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ひととせ明けの咲く花月の終わり

第44話

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 ところでこの世界にはサンドウィッチなんてものはない。いや、あるかもしれないけどサンドウィッチなんて呼び名ではないことは確かだ。前世の世界で名づけの由来になった伯爵なんて居ないし、所説あるけど一説にはそもそもサンドウィッチ伯爵はサンドウィッチが好物でも何でもなく、発明したわけでも推奨したわけでもないという。謎だね。そもそもこの世界のパンってみんなぺったんこのただの小麦粉を捏ねたものを焼いただけの物なんだよ。だから! ぼくはなんと、ついに天然酵母を作ることに成功したんだよね。ふっふっふ。豆も腐らせる島国出身転生者を舐めてはいけない。離宮ではすでにふわふわのパンを日常的に食べているのだ。とにかくどれでもいいから皇后の目に止まったものを全部宣伝してもらうつもりでいる。もちろん、化粧水と保湿クリームも準備してある。
 小春日和の穏やかな陽射しの中、皇后がやって来るのを待つ。ラルクが摘んで来た花で花冠を作ってくれた。それを被って遊んでいると、柔らかい声が降り注いで来た。
「あらまぁ、スヴァンテちゃん。少し見ない間にやだなにこれ天使かしら美の女神マルグリートの寵愛を一身に受けてしまったのかしらパラディースが地上に具現化されてしまっているわどうしましょうこんなにフリルの似合う六歳児なんて他に存在しないわよむしろフリルがスヴァンテちゃんのために存在していると言っても過言ではないのではないかしら」
「そうでございましょう、そうでございましょう、皇后陛下。わたくし、いい仕事をしたと自負しております」
「ほんとうね、ベッテ。そなた良い仕事をなさいましたわ。ジークもかわいいのだけれど、やんちゃさが顔に出てしまっていてこういうお洋服は似合わないのよね。スヴァンテちゃんは儚い系中性的美少年ですものきっとドレスも良く似合うわ」
「左様でございます、皇后陛下。実はパトリッツィ商会のカタログにあったセーラーカラーの一揃えをお勧めしたのですが叶わず」
「まぁまぁ、きっとあれもかわいいのにぃ」
 突然ベッテと熱く語り出した皇后に、ぼくは戸惑いを隠せない。
 皇后ってこんな人だったっけ……? とりあえずぼくは、いつも通りに胸へ手を当て左足を後ろへ引いて挨拶をした。
「……ご無沙汰しております、ご機嫌麗しゅう、皇后陛下。ご健勝そうでなによりです……?」
「んまぁぁ! お声までかわいいわ。妖精が奏でるハープのように優しくて穏やかね」
 両手を胸の前で握り締めて打ち震える皇后にたじろいでいると、そのまま距離を詰められて抱っこされてしまった。
「んまぁぁ、まるで羽のように軽いわ。ジークより体が柔らかくてまだ赤ちゃんって感じだわぁ」
 赤ちゃん……。多分、筋力の差なんだろうな。ぼくが両手で自分の頬を覆って、皇后へ訴えた声は消え入りそうだった。
「下してくださいませ、皇后陛下」
「あらあら、リズと呼んでちょうだい、スヴァンテちゃん」
「ツェツィーリエ陛下、恐れ多いことでございます」
「賢くて美しい上に礼儀正しく品が良いだなんて、スヴァンテちゃんは本当に天使なのではないかしら。ねぇ、ベッテ」
「はい。スヴァンテ様は生まれた時からそれはそれは大変に美しい赤子でございました」
 そんなわけないよ、赤ちゃんはみんな大体おさるさんかゴリラかみたいな感じだよ。困り果てているぼくを、ルクレーシャスさんがようやく助けてくれた。
「リズ、スヴァンくんが困っているでしょう」
 皇后の腕からぼくを救出して、抱っこしてくれたルクレーシャスさんに凭れる。皇后に凭れるわけにはいかないから、緊張してたんだよね。けれど皇后はぷう、と頬を膨らませた。
