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罪と、罰と、後悔と
第109話
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「? ルチ様?」
『……今は、一緒に居てやれ』
「……はい」
絶対に拗ねると思ったのに意外である。何かルチ様、イェレミーアスには寛大じゃない? やっぱアレか。美少年だからか。妖精と精霊は美しいものが好きだっていうから、そのせいか。じゃあぼくに構うのは何でだ? アレか。おもろか。おもろいからか。何か悔しい。キィッ!
ふざけていないと、頭に浮かぶ有り得ない想像が膨らんでしまうから、ぼくは必死でその考えを打ち消した。
発生地点、とルチ様は言った。では、発生条件とは何だろう。
――精霊は、どうやって生まれる?
ぼくは軽く頭を横へ振った。
当たり前のように屋敷の中へ消えて行くルチ様へ続いて、玄関ホールの中へ入る。ルクレーシャスさんはホールから左へ曲がって行く。おそらくコモンルームでお菓子を食べるのだろう。イェレミーアスはぼくを抱っこしたまま、階段を上がって二階の自室へ直行した。それから部屋へ入るとぼくを抱えたまま、ごろんとベッドへ横になってしまった。
「……イェレ兄さま?」
「……うん」
「疲れちゃいました?」
「……うん」
心が疲弊すると、人は些細な日常の動作すらできなくなってしまう。精神が飽和状態になっているのだろう。イェレミーアスには今、こうして「何もしない」ことが必要なのだ。そう考えて大人しくイェレミーアスの胸に収まる。
あとでジークフリードへ手紙を出そう。ウード公にタウンハウスへご足労いただけないかどうかお願いしてみよう。イェレミーアスにはきっと、今は頭を空っぽにして打ち込む「何か」が必要だ。ぼくが何もかもが嫌になった時、無心にお菓子を作る時間が必要なように。
だから今は、ただただイェレミーアスの頭をそっと抱きしめて歌を歌う。イェレミーアスには馴染みのない日本語の歌は、彼の耳に、心に、どんな風に聞こえるのだろう。どうかひたすらに優しく。その傷ついた心へ、どこまでも優しく響きますようにと願ってぼくは小さな声で歌い続けた。
それから三日ほど、イェレミーアスの手はぼくを抱っこするためだけに存在していて大変だった。ぼくを抱えるためにしか手を使わないので、膝に乗ったぼくがイェレミーアスの口へ食事を運ぶ。顔を洗って、服を着せて、剣の稽古もせずにぼくと日向ぼっこして、ぼくと一緒にお風呂へ入って、ぼくを抱えて眠る。時々思い出したかのようにただじっとぼくを見つめる勿忘草色の虹彩を、ぼくもただ見つめ返した。
三日目の朝、イェレミーアスは静かに、けれどきっぱりとぼくへ宣言した。
「ヴァン。私は許さない。バルテルも、ハンスイェルクも、シェルケもミレッカーも全てに復讐する」
私に力を貸して、もらえるだろうか。
そう囁いた勿忘草色の虹彩は、妙に高く澄んでいた。だからこそ、彼が口にした復讐への決意と怒りが見て取れる。それは決して消えることのない炎となって、穏やかな勿忘草を燃やしていた。
「最初からずうっと、ぼくはイェレ兄さまのお手伝いをしますと言っていますよ」
君に復讐が必要なら、手を貸そう。そうしなければ前に進めないのであれば、それは必要なのだろう。その後のことは、後になってから考えればいい。
「けれど約束してください。どれだけ陰惨な復讐を行ってもいい。でも、イェレ兄さま自身の手で、彼らを裁かないでください。裁きは法に委ねましょう。お約束、いただけますか」
「……君は」
「はい」
「酷い子だな」
そう言葉にしながら、イェレミーアスはどうしようもなく愛しそうに笑った。だからぼくは、できるだけ正直に答える。
「はい。ぼくは、あんな人間のためにイェレ兄さまが人間性を失うのが嫌なんです」
