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extra63  澪の果てしない道のり②

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 澪の料理を試食する日。
 試食室の椅子には誰も腰掛けていなかった。
 第一回の悲劇を耳にした住民が戦慄して誰もが何かしらの理由をつけて断った、のではない。
 亜空における巴や澪の人望はそんなやわなものではないのだ。
 むしろ一回目の試食会の惨状を聞いた猛者たちが、何俺ならばきちんと完食して感想をお伝えしていたさ、などと強気な発言をしていたほどだ。
 故に今回、巴が参加者を集めるのに苦労する事は幸か不幸か……なかった。
 ただ……前回以上に結果がよろしくなかっただけだ。
 同じ顔触れはライムしかいなかったが、澪の料理を口にした全員が床をのたうち回っていた。
 口からは鮮やかな血を撒き散らし、最早毒物による大量殺人さえ想像する場面である。
 巴は頭痛に耐えるかのように手を額にあて沈黙していた。

「ど、どうして……!!」

 ゆえに本気でショックを受けている澪に応答できる者はおらず。
 前回の失敗を糧に確かに成長した澪が今回用意したメニューは魔獣肉のピカタと青菜の塩スープ、である。
 ちなみに参加者と巴は鳥肉の塩串焼きとハイオークの野菜スープが出ると聞かされていた。
 そう、直前のメニュー変更である。
 これを料理の初心者がやる場合、大抵ろくな事にならない。
 そして結果的には鮮血の惨劇を引き起こしたのだった。

「澪よ……どうしていきなり献立が変わるんじゃ?」

「予定していた材料より良いものが手に入ったんです。それでどうせならより美味しい物を出そうと」

 ヒューマンの街でも一般に出回っている鶏肉と魔獣肉では扱い方が根本的に違う。
 漫画肉を提供する某専門店が聞いたら質が良い悪いの次元じゃねえと職人が激怒したかもしれない。

「スープの具材は? 芋と根菜とかオークどもからは聞いておったが」

「……か」

「か?」

「皮を剥いていたらほとんどなくなりましたの。それで切るだけでいい葉っぱで代用しました」

「……皮むきくらいオークに教えてもらえば好かろうに」
 
 プライドが邪魔をしたのかと巴は嘆息する。
 しかし澪の表情を見た巴はふと疑問を覚えた。
 教えを乞うのがどうの、という雰囲気ではなかったからだ。

「……ハイオークどももミスティオリザードも、あまり皮むきというのをしないようで手つきも何もかもぎこちないんですもの」

「おお、なるほどな。確かに切りはすれど皮つきのままが多い気がするのう」

「若様の手つきを見て感心したとか言ってました」

「柿じゃな! 儂もあのうっすーい皮のを一回見せてもろうた! あれは確かに感心する」

 巴が主である真が柿をナイフで剥いた時の事を思い出して声を高めた。
 だが亜空の住民が果物や野菜を食べる際、皮を剥く事は実はかなり少ない。
 毒があるとかあまりにも硬い時のみ大雑把に処理する程度で、彼らは基本的にはそのまま食べやすいサイズに切って調理していた。
 亜空での日々に慣れつつある中、徐々に真の常識を学んでいる住民たち。
 それでも追いつかない分野も数あるという好例ともいえる。

「屋台や店で食べる感じとどうも違いが大きいのです。素材は格段に良い物を使ってますけど、どうしても点と点が線にならないような……もどかしい感じがします」

「ふむぅ……」

「何か腕を上げる良い手立てがないものでしょうか、ふぅ……」

 ようやくまともに動けるようになった試食者たちが息荒いまま必死に着席するのをみて、澪が嘆息する。
 彼女も大真面目に試食者が絶賛するような料理を作ったつもりでいてこの有様なのだ。
 きわめて不本意な結果だった。

「しかしまあ、毒を使わずちゃんと食える食材で調理したんじゃから、多少は前進じゃろ? その辺りの感覚は身について来とるとみた」

「人や亜人に毒として作用しないもの、は何となくわかりました。一応入手した時に食べられるものかどうかもそれで確認してますし」

 澪の食材に関しての直感は素晴らしいものがある。
 元々美食とは程遠いとはいえ何でもかんでも食い尽くしてきた彼女である。
 美味に反応する何かしらのセンスを持っているのかもしれない。
 
