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恵み月の嵐

第116話

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 ぼんやりと考えながら、差し出されたスコーンへ口を開く。四つ目のスコーンにキャラメルソースをくぐらせ、ローデリヒは指を指揮棒のように振った。
「ゼクレス子爵はさ、奥さんが亡くなってすぐに、三人の子供も原因不明で突然亡くなって自分も首を吊って自殺したんだよ。そんで、今でも男爵の幽霊が奥さんと子供たちの名前を呼んで屋敷跡をさまよってるんだってさ。いっとき騎士の間で旧ゼクレス邸での肝試しが流行ったくらいだぜ」
「……リヒ様は、やっぱりそういう俗な噂をよくご存知ですね」
「おう!」
 褒めてないんだよ、ローデリヒ。しかし騎士たちとそんな話をするくらい、仲良くしているということでもある。ゆえにローデリヒは騎士からの好感度が高い。だからこうして、騎士たちの間でしか囁かれていないような噂話も知っている。市井に近い公爵家令息。ローデリヒはそういうところが良いところなのだ。
「う~ん。もしよければ、もう少し詳しい噂を集めてもらえますか。リヒ様」
「いいぜ。何が聞きたいんだ?」
「何でも。ゼクレス邸の噂は全て。大したことない噂も含め、全て、です」
「よっしゃ、まかせとけ! オレの得意分野だぜ! 来月には収穫祭があるし、また肝試しに行こうってヤツが増えるかもな」
「収穫祭、ですか?」
「ああ。平民地域の収穫祭も楽しいけど、貴族地域でも神殿が仕切って収穫祭をやるんだよ」
「へぇ……お祭りかぁ」
「行きたいの? ヴァン」
 イェレミーアスの優しい声に、背中を預ける。
「ううん。肝試しに行く人が増えて、ぼくが買おうと思っている土地を荒らされたら困るなぁ、って」
「じゃあ、友達があの土地を買おうとしてるから汚すなって言っとくよ」
「内緒にしてくださいね、ってお願いしておいてください」
「おう!」
 おお、初めてローデリヒが頼もしく見える。張り切るローデリヒを眺めながら、フレートへ視線を送る。近づいて来たフレートに耳打ちする。
「ゼクレス子爵の情報を集めてください」
 貴族社会は情報戦の社会だ。貴族の中でも、そういった表に出ない情報をきちんと裏取りして売買している者がいる。大きな家門などは、そういう人間を独自に抱えていると聞く。そういう人間から、情報を買って来てほしい。そういう意味である。
「ゼクレス子爵……ですか」
「? そうです。どうかしましたか?」
「……」
 珍しく思案顔で少し顔を傾け、顎へ手を当てているフレートを見つめる。シャツの上にジレ、膝丈のズボン、白タイツ、ジャボタイにリヴレア。白タイツですら似合うのだから、フレートがどれほど美形か分かろうというものだ。うちのお仕着せが蝶ネクタイではなくジャボタイなのはぼくの趣味である。顔がいいってすごい。
「スヴァンテ様。実はゼクレス子爵は去年まで、情報入手先の一つでした」
「……ゼクレス子爵が、情報を売っていたのですか?」
「ええ。亡くなったと聞いて誰かから恨みを買ったのか、集めた情報の中にゼクレス子爵を殺してでも拡散を防ぎたいものがあったのか、と思ったので覚えておりました」
 主がアホなことを考えていたというのにうちの執事は優秀である。ぼくは何となく、一つ咳払いをして答えた。
「……ものすごく怪しいですね。その辺りの情報がほしいです。お願いできますか、フレート」
「かしこまりました」
 ルクレーシャスさんが、スコーンにミルクジャムをたっぷり塗って頬張っている。フレートが出て行くのを目路に入れ、お腹へ置かれたイェレミーアスの手を両手で包む。
「……もう一つの候補だった土地の元持ち主である、シェーファー男爵は跡継ぎがいなくて爵位を返還した、ということでしょうか」
