まったく知らない世界に転生したようです

吉川 箱

文字の大きさ
上 下
104 / 129
罪に向き合う者

第104話

しおりを挟む
「君の払った、そしてこれから払うだろう代償を考えたらこの程度はして当たり前だ。本当に済まない。君が成人していたとしても息子の軽率な振る舞いを強く戒めねばならぬというのに、君はローデリヒより四つも年下なのだ。最大限の助力をさせてもらわねば、公爵家の名折れだ。だが、だからこそ私は君を子供扱いせず、尊重すると約束しよう。スヴァンテ公子」
「とう……父上」
「いいか、ローデリヒ。お前はスヴァンテ公子に見えている、いくつものことが見えていない。恥じろとは言わない。だが、知らねばならぬ。今回のお前の軽率な頼みで、スヴァンテ公子が何を負うことになったか。まず、イェレミーアスたちを世話する使用人を雇った。住まいを整え、衣類や食を整え、安全を確保した。これらに何が必要か、言ってみろ」
 ローデリヒが、膝の上で拳をぎゅっと握ったのが筋肉の動きと体の強張りで見て取れた。
「お金、です……」
「お前はこれまでにそれを、具体的にいくらほど必要で、どうやって調達しているか、自分ならどうやって調達するか、考えたことがあるか」
「……っ、……」
 膝で拳を握ったまま、ローデリヒは無言で首を横へ振った。その拳へ、手を置いてエステン公爵はローデリヒへ言い含める。それは親であり、公爵として後継者を育てる者としての教えであった。
「お前ならば、私が用意するだろう。だがスヴァンテ公子は? ベステル・ヘクセ殿から金を出してもらっているか? 違うな?」
「……自分で、資金を調達する術を、考えて……実行して、います……」
「そうだ。親の金でのうのうと暮らしているお前と違い、己で己の食い扶持を稼ぎ、その中からイェレミーアスたちへ施している。なんなら稼がねばならぬ金が増えたことで次の手すら考えているだろう。お前の、軽率な行動の結果スヴァンテ公子が払うべきではない金を使わせている。分かるか」
「……はい」
「その上でディートハルトを謀った者が誰かを調べ、証拠を集め、断罪し、イェレミーアスへ爵位を戻そうと策を考えている。お前の一言で、スヴァンテ公子が背負うことになった多くのことを、お前は正しく知らなければならない」
「……はい」
 エステン公爵夫人も黙ってエステン公爵の話を聞いている。ヨゼフィーネも口を挟まない。
「リヒ」
「はい」
「お前と、スヴァンテ公子の違いをじっくり考えなさい」
「……」
 ああ。これは「父と子」の、そして「現当主と次期当主」との会話なのである。エステン公爵からローデリヒへの「教育」なのだ。だからぼくは、静かに目を閉じて待った。
「よってスヴァンテ公子」
「はい」
「今後私は、君をスタンレイ家の当主として扱う。まことに君は、殿下が陛下に逆らってでも己の参謀に欲するに相応しい人材だ」
「過分に評価いただき、恐悦至極でございます」
 エステン公爵はそっと頭を左右へ振る。
「いいや、スヴァンテ公子。貴公は決して、ローデリヒを甘やかさないでくれ。しかし、ゆえに、ローデリヒ」
「はい」
「お前が、スヴァンテ公子を頼ったことは正しかった」
「!」
「よくやった」
「……」
 エステン公爵は大きな手でローデリヒの頭をちょっとだけ乱暴に撫でた。それは間違いなく「父と子」の姿だった。イェレミーアスとぼくには、それが眩しい。ぼくは覚えずイェレミーアスの手を握った。
「……ヴァン? 疲れてしまったのなら、代わろうか?」
 ぼんやりと先日のことを思い出していたぼくを、イェレミーアスが覗き込む。柔らかな勿忘草色へ微笑み返して、ぼくは首を横へ振った。
「ううん。ちょっと考え事を。どうです、イェレ兄さま。おいしい?」
「ああ。おいしいよ」
