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ルカ様と、勇者

第30話

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 今も、そしてかつてもこの大陸は人や人型の種族たちが争い犇めき合う場所だった。それはもう、北海の小さな島にまで二本足の我が物顔で闊歩する生き物が占めていたくらいさ。だがそれは、突然現れた魔物によって一変した。二足歩行の獣たちはあっという間に蹂躙され、大陸の僅かな場所へと追いやられ始めた。魔族の中にも二足歩行で人型のものは在ったが、言葉は通じなかった。通じたとして、意味があったかどうか。傲慢な人類は家畜のように追い立てられて初めて、国だの民族だの種族だのを越えて協力することを決めた。ありとあらゆる手段が講じられ、ありとあらゆる種族の秘儀が開示されることを、わたくしは喜んでいたのだよ。知識欲などと呼ばわるのも汚らわしい、邪悪で純粋で無慈悲で無遠慮で無分別な好奇心とやらでね。
 スヴァンくん。人は人を殺す。富み満ち足りても、貧困に喘ぎ追い詰められても、それぞれの理由で同族を殺す。人とは残酷な生き物だ。そうして心が何も感じなくなった時、残酷なことはもはや普通であり必然になる。だからわたくしは、意味など考えずにただ、魔物を倒すため、己の好奇心を満たすため、勇者召喚の魔法を発動した。
 ――召喚された勇者は、まだ十六かそこらの子供だったよ。幼く、そして美しい目をしていた。わたくしは何度も、見知らぬ場所へ呼び出されて怯えるあの瞳を思い出す。苦く、苦しい、わたくしの罪がそこに映る。
 それでもわたくしは、美談という嘘で彼を騙してその綺麗な手へ剣を握らせて言ったんだ。我らのために魔王を倒せ、と。それがあなたの役目である、と。
 オリトは素直な優しい子でね。疲弊して傷ついて荒んだ目をした人々を前に、それを断れる子ではなかったのが災いした。戸惑いながらも剣を取ったオリトはわたくしたちの期待以上に勇敢だった。人々は大陸を、国を、尊厳を取り戻し始めた。代わりにオリトが疲弊し、削れ、壊れて行っていることに気づかなかった。

 ああ。
 ぼくには想像ができてしまった。まだ高校一年生になるかならないかの、日本で平和に育った少年が、耐えられるだろうか。大義名分があろうが、それが見知らぬ世界の見知らぬ人たちを救う道だろうが、いつ死ぬとも知れぬ、いつ終わるとも分からない戦いに身を置き続けることに、慣れるだろうか。

