上 下
115 / 120
恵み月の嵐

第114話

しおりを挟む
 金色のお耳がぱたぱたと動いた。ぎゅう、っと抱きしめられて遠慮なく背中へ手を回す。
「ぼくが前世の年齢とか考えず素直に甘えられるのは、ルカ様だけですよ」
「知っているよ」
 ぽんぽん、と頭を撫でられて目を閉じる。胸へ顔を埋めた。ルクレーシャスさんからは、仄かに乾いたシダ―ウッドとお菓子の甘い香りがした。
「スヴァンくん」
「はい」
「君はわたくしを心配させた罰として、わたくしにキャラメルを奉納しなさい」
「……台無しです、ルカ様……」
「はははっ」
 ぼくがぼやくと、ルクレーシャスさんは耳をぱたぱたさせて笑った。しばらくぼくを抱えたまま、あやすように揺らしてフレートを呼ぶ。
「スヴァンくんをお部屋に戻して、わたくしにキャラメルを取って来ておくれ」
「……かしこまりました」
 開きっぱなしにした扉の枠に凭れかかり、手を振るルクレーシャスさんをフレートの肩越しに眺める。普段はぼくのすることに口を挟まないのに、ちゃんと頼りになる師匠だ。
 フレートに抱っこされて自室へ戻る。ぼくの部屋の前に、イェレミーアスが待っていた。
「ヴァン」
 ぼくを認めると、手を広げる。フレートの腕から、イェレミーアスの腕へ移動した。
「では、私は晩餐の準備をしてまいります」
「うん。お願いね」
 普段通りに夕食を済ませ、イェレミーアスとラルクと共に湯あみをして、イェレミーアスと一緒にベッドへ横たわる。最近はそこに、ルチ様も加わって三人で眠ることがほとんどだ。ルチ様は明け方になると、大抵いつの間にか姿を消している。精霊のお仕事があるんだろうか。この世界でも、明けの明星は金星のことである。そう、明けの明星。ルチファー。神に逆らった天使の名だ。
「今日は皇宮へ行く用事はないから、私の朝稽古を見学するのだよね? ヴァン」
「はい。いつも通り、木陰で読書をしながら見学します」
「じゃあ今日は、朝稽古の後に訓練場を一周走ろうね、ヴァン。だから今日は、まず軽装で出かけよう」
「……ひぇ……、はい……」
 ひぃふぅ言いながらなんとか訓練場を一周走り、イェレミーアスに抱えられて屋敷へ戻る。風呂に入りたかったけど水は貴重なので、体を拭くだけに留めて午前の授業を受け、午後はヨゼフィーネ伯爵夫人からマナーとダンスを習う。マナーとダンスの授業が終わったら、今日は事業について考える。
 本格的に貴族向けの競馬を事業化することにした。この世界は騎士が居るから、騎士たちの訓練として馬場競技がある。そして馬場競技の優勝者が誰になるかを当てる、賭博もある。しかしそもそも騎士の鍛錬が目的なため、馬の障害物レースみたいなものなのだ。単純に馬が出走するだけの、いわゆる競争《レース》というものはない。
 しかも競馬はありとあらゆる収益化への手段を含んでいる。馬主を貴族に限れば、名誉と権力を示すこともできる。騎手は下級貴族と平民から募り、賞金を与える。名馬を育てる下級貴族や平民も潤う。二、三年で実現したい。そのための計画を練って、具体的に指示を出すためにメモをして行く。
 初めはぼくが馬主、騎手の雇用、全てを兼務するしかない。儲かると十分周囲に知らしめてから、年会費を払えば他の貴族も馬主として参加できるようにすればいいし、どの馬にどの騎手が乗るかは公平にくじ引きとかにすればいい。騎手は主催、つまりぼくらが自由に雇用できるようにするつもりだ。これはいずれは平民も騎手になれるようにするためである。そう、孤児院で育てた子たちを適材適所で雇用するのだ。孤児院の孤児たちの中から適性のある者を育てれば、ぼくの名声も広がる。いいことづくめた。ぼくはなんて悪い子なんだろう。うひひ。