 ぼくは初めから、この世界では持たなかった。
 イェレミーアスは理不尽に奪われた。
 それを埋めることは、もう叶わないだろう。けれど、ぼくらは喪ったものばかりを眺めて立ち止まるわけにはいかない。例えば、折れた足に添え木をして立ち上がるように。
 初めからなかった、そこに。
 理不尽に奪われた、そこに。
 自分で手を入れ、埋め込み、宛がい、進んでいかなくてはならない。
「骨が折れた場所が治った後、折れる前より丈夫になったりすることがあるんですって」
「……騎士には、怪我がつきものだからね。そういうこともあるんだろう」
「でもね、どこも怪我したことない騎士を見たら、やっぱりちょっとだけここがちくちくして羨ましくなっちゃう。強くなったけど、なんだか寂しくなっちゃうんです。わがままですね」
 胸へ手を当てえへへ、とぼくが笑うとイェレミーアスはぼくの口へダニーがオーブンから出したばかりのクッキーを放り込んだ。
「私も、羨ましくて寂しくなるよ。でも、私にはヴァンがいるから。進んで行ける」
 そうだろう? 声を出さずに動いた唇を眺めて頷く。ああ、イェレミーアスが笑うとできる、下瞼の目頭にできる皺が好きだなぁとぼんやり思う。
「そろそろリヒ様が来る頃ですから、全部食べられちゃう前にイェレ兄さまの分を取っておかなくちゃ」
「ふふ、そうだね」
 そんな話を聞きつけたかのように、騒がしい足音が廊下から響く。
「おーい、アス! スヴェン! お、いー匂い! 腹減っちゃった、それ食っていい?」
 イェレミーアスとぼくは顔を見合わせ、それから厨房の入口に立つローデリヒへ顔を向け笑った。ローデリヒを見るなり笑ったぼくらに、当の本人は目を丸くしただけで厨房のテーブルを指さす。
「なぁ、スヴェンって。それ、食っていい?」
「ふふっ、どうぞ。あ、でも全部食べちゃダメですよ、ルカ様が拗ねます」
「りょーかい! ってことは、これベステル・ヘクセ様んとこに持って行けばいいんだろ?」
 大皿を掴んで厨房を出て行くローデリヒを見送る。何しに来たんだ、一体。
「あ、なぁ! コモンルームにお茶、持って来てくれよ。多分、ベステル・ヘクセ様の分も要るからよろしく!」
 いつも通り、まるで自分の家のように途中で出会った侍女か侍従に頼んでいる声が聞こえる。再びイェレミーアスとぼくは、顔を見合わせた。
「ふふっ」
「あははっ」
「行こうか、ヴァン」
「ええ。あの二人を放っておいたらソファが食べカスだらけになっちゃう」
 コモンルームに行くと、ローデリヒとルクレーシャスさんがポテトチップスを口いっぱいに頬張っているところだった。ぼくは何となく、ジャイアントハムスターを飼っている気分になった。侍女にタオルを多めに持って来るように頼む。あの油だらけの手で、ソファの座面に触らないでほしい。結構お高かったのよ、そのソファ。
「今日は、泊まってっていいか? スヴェン」
「『今日は』じゃないでしょ、いつだって好きな時に泊まって行くでしょ、リヒ様は」
 ぼくはもう、高そうなジレで油だらけの手を拭くローデリヒにそれどころじゃない。すかさずタオルを差し出したが、ぽろぽろばりばりぽろぽろうああああ、お口拭きなさいよッ! ローデリヒからジレを引っぺがして侍女へ渡した。
「洗濯お願いします」
「え、いいのに」
「リヒ様がよくてもぼくがよくないんですその手だって今すぐ洗いたい」
「スヴェンは潔癖すぎるんだよ」
「リヒ様が気にしなさ過ぎるんですっ! 大体なんですか、毎日毎日ひとんちにご飯食べにやって来て!」
「もういい加減慣れなさい、スヴァンくん。いつも通りでいいって君が言ったんでしょ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

