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懸念も芽吹く、芽吹き月

第59話

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「そうだな。引き続き頼んだぞ、スヴェン」
「スヴァンテ様には頼りきりで申し訳ないばかりです……」
 ジークフリードとイェレミーアスが真面目に話を続けているので、ぼくがここでルクレーシャスさんを叱るわけには行かない。行かないんだけど。ぼくは静かにルクレーシャスさんへ向き直り、その腕を押さえた。
「ルカ様。チーズケーキをワンホール全て一人で食べきってしまわれたら、明日のおやつは抜きです。分かりましたか」
「……はい」
「お分かりになればよろしいのです」
 金色の耳が完全に伏せてしまっている。だが仕方ない。真面目な話をしている時は、ちゃんと話を聞かなくてはいけません。ぼくはゆっくり頷き、体ごとジークフリードとイェレミーアスの方へ方向を変えた。
「……っ……ククッ……」
「う……っ、ゴホ、ゴホンッ」
「……」
 二人とも下を向いて肩を揺らしている。咳でごまかしても、イェレミーアスまで笑っていたことはごまかせない。だって今、真剣な話をしてたでしょ!
「ルカ様のせいですよ!」
「ごめん、スヴァンくん。もう大人しくしてるから。だから昨日ベアトリクス嬢用に作っていた、キャラメルおくれ」
 ぼくへ向かって手を差し出したルクレーシャスさんの耳は、相変わらず伏せたままだ。
「ルカ様!!」
「だってぇ」
「ふふっ。ふふふ……。スヴァンテ様、ベステル・ヘクセ様を叱らないでください。真実を知らせてくださって、感謝しているのです」
「……」
 今度はぼくが俯く番だった。ぼくの様子を見て、ジークフリードの顔から笑みが消えた。
「……まさか、本当に、暗殺、だったのか……?」
 ぼくは頭を横へ振った。
「まだ分かりません。けれど死因はザネルラ熱ではないことは確かです。アイスラー先生から聞き、書物でも確認したのですがザネルラ熱では、高熱と痙攣が数日続き、遺体の眼球に出血が見られるのが特徴です。ラウシェンバッハ辺境伯は突然倒れたとの話ですし、ご遺体の眼球に出血の跡はありませんでした。ただ、イェレ様から聞いたラウシェンバッハ辺境伯が倒れた時の様子が気になります」
「ラウシェンバッハが、倒れた時?」
「ええ。父が倒れたのは食事の最中でした。喉に違和感がある、と咳をしながら立ち上がったのですが、体が赤く腫れ上がり、苦しみ出して喉を掻き毟りながら倒れてそのまま……」
 ルチ様が見たものを、ぼくも見ることができる。これも精霊の使う魔法の一つらしい。だからぼくはラウシェンバッハ辺境伯の遺体を直接見たに等しい。遺体には喉の他にも腕などに掻き破った跡があった。それらは喉の傷よりやや、軽いもので、痒くて掻いた、という感じだった。
「ごほっ! うぇっほ! げふ……っ!」
「ちょっと、何をしてるんですかルカ様! 人が真面目に考えてる時に!」
 咳き込む音に振り返るとルクレーシャスさんの口へ、しゅぽん、と音を立ててチーズケーキが消えて行くところだった。
「――! ルカ様! 食べ物だって、毒になることがあるんですよ! いいですか、致死量と言ってですね、どんな食べ物でもそれ以上食べたら死んでしまうという上限が決まっているのです! 水にすら致死量は存在するんですよ! 大体、そんなに勢いよく食べて喉に詰まったり、食物アレルギーでもあったらどうするんですか……!」
 はた、と思い至る。前世の妹、二三《ふみ》には大豆アレルギーがあった。味噌を溶いた箸を使い回して野菜炒めを掻き混ぜたものを一口食べただけでも、咳き込んで苦しみ、蕁麻疹が出て痒いと泣いたのを覚えている。食物アレルギーでも、症状が重ければ喉が腫れ、気道を塞いでしまうこともあるのだ。
「……イェレ様」
「はい」
「お父君に、苦手な食べ物はございましたか」
