、好きなひとの邪魔をしてしまわないようにと、足音をなるべく忍ばせ、裏庭を横切り木戸を抜け、下の沢へと続く石段をシアが足早に下りて行く。
遠ざかるほどに小さくなってゆく二人の楽しげな話し声に、何処かホッとし、そしてますます悲しくなりながら。
「………………」
だから、まさか、シアは思いもしなかったのだ。
「あ~あ。お前、また逃げられちまったな」
「…うるせぇ」
イオと楽しく話していたはずのコウガがその小さな姿が自分を避けるようにして足早に立ち去ってしまった途端にぶすりと顔を不貞腐れさせ、その様子をしかと横目で追っていたなどと。
敵わぬ恋をしているのだとばかり思い込んでいるシアには、これっぽっちも気付ける要素はなかったのだった。
いつの間にか。
好き、だった。
誰よりも特別になっていた。
生まれて初めての、恋をしていたのだ。
…決して叶うことのない、儚い恋とも知らずに。
覚束無い恋心そのままにシアが想いを寄せたそのひとには、好きなひとがいた。
自分では相手にもならないほど、素敵なひとだった。
好きなひとの、好きなひと、は。
報われない恋だと項垂れるしかないその初恋は、――それでもシアにとって大切なものだった。
それは物心ついた時から一緒に居たひと。
…ひと達。
臆病でひ弱で到底戦力に数えられやしない足手まといの自分をひとりこの鬼人族の里に残し、世界のあちらこちらを旅している両親よりもずっと『家族』らしく過ごしてくれている『赤の他人』。
親指の先ほどの小さな角一本しかない、鬼人族の中でも最弱の自分を見下し差別することなく普通に接してくれる優しくて…それと時々ちょっとだけいじわるなひとだった、シアが好きになったそのひとは。
そしてシアの好きなひとの、好きなひとも、とても優しく、頼もしいひとだった。
(あ…)
共に住まわせてもらっている里長の屋敷の離れから下の沢へと洗濯に向かう途中で目にした姿に、シアの胸中で小さく声が漏れていた。
…と、その胸が痛んだのは同時だった。
目尻が垂れ気味の白瞳が咄嗟にそこから逸らされる。
認めた姿を、まるで視界から追い出すように。
離れと母屋の間にある生け垣の向こう、母屋側に、並んで立っている二人の鬼人の姿があった。
ひとりは、シアとは比べものにならないほど美しい艷やかな濃紫の長髪を背中に流した立派な五本の角を持った鬼人。
髪も瞳も肌も『色無し』と里の者達に忌み嫌われ敬遠されている『白』のシアとは大違いで、強さも美しさも自分などでは到底足下にも及ばない、シアの密かな恋敵であり、良き家族であり、そしてシアの想い人の…兄嫁でもあるイオそのひとだった。
烟るような長い睫毛に縁取られた切れ長で勝ち気な群青の瞳をした容貌は、誰もが目を奪われるほど美しい。
程良く引き締まった体躯とも相俟った美丈夫で、角の多さで強さが決まると言われている鬼人族の中でも非常に好まれる容姿をしていた。
背が低く垂れ目で、内面の気弱さが顔からも全身からも滲み出ているような、十四歳になった今でも鬼人らしい強靭な筋肉がまるでないガリガリのシアとは大違いで、子ども一人生んでいるとは思えないほど文句なしにイオはこの里一番のスタイル抜群の器量良しだった。
人妻になってからも里でイオに憧れる者は少なくない。
その兄嫁の隣に並んでいるがっしりとした強靭な肉体の、背の高いもうひとりの鬼人こそがシアの長年の想い人、コウガだった。
この鬼人族の里長の次男で、七本の長く立派な角を持っているコウガは、彼の兄・グレンと並んで一族の中でも最強の部類に数えられている。
怪力自慢が多い鬼人族らしく筋骨隆々とした鋼のような肉体は、遠目でも巌のように大きい。
隣に並ぶイオがいっそ華奢に見えるほどだ。
コウガの胸下ほどの背丈しかないシアなど華奢を通り越してただただ貧相・貧弱にしか見えないだろう。
あの二人のように絵になることなどまずない。
青みがかった黒髪は短く無造作に後ろに流され、強面にも見える精悍な構えの容貌は非常にモテもするが細く鋭い切れ長の赤眼の双眸の所為もあってか、里の者でも…特に角の本数が少ない格下の者ほど、場合によってはおいそれと近寄り難く感じることがあるようだ。