 机に向かっているぼくの手元を覗き、イェレミーアスは苦笑いをした。椅子の背もたれに置かれた手の熱を感じて、ぼくは振り返った。
「なるほど、賭け金から賞金と配当を引いたものを、馬の持ち主と騎手に還元するのか。儲かると分かれば貴族がこぞって自分の馬を競技へ出せと言うだろう。君は本当に非凡だな、ヴァン」
「……金に汚いのですよ、イェレ兄さま」
 後ろ盾がないぼくは、とにかく誰にも利益を奪われない、自分だけの資金を稼がねばならない。イェレミーアスたちを養うにも孤児院を経営するにも、金が要る。
「……よい馬を育てる牧場を、いくつか知っている。君の力になれるかい? ヴァン」
「! ありがたいです、イェレ兄さま。とってもとっても、助かります!」
 あとは騎手だ。当然、乗馬を嗜むのは騎士と貴族のみ。もしくはそれこそ、騎士向けに馬を育てている牧場に関わっている平民くらいだろう。初めは騎士か、貴族から騎手を募るしかないだろう。
「あとは騎手なのですが……」
 騎士は全て、デ・ランダル神教と皇王に忠誠を誓ったエファンゲーリウム騎士団の団員で、貴族出身か貴族家門に属している。それ以外は平民の傭兵で、傭兵たちのことは騎士とは呼ばない。つまり大きな括りで言うと、騎士は全て皇王の部下、というわけである。二、三回腕試しで賭けレースに出場するくらいは咎められないだろう。しかし正式な雇用主が皇王である騎士は、賭けレースで賞金を稼ぐことを専門にはできない。そう、それが大事だ。今のところ騎手になれるのは騎士だけだが、騎士を辞してまで騎手になりたがる騎士はいない。だから平民の新たな職業としての道が開けるというわけだ。だがまずは騎手が要る。要る、のだが。
 イェレミーアスは腕を組んで頭を傾け、視線を右上辺りへ流した。
「例えば、領主が社交で皇都に来ている間、付き添いとしてタウンハウスへ同行した騎士たちはその間、暇ができる。当主の護衛に付く人数は限られているが、領地から同行するのは一個師団だ。相当の人数が皇都のタウンハウスで訓練しながら待機になる。そういう待機している騎士たちの小遣い稼ぎにもなるし、分団ごとに分けて競わせれば士気を鼓舞することにも繋がる。ラウシェンバッハの当主は代理のグイードだから、グイードに頼んでラウシェンバッハの、父が目をかけていた騎士に声をかけてみようか?」
「グイードというと、リース卿ですか?」
「ああ」
 ちなみに一個師団というと、作戦遂行に必要な各種部隊を含めた実行部隊、ということなので最小でも六千から一万人くらいの騎士からなる。当主と皇都に上がるのだから、エリート中のエリートであり腹心が率いる部隊だろう。まぁ、今回の社交シーズン、リース卿は皇都には来られなかったわけだが。そう、諸々が急過ぎて間に合わなかったのだ。それでもおそらくは、イェレミーアスを代理として出発する予定を組んでいたはずではあるが……。
 しかし、前ラウシェンバッハ辺境伯を殺したハンスイェルクはラウシェンバッハ辺境伯が今年の社交シーズンには、皇都へ来られないことを知っていたので準備万端だった。だから顔を出せたわけである。自分がラウシェンバッハ辺境伯の死に関わっていますよ、と言わんばかりの行動だが、そんなことに気づくような人間ならもっと上手く立ち回っているだろう。
「……リース卿は、ラウシェンバッハのタウンハウスへ滞在なさるのでしょうか」
「どうだろう。叔父上がタウンハウスへ居座るのではないかな」
 そりゃそうか。ハンスイェルクからすれば、皇都のタウンハウスに居る前ラウシェンバッハ伯爵の勢力を一掃しておきたいに違いない。
「来年もそんな状態ならば、リース卿やご一行をこちらへお泊めするのもよいかもしれません」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