知識スキルで異世界らいふ

チョッキリ
ファンタジー
他の異世界の神様のやらかしで死んだ俺は、その神様の紹介で別の異世界に転生する事になった。地球の神様からもらった知識スキルを駆使して、異世界ライフ

誰にでもできる異世界救済 ~【トライ&エラー】と【ステータス】でニートの君も今日から勇者だ!~

平尾正和/ほーち
ファンタジー
引きこもりニート山岡勝介は、しょーもないバチ当たり行為が原因で異世界に飛ばされ、その世界を救うことを義務付けられる。罰として異世界勇者的な人外チートはないものの、死んだらステータスを維持したままスタート地点(セーブポイント)からやり直しとなる”死に戻り”と、異世界の住人には使えないステータス機能、成長チートとも呼べる成長補正を駆使し、世界を救うため、ポンコツ貧乳エルフとともにマイペースで冒険する。 ※『死に戻り』と『成長チート』で異世界救済 ~バチ当たりヒキニートの異世界冒険譚~から改題しました

第3次パワフル転生野球大戦ACE

青空顎門
ファンタジー
宇宙の崩壊と共に、別宇宙の神々によって魂の選別(ドラフト)が行われた。 野球ゲームの育成モードで遊ぶことしか趣味がなかった底辺労働者の男は、野球によって世界の覇権が決定される宇宙へと記憶を保ったまま転生させられる。 その宇宙の神は、自分の趣味を優先して伝説的大リーガーの魂をかき集めた後で、国家間のバランスが完全崩壊する未来しかないことに気づいて焦っていた。野球狂いのその神は、世界の均衡を保つため、ステータスのマニュアル操作などの特典を主人公に与えて送り出したのだが……。 果たして運動不足の野球ゲーマーは、マニュアル育成の力で世界最強のベースボールチームに打ち勝つことができるのか!? ※小説家になろう様、カクヨム様、ノベルアップ+様、ノベルバ様にも掲載しております。

神に異世界へ転生させられたので……自由に生きていく

霜月 祈叶 (霜月藍)
ファンタジー
小説漫画アニメではお馴染みの神の失敗で死んだ。 だから異世界で自由に生きていこうと決めた鈴村茉莉。 どう足掻いても異世界のせいかテンプレ発生。ゴブリン、オーク……盗賊。 でも目立ちたくない。目指せフリーダムライフ!

平民として生まれた男、努力でスキルと魔法が使える様になる。〜イージーな世界に生まれ変わった。

モンド
ファンタジー
1人の男が異世界に転生した。 日本に住んでいた頃の記憶を持ったまま、男は前世でサラリーマンとして長年働いてきた経験から。 今度生まれ変われるなら、自由に旅をしながら生きてみたいと思い描いていたのだ。 そんな彼が、15歳の成人の儀式の際に過去の記憶を思い出して旅立つことにした。 特に使命や野心のない男は、好きなように生きることにした。

形成級メイクで異世界転生してしまった〜まじか最高!〜

ななこ
ファンタジー
ぱっちり二重、艶やかな唇、薄く色付いた頬、乳白色の肌、細身すぎないプロポーション。 全部努力の賜物だけどほんとの姿じゃない。 神様は勘違いしていたらしい。 形成級ナチュラルメイクのこの顔面が、素の顔だと!! ……ラッキーサイコー!!!  すっぴんが地味系女子だった主人公OL(二十代後半)が、全身形成級の姿が素の姿となった美少女冒険者(16歳)になり異世界を謳歌する話。

異世界でネットショッピングをして商いをしました。

ss
ファンタジー
異世界に飛ばされた主人公、アキラが使えたスキルは「ネットショッピング」だった。 それは、地球の物を買えるというスキルだった。アキラはこれを駆使して異世界で荒稼ぎする。 これはそんなアキラの爽快で時には苦難ありの異世界生活の一端である。(ハーレムはないよ) よければお気に入り、感想よろしくお願いしますm(_ _)m hotランキング23位(18日11時時点) 本当にありがとうございます 誤字指摘などありがとうございます!スキルの「作者の権限」で直していこうと思いますが、発動条件がたくさんあるので直すのに時間がかかりますので気長にお待ちください。

テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】

永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。 転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。 こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり 授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。 ◇ ◇ ◇ 本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。 序盤は1話あたりの文字数が少なめですが 全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。

処理中です...