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初めての社交月

第87話

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 イェレミーアスがきっぱりと言い切った。イェレミーアスはぼくを抱えるのが自分の仕事だと思っているようだ。しかし、要らないと言い切れないから仕方ない。
「うむ。そうだな。スヴェンが疲れた時、スヴェンを抱える役目の者が必要だな。アスは同行、リヒは執務室で待機だ」
 ちょっと待ってよ、ジークフリード。君、設定じゃなくて本気でぼくが病弱だと思ってないか?
「ジーク様……。リヒ様、さすがに皇后陛下の御前でくらいは静かにできます、よね?」
 ぼくが助け船を出すと、心象風景的にはその船の縁を思い切り蹴飛ばしてローデリヒは笑った。
「静かにはできねぇけど、大丈夫じゃね?」
 できないのか。本当に大丈夫か公爵家。ジークフリードがぼそりと呟く。
「オレもこんなだったのか……」
 ううん。君は残念な子ではなくてバカ殿下でしたよ。だからローデリヒとはまた、ちょっと違うかな。でも過去形だから大丈夫。
 大変不敬な言葉を何とか飲み込む。絶望しかない、みたいな顔をしているジークフリードへ手を伸ばして眉尻を下げて見せた。
「大丈夫、ジーク様は大分成長なさいましたよ?」
「つまり否定はしないと」
「……リヒ様の、野生の勘のようなものもバカにできないとぼくは思うんですよね」
 話題を変えて視線を逸らす。にっこり笑みを作って顔を傾ける。元々の性分もあるのだろうが、最近のローデリヒには自分がぼくを巻き込んだという自覚がなさ過ぎる。ぼくを巻き込んだ首謀者であるローデリヒが、当事者という認識を薄れさせてしまうのはよくない。そういうところから、企みは破綻するとぼくは思う。ローデリヒは良くも悪くもジョーカーカードなのだ。
「ですので、リヒ様も一緒に行きましょう。でもリヒ様。皇后陛下にご迷惑をおかけしたらしばらくはおやつ抜きです」
「ええっ!? じゃあオレは執務室で待ってるって!」
「ダメです」
「でもよぉ」
「これを機にいい加減、両陛下の前でくらいは失礼のない態度ができるようになりましょう。イェレ様を見習ってください! リヒ様はイェレ様とお一つしかお年が違わないのですよ!」
「アスはアスだもん。ちっちぇころから頭もよくて剣術も天才って言われてたんだぞ? 剣術しか褒められたことのないオレと比べちゃダメだろ、スヴェン」
 ここまで一貫して「オレはオレ、お前はお前」を貫かれると逆に清々しい。嫌いじゃない。納得しかけてしまった。いかんいかん。ルチ様のお膝に抱えられたままローデリヒへ指を立てて見せる。
「リヒ様。そうやって礼節を守れないと、ちょっと前までのジーク様のようにルカ様に嫌われて徹底的に無視されるのです。いいのですか。皇王陛下はルカ様より陰湿でルカ様よりさらに稚拙でルカ様よりさらに狡猾ですよ。そんな方の機嫌を損ね続けて生きるおつもりですか」
「スヴェン、いくら父上でもそこまで酷くはないぞ」
「そうだよ、スヴァンくん。わたくし、気に入らないから一言も話さなかっただけでヴェンほど陰険ではないよ」
「……」
 幼なじみと師匠の言い分を無視して、ローデリヒへ再び顔を向けた。イェレミーアスは静かに前を見たままだ。
「ぼく、リヒ様がその態度で皇王陛下から嫌われても助けませんよ。ちゃんと忠告はしましたからね」
「……っ、うそだろスヴェン? オレたち友達じゃん?」
「一方的に厄介事ばかりを押し付けるのは友人とは呼びません」
「……、……悪かった」
「……いいですか、これはリヒ様から始めたことですよ。ぼくにちゃんとイェレ様を助けさせたいのならば、リヒ様はぼくの要求に最大限応えねばなりません」
「うん……」
 分かってる。十歳にこれを言うのは酷なことだ。本来ならば大人に相談して、任せるのが順当だろう。それでも、始めたのはローデリヒなのだ。その十歳のローデリヒは、六歳のぼくに事を押し付けた。その理不尽は、自覚してもらわなくてはいけない。
