月が導く異世界道中extra

あずみ 圭

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extra65 澪の果てしない道のり④

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「澪さん、本当に店は出さないのかい?」

「ええ。私はプロの料理人になりたい訳ではありませんから。けれども、いい加減な気持ちで料理をしているのでもありませんよ」

「そりゃあ何日か見てりゃあわかるさ。ウチの味そのまま持っていかれても困っちまうが……プロを目指さなくてもあんたなら店を出す価値はあると思うがなあ」

「?」

 既に何店目か、時に掛け持ちもするようになった澪が更なる料理修行を求めて門を叩いた数は数えるのも馬鹿らしい位になっていた。
 基礎技術習得に始まり、焼き、蒸し、揚げ、煮ると。
 澪の料理道は大いに加速を続けていた。
 既にまな板を割り、野菜と肉と鉱石を同時に調理する彼女はいない。
 通常の食材だけではなく荒野からもたらされる希少な食材すら彼女は手に取って質を目利きできるようになっていた。
 ともに追い回しのように働いた一店目からしばらくは一つの店に滞在する時間も長かったが、今では各店の厨房にいる期間も短く、時には要点を聞き出すだけで済む事もある。
 貴女が料理?
 今では澪をそんな目で見る料理人はいない。
 未だ彼女の口から各店の秘伝や技術が漏れたという話も聞かれず、真摯に料理を学ぶ彼女は徐々に料理人たちから好意的な目で見られつつあるのだ。

「食った客の生の反応ってな、料理人が成長するには欠かせねえ要素だ。儲けるつもりがなくとも、多くの人から反応を貰える機会ってな貴重でね。レシピと技術に囲まれるだけじゃあ得られねえもんもあるってこったな」

「……反応ですか。でも私には」

「ああ、わかってるって」

「??」

「澪さんは特定の誰かさんの為に飯を作ってるし、多分作れるようになろうと思ったんだろう」

「貴方にそんな話をした覚えはありませんけれど」

「こういうのも、客を見るって経験の賜物だ」

「……へえ、面白いものですわね」

 料理をする意図を見透かされた事でやや不愉快になりながら、それで話を打ち切りはしない澪。
 彼、妙に居心地の良い店の主人は客の状態に合わせて味付けを変えていた。
 特定の技術やレシピというよりも、人柄と細かな気配りや技術で客を酔わせる。
 澪がこの店で見て盗みたかったモノはこの男の人となりであり、今まさに男はソレを見せているのだと彼女は思ったからだ。
 皮肉なもので、ことこの店に関しては澪は店に入るのではなく客として通い続ける事が正解だったという訳だ。

「最初は最高の味を求めてる趣味人かと思ったが……にしちゃあ味付けが濃すぎる。難しい食材にも気後れしねえのに、一方で全く見向きもしねえ食材も時々な。ってなとこからなるほど、本当に食わせてえのは一人かってね」

「……正確には私も入れて二人です」

 極端な話、真が美味いと言ってくれるのなら他の誰もが悶絶しようと澪は構わない。
 堂々と誰に恥じる事なくその料理を作る。
 実のところ。
 巴や識、亜空の住民にとって真がゲテモノ好みの変わり者でなかった事は地味ながらも幸運だった。

「はっきりとまあ、気持ちいいねえ本当によ。ま、それでもだ。その幸せな人も食卓でしょっちゅう澪さんに観察されながらじゃ美味い飯でも多少不味くなる」

「っ!」

「さりげなく食った人間の観察をするってのは、厨房で身に付くもんじゃねえ。皿の飯の残り具合だけ見てても部分的な情報しか得られねえ。だからプロの料理人にゃそんな話を聞ける給仕のプロってのも必要なんだが、澪さんの場合少し毛色が違ってるときたもんだ」

「……むぅ」

「街でハコ構えて店を出したくねえ事情があんなら、そうだな……屋台なんかはどうだい?」

「屋台?」

「冒険者ギルドの傍、あの広場なら客にも困らんだろ。澪さんは顔が売れすぎてるから屋台に誰か別のを立たせておいて、付近で気付かれんよううまーく観察するって手もあらあな」

「……まったく」

「んん?」

「中々の天才じゃありませんか、あなた。屋台で近くから観察する、ですか。アリですわね。この店の微妙な味付けの変え方は、確かに厨房よりも給仕の様に近くでお客を観察して初めて身に付くもの。ただこの街で私は無駄に顔が知れてしまっていますし、新たにお店をやるとなると若様のお手を煩わせてしまうかもしれませんもの」