「あ、あの澪様。このスープ、口にした瞬間葉っぱが口の中で暴れてナイフかき回されたみてえにズタズタにされたんですが」

 ライムが一応言葉を選びつつ巴と澪の会話に口を挟んできた。
 彼は前回から引き続き試食を請け負う古参である。
 感想を述べる権利、料理について質問する権利は間違いなく有している。
 良い食材を使っている、と事もなげに言い放った澪に全員がのたうち回った原因を問いただしたい気持ちも十分に理解できるものだ。

「変ですねえ。私が食べてみた時はそんな事はなかったというのに」

 首を小さく傾げる澪。
 五人いた試食者でスープを口にした三人は数秒動きを止め、後に体を震わせて嘔吐を耐えるような仕草を見せ、そして吐血しながら床にダイブした。
 残りの二人は肉に手を伸ばし、硬すぎて全く歯が立たないのに戦慄を覚えつつ動きを止めたお仲間を不思議に思いながらスープを口にして同じ結果を辿った。
 巴が意を決したようにスープを一口飲んでみて……飲み込んだ。
 復活を遂げた試食者が愕然とした表情で彼女を見つめていた。

「んー」

「巴さんは食べられますか。お味は?」

 これまで味の評価をされる所まで進んだ事がない澪は興味津々、巴に尋ねる。

「不味い」

「!!」

「青臭くて刺すような塩味がとても食えたものではない。義理ゆえ飲み込んでやったが正直自分の寛大さに驚いたわ」

「う、ぐ」

「問題の葉っぱじゃが、こりゃお前荒野で獲ってきたじゃろ」

「? ええ」

 普通に答える澪。
 ライムがその言葉にのけ反ったが気にした様子はない。
 真が食べられる物を、という視点を重視するならライムの反応は気にしなくてはならない筆頭なのだが今の澪にそこまでの余裕はなかった。

「野菜ではなく薬草でもなく、植物型の魔物とみた。死後も己を食った獲物に危害を残して種を守るタイプかもしれんな。葉の側面が鋭く研ぎ澄まされた刃の如き曲者じゃ」

「……物凄く美味しい気配はしていた草なんですけどねぇ」

「巴様、澪様。それは……信じ難いですがキリングウィードなる希少な魔物でございます」

 今度はドワーフが呻きながら説明を加えてきた。

「希少か。で、それは調理次第で美味いのか?」

「調理はした事がありませんが、その刃部分は加工してやれば素晴らしい研磨材になります」

「一応使い道はあるのか」

「よ、よろしければ是非採取した場所などを教えて頂きたく……」

「だそうじゃが? 澪」

「それは……覚えてますけど。もう、絶対美味しい感じがしましたのに。後で誰か寄越しなさいな、連れていきますから」

「ありがとうございます!!」

 欲しいのはそのありがとうじゃない、と思う澪だった。
 美味しい、もっと食べたいという言葉が欲しいのであって貴重な素材をありがとう、ではないのだ。
 その後、使った岩塩にまで文句をつけられてスープは零点に等しい評価で終わってしまった。

「あとは硬さか。肉の方は誰も味わう所までいっておらんからな。もう少し人の噛む力も意識せんといかんな」

「この魔獣肉も、使った油も、チーズも凄く美味しい感じがしてたんです。どうしてこうなったのかしら」

「……そうじゃった」

「?」

「まず根本的な事なんじゃが、きちんと予定通りの料理を作って出すというのが大事じゃな」

「確実に元々よりも美味しいものが見つかっても?」

「うむ。料理というのにも才能やら天才というのもおるようじゃが、そのごく一部を除いて基本的には料理は反復と慣れで上達するらしいからの」

「才能、天才……」

「お前は料理についてはポンコツじゃからな? 才能も無いし天才でもないぞ? とにかく基本的なところから、とにかく回数を繰り返していく事じゃよ。若はそれで何とか形になったと仰っておった」