「ああ。シェーファー男爵は確か、一代貴族でご子息は爵位を継げなかったんだ」
 背中から伝わる、ボーイソプラノが響いて体がくすぐったい。包み込むように抱きしめられ、頬と頬を合わせられた。
「騎士爵だったのですね」
 武勲を立てた騎士が、叙爵することがある。家を継げない貴族の次男三男が騎士になるのは、これを狙ってのことだ。だが騎士としての武勲を認められ叙された爵位は大抵、男爵位である。しかも叙爵された本人のみ、一代限りで爵位を子へ継承できない。そこからさらに子爵位を賜るなど、上位の爵位を叙されるのはよほどの功績を上げねばならない。例えば、ぼくの父親であるアンブロス子爵のように皇王の命を助けるなどの、大きな手柄がなければ下級貴族や平民が爵位を得るのは難しいのだ。
「……ヴァン。シェーファー男爵のご子息はシェルケ辺境伯の元で騎士として勤めていたはずだ。腕のいい弓使いで、まだ若いのに中隊長を任されていたが流行り熱で亡くなったと聞いた」
「知ってる。直前の領地戦で活躍して叙勲は確実って言われてたのに亡くなったんじゃなかったっけか」
 ルクレーシャスさんが伸ばした手の先から、スコーンを奪い取ってローデリヒが相槌を打った。ルクレーシャスさんのしっぽが毛羽立つのを目路へ入れながら散らばった情報を整理する。
「……直前の領地戦、というと去年のレンツィイェネラとの小競り合いでしょうか……」
「ああ。それだ」
 イェレミーアスが頷く動きが背中越しに伝わる。流行り熱とはおそらく、インフルエンザのようなものだろう。この世界は風邪ですら、命取りとなる。栄養状態の悪い平民ならば、風邪で死んでしまうことはよくある。よくある、のだが。
 日ごろから鍛えている騎士が、そんなに簡単に亡くなるものだろうか。何か引っかかる。
「例えば、シェーファー男爵のご子息が叙勲を逃したのならば、代わりに叙勲されるような方はいらっしゃったのでしょうか」
 イェレミーアスの手の甲を、指の腹で撫でながら尋ねる。いたずらを咎めるように指を掴まれてえへへ、と笑いながら振り返ると、目で叱られた。
「……叙爵ではないが、シェルケ辺境伯のご令嬢の婚約者であるリーツ子爵が代わりに領地を賜ったはずだよ、ヴァン」
「ひょっとして、シェーファー男爵令息とはライバルだったのでは?」
「……ライバル、ではなかったけど、リーツが一方的に敵視してた、ぜ……」
 ローデリヒは己の吐いた言葉に、己で傷ついた様子で呆けている。思い至ってしまったのだろう。親しくはなくとも、どちらも見知っていたのかも知れない。
 機会があれば、手段があれば、己の身が守れるのならば。絶対に安全だよ、と囁かれれば。人は、たったそれだけの理由で人を殺す。
 そうやって安易に己にとって少しだけ不都合な人間を排除する癖のついた人間が、果たしてこの先も我慢をするだろうか。努力をするより、再び人を殺す選択をするのではないだろうか。その手段が、簡単で巧妙で自分が殺したと見つかりにくければ、見つかりにくいほどその選択は簡単になるのではないだろうか。
 例えば、そんな短慮な人間などそのことを理由に脅されたとなれば、ミレッカーのいう通りの駒になってしまうのではないだろうか。
 それは、愛する人を病から救う薬を与える代わりに言うことを聞けと脅すより、簡単な方法なのではないだろうか。
 例えば、そういう人間を増やし続けたらどうなるだろうか。やりようによっては、国を掌握できてしまうのではないだろうか。薬学士を使ったのならば、それが容易くなるのではないだろうか。
 イェレミーアスはふる、と身震いをしたぼくを包むように抱きしめ、顔を寄せた
「イェレ兄さま、辺境伯家には薬学士と医者が常駐しているのですよね?」
「ああ。常時、数人常駐している。辺境は、戦場だからね。他領より、多くの医師と薬学士を抱えているはずだ」
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