マヨマヨ~迷々の旅人~

雪野湯
ファンタジー
誰でもよかった系の人に刺されて笠鷺燎は死んだ。(享年十四歳・男) んで、あの世で裁判。 主文・『前世の罪』を償っていないので宇宙追放→次元の狭間にポイッ。 襲いかかる理不尽の連続。でも、土壇場で運良く異世界へ渡る。 なぜか、黒髪の美少女の姿だったけど……。 オマケとして剣と魔法の才と、自分が忘れていた記憶に触れるという、いまいち微妙なスキルもついてきた。 では、才能溢れる俺の初クエストは!?  ドブ掃除でした……。 掃除はともかく、異世界の人たちは良い人ばかりで居心地は悪くない。 故郷に帰りたい気持ちはあるけど、まぁ残ってもいいかなぁ、と思い始めたところにとんだ試練が。 『前世の罪』と『マヨマヨ』という奇妙な存在が、大切な日常を壊しやがった。

転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい

翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。 それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん? 「え、俺何か、犬になってない?」 豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。 ※どんどん年齢は上がっていきます。 ※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。

自由気ままな生活に憧れまったりライフを満喫します

りまり
ファンタジー
がんじがらめの貴族の生活はおさらばして心機一転まったりライフを満喫します。 もちろん生活のためには働きますよ。

前世は大聖女でした。今世では普通の令嬢として泣き虫騎士と幸せな結婚をしたい!

月(ユエ)/久瀬まりか
ファンタジー
伯爵令嬢アイリス・ホールデンには前世の記憶があった。ロラン王国伝説の大聖女、アデリンだった記憶が。三歳の時にそれを思い出して以来、聖女のオーラを消して生きることに全力を注いでいた。だって、聖女だとバレたら恋も出来ない一生を再び送ることになるんだもの! 一目惚れしたエドガーと婚約を取り付け、あとは来年結婚式を挙げるだけ。そんな時、魔物討伐に出発するエドガーに加護を与えたことから聖女だということがバレてしまい、、、。 今度こそキスから先を知りたいアイリスの願いは叶うのだろうか? ※第14回ファンタジー大賞エントリー中。投票、よろしくお願いいたします!!

病弱幼女は最強少女だった

如月花恋
ファンタジー
私は結菜(ゆいな) 一応…9歳なんだけど… 身長が全く伸びないっ!! 自分より年下の子に抜かされた!! ふぇぇん 私の身長伸びてよ~

喰らう度強くなるボクと姉属性の女神様と異世界と。〜食べた者のスキルを奪うボクが異世界で自由気ままに冒険する!!〜

田所浩一郎
ファンタジー
中学でいじめられていた少年冥矢は女神のミスによりできた空間の歪みに巻き込まれ命を落としてしまう。 謝罪代わりに与えられたスキル、《喰らう者》は食べた存在のスキルを使い更にレベルアップすることのできるチートスキルだった! 異世界に転生させてもらうはずだったがなんと女神様もついてくる事態に!?  地球にはない自然や生き物に魔物。それにまだ見ぬ珍味達。 冥矢は心を踊らせ好奇心を満たす冒険へと出るのだった。これからずっと側に居ることを約束した女神様と共に……

転生することになりました。~神様が色々教えてくれます~

柴ちゃん
ファンタジー
突然、神様に転生する?と、聞かれた私が異世界でほのぼのすごす予定だった物語。 想像と、違ったんだけど?神様! 寿命で亡くなった長島深雪は、神様のサーヤにより、異世界に行く事になった。 神様がくれた、フェンリルのスズナとともに、異世界で妖精と契約をしたり、王子に保護されたりしています。そんななか、誘拐されるなどの危険があったりもしますが、大変なことも多いなか学校にも行き始めました❗ もふもふキュートな仲間も増え、毎日楽しく過ごしてます。 とにかくのんびりほのぼのを目指して頑張ります❗ いくぞ、「【【オー❗】】」 誤字脱字がある場合は教えてもらえるとありがたいです。 「~紹介」は、更新中ですので、たまに確認してみてください。 コメントをくれた方にはお返事します。 こんな内容をいれて欲しいなどのコメントでもOKです。 2日に1回更新しています。(予定によって変更あり) 小説家になろうの方にもこの作品を投稿しています。進みはこちらの方がはやめです。 少しでも良いと思ってくださった方、エールよろしくお願いします。_(._.)_

私が出て行った後、旦那様から後悔の手紙がもたらされました

新野乃花(大舟)
恋愛
ルナとルーク伯爵は婚約関係にあったが、その関係は伯爵の妹であるリリアによって壊される。伯爵はルナの事よりもリリアの事ばかりを優先するためだ。そんな日々が繰り返される中で、ルナは伯爵の元から姿を消す。最初こそ何とも思っていなかった伯爵であったが、その後あるきっかけをもとに、ルナの元に後悔の手紙を送ることとなるのだった…。

処理中です...