上 下
80 / 117
初めての社交月

第80話

しおりを挟む
「スヴァンテ様、お手紙が届きましたがいかがいたしましょうか」
「どなたからですか?」
「……アイゼンシュタット辺境伯様からのようです」
「……」
 何というタイミングだろう。疑惑が拭えぬ人物からの手紙とは。しかも先ほど、初めて顔を合わせたばかりだ。アイゼンシュタットは早くに宴を辞したようだった。つまりはあの後、すぐに手紙を書いたということだろう。ぼくには知り合いが少ない。だからぼくがここへ居を構えたことを知る人も少ない、はずだ。
 しかしアイゼンシュタットは宴を辞してすぐ、この屋敷へ手紙を届けてみせた。それができる情報を持ち合わせているということだ。実に油断ならない。敵であれば脅威に、味方であれば頼もしい存在になるだろう。
 トレイの上には手紙と、ペーパーナイフが載っている。ぼくはペーパーナイフと手紙を取った。中身を開いて便せんを広げる。そこには大胆かつ流麗な文字で、短くこうしたためられていた。

「遊びにおいで、妖精さん。明日から毎日、そちらへ馬車を送ろう。都合のいい時に乗っておいで。ルーヘン・アイゼンシュタット」

 深く深く、息を吐き出す。ぼくへ眼差しを向けるみんなの前へ、手紙を広げて見せる。ローデリヒだけが、明るく笑い声を上げた。
「ルーヘン様らしいな。気に入られたぞ、スヴェン。こうなったらルーヘン様はお前が来るまで本当に毎日馬車を送って来るぜ?」
 ローデリヒが軽く便せんを指で弾いた。イェレミーアスは便せんを封筒へしまって、フレートの捧げ持つトレイへ戻した。フレートへ頷いて見せると、トレイを持ったまま部屋を出て行く。
「……悪意はないんだ。行くしかないだろうなぁ……」
 隣に座ったイェレミーアスの手へ、無意識に手を重ねてしまったようだ。ぼくの手を握りしめて、イェレミーアスが微笑む。
「私もご一緒します、スヴァンテ様」
 ま、ま、眩しいぃぃぃ。美少年な上に優しいとか、イェレミーアスは前世でどんな善行を積んだのだろう。人間の徳が違う。よしよし、お兄ちゃんが絶対に守ってあげるからね!
「ありがとうございます、イェレ様」
「それなら、わたくしもご一緒しますわ。アイゼンシュタット様のご令嬢、マルグレート様とは親しくさせていただいておりますもの。お力になれることがあるかもしれませんわ」
 この兄妹は察しが良くてありがたい。アイゼンシュタットの思惑が分からないこの誘いに、向こうの人間を知る同行者が居ると居ないとでは大違いだ。
「それにわたくし、メグに妖精さんを紹介すると約束してしまったのです、ごめんなさい。スヴァンテ様」
 ベアトリクスはぼくへ向かって拝むように両手を合わせ、上目遣いをした。
 妖精さん? 妖精さんたちのうちの一人を連れていけばいいんだろうか。でもきっとぼくが行くところには勝手に付いてくるから、別に謝らなくていいのに。返事に困っていたら繋いだぼくの手を軽く揺らして、イェレミーアスが苦笑いをした。
「トリクシィは、マルグレート令嬢にスヴァンテ様を紹介すると約束してしまったようです」
「?! あ、ああ~……。宴でシュレーデルハイゲン様やアイゼンシュタット様に呼ばれたのが、他の方にも伝わってしまったのですね……」
「いいえ。ジークフリード殿下が『妖精のように麗しい見目で、父上に苦い顔をさせるほどの知恵者だ』と自慢しておられたので皆様に知れ渡っておりますわ。しばらくはお茶会のお誘いが続くと思いますわよ? スヴァンテ様」
 ヨゼフィーネ伯爵夫人が、薔薇の砂糖漬けを優美に摘みながら答える。
 ちょっと、人がいない間に何してくれてんのジークフリードぉぉぉ!
「随分と強調していたからねぇ。『オレの侍従だ。将来オレの片腕になるだろう』って」
 チーズスティックパイを貪っていたルクレーシャスさんが口を挟んだ。口の周りをパイのカスだらけにしていても、今日もぼくの師匠は麗しい。
 だがぼくは、ルクレーシャスさんからそっとチーズスティックパイを取り上げ、イェレミーアスの前へ置いた。イェレミーアスもこれはお気に入りなのだ。ルクレーシャスさんに食べ尽くされるわけにはいかない。ぼくがイェレミーアスの前へ移動したチーズスティックパイの皿へ、手を伸ばしたルクレーシャスさんの手を叩き落す。
 ぼくが容赦なくルクレーシャスさんの手を叩き落した瞬間、イェレミーアスが「んふっ」と漏らして肩を揺らしていた。ルクレーシャスさんは「酷いよっ!」とか「わたくしの扱いが雑じゃないかい、スヴァンくん!」とか言っていたが目を向けずに答えた。
「ジーク様は大げさなんです。そんなに吹聴して回られてもぼくは普通の六歳児ですし、すごく頭が良いわけではないので困ります……」
「ははっ! あのなスヴェン。普通の六歳児は自分のこと、普通の六歳児だなんて言わねぇんだぜ」
 自分の膝を叩いて笑ったローデリヒに、一同が深く頷く。ああっ! ヨゼフィーネ伯爵夫人やベアトリクス、イェレミーアスまで頷くなんて!
