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 ◆◆◆

「うんめーのつがいってなあに」

 病院の待合室、無邪気なこどもの声が響いた。
 静かにしてねと宥める母親の声。それを無視するように、ねえってば、と甘えたように問いかける。
 そんなこと誰に聞いたの、と母親が訊くと、一組の番を指差し、おねえちゃんがゆってた、と唇を尖らせた。
 慌ててすみませんと謝る母親と、恥ずかしそうに、浮かれちゃって……調子に乗っちゃってこちらこそすみません、と謝り合戦が始まる。

 ねえねえ、なあにい、おしえてよお、と聞きたがりの少女は駄々を捏ね、母親はお母さんとお父さんのことよ、とお手本のような言葉を返し、それに小さな女の子は首を傾げた。

「そうなるって決まってるの。そうなったらしあわせなのよ、素敵なことなの。でもそれは珍しいことでもあって、全員が運命を見つけられる訳じゃないの。お姉さんたちも素敵な運命があったのね」

 運命の番。
 出会った瞬間にわかるという。俺はそれをただの御伽噺だと思っている。
 運命だと思いたきゃそう思えばいい話。後付けなんてどうにでもなるのだ。
 愛するひとがいれば、それを運命だと思えばいい。
 気持ちの伴わない運命なんて、そんな恐ろしいことがあってたまるか。

『穂高さん、6番の診察室へどうぞ』

 アナウンスが流れ、その診察室へと向かう。
 ここはバース性専門の病院で、ここらではいちばん大きなところだ。
 病院というのは、俺のように薬の為に通うものもいれば、大半は体調を崩してかかることが多い。
 その状態のアルファとオメガを近くに置く訳にもいかず、アルファ、ベータ、番のいるオメガは同じ待合室、番のいないオメガは別室となる。
 スペース等の問題で、大きな病院にしかバース科はないことも多い。
 高校の頃にこちらに越してきて以来、俺はここにずっとお世話になっていた。

 いつものように最近の体調の話を軽くして、抑制剤出しておきますね、それで終わりだ。
 診察の時間と待たされる時間は割に合わないが、面倒なやり取りや、知らないオメガとかおを合わせる可能性があることを考えると、この余裕のある分かれた待合室のある病院を結局選んでしまう。
 ここは薬局も併設してるので、他所に薬を買いに行く必要がないのも良かった。市販薬よりも躰にあうものを出してくれるから安心だし。
 その日も薬を受け取り、何事もなく病院から出れたことにほっとした。
 病院内での事故もあるとたまに聞くからな、望まない番契約なんて皆もごめんだろう、多少身構えてしまうのだ。
 出来るだけ行きたくない場所だ、病院なんて。

 駐車場まで向かっていると、何となく、懐かしいにおいを感じた気がした。
 懐かしい、でもなんだ、このにおい。
 オメガのにおいなのは間違いなかった。どこかにヒートでも起こしたオメガがいるのかと、辺りを気にしながら、急いで車の元へ走る。
 中へ入ろうとして、その懐かしさにはっとした。
 ……和音のにおいだ。
 そう、あの花音のにおいが弱まった、和音のにおい。
 花音のにおいもなくなった訳ではない、ただ大分薄まっている。
 大学に進学して、以前よりべったりじゃなくなったのだろうか。

 取り敢えず車に乗り込み、そこから和音を探した。
 和音の、花音といる時のふやけたような表情がかわいかった。あの子が近くにいるかもしれない、困ってるかもしれない。あの時の女子のように、ヒートを起こしてるかもしれない。

 普段聞くことのない声は、ほんの少し甘えが混じっていて、そのくせちょっと口が悪い。それが幼く見えて、かわいいと思っていた。
 花音の、牽制するようなあのにおいの混じった和音のフェロモン。懐かしいとつい数年前のことを思い出す。
 その花音のにおいで牽制しない、出来ない和音が心配だった。

 暫くすると、少し離れたところからひょこひょこ歩く和音が現れる。
 ……かわいい、あの子、高校の時から全然変わってない。
 同じく病院に行っていたのだろう、同じ薬の袋をぶら下げている。少し歩いた先で、タクシーを見つけて手を上げる姿が見えた。
 ただ、その表情は暗いが、ヒートを起こしている訳ではないようだった。
 それにほっとして、でもどこかで残念だと思っている自分がいた。

 ──ヒート中なら噛んであげたのに。

 そんな考えに、慌てて馬鹿じゃないのかと頭を振る。
 事故も最悪だが、そんな犯罪まがいのものはもっと最低だ。
 そんなものは運命にはなり得ない。

 そう思って、あれ、と高校時代のことを思い出した。
 ヒート中でもない和音のにおいをずっと感じていたのは何故?発情期でもないオメガのにおいを。
 あの甘ったるいにおい。
 花音の強い、守るようなものがあってそれでも尚感じるにおい。
 ……他のオメガは、発情期前後や、擦れ違う程近くの距離でないと感じなかったあのにおい。
 外にいる和音を校舎内でも感じていた。
 明らかに、他のオメガとは違う、その、俺にだけ繋がる強いにおい。
 何故今も、ヒートを起こしてもないあの子のにおいを感じるのか。

「……こんなの、運命じゃん、」

 呟いた瞬間、視界がぱあっとクリアになった気がした。
 あのかわいい子は、俺の運命。

 運命なんて気持ちが伴えば後付けで構わない。
 俺が運命だと思ったのなら、それはもう運命なのだ。だってそんなものはただの御伽噺。
 例え和音にはまだ運命が訪れてないとしても、それを俺にしてしまえばいい、それだけの話。
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