コウガ本人が特段何か威圧めいたことをしたわけでなくとも。
性格も、些か短気な面がある…らしい。
…と言うのも、何処となく気怠そうにしているコウガの姿ならシアもいつも目にしているのだが、他の者が言うような彼の一面を殆ど見たことがないので、らしい、としか言えなかった。
勿論コウガにも感情があるので本当に時々立腹している姿を目にすることはあったし、シアも過去に何度かやらかし説教されたことがあった。
それでも、シアからすればコウガもまたイオ同様に良き『家族』であることに違いはないのだが。
中でもコウガはシアに一等良くしてくれている。
物心も碌につかない時分に実の両親に置き去りにされ、長年放っておかれている自分を可哀想に思ってくれているのか、幼い頃から何くれと気に掛け、構ってくれたり面倒を見たりしてくれていた。
狭い世間しか知らないシアが惹かれるにはきっと十分過ぎるほどに。
時折ひ弱な彼にちょっかいを掛けてきては揶揄う、厄介ないじめっこになることもあるが、それでも基本的には優しい『兄貴分』であった。
二人とも、昔からシアにとって本当にとても大切な存在だった。
そして時たま、苦しくさせられる存在でもあった。
(…イオ様と一緒にいる時だけだ。コウガ様が、あんな風に笑うのは)
洗濯籠を抱くシアの手に自然と力がこもる。
逸らしたばかりの視線がそろりと無意識にまたそちらを向いてしまう。
目にする光景にこうして悲しい気持ちになるとわかっていてもどうしても恋しいひとを目が追ってしまうのだ、自然と。
自分には決して向けられない、屈託ない笑顔をイオへと向けているコウガに、やはりきゅうと胸の奥深くが軋むように締め付けられて苦しくなった。
わかっていたことだと言うのに。
ズキズキと痛む、何処にも吐き出せない胸の内が。
そっと唇の内側を噛んで俯いた。
一度は認めた姿に緩んだ狭い歩幅の歩みが、途端に大きく忙しくなる。
(…せめてこんな小さな一本角なんかじゃなきゃ…、もう少しぼくにも望みはあったのかな…?)
触れた額の真ん中、髪との生え際。
角と呼ぶのも烏滸がましい控えめなその突起物に、悲しみだけが増していた。
どう足掻いても己などが敵うはずがないのだと、再確認するばかり。
強く美しく、そして優しい、シアの理想そのものの、あのイオに。
たとえ既婚者であっても。
グレンとラブラブのイオに全くその気が無くとも。
コウガがイオを想い続ける限り一生自分などが敵いやしないのだと、ああして二人が並ぶ姿を目にする度に思い知らされた。
(…あるわけないか。…ぼくみたいなちんちくりんの、鬼人族の面汚しなんかに…望みなんて…最初からそんなもの…)
――里で…鬼人族で最弱の、魔物もひとりでは碌に狩ることが出来ない役立たずの自分などには。
(あるわけないのに…馬鹿だな、ぼくは…)
俯いた顔に浮かぶ自嘲…くしゃりと歪んだ不細工な泣き笑いのような、傷付いた顔。
二人に見付からないように…。
自分同様実らぬ恋をしているのだとしても、それでも、コウガの…、好きなひとの邪魔をしてしまわないようにと、足音をなるべく忍ばせ、裏庭を横切り木戸を抜け、下の沢へと続く石段をシアが足早に下りて行く。
遠ざかるほどに小さくなってゆく二人の楽しげな話し声に、何処かホッとし、そしてますます悲しくなりながら。
「………………」
だから、まさか、シアは思いもしなかったのだ。
「あ~あ。お前、また逃げられちまったな」
「…うるせぇ」
イオと楽しく話していたはずのコウガがその小さな姿が自分を避けるようにして足早に立ち去ってしまった途端にぶすりと顔を不貞腐れさせ、その様子をしかと横目で追っていたなどと。
敵わぬ恋をしているのだとばかり思い込んでいるシアには、これっぽっちも気付ける要素はなかったのだった。
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