「けれどスヴァンテ様。事前の打診もなく、いきなり招待状を送ってくるような不躾な方のお相手をする必要はございませんわ。それは社交界ではルール違反。スヴァンテ様が幼子だからと侮っている者の証です。ですのでしばらくは、わたくしとエステン公爵夫人が場を設けるお茶会にのみご参加くださいませ」
 そうすることによるメリットはぼくにも、そしてヨゼフィーネ伯爵夫人やエステン公爵夫人にもある。ぼくに関することを、公爵家夫人とヨゼフィーネ伯爵夫人が取り仕切る。それは社交界で、ある流れを完全に二人で仕切ってしまうということ。この手札は堅い。
 つまり懇意の貴族のお茶会に参加し、そこで知り合った人物に事前に「お誘い」の打診をする。そこでよい返事をもらえたら、正式に招待状を送るというのが失礼のない作法ということらしい。あとは貴族としての作法を親から学べないぼくからすれば、単純に自分がホストのパーティーをどのように準備するか、フレートたちに知ってもらうことができるのは大きい。
「分りました。よろしくお願いします、ヨゼフィーネ様。フレート、委細よろしくね。ヨゼフィーネ様も、必要なものは何なりとフレートへ申し付けください」
「スヴァンテ様の社交界デビューを、しかとお支えいたしますわね」
「ありがとうございます」
 ヨゼフィーネ伯爵夫人がいなかったら、ぼくは誰の誘いに応じていいのかしばらく悩んで無駄な時間をかなり消費することになっていただろう。悩んだ末に参加したお茶会が好奇心から送ってみた、ぼくが来るとは思っていなかった誘いなのだと知ったら大分精神的に削られていたはずだ。ぼくからしてもこの出会いは行幸であったと言えるだろう。
「ヨゼフィーネ様にマナーの講師をお願いしてよかった」
「あら。わたくしも妖精さんのマナー講師ができるだなんて光栄ですわ」
「もう。妖精はやめてください……」
 男に対する賞賛の言葉としてはおかしいからね。妖精って。どうなのよ。あ、あれか。ぼくが細くてちっこいからか。そうなのか。さすがに手のひらサイズではないぞ、酷くないか。
「そうだ、かーちゃんが近々会いたいって言ってたぜ、スヴェン」
「あ、それはエステン公爵と夫人、どちらも都合が良い日にご招待しますので、良い日をお教えくださいとお伝え願えますか、リヒ様」
「ん。もうさ、かーちゃんがスヴェンに会いたい会いたいってしつこいから、早く連れて来るか、スヴェンをうちに呼ぶよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる

農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」 そんな言葉から始まった異世界召喚。 呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!? そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう! このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。 勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定 私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。 ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。 他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。 なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。

おもちゃで遊ぶだけでスキル習得~世界最強の商人目指します~

暇人太一
ファンタジー
 大学生の星野陽一は高校生三人組に事故を起こされ重傷を負うも、その事故直後に異世界転移する。気づけばそこはテンプレ通りの白い空間で、説明された内容もありきたりな魔王軍討伐のための勇者召喚だった。  白い空間に一人残された陽一に別の女神様が近づき、モフモフを捜して完全復活させることを使命とし、勇者たちより十年早く転生させると言う。  勇者たちとは違い魔王軍は無視して好きにして良いという好待遇に、陽一は了承して異世界に転生することを決める。  転生後に授けられた職業は【トイストア】という万能チート職業だった。しかし世界の常識では『欠陥職業』と蔑まされて呼ばれる職業だったのだ。  それでも陽一が生み出すおもちゃは魔王の心をも鷲掴みにし、多くのモフモフに囲まれながら最強の商人になっていく。  魔術とスキルで無双し、モフモフと一緒におもちゃで遊んだり売ったりする話である。  小説家になろう様でも投稿始めました。