「……」

 若様。
 澪の誰か、というのが一瞬で特定されてしまうワードが隠すでもなく出てきたが気配りスキルが振り切れている大将は沈黙でやり過ごした。

「となれば屋台のやり方と出すものを試作しなくては」

「おう、ウチは別に人手に困っちゃいねえから、そっち優先で構わねえよ」

「? 夜だけですもの、問題ありませんわ。お昼に屋台の何やらを進めて夜はこれまで通りここで勉強します」

「ダブルワークかい。いやはや、若いねえ」

「ようやくこの腕を披露できるかもしれない、その目処が立とうというのです。いくつだって掛け持ちますわ」

「オレが提案したなんて誰かに言わんでくれよ? 冒険者に睨まれたかねえ」

 澪が料理に傾倒すればするほど、冒険者ギルド関連で動く機会は減る。
 まあ当たり前の構図だ。
 そして冒険者ギルドや冒険者としては出来るだけ澪には手が空いていて欲しい。
 難しい問題だった。

「……そちらは多少融通してもらいますから。物事には何でも優先順位というものが、あるのです。では、また明日」

「おやすみ、気をつけ……てやってくれ馬鹿がちょっかいかけてきてもな」

 閉店まで働いてくれた従業員に通常かける言葉を一部変えて澪を見送る大将。
 澪の返答は無かった。
 そして翌々日。
 澪の企画する屋台は早々にオープンするに至った。
 倍率がそれなりに高い筈の冒険者ギルド前だというのに申請から承認までが半日で済むという異例の事態だった。
 担当部署に書類の事を聞きに行った澪の所に、商人ギルドと冒険者ギルドから担当者を名乗る職員がどこで話を知ったのかそれぞれ全力ダッシュでやってきて、その場で矢継ぎ早に話がまとまっていった結果だ。
 ちなみに本来は申請者が祈るような気持ちで見つめる抽選会というのが存在するのだが……澪がその存在を知る事はついに無かった。

「なるほど、確かに考えさせられる事は多いですわね」

 澪が呟く。
 屋台と周囲の様子が見て取れる場所でメモを手にしながらふむふむと頷いている。
 森鬼や時にアキナを立たせている屋台は大盛況だったのだが、問題点もまた想定内のものから想定外のものまで噴出してきたのだ。
 まず客の反応は一定では無い。
 同じ物を同じ味で提供しているのに、日によって同一人物の感想が違う事もザラにあった。
 これは澪には想定外の事だった。
 ヒューマンや亜人の冒険者や観光客や住民でそれなのだ、つまり彼女の若様、真であっても同様の事が起こると予想できる。
 暑かったり寒かったり、晴れていたり雨だったり、個人の体調や心境であったり。
 料理の味は同じなのに食した感動は異なる。
 大将が口にした料理人としての、客を見る経験、という言葉の意味が深く長く澪の胸の裡に残る事になった。
 更に澪がやっている、という情報が口止めしたにも関わらずどこかしら漏れだした。
 それも、結構早くにだ。
 そうなると冒険者や商人が一口食べては大絶賛という何の役にも立たないお世辞を言う為に大挙して列をなす。
 これが人を変えてやってみても一向に収まらない。
 きつめに脅してみせさえもしたのに、だ。
 澪が求めているのは素直に味に反応する客であり、より多くの偽りない新鮮な感想だ。
 仕方なく澪は予定を変えて広場から住宅地まで予兆なくばらばらに屋台を出す苦肉の策を打つ羽目になってしまった。
 おかげで一部で幻の屋台、などと囁かれるようになる始末だ。
 
「若様が美味しいと仰った味でも細かに変えられるよう、もっと精進しなくてはなりませんね。でも若様とは最近一緒にご飯を食べられていませんし……ああ、確か私達を差し置いて同行を許されている身の程知らずがいました。アレを使いましょう。毎食の献立と反応を細かに報告させれば多少の役には立ちますわね」

 おべんちゃらはいらない。
 けれど確実に屋台に訪れた客の反応は自分の実になっていると澪は感じている。
 これならばいずれツィーゲに小さくても構わないから自分の店を出してみるのも良いかもしれないとさえ思う程に、だ。
 ただ一人の好みの為に、街中の人の反応を知りたい。
 そんなとんでもない事を考える澪であった。
 実際に彼女の店がツィーゲに出来るのはもう少し後の事だ。
 澪の同期を名乗る多くの料理人が店を出しツィーゲに料理人たちにとっての群雄割拠、修羅の時代が訪れた頃に彼女の次なるアップデートの為についに澪の店が出来上がる。
 料理を学ぶと決めたあの頃の目の輝きそのままに、澪の果てしない道のりはまだまだ続いていくのだった。
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