 悪い子じゃないし、当たり前の十歳なんだよ、ローデリヒはね。そんなこと分かってる。分かっているんだ。でも、それは命取りになる。ぼくだけではなく、ジークフリードやイェレミーアスや、ローデリヒ自身の命を危険に晒してしまう。だからぼくは、お兄ちゃんとしてちゃんとこの子たちを守らなくてはいけない。言いにくいことも言わなくてはならない。導かなくてはならない。
「リヒ様。相手は地位も権力も有した大人です。人脈も金銭も体力も子供のぼくらが正攻法で勝てる相手ではありません。子供であることで相手の虚を突けるかもしれませんが、それとて大した強みにはなりませんし、一度しか使えない手です。ジーク様や公爵家令息であるリヒ様を亡き者にするのは、さすがに家族が黙っていないでしょうから可能性は低くとも、ぼくとイェレ様は邪魔になれば殺す方が楽でしょう。ぼくはこの話をお受けした時から、その覚悟はしております。リヒ様は、どうですか。自信がないのなら、ぼくらのためにもこの件はお父上にお譲りください」
「リヒ」
「?」
 すっかり項垂れてしまったローデリヒへ、イェレミーアスは穏やかな声で語りかける。
「もう十分すぎるくらいだ。そのくらい、君がスヴァンテ様を頼ったのは正しいことだったと私も思う。だから私をスヴァンテ様に引き合わせてくれて感謝している。だからもう、リヒは普段の生活に戻っていい。また、遊びに来てくれ。君が私の友であることはこの先も変わらないのだから」
「オレ、そんなつもりじゃなかったんだ。アス、スヴェン」
「分かっていますよ。ただ、相手があまりに複雑すぎるかもしれない。だからぼく、リヒ様を守れるかちょっと自信がないんです。エステン公爵家を表立って巻き込んでしまうことに躊躇しています」
 ぼくは自分の膝に置いた手へ、空いた手を重ねた。自分の手の甲をぼんやりと目路に入れる。
「思ったより、関わっている人物が多く根が深そうです。どうやら黒幕はぼくとも悪縁がありそうですし、自分自身のためにも逃れるより暴いた方がいいかもしれない。でもリヒ様は違う。今ならまだ、エステン公爵は同じ皇族派の高位貴族として看過できずに手を出した、ということに収めておける。無関係を装えます」
「……ごめん」
 今、ローデリヒは責められているような気持ちだろう。理解できる。それでもこの子はこの場面で、謝罪が出て来るのだ。だからこそ、巻き込めない。彼だって、まだ大人に守られるべき子供なのだから。
「あんまり気に病まないで、リヒ様。事実上、ぼくの敗北宣言なんです。リヒ様までお守りする自信がありません。だからできれば、お父上の、公爵家のお力でご自身を守っていただきたい。それだけのことなんですよ」
 ぎゅっと噤まれたローデリヒの唇をぼんやりと眺める。「でも」も「だって」も続けない。それが彼の聡明で素直なところだ。
 何よりミレッカー親子が関わっている。あの狂気が代々受け継がれたものだとしたら、企みはこの件だけに留まらないだろう。他にも何か企んでいる。そんな気がしてならない。アイゼンシュタットが接触して来たのも、皇王の勅命を受けていそうなことを仄めかして来たことも怪しい。皇王さえ踏み入ることのできなかったもっと大きな企みに、繋がっている気がしてならないのだ。
 思考を巡らせながら顔を上げると、ジークフリードと目が合った。
「ジーク様はもう、今さら後に引けないのでとことんまでお付き合い願いますよ」
「お、うむ……」
「ミレッカーが何を企んでいるか分かりませんが、ハンスイェルクがミレッカーと繋がっていると見た方がいいでしょう。その仲介役をしたであろうシェルケも確実に怪しい。ことによってはハグマイヤー、シュトラッサー、メスナー辺りも要注意です。ラウシェンバッハ城に彼らの間者がどれほど潜んでいるかも分からない。皇王陛下はもう少し詳しく何かを掴んでいるかもしれません」
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