異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~

宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。 転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。 良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。 例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。 けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。 同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。 彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!? ※小説家になろう様にも掲載しています。

魔力ゼロの忌み子に転生してしまった最強の元剣聖は実家を追放されたのち、魔法の杖を「改造」して成り上がります

月ノ@最強付与術師の成長革命/発売中
ファンタジー
小説家になろうでジャンル別日間ランキング入り!  世界最強の剣聖――エルフォ・エルドエルは戦場で死に、なんと赤子に転生してしまう。  美少女のように見える少年――アル・バーナモントに転生した彼の身体には、一切の魔力が宿っていなかった。  忌み子として家族からも見捨てられ、地元の有力貴族へ売られるアル。  そこでひどい仕打ちを受けることになる。  しかし自力で貴族の屋敷を脱出し、なんとか森へ逃れることに成功する。  魔力ゼロのアルであったが、剣聖として磨いた剣の腕だけは、転生しても健在であった。  彼はその剣の技術を駆使して、ゴブリンや盗賊を次々にやっつけ、とある村を救うことになる。  感謝されたアルは、ミュレットという少女とその母ミレーユと共に、新たな生活を手に入れる。  深く愛され、本当の家族を知ることになるのだ。  一方で、アルを追いだした実家の面々は、だんだんと歯車が狂い始める。  さらに、アルを捕えていた貴族、カイベルヘルト家も例外ではなかった。  彼らはどん底へと沈んでいく……。 フルタイトル《文字数の関係でアルファポリスでは略してます》 魔力ゼロの忌み子に転生してしまった最強の元剣聖は実家を追放されたのち、魔法の杖を「改造」して成り上がります~父が老弱して家が潰れそうなので戻ってこいと言われてももう遅い~新しい家族と幸せに暮らしてます こちらの作品は「小説家になろう」にて先行して公開された内容を転載したものです。 こちらの作品は「小説家になろう」さま「カクヨム」さま「アルファポリス」さまに同時掲載させていただいております。

異世界でスキルを奪います ~技能奪取は最強のチート~

星天
ファンタジー
 幼馴染を庇って死んでしまった翔。でも、それは神様のミスだった!  創造神という女の子から交渉を受ける。そして、二つの【特殊技能】を貰って、異世界に飛び立つ。  『創り出す力』と『奪う力』を持って、異世界で技能を奪って、どんどん強くなっていく  はたして、翔は異世界でうまくやっていけるのだろうか!!!

異世界王女に転生したけど、貧乏生活から脱出できるのか

片上尚
ファンタジー
海の事故で命を落とした山田陽子は、女神ロミア様に頼まれて魔法がある世界のとある国、ファルメディアの第三王女アリスティアに転生! 悠々自適の贅沢王女生活やイケメン王子との結婚、もしくは現代知識で無双チートを夢見て目覚めてみると、待っていたのは3食草粥生活でした… アリスティアは現代知識を使って自国を豊かにできるのか? 痩せっぽっちの王女様奮闘記。

神に異世界へ転生させられたので……自由に生きていく

霜月 祈叶 (霜月藍)
ファンタジー
小説漫画アニメではお馴染みの神の失敗で死んだ。 だから異世界で自由に生きていこうと決めた鈴村茉莉。 どう足掻いても異世界のせいかテンプレ発生。ゴブリン、オーク……盗賊。 でも目立ちたくない。目指せフリーダムライフ!

ようこそ異世界へ!うっかりから始まる異世界転生物語

Eunoi
ファンタジー
本来12人が異世界転生だったはずが、神様のうっかりで異世界転生に巻き込まれた主人公。 チート能力をもらえるかと思いきや、予定外だったため、チート能力なし。 その代わりに公爵家子息として異世界転生するも、まさかの没落→島流し。 さぁ、どん底から這い上がろうか そして、少年は流刑地より、王政が当たり前の国家の中で、民主主義国家を樹立することとなる。 少年は英雄への道を歩き始めるのだった。 ※第4章に入る前に、各話の改定作業に入りますので、ご了承ください。

処理中です...