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咲く花月

第3話

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 向かいでつまらなさそうにティーカップの縁を指で弾いた皇王を、俯いた前髪越しに眺めた。この人も無能ではないんだよな。ただ、前皇が無能過ぎた。その後の軌道修正も強引過ぎたんだ。
「……数日中に魔法使いを寄越そう。それから、教育係も。他に不便はないか」
「陛下にご高配を賜り、不自由なく過ごさせていただいております」
「ふん……おぬしがいっそ愚昧であったら、余計な心配もせずに済むのだがな」
「それはそれで傀儡にされるでしょう。何事も過ぎればなお及ばざるがごとしでございます、陛下」
 ここで足でもぶらぶらさせとくかな。ちょっとでも子供っぽく見えるといいけど。
「おぬしまこと、うちの小倅と交換せぬか?」
「お戯れを」
「……五歳になったばかりのおぬしがこれではな。小倅が凡愚に思えてしまうわい」
「皇太子殿下はこれからにございますよ」
 皇王はおかわりしたプリンも平らげ、ぼくへ顔を寄せた。
「近いうちにおぬしと小倅を会せよう。できればおぬしが小倅を支えてやってくれるとありがたいがな」
「陛下への恩義を皇太子殿下へお返しできることがあれば、誠心誠意お応えいたしましょう」
 応えるとは言ったが仕えるとは言っていない。やれることしかやんないよ! 残念ながら、んなさらに自分の立場を複雑にするような約束おいそれとはできないな! ぼくには賢さはないが今は幼児の強み、かわいさがある! 笑みを作って胸へ手を当てる。見てよこのまるっこい小さい手。かわいいでしょ? ぜひごまかされてくれ。
「……ふん」
「後日、フローエ卿に玩具の実物を見せることにします。よろしくお願いいたします」
「……好きにせよ」
「はい。ありがとう存じます」
 わぁい。両手を上げて大げさに喜んで見せる。
「わざとらしいから子供のフリなどせんでよい。逆に怪しいわ。おぬしまことにあの単純なアンブロス子爵の子か」
 チッ。騙されてはくれないか。さすが皇王。
 テラスに置かれたテーブルセットの椅子から立ち上がった皇王が、肩越しに苦い表情をした。足の付かない椅子から勢いよく飛び降り、皇王を見送るためにテラスから庭へ出る。
「単純な人なのですね、アンブロス子爵は。しかし単純な人間ほど、行動が読めない時もあるものですよ」
 まぁ、バ……単純な人だから政治的思惑とか自分の立場とか考えないでぼくをこの現状で放置できるんだろうなって想像は付いてた。バカは予測が付かない行動するんだよ、陛下。一番侮れないんだ、だってバカはバカだからさ。常識通じないからね。ぼくも賢くはないが。だからこそ、知らない世界への異世界転生とか怖さしかないわけだけど。
 ぼくの考えを察したのか、深くため息を吐き出して皇王は歩き出した。
「……実感しておる」
 離宮と皇宮の境目までゆっくりと散策に付き合い、庭に植えられた木々が高山のものから温暖な地域のものへと変わった辺りで立ち止まる。フローエ卿と、執事のフレート、侍女のベッテが少し後ろに付いて来ているのを背中で確認して、皇王へ手を振った。
「お忙しい中、お時間を割いていただきありがとう存じます。陛下のご健勝と皇国の繁栄をお祈りいたしております」
「見たかカルス。こんな挨拶をする五歳児などおるまい。うちの大臣より賢《さか》しいわ。そう思わぬか」
 フローエ卿はカルステン・フローエという名前である。皇王が愛称で呼ぶほどの仲というわけで、つまりフローエ卿はぼくの監視役なのだ。皇族怖い。五歳児相手にも監視を付けるとか、ドロドロしている。