「若様が!?」

「若はつい強さに目がいくが、あれで掃除洗濯料理なんてどうでもよい事も一通りできるじゃろ? それでまあ料理についてもちょいちょい聞いたりしてみた」

 巴のその言葉は何気に澪よりも他の試食者に衝撃を与えた。
 家事も一通りできるという何でもない情報だったが、最初に圧倒的な強さを見せつけられている彼らからすれば意外性に溢れたスクープであった。

「繰り返します! 私だってやってみせますわ!」

「おう、ちゃんと串焼きとスープを出せる様になったらまた試食会を用意してやる。励めよ」

「ちなみに澪様、このピカタ? に使った油なんですがもしかしてあの幻の機械油――」

 上等な素材がそのまま上等な食材となるかといえばそうではない事の方が多い。
 特殊な処理があっては初めて人にとって素晴らしい食材になりうるもの。
 今回のキリングウィードとヘパイスオイルはどちらもその類の代物だった。
 澪の嗅覚は結果としては正しかったと言えなくもない。
 空気を読まないドワーフの一言を巴が制しようとしたが、そこはすっくと立ちあがった五人目の試食者が代わりに阻んだ。
 小柄な彼女は周囲の制止するオーラを振り切ってうつむきがちに澪の前までつかつかと進んでいく。

「なんです、エリス」

 澪が今回の森鬼代表、エリスに問う。

「言わせて頂きます! 澪様!」

 意を決して顔を上げたエリスの瞳には涙が浮かんでいた。

「っ」

「バナナを、殺すな!!」

 見るからに粘度の高いベージュ色の油にまみれ、輪切りにされてしんなりしたバナナを突き付けて強い言葉を放った。
 そしてつまんでいたそれを口に放ると泣きながら咀嚼して回れ右、席に戻っていった。
 巴と澪は呆然としている。
 だがまあ、マズイというはっきりとした感想だった事は間違いない。
 森鬼がいるなら肉の付け合わせにサービスでバナナでの入れておいてやろうという澪の心遣いすら裏目に出たという悲しい現実だった。

「澪、肉の付け合わせに果物はナシじゃろ」

「そういうので美味しいのがお店であったんです……」

「……とりあえずは、あれじゃな。最低限の常識らしいものも身に付いた頃かもしれんと言えん事もないかなと希望も持てるはずじゃし」

「?」

 一体いくつの予防線を張るのかという勢いの巴の前置きの後、亜空を救う提案がなされた。

「ツィーゲの食べ歩きで気に入った所に頼み込んで基本的な事を教えてもらうというのはどうじゃ? 亜空よりも料理の技法は間違いなく進んでおる。お前が料理人に頭を下げられるのであれば、良い手と思うが?」

「!!」

「どうかの」

 衝撃を受けている澪に巴が再度尋ねる。
 試食者たちも心底から肯定の返事を望んでいた。

「……巴さんという朋友ともがいた事は私にとって素晴らしい幸運かもしれません。貴女、とんでもない事を思いつきますわ!!」

「儂も若に勧められて前に武者修行などしてみたが。澪、お主も行ってみるか?」

「当然!! です!!」
 
 両の拳を握りしめた澪は断固たる決意を固めてツィーゲへの料理武者修行を決めたのだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


 ツィーゲで澪がこれと見染めた飲食店の一つ。
 その裏手に二人の女性が並んで腰かけていた。

「そこ! その動きです! もう一回!!」
 
「澪様、またですかー?」

「同じ下働きなんですから様なんて要りません。同じ立場、いえむしろ貴女が先輩じゃないですか」

「……この街で料理人見習いが最高峰の冒険者を呼び捨てにするなんて殺されちゃいますよ! えっと、こんな感じのとこです?」

「ええ、ええ! 包丁の先っぽじゃなくて根本の角のとこで芽を取る。で、包丁じゃなく芋を持つ手を動かしながら皮を剥く! そして皮が剥けたら調理に向いたサイズに切る!! 凄い……」