「ズルいわ、ベステル・ヘクセ様。そうやってスヴァンテちゃんを独り占めしてるんでしょう。スヴァンテちゃんは赤ちゃん独特の甘い香りとはまた違う、花のような香りがするものね。ジークはもう、汗臭い男の子の臭いがするのよ……」
 そんなわけないでしょう、可哀想だよジークフリードが。極々至って普通の六歳児だよジークフリードは。
「抱っこは恥ずかしいです、皇后陛下。それにぼく、体力がないのでできるだけ抱っこしてもらわないように、練習中なんです」
「ダメよスヴァンテちゃん。運動して筋肉を付けてヴェンやジークみたいにならないで。あなたは儚い美少年のままでいて」
「ジーク様も皇后陛下に似て大変に美形であらせられますよ」
 ぼくの言葉に皇后は遠い空の向こう側へ目を泳がせながら呻いた。
「違うのよ……ジークとスヴァンテちゃんは系統が違うのよ……」
「分かります、皇后陛下。皇太子殿下は正統派の美形にお育ちあそばす片鱗を見せておられる将来性のある美少年なれど、スヴァンテ様は永遠に中性的美少年のまま育ってほしい美少年なのでございます……」
「分かるわ、ベッテ。その通りよ」
 分からない。どの通りだろう。気を取り直してテラスのテーブルへ皇后を案内する。
「皇后陛下、よろしければ軽食とお茶をお楽しみいただければとご用意いたしております、こちらへどうぞ」
 本日のぼく渾身の一品である、シェルデというリンゴみたいな果実で作った天然酵母を使った全粒粉のふわふわパンのローストビーフのサンドウィッチと温かいカボチャのポタージュスープがテーブルへセットされて行く。紅茶は少し味が濃い目の、ララガ産ブロークンリーフをミルクティーで準備した。ぼくはストレートティーよりミルクティーが好きなんだ。口の中がさっぱりしなくても別にいい。美味しいは正義だ。
「まぁ美味しい! これふわふわだわ、ヴェンやジークからスヴァンテちゃんのお料理はとっても美味しいって聞いてずっと羨ましかったのよ」
「お褒めに預かり光栄です、皇后陛下」
「リズって呼んでちょうだい?」
「……ツェツィーリエ陛下、本日は皇后陛下へささやかな贈り物も準備してございます」
 ベッテが細かい意匠の施されたポット型の瓶を差し出す。皇后は一瞬、皇族の顔をした。ああ、あの皇王の妃なだけある。この人も為政者なのだとその表情で思い知らされた。
「これは?」
「ぼくがパトリッツィ商会と開発した、化粧水で肌を整えた後に使用する保湿クリームでございます」
「ジークから聞いているわ。スヴァンちゃんは多方面に広く知識を持っていて、それを活かしていると。これもその一つね?」
「はい。お肌に合わない場合もございますので、その時は使用をお止めください。ベッテはこの冬使用していたのですが、肌が明るくなって皺が減ったと申しております」
「! ベッテ、そうよどうしてお肌がそんなにもぷるぷるツヤツヤになったか聞こうと思っていたの! そうなの、これが!」
「左様にございます、皇后陛下。小じわが減ってこれ、このように」
「んまああああああ! ありがたくいただくわ、スヴァンテちゃん!」
 ベッテは平民だって聞いてるんだけど、妙に皇后と仲が良いし一体何者なんだろう。ふと浮かんだ疑問を脇へ押しやり、ぼくはセールストークに集中することにした。
「よろしければ、化粧水もセットでお試しください。こちらの商品はパトリッツィ商会より、今年の夏に発売予定でございます」
「夏、ね?」
「はい」
 本当はもっと発売を前倒ししたいけど、焦ってはいけない。玩具と絵本の売り上げも上々だし、フリューを先に広めることで玩具関係だけがぼくの市場だと思わせておきたいという思惑もある。夏に噂が広まり、肌が乾燥する冬が長い皇国だからこそ、冬の間に需要が伸びると見越しているのである。皇后の皿へ目を向けると、すでに空になりかけていた。
「皇后陛下、サンドウィッチのおかわりはよろしいでしょうか。お済みでしたら、デザートを準備させますが」
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