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災禍渦巻く宴

第63話

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「やめてください、イェレ様。ぼくの乳母はどうにも子供にふりふりだの、ひらひらだのを着せたがる癖がありまして。イェレ様がいてくださると、ぼくへの攻撃の手が緩むのでありがたいのです。ほら、ごらんください。ベッテがあのように生き生きしております……」
 ほんとに生き生きしているベッテを眺めてぼくは呟いた。
 そう、着の身着のままでラウシェンバッハ城から抜け出して来たイェレミーアス家族も、服がないのだ。とはいえ、侍女も侍従も害意や悪意のない者を選別して数人、一緒に連れて来ている。その時に、多少のドレスや衣装は持ち出したようだ。だが、ヨゼフィーネやベアトリクスは女性だ。新しい服が欲しいだろう。
 というわけで、ぼくの衣装を見繕うことを言い訳に、彼女たちも別室で必要な衣装を作るようにフレートへ指示してある。だからぼくとイェレミーアスは今、同じように採寸と試着を繰り返しているのである。
「スヴァンテ様。普段着としてこちらのセーラーカラーのお洋服も、購入いたしますね」
「えっ、えっ、あっ」
 抗議する間もなくどんどん決められていく。半ズボンの裾に白いリボンが付いた、たっぷりとした白いシフォンのスカーフを胸元で結ぶ紺色のセーラー服。ベッテってば、離宮でも買いたそうにしてたもんな。これ買うまでずっと勧められるやつや。ぼくに選択の権利はない。
 でも仕方ない。ぼくは正式な宴にどんな衣装を着て行くのか知らない。だからベッテが喜々として選ぶジュストコールの折り返した袖に付いたレースや、フリフリヒラヒラのシャツだの、クラバットの色がどうだのというのをただ眺めている。キュロットに白タイツは断固拒否した。そこだけはどうしても譲れなかったぼくは交渉の末、ブリーチズに丈の短い靴下を履くことで手を打ってもらった。
 何度も言うけど、この世界はゴム製品が存在していない。なので柔らかい革でベルト式のソックスガーターを作ってもらったんだ。丈の短い靴下は、そのソックスガーターで吊っている。これもそのうち、パトリッツィ商会で売り出すつもりだ。
 そのソックスガーターを着用して見せたら、ベッテは目を見開き「いかがわ美しいッッッッ!!!!!」と叫んで白タイツを破いてしまった。怖い。
 ぼくとしては白タイツを免れたので良かったのだけれど、何か大切なものを失ったような気がするのは何故だろう。
「それ以外はこのベッテの選んだものにしていただきます」
「ええ……」
 しかめっ面をして見せたけど、ベッテには逆らえない。白タイツはナシになったので良しとしよう。
「……むぅ」
 小さい声で抗議の意思を表した。だがベッテに逆らえるわけがない。テーラーを営んでいる子爵夫人と顔を合わせた時に、プレゼントだと渡されたクマのぬいぐるみと向かい合う。
「ぼくはね、クマくん。ふりふりとか、ひらひらとか、できるだけ避けたいんだよ? だってさ、似合わないととても恥ずかしいじゃないか。だからリボンとか、ふりふりとか、レースは似合う人が着るべきだと思うんだよね?」
「お似合いですよ、スヴァンテ様」
 ぼくが不満をクマくんに語っていると、イェレミーアスがそう言って微笑みかけてくれた。優しい。でもそれこそレースだのフリルだのを着こなしてしまいそうな超絶美少年に気遣われても、全然、全く、喜ばしくないんですよ! そう叫べたらどんなに楽だろう。せめて遺憾の意を表すために、ぼくは限界まで頬を膨らませて見せた。
「お世辞なんて要りません、イェレ様」
「いいえ、本当です。……ラウシェンバッハ城の敷地には、小さなデ・ランダル神教の教会があったのですが、そこに描かれた天使様にスヴァンテ様がそっくりなのです。だから初めてお会いした時、ラウシェンバッハの天使様が私をお救いくださったのだと驚きました」