「……スヴァンテ様は大変聡明なお方です。あとメシが美味いので離宮の勤務は嬉しいです」
「そうなのか? だからゲーデルが離宮の護衛になりたいと申し出て来たのか?」
「ああ……ゲーデルはたまたま私を呼びに来て、ここで食事をいただいたので……」
「どうせ料理人の腕がいいのではなく、おぬしが考えた料理が美味いのであろ……」
「料理も、気が向いた時はぼくが作るので……」
 岡田一一《おかだいちはじめ》、享年二十五歳。十二歳で母を亡くし、仕事をするだけで精いっぱいの父に代わって五つ年下の妹の面倒を見ていたぼくの死因は過労。そう、五つ年下の妹の世話や家事を十二歳の時からこなしていたんだ。そりゃ料理だって裁縫だってできる。この世界、肉焼いて塩コショウ自分で適当にやっちゃって! って感じでメシが全体的にマズい。ドライイーストなんてものはないから、パンも硬いしお菓子も素朴なものしかない。味のうっすい野菜スープ、硬いパン、チーズ、肉。そのローテーション。そもそも毎食、温かい食事をする文化がないらしい。これには絶望した。この国、乾燥してるけど結構寒いのよ。夏が涼しくて冬は厳しいのに、なんで温かいもの食べる習慣がないのか意味が分からない。長期保存が最優先っぽい。国土が広いから流通に時間がかかるからだろうか。美味しいもの食べたいって欲求は人間を貪欲にする。
「……今度、余をおぬしが作った夕食に招待せよ」
「かしこまりました、陛下」
 その時は何を強請ろうかな。クックック。いけない。ちょっとだけ五歳児にあるまじき悪い顔しちゃった。皇王の姿が見えなくなるまで待って、振り返る。
「フレート、部屋まで連れて行ってください。フローエ卿、ぼくは部屋に戻りますね」
「かしこまりました」
 黒曜石のような黒い髪、抜け目なさそうな新緑色の瞳が慇懃に胸へ手を当てて頭を垂れる。フレートは、物心ついた頃からぼくの世話をしてくれている。
 フレートに抱き上げてもらって、テラスを目指して噴水の脇を通り過ぎる。五歳児の足だから広大な庭から部屋まで移動しようとすると時間がかかる。一歩の歩幅が小さいんだよね。だから長距離移動する時は、大体フレートが抱っこしてくれる。視点が高くなった分、空が近い。
「ベッテもご苦労さまでした」
 ベッテは戻ってテラスの片づけをするだろう。その間にフレートに貸金庫の開設とか商人を離宮に呼ぶ準備をしてもらわなければ。
 ベッテはこのサーベア離宮の侍女長だ。元々離宮の侍女長だったわけではなく、ぼくの母であるシーヴ・フリュクレフ公爵令嬢が嫁入りと共に連れて来たフリュクレフ公爵家の侍女でもある。
 つまりフローエ卿と他の侍女はみんな皇王の部下なわけ。やりにくいだろうなぁって前世社畜は同情を禁じ得ない。純粋にぼくの味方かなぁって言えるのはベッテと、ベッテの夫の庭師って紹介されたけど絶対に庭師なんかじゃないだろう庭師のヴィノさん、ベッテとヴィノさんの息子のラルク。それから執事のフレート、料理人のダニーだけである。
「スヴェン! ヒマならあそぼーぜっ」
 モッコウバラが陽射しを浴びて咲く日陰棚《パーゴラ》の上から元気に飛び降りて来たのが、ベッテとヴィノさんの息子のラルクだ。ベッテはぼくの乳母でもあるから、二つ年上の乳兄弟である。
「いいよ。でもぼく、これから部屋に戻るから部屋の中でできる遊びでいいかな」
「ええ~。せっかくキンピカのおっさんが帰ったのに?」
「これっ! ラルク! 陛下に対しておっさんだなんて!」
「……っ!」
 フローエ卿が笑いを堪えているが、普通の七歳ってこんなもんだよね。ラルクを見ると普通のご両親に普通に育てられた感があって安心するもん。
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