卑怯者を断罪する時こそ、綺麗事が必要だとぼくは思う。ヒーローや、正義の味方は卑怯であってはいけないんだ。人間としてそこだけは譲れない、捨ててはいけない部分であるとぼくは信じている。ただの下らないヒューマニズムだと言われても構わない。相手が卑怯で卑劣であればあるほど、綺麗事で勝つ必要があると思う。綺麗事を捨ててしまったのが、卑怯者だからだ。復讐をしてもいい。だがぼくは、ぼくが大事に思う人たちが、他人を踏み躙って平気な卑怯者と同じにはなってほしくないんだ。分かっている。これはただの、ぼくの我儘だ。
凪いだ瞳がぼくを映している。騎士の誓いをするように、ぼくの手を取ってイェレミーアスは自分の胸の上へぼくと、自分の手を重ねた。
「……全てが終わったら、一つだけ、私の願いを聞いてほしい。ただし私は生涯、君のどんなに小さな願いも断らないと誓う」
「――……分かりました」
次の日、ジークフリードとウード公がやって来た。容赦なくウード公に打ち込まれ、往なされ、それでも向かって行くイェレミーアスは鬼気迫るものがあった。ジークフリードもローデリヒも、ラルクですら静かに立ち尽くして見つめていた。倒れ込んだイェレミーアスへ、ウード公は一言零した。
「自暴自棄の剣で、貴公は何を成す? 何を、守れると思う?」
「……私を、騎士にしてください。もう二度と、何も奪われぬ騎士に」
「よかろう」
イェレミーアスはウード公の返事を聞くと、意識を失った。ぼくは泣きたかったし、文句を言いたかったけど我慢した。イェレミーアスを運んでほしいとルチ様を呼んだら、無言で頬を拭われた。
翌日からはいつも通りのイェレミーアスだったが、剣術の稽古の時だけは今までと様子が違っていた。ローデリヒが完全に置いて行かれている。イェレミーアスの相手をしているラルクの木刀が、短剣の二刀流になっていた。初めて見る。
「アスさんが本気だから、オレもいつもと同じにしないと練習になんないんだよ。オレと父ちゃんは元々、短剣《スティレット》使いだからさ」
ラルクの戦い方は完全に、急所を刺すことのみに特化している。これまではイェレミーアスやローデリヒに付き合って、得意ではない長剣での戦いをしていたのだ。それでもローデリヒ自身も、自分よりラルクの方が強いと感じていた。けれどイェレミーアスに応えて慣れた戦い方を見せたラルクは、イェレミーアスを圧倒するほどの強さである。二人の戦い方は決定的に違う。騎士と暗殺者。どこかで分かっていたのに、そのことは容赦なくぼくへ現実を突き付けた。
数日後、ぼくは皇宮へ向かう馬車の中に居た。そう、ジークフリードとの勉強を再開したのだ。まるで自分の別荘みたいに訪れてはいたけど、今までみたいに思い付いたらすぐ会えるという状況ではない。だから久しぶりに皇宮の勉強部屋で顔を合わせた時、ジークフリードは最近では珍しい無邪気な笑みを見せた。
「よく来た、スヴェン。なんだか久しぶりな気がするな」
「ええ。ぼくもなんだか、久しぶりな気分です。ジーク様」
「もっと遊びに来てくれ。お前に会えなくて寂しい」
そうだね。そうだ。いつでも会えた友達と、会いに行かなくては会えないのは何だか少し寂しい。これからはお互いもっと忙しくなるだろう。外出がままならない立場、というじれったさをジークフリードは初めて感じているのだろう。けれどきっとジークフリードには侍従も増えて、この寂しさに慣れて行く。その時今度はぼくが、寂しいと感じるのかもしれない。僅かに頭を傾け、ぼくは笑みを作った。
「……はい」
勉強部屋には、机が一つ、追加されていた。イェレミーアスの分である。だが今は、イェレミーアスはウード公のところで剣術の稽古中である。イェレミーアスとぼくらは年齢が空いている分、勉強の進みに開きがあるんだよね。
『……今は、一緒に居てやれ』
「……はい」
絶対に拗ねると思ったのに意外である。何かルチ様、イェレミーアスには寛大じゃない? やっぱアレか。美少年だからか。妖精と精霊は美しいものが好きだっていうから、そのせいか。じゃあぼくに構うのは何でだ? アレか。おもろか。おもろいからか。何か悔しい。キィッ!