 少しはにかんでぼくへ微笑んだイェレミーアスは、嘘を吐いているとは思えない。恩人フィルターがかかって、ぼくが素敵に見えているらしい。いつかそのフィルターが剥がれた時が怖い。その瞬間は割りと早く訪れると思う。
「先日も私を気遣い『楽しんでもいい』とおっしゃってくださいましたね。ジークフリード殿下、リヒ、スヴァンテ様。多くの人間を巻き込んで助けていただいた私たちは、楽しんではいけないのだと心のどこかで思っていました。これ以上、迷惑をかけないように。これ以上、お世話にならないように」
 勿忘草色の瞳が潤んでいる。ぼくはそっとイェレミーアスの手へ、自分の手を重ねた。
「いいんですよ。言ったでしょう。勝手に似た境遇だと考えて、見捨ててはおけないと思ったのはぼくのエゴだと。ぼくはイェレ様に恩を売ったのですよ。いつかとんでもなく高値で恩を買い取れと言い出すかもしれません。油断してはいけませんよ?」
 とんとん、と柔らかくイェレミーアスの手を叩いてあやす。今にも雫が零れ落ちそうな勿忘草色の虹彩を覗き込む。その甘い虹彩は、縁がピンク色に滲んでいて優しい色だと、ぼくは思った。
「でも、そうですね。イェレ様が負い目を感じずに済むよう、何かぼくのお手伝いをしてもらえないか考えてみます。もし、お願い事が決まったら、お手伝いしていただけますか?」
「ええ、ぜひ。私でできることがあれば、何でもお申し付けください」
 うーん、と考えるふりをする。実を言うと、お願い事は決まっている。貴族の令息には、一緒に勉強を受ける侍童が付くことがある。正式に認められていないとはいえ、ぼくは一応、公爵令息だ。だからイェレミーアスの名誉を傷つけることもない、イェレミーアスへも教育を受けられる一石二鳥なお願いを。
「ではイェレ様。ここにいらっしゃる間ぼくの侍童になって、遅れている勉強を教えてくださいませんか。恥ずかしながら、ぼくは離宮で教師からの教育をしっかり受けたことがありません。それから、もしよろしければヨゼフィーネ様からは貴族令息としてのマナーを学びたいのです。もちろん、それぞれに相応の対価をお支払いさせていただきます」
「いけません、スヴァンテ様! それはあなたの頼み事という形の、私たちへの施《ほどこ》しに過ぎません!」
 イェレミーアスの瞳を覗き込み、もう一度ゆっくりとねだる。
「ぼくはね、嫌われ者なんです。イェレ様。悪女レーヴェの息子、呪われた公子。本当のぼくがどうあれ、世間でのぼくの評判はそうなのです。だから、ぼくの教師になってくださる貴族はなかなかいません。同様に、大事な子息をぼくの侍童にしたがる貴族もまた、おりません。だからイェレ様に断られてしまうとぼく、困っちゃうなぁ」
 首を傾げて、眉尻を下げる。子供のふりを全力でぶちかますんだ、ぼく。どうか絆されて首を縦に振ってくれ。そうじゃなきゃ、この家族にお金を渡す名目がなくなってしまう。せっかく助けたのに、金策のために変な連中と付き合って没落されても困るんだよぉ!
 ダメ押し、とばかりにクマのぬいぐるみで少しだけ顔を隠して上目遣いでイェレミーアスを見つめ、綿の詰まった手を取って振る。
「おねがい、イェレさま?」
「――っ、ズルい、ですよ……、スヴァンテ様……っ」
 わぁい、効いた! よかったぁ、これ以上の策はなかったんだ。あとはどうやってイェレミーアスに「うん」って言ってもらおうかと悩んでいたんだよ。
 しかし頬を染めて瞳を潤ませたイェレミーアスの色気すごい。前世も今世も男のぼくでも、何やらいけない気持ちになっちゃう怖い。これが美少年の力。美少年すごい。美は全ての問題を凌駕《りょうが》する。イェレミーアス、いつかその美貌で、他人の人生を狂わせそう。他人のまっとうな人生とか、そんなもの背負いたくないよぉ。ぼくは凡顔でよかった。
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