「……なんでも、子供の頃に食べて酷い目に遭ったからとガルネーレは食べませんでした」
「……!」
 ガルネーレとは、前世の世界でいうエビやカニのような生き物である。イセエビに似ているが、大きさは普通のエビくらいのものだ。想像してもらえば分かるだろうが、イセエビに似ていてエビの大きさしかないので身はほとんどない。だからスープにして出汁を取る食べ方が一般的だが、美味いのでその少ない身を好む人もいる。味もイセエビに似ていて、おそらくこの世界での甲殻類に当たるのだろう。
 甲殻類のアレルギー症状は、重いものが多いと聞く。倒れる直前の症状も似ている。
「ブラウンシュバイク卿は、そのことを知っていましたか?」
「ええ。叔父とバルテルは、その時に父が死にかけて医者にかかったことを知っていました。何でもその時、薬学士にガルネーレはもう口にしてはいけないと言われた、と。ですから父の食事には、ガルネーレは出さぬようバルテル自ら、厨房へ指示していたはずです」
 当然だが、瀉血《しゃけつ》が治療法としてまかり通っているようなこの世界には、まだ食物アレルギーなんて概念はない。だが、一度死にかかったことがあるラウシェンバッハ辺境伯には、どうだろう。辺境伯自身にも自覚はあった。ならば、弟であるハンスイェルクや腹心だったブラウンシュバイクはどうだろう。元々が身を食べる習慣のあるものではないガルネーレだ。煮汁を混ぜるのはたやすい。殺意を持って、わざと分からないようにして汁物へ混ぜてしまえば、あるいは。
「でも、バルテルは父が倒れた際、真っ先に抱え起こして泣いていたんですよ? 『どうしてこんなことに』って……」
「……、……っ」
 「どうしてこんなことに」それは前世の知識と、今の話で照らし合わせると限りなく怪しい。食物アレルギーという症状が認知された前世の世界ですら、無知ゆえに食物アレルギーを「ただの好き嫌い」と解釈して食物アレルギーの人間へ悪意なくアレルゲンとなる食物を食べさせようとする人は居た。しかしそれは正しく食物アレルギーを認識していれば、殺人にもなり得る。
 死ぬと思わなかった。前回のように、酷く苦しんでも死ぬとは思わなかった。無知、ゆえに。殺そうとまでは、していなかったのに死んでしまったのであれば、どうだろう。
「……――少し、時間をください。まだ、断定できない……」
 ぼくは頭を抱え、ソファに座ったまま蹲《うずくま》った。
「……スヴァンくん」
「スヴェン……」
 ぼくとの付き合いが長い二人は、ぼくが何かに気づいたことを察している。イェレミーアスは戸惑った様子でぼくと二人の間へ忙しなく視線を往復させている。
「……確証がありません。もしぼくの予想が正しいとしても、悪意があったことは確かですが、……殺意があったかどうかは断定できない……」
 それをどうやって証明するか。
「とにかく情報が必要です。レミニエ、イクァス、カレイラ、お願いできる?」
 ぼくの周りを飛んでいた妖精たちへ声をかける。妖精たちの中でも特に好奇心旺盛で、よく頼みごとを聞いてくれる子たちだ。カレイラはくるくるとその場で回り、ぼくへ投げキッスして見せる。ぼくは紅茶と一緒に出された、ラベンダーの砂糖漬けを妖精たちへ渡す。
「ラウシェンバッハ辺境伯のお城へ行って、ブラウンシュバイク卿とハンスイェルク卿の周囲を見張ってほしいんだ。仲間を呼んでもいいよ。手伝ってくれた子にはちゃんとお礼をするからね。お願い、できる?」
 妖精たちはぼくの周りをくるくる飛んで、それからそれぞれぼくの頬へキスをした。了承の合図だ。
「ありがとう、よろしくお願いね?」
 ホバリングするみたいにぼくの眼前で止まって頷き、妖精たちは消えた。魔法か何かで空間移動しているのか、それともめっちゃ早いスピードで飛んで消えたのかは分からない。どっちかなぁ。今度聞いてみよう。思考に没頭しながら、唇へ拳を当てて呟く。返事を期待しない、独り言のような宣言だ。
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