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ひととせ明けの咲く花月

第40話

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「スヴァンくん、人をブタにする魔法を見たくないかい?」
「……ダメですよ、ルカ様。やめてください」
 こそこそとぼくらが囁き合う中、ジークフリードは顔色一つ変えず、呆然としているエーベルハルトへ口を寄せた。
「エーベルハルト」
「……?」
「オレならだませるとでも思っているのか。立場の難しいスヴェンならしゃく位を盾に言いくるめられるとでも? 貴様のようなごうまんで浅知恵の人間に習いたいことなど何もない。二度と皇宮への立ち入りまかりならぬ」
「そ、そのようなこと決して……!」
 何か口にしようとしたエーベルハルトを一瞥した、ジークフリードの口元が笑みを刻んでいるのが見えた。
「これ以上ここでわめき立てられてはふゆかいだ。つまみ出せ」
 ジークフリードが護衛の騎士たちへ命じる。ぼくはそっとため息を吐いて、自分のつま先へ視線を落とした。
「どうか、フリュクレフ公子! ベステル・ヘクセ様と殿下へ誤解だと説明を!」
「大鷲と梟が皇国の空で出会う頃にまた会いましょう、エーベルハルト卿」
 ぼくはつま先へ向かって吐き出した。細くても成人男子だ。暴れるエーベルハルトを衛兵数人がかりで押さえているが、なかなか外へ連れ出せない様子である。
「……! そんな……! どうか、どうかご説明を! 誤解です!」
「貴族で男なのに菓子作りが趣味の愚かなぼくには、何のことか分かりかねます。ご機嫌よう、エーベルハルト卿」
「……! どうか……っ!」
 それ以上は扉に阻まれて聞こえなくなった。傍らの机へ手を置いたぼくの顔を、ジークフリードは申し訳無さそうに覗き込んだ。
「すまんな」
 やっぱりか。ぼくは目を閉じ、唇を尖らせ微かに顔を背けた。
「初めからエーベルハルト卿を、追い出す算段だったのですね」
「もっと派手にベステル・ヘクセ殿を怒らせると思っていたのだが」
「皇族派のエーベルハルト卿を教師から外すのは、それなりの理由が必要だからですね」
「うむ。やはりスヴェンはかしこいな!」
 ルクレーシャスさんも途中から気づいていたのだろう。ソファに座ってスイートポテトを頬張り始めている。
「しかしスヴェン、さっきのは何だ?」
「?」
「ワシがどうのというやつだ」
「ああ……。大鷺座は大陸の北端でしか見えぬ星座、梟座は大陸の南端でしか見えぬ星座なので、大陸のほぼ中央に位置する皇国でこの二つを同時に見ることなど不可能なのですよ。天文学の教師なら、知っていて当然のことです」
「……それは高等貴族学校にて習うこと。五歳でそれを知っておられるスヴァンテ様相手に侮ったエーベルハルト卿を多少、不憫に思いますよ」
 オーベルマイヤーさんが汗を拭った。それはぼくのせいじゃないので知りませんね。この世界の貴族なら、ルクレーシャスさんが絶対に喧嘩を売ってはいけない相手だ、ということくらい知っていて当然だろう。そんな分別も持たないのに傲慢に振る舞っていたからこそ、ジークフリードの策に嵌るわけだが。
「つまり、ワシがどうこうとは天文学を用いて言うところの二度と会いたくないという意味か」
「その通りです」
「なるほど、そんな知的なやり返し方もあるのだな。ゆかいなことを知った」
 ジークフリードはぼくと友達になりたいかもしれないが、利用されるのは不愉快である。覚えず眉根が寄ってしまう。ジークフリードは叱られた幼子のような表情で、顔を上げずに答えたぼくを覗き込んだ。
「すまん。お前をまきこんで」
「どうせ巻き込むおつもりなら、これからは事前に教えてください。もっと穏便に、相手も気づかぬうちに辞めさせることもできたのですよ。わざと恨みを買うやり方は得策ではありません」