ふざけていないと、頭に浮かぶ有り得ない想像が膨らんでしまうから、ぼくは必死でその考えを打ち消した。
発生地点、とルチ様は言った。では、発生条件とは何だろう。
――精霊は、どうやって生まれる?
ぼくは軽く頭を横へ振った。
当たり前のように屋敷の中へ消えて行くルチ様へ続いて、玄関ホールの中へ入る。ルクレーシャスさんはホールから左へ曲がって行く。おそらくコモンルームでお菓子を食べるのだろう。イェレミーアスはぼくを抱っこしたまま、階段を上がって二階の自室へ直行した。それから部屋へ入るとぼくを抱えたまま、ごろんとベッドへ横になってしまった。
「……イェレ兄さま?」
「……うん」
「疲れちゃいました?」
「……うん」
心が疲弊すると、人は些細な日常の動作すらできなくなってしまう。精神が飽和状態になっているのだろう。イェレミーアスには今、こうして「何もしない」ことが必要なのだ。そう考えて大人しくイェレミーアスの胸に収まる。
あとでジークフリードへ手紙を出そう。ウード公にタウンハウスへご足労いただけないかどうかお願いしてみよう。イェレミーアスにはきっと、今は頭を空っぽにして打ち込む「何か」が必要だ。ぼくが何もかもが嫌になった時、無心にお菓子を作る時間が必要なように。
だから今は、ただただイェレミーアスの頭をそっと抱きしめて歌を歌う。イェレミーアスには馴染みのない日本語の歌は、彼の耳に、心に、どんな風に聞こえるのだろう。どうかひたすらに優しく。その傷ついた心へ、どこまでも優しく響きますようにと願ってぼくは小さな声で歌い続けた。
それから三日ほど、イェレミーアスの手はぼくを抱っこするためだけに存在していて大変だった。ぼくを抱えるためにしか手を使わないので、膝に乗ったぼくがイェレミーアスの口へ食事を運ぶ。顔を洗って、服を着せて、剣の稽古もせずにぼくと日向ぼっこして、ぼくと一緒にお風呂へ入って、ぼくを抱えて眠る。時々思い出したかのようにただじっとぼくを見つめる勿忘草色の虹彩を、ぼくもただ見つめ返した。
三日目の朝、イェレミーアスは静かに、けれどきっぱりとぼくへ宣言した。
「ヴァン。私は許さない。バルテルも、ハンスイェルクも、シェルケもミレッカーも全てに復讐する」
私に力を貸して、もらえるだろうか。
そう囁いた勿忘草色の虹彩は、妙に高く澄んでいた。だからこそ、彼が口にした復讐への決意と怒りが見て取れる。それは決して消えることのない炎となって、穏やかな勿忘草を燃やしていた。
「最初からずうっと、ぼくはイェレ兄さまのお手伝いをしますと言っていますよ」
君に復讐が必要なら、手を貸そう。そうしなければ前に進めないのであれば、それは必要なのだろう。その後のことは、後になってから考えればいい。
「けれど約束してください。どれだけ陰惨な復讐を行ってもいい。でも、イェレ兄さま自身の手で、彼らを裁かないでください。裁きは法に委ねましょう。お約束、いただけますか」
「……君は」
「はい」
「酷い子だな」
そう言葉にしながら、イェレミーアスはどうしようもなく愛しそうに笑った。だからぼくは、できるだけ正直に答える。
「はい。ぼくは、あんな人間のためにイェレ兄さまが人間性を失うのが嫌なんです」
卑怯者を断罪する時こそ、綺麗事が必要だとぼくは思う。ヒーローや、正義の味方は卑怯であってはいけないんだ。人間としてそこだけは譲れない、捨ててはいけない部分であるとぼくは信じている。ただの下らないヒューマニズムだと言われても構わない。相手が卑怯で卑劣であればあるほど、綺麗事で勝つ必要があると思う。綺麗事を捨ててしまったのが、卑怯者だからだ。復讐をしてもいい。だがぼくは、ぼくが大事に思う人たちが、他人を踏み躙って平気な卑怯者と同じにはなってほしくないんだ。分かっている。これはただの、ぼくの我儘だ。