「それは魔王の根城に迫ったある日のことだった。野営だなんていえないほどにお粗末な、座ったまま泥のように眠るつかの間の休息を取っていた。わたくしは彼の隣に座っていて。小さな啜り泣きに気付いた。『お父さん、お母さん、帰りたい』繰り返す言葉に初めて、わたくしは己が犯した罪を理解したんだ」
 正直誰も、魔王を倒したあと彼をどうするかなんて考えていなかった。だって、禁書には勇者召喚の方法しか書かれていなかったからね。けれど彼は、魔王を倒したら帰れるんじゃないかと、それだけを支えにここまで進んで来たのだろう。
 その時になって初めて、わたくしはわたくしの行いの意味を知ったんだ。頭を後ろから思いきり殴られたような、それでいて悪夢から覚めたような気分だった。
 勇者召喚。それは呼び出される方からすれば、ただ運の悪い生贄として捕らえられ、恐ろしい敵の前へ放り出されただけの身勝手で理不尽な。
 結論から言うとね、わたくしは魔王の元へ辿り着くまでの短い間でオリトを元の世界へ帰す魔法を構築した。たくさんの魔物の命と、魔王の膨大な魔力を糧に逆召喚ができないかと考えたんだ。
 魔法は発動した。無事に、かどうかは分からない。オリトが元の世界に戻れたかどうか、わたくしには確かめる術がない。
「好奇心からわたくしは彼から色々な話を聞いた。オリトはいつも、わたくしの質問に一所懸命答えてくれてね。だから君と過ごして確信したんだ。スヴァンくん。君は、オリトと同じ世界から、来たのではないかい?」
「……!」
 ああ。ルクレーシャスさんの「理由」。それはルクレーシャスさんの後悔であり、懺悔であり、贖罪であり。
「けれどオリトとは違って、君はこの世界の人として生まれたように見える」
 ルクレーシャスさんは立ち上がり、ぼくの足元へ跪いた。両手をルクレーシャスさんの手で包み込まれ、瞳を覗き込まれた。
「それでも、元の世界に戻りたい? わたくしにできることは、あるかい?」
「……、っ……」
 ぼくの涙腺は壊れてしまったようだ。だばーっ、としょっぱい水分が頬を流れる。何かが決壊してしまったかのように涙が止まらない。
「ぼく、は……っ、勇者さまと違って、あちらでは、死んでいるので……っもう……っ、もどれ、ないんですけど……っ」
 ずず、と鼻水を啜る。考えるより先に言葉が口から転がり出た。
「だすげてほしい、です……っ」
 ああ、そうだ。ぼくはこの世界に生まれてからずっと、誰かに助けてほしかった。頼ってもいいと思える、頼っていいと言ってくれる、頼れる誰かに、安心していいよと言ってほしかったんだ。ずっと。
「助けるよ。君は何も遠慮することはない。わたくしは、わたくしの身勝手な贖罪という自己満足のために君を見捨てられないでいるだけなんだから、図々しいくらいに利用していいんだ」
「うえええええぇん」
 みっともなく泣きながら、手を広げたルクレーシャスさんの胸へ飛び込む。ルクレーシャスさんの首に縋りながら、頭が空っぽになるくらいに声を上げて泣いた。肉体の年齢に精神が引きずられているのだろうか。思っていたよりぼくの心は、疲れてしまっていたようだ。
 結局、ぼくはそのまま泣きつかれて眠ってしまったようだった。夜中に一度、目が覚めるとぼくは自分のベッドで寝ていた。ベッドの端にルチ様が座っていて、ぼくの頭を撫でてくれたことを覚えている。朝、起きたら目が腫れていてベッテが濡れたタオルで目を冷やしてくれた。そういえば、コモンルームにはフレートもベッテもラルクも居たんだった。ぼくとルクレーシャスさんの話をどう、受け止めたのだろう。けれどベッテもフレートもラルクもいつも通りだった。ラルクは「おはよう」と声をかけると、ぼくの頭を撫でてくれた。お兄さんぶっているのが少しおかしくてくすぐったくて、笑ってしまった。
「スヴェンはまだ五才なんだから、あまりがんばらなくていいぞ」
 何言ってんだよ、君だってまだ七歳だろと思ったけど、代わりにまた少し目からしょっぱい水が出た。
「おはよう、スヴァンくん」
「おはようございます……」
 消え入りたいくらい恥ずかしいけど、まぁやっちゃったもんは仕方ない。朝食後、コモンルームでルクレーシャスさんに向かい合う。つもり、でソファに座ったんだけど、ぼくはルクレーシャスさんの膝に抱え上げられた。もう徹底的に甘やかすことに決めたらしい。
「えっと……色々お話しなくちゃいけないことがあるんですけど、とりあえずぼく、元の世界に戻るんじゃなくてこの世界でどうにか生きて行こうと思ってるんです。それにひょっとしたら、本物のスヴァンテ・フリュクレフとぼくが入れ替わっていて元に戻るという可能性もあるんじゃないかと思っていて。本物のスヴァンテ・フリュクレフが戻って来ても困らないように、環境を整えておいてあげたいんです」
「うん」
「だから、そのためにルカ様に助けてもらいたくて色々お手伝いお願いしたいと思っています」
「うん」
「それと、実はぼく、元の世界で二十五歳まで生きていた記憶があるので本当は中身も合わせると三十歳です……」
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