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「いゔにーさまああ」
「エディー」
屋敷に入るなり飛び込んできたのは弟のエディーだった。
全寮制の学園といえど、貴族はちょっとしたことですぐに実家に戻るし、家の近いイヴも長期休みには必ず屋敷に戻っていた。
だからエディーと会ったのもそんなに騒ぐ程久し振りではない。
でもまだ四歳のエディーにはそう感じる程長かったのだろう。
おかえりなさいと満面の笑みを見せるエディーは勿論泣いた様子もない。
アルベールの判断なのか、おれの婚約破棄はまだ伝えられてないらしい。こうやって少し未来を変えることは可能なのだ。
だっこ、というように両手を上げるエディーを抱え上げる。
懐かしい重みだった。
イヴとしては数ヶ月振りでも、伊吹としては四歳児の重みは数年振りなのだ。
母親がおれと愛莉が関わるのをあまりいいかおをしなかったから、だっこなんて数える程しかしてなかったけれど。
「えでぃおーきくなったでしょ!」
「うん、重くなったなあ、ふふ、兄さんすぐに越されてしまいそうだ」
「んふふ、いゔにーさまよりおっきくなるー」
「アル兄さまは越せるかなあ」
「あるにーさまはちょっとむりだ」
「無理かー」
代わろうかと腕を伸ばしたアルベールに、エディーはやだ、とその手をぺちんと叩き落とす。
今日はイヴ兄さまの日なの、と舌を出したエディーに苦笑いをし、今日もかわいい末っ子は甘えるのが得意だ、と漏らした。
あたたかい、と思った。
腕の中の小さな生き物も、肩を抱いて寄り添う兄も。
「イヴ」
奥の方から名前を呼ばれ、かおを上げたおれの視界に飛び込んできたのは心配そうな表情のイヴの両親だった。こちらはアルベールにもう婚約破棄のことを聞いているのだろう。
……母さん、
思わずそう言ってしまいそうだった。
元々ミシャール家が深く描かれることはなかった。
面倒な竜騎士団長の兄がいると触れられていたくらいで、イヴのかおすらまともに出てこないゲーム上で、当然その両親のかおが描かれることはなかった。
BLゲームといえど、女性がいない世界ではない。
影は薄いが母親や使用人といった形で女性の存在は一応あった。だからイヴの両親、母親がいても不思議ではなかったのだけれど。
まさかイヴと伊吹だけではなく、母親同士まで似ているなんて。
いや、似ているだけだ、まるきり同じではない。
だって母さんはこんな心配そうなかお、少なくともおれにはしなかった。
「イヴ……おかえりなさい」
「……ただいま帰りました」
大丈夫なの、と言いかけて、腕の中のエディーを見てその言葉を飲み込んだ。
それから優しい声音で、エディー、兄さまも疲れてるのに我儘言ってはだめよ、と窘める。
はあい、と渋々おれから離れたエディーは母親の足元に駆け寄り、頭を撫でられるとおやつがありますよ、と使用人に連れられて食堂へ向かっていった。一度振り返り、笑顔で手を振って。
それを確認して、少しずつおれに近付く。
「……ごめんなさい、あの時反対しておけばよかったわね」
「え」
「あの我儘王子が貴方を欲しがった時に、婚約なんて認めなきゃ良かった、婚約ならもっと大人になってからにしなさいと言えば良かったわね」
「母さま」
ふわ、と花のようなにおいがした。
柔らかい腕と、長い髪がさらりと頬に落ちる。
抱き締められたのだと気付くまで少しかかった。
「貴方は何も気にしなくていいのよ、ごめんなさいね」
抱き締められるなんて何年振りか。
先程のエディーのあたたかさとは違う。大人の体温だ。
十八と言えば立派な成人であるし、イヴだって本来なら卒業してすぐに結婚をする筈だった。
それでもこのひとにとって、イヴはまだこどもなのだ。
「婚約のことは気にせんでいい、お前のすきにしなさい。相手のことも、力のことも」
イヴが母親似というだけなのかもしれない、伊吹も母親似だったから、だから母親が似ているだけなのだろう。父親は特に伊吹の父親に似てはいなかった。
少し安心した。
父親まで似ていたらおれの頭はおかしくなっていたかもしれない。だってあまりにも優しいのだ、両親揃って。
……夢のようだと思った。
「朝食は食べてきたのよね、お昼は食べる?食べるわよね?イヴがすきな鴨のローストサンドにでもしましょうか。夕食は何が良いかしら」
「昼食の前から気が早いぞ」
「あらそうよね、ふふ、久し振りに帰ってくると思うと好物を用意しなきゃと急いてしまって……もう卒業したのだからすぐに戻ってしまうこともないのにね」
涙を拭って離れる母さまに胸がぎゅう、とした。
母親に愛されるというのはこういうことなのか、と、十八にして知ってしまった。
父親も兄も弟も。
屋敷で働く者たちも竜だって、皆眼差しがあたたかい。
伊吹の周りと、つい先程までいた学園とは全く違う。
……BLゲームの今更の攻略なんてどうでもいい、婚約破棄なんてあの場ではそりゃあ酷い羞恥心を感じたし、周りの冷たい視線にも、誰も助けてくれないことに惨めさも感じた。けれどそれすらもうどうでもよかった。
この家族から離れたくない、そう思ってしまった。
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