凪いだ瞳がぼくを映している。騎士の誓いをするように、ぼくの手を取ってイェレミーアスは自分の胸の上へぼくと、自分の手を重ねた。
「……全てが終わったら、一つだけ、私の願いを聞いてほしい。ただし私は生涯、君のどんなに小さな願いも断らないと誓う」
「――……分かりました」
次の日、ジークフリードとウード公がやって来た。容赦なくウード公に打ち込まれ、往なされ、それでも向かって行くイェレミーアスは鬼気迫るものがあった。ジークフリードもローデリヒも、ラルクですら静かに立ち尽くして見つめていた。倒れ込んだイェレミーアスへ、ウード公は一言零した。
「自暴自棄の剣で、貴公は何を成す? 何を、守れると思う?」
「……私を、騎士にしてください。もう二度と、何も奪われぬ騎士に」
「よかろう」
イェレミーアスはウード公の返事を聞くと、意識を失った。ぼくは泣きたかったし、文句を言いたかったけど我慢した。イェレミーアスを運んでほしいとルチ様を呼んだら、無言で頬を拭われた。
翌日からはいつも通りのイェレミーアスだったが、剣術の稽古の時だけは今までと様子が違っていた。ローデリヒが完全に置いて行かれている。イェレミーアスの相手をしているラルクの木刀が、短剣の二刀流になっていた。初めて見る。
「アスさんが本気だから、オレもいつもと同じにしないと練習になんないんだよ。オレと父ちゃんは元々、短剣《スティレット》使いだからさ」
ラルクの戦い方は完全に、急所を刺すことのみに特化している。これまではイェレミーアスやローデリヒに付き合って、得意ではない長剣での戦いをしていたのだ。それでもローデリヒ自身も、自分よりラルクの方が強いと感じていた。けれどイェレミーアスに応えて慣れた戦い方を見せたラルクは、イェレミーアスを圧倒するほどの強さである。二人の戦い方は決定的に違う。騎士と暗殺者。どこかで分かっていたのに、そのことは容赦なくぼくへ現実を突き付けた。
数日後、ぼくは皇宮へ向かう馬車の中に居た。そう、ジークフリードとの勉強を再開したのだ。まるで自分の別荘みたいに訪れてはいたけど、今までみたいに思い付いたらすぐ会えるという状況ではない。だから久しぶりに皇宮の勉強部屋で顔を合わせた時、ジークフリードは最近では珍しい無邪気な笑みを見せた。
「よく来た、スヴェン。なんだか久しぶりな気がするな」
「ええ。ぼくもなんだか、久しぶりな気分です。ジーク様」
「もっと遊びに来てくれ。お前に会えなくて寂しい」
そうだね。そうだ。いつでも会えた友達と、会いに行かなくては会えないのは何だか少し寂しい。これからはお互いもっと忙しくなるだろう。外出がままならない立場、というじれったさをジークフリードは初めて感じているのだろう。けれどきっとジークフリードには侍従も増えて、この寂しさに慣れて行く。その時今度はぼくが、寂しいと感じるのかもしれない。僅かに頭を傾け、ぼくは笑みを作った。
「……はい」
勉強部屋には、机が一つ、追加されていた。イェレミーアスの分である。だが今は、イェレミーアスはウード公のところで剣術の稽古中である。イェレミーアスとぼくらは年齢が空いている分、勉強の進みに開きがあるんだよね。
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