「料理の基本なんですけどね。野菜の下ごしらえなんて」

「その基本を教わるのが難しいんです! どこまで出来るとか中途半端なのはやっぱり駄目ですわ。どうせなら最初から全部学んで覚えて身につけてしまえば良いんです!」

「物凄い情熱ですよね、澪さ、んは。巴様に才能が無いって言われたのがそんなに悔しいんです?」

 澪と話しているのはこの店の下働き。
 といっても店は主と雇われの彼女の二人しかいない。
 そこに突然澪がやってきて料理を平らげると勉強させてくれと頭を下げたのである。
 店主の混乱と当時の心境を思うと同情はいくらあっても足りない程だろう。
 厳しく指導して欲しいと頭を下げる街で噂の冒険者が、更には束脩そくしゅうだと言って大金まで支払おうとする。
 ソクシュウという言葉自体は知らなかった店主だが話の前後から勉強代だと察した上で頭を抱える。
 お互いの立場、そして積まれた大金。
 店秘伝のレシピを根こそぎ奪われてもおかしくない、新手の恐喝なのかと戦慄したほどだ。
 だが澪は言った。
 まずは包丁の持ち方、そして芋の剥き方を伝授して欲しいと。
 よし考えるのを辞めよう。
 店主の結論は責められないものだった。
 下働きに雇った女マルタを呼ぶと、しばらく働きたいそうだからよろしく頼む、と丸投げして店を出ていった。
 二人並んで仲良く下ごしらえに励む仲だが、マルタとて澪を対等の相手として扱うまでにかなりの葛藤があった。
 それでも適応したのだから大したものだ。

「そこはあまり。別に悔しいから頑張っている訳ではありません」

「そう、なんですか?」

 マルタは野菜の下処理や肉の筋切りすら知らないし出来ない澪の場合、才能がどうのという以前の問題だと思っていたが澪の熱意は確かに凄まじかった。
 楽しい事ばかりではない仕事でも、隣の澪を見ればいつも前しか見ていない。
 澪は新たな技を見るたびにマルタを先輩として称賛したが、彼女にとっても澪の存在は明るく眩しいものだった。

「美味しい物を食べて欲しい方……いえ、一緒に食べたい方がいるから料理を覚えたい。それだけですよ」

「……なんだ」

「マルタ?」

 澪があっさりと口にしたひたすら前を見る理由を聞いたマルタは何かがすとんと胸のうちに収まったような感覚とともに澪に向けて微笑んだ。

「澪さん、料理の才能多分ありますよ」

「! 本当ですか!」

「ええ。少なくとも、美味しい料理を作れるようになるのは、私が保証します!」

 勝負でも試練でも出世の為でもなく。
 美味しい物を食べさせたい。
 これほどまでに純粋な動機もない、とマルタは思った。
 
(私も、腐ってる場合じゃないなあ。これじゃすぐ澪様に抜かれちゃうわ。少しでも長くこの方の先輩でいられるよう、そして私自身の夢の為に。もっともっと、頑張らないと……!)

 この店のスペシャリテとでもいうべき特別な一皿、そのスープに魅せられたマルタは料理人を志した。
 だが店主はそれなりに手が出るタイプで、理不尽ではないが下働きとしての厳しい日々で心を擦り減らしつつもあった。
 澪の存在はマルタに夢を再認識させ、初心を取り戻させるに足るものだったようだ。
 
「マルタ! それ、そのやり方は初めて見ます!!」

「え、桂剥きですか? 見せた事ありませんでしたっけ。じゃ折角なんでサラダ用の下拵えも一緒に教えますね」

「是非!」

 それは大根に似た野菜の皮剥き。
 そして同じ要領で実の部分までも剥ききって細切り……つまり大根のつまを作るような流れだった。
 まばたきも忘れて食い入るように様子を見つめる澪。
 
「これ包丁の扱いに慣れる練習にもなるそうですけど、本当かどうか……」

 豆知識も披露しながら澪に桂剥きとつま作りを見せるマルタ。
 だが彼女は知らなかった。
 この時の経験と澪の非凡な着想がやがて亜空で住民たちを震え上がらせるお仕置き、その筆頭たる「カツラムキ」を生み出してしまう事を。
 澪の料理道はまだまだ続く!
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