「……そうか」
「ええ」
「後学のために、スヴェンの考えたおん便なやり方というのを教えてほしい」
 ふむ。顎へ指を当て、その場でしばし考える。そろそろ肩まで届こうという髪が、さらりと流れる音を聞きながら考える。
 これはジークフリードにとって、今後人をどう扱うかの実習教育にもなるだろう。思考することに没頭していたぼくは、エーベルハルトが騒がしく退場した扉から、人が入って来たことに気づかなかった。
「……そうですね。ルーデン伯爵家の兄弟が不仲なことは社交界でも有名なようです。特に次男のフレンツフェン卿とエーベルハルト卿はダールベルク校の教授の座を巡って決闘をしたことがあるほどだそうですよ」
「ダールベルク校? 皇都の名門校だな」
「ええ、十五歳になればジーク様もご入学することになるでしょう。皇国教育機関の最高峰、あのダールベルク校です。初めはエーベルハルト卿へ打診があったそうですが、ルーデン伯爵が次男が無職なのに三男が先に就職しては体裁が悪いから、とフレンツフェン卿を推したのだとか」
 ちなみに皇都にある学校は全て貴族居住区《エーデルツォーネ》にあり、貴族の子息しか通えない上に全寮制である。その中でも歴代皇太子が通うのが、ダールベルク校だ。皇太子在学中にダールベルク校の伝統である栄誉ある生徒エーレンシューラーと呼ばれる成績優秀者は、のちに皇国の要職へ就くことがほとんどである。栄誉ある生徒エーレンシューラーは、他の生徒の模範となり、同じ学年の生徒の指導や取り纏めをする。生徒会役員みたいなことも兼任するらしい。
「それで決闘、か」
「ええ。ダールベルク校の教授といえば、権威も名誉も十分ですから、相当に悔しかったはずです。元々はエーベルハルト卿への打診だったのですよ? フレンツフェン卿より実力は上とダールベルク校側にも認められていたなら、なおさら諦めきれなかったのでしょう」
 ところが運の悪いことに、フレンツフェンは勉強はぱっとしないけれど剣の腕はそこそこだったらしい。そしてさらに運の悪いことに、エーベルハルトは勉強はできるが剣技は貴族の教養として身に付けた程度のレベルだった、というわけである。つまり、エーベルハルトはフレンツフェンに負けた。さすがに三男が不憫と思ったのか、ルーデン伯爵は三男を皇太子の教師にどうにかねじ込んだ、というところだろう。
「ですから例えば隣国イェルペルデの名門、メルネス校の教授候補として試験が受けられるとか言えば喜んでイェルペルデ行きを理由に職を辞したでしょうね。紹介状はルカ様に書いていただけばいいのですし、あくまでも紹介であって採用ではないから試験に落ちても本人の実力の問題ですし」
 ルクレーシャスさんが、スイートポテトを頬いっぱいに詰め込んだ状態で唸る。
「君は本当に、末恐ろしい子だね……」
 ルクレーシャスさんが魔法で出したソファの横へ移動し、腕を組んでジークフリードも頷いた。
「まったくだ……」
 スイートポテトを喉に詰まらせたのか、胸元を叩いているルクレーシャスさんへ、侍女から受け取った紅茶を渡す。最近ぼく、ルクレーシャスさんが食べてる姿しか見たことない気がする。
「遺恨を残すのは良くないって来る時に話したばかりじゃないですか、ルカ様」
「そうだったっけ?」
「ふぉっふぉっふぉ。いや、オーベルマイヤー卿が褒めちぎるわけですな」
「えっ?」
 いや、最後の声、誰? 驚いて入口へ目を向けると、たっぷりとした白髪の口ひげを撫でる老紳士が微笑んでいる。皇王と同じくらい筋骨隆々としているが、笑い声を上げるまで気配に気づけなかった。笑い皺に埋もれるように、笑みの形で閉じたままの目はどこを見ているか分からない。
「えーっと……。ごきげん、よう?」
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