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extra48 ツィーゲエピソード ~かつて身寄りなく泥水に浸かっていた姉~

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「なんでだコノヤローーーー!」

 エリスの絶叫が深夜の森に響いた。
 より具体的には彼女が相棒のアクアと使っている仮住まいのベッドに響いた。

「……うるさい! 今度は何の啓示だいい加減にしてくれ時間を考えろ寝かせてお願い!」

 TMブートキャンプという悪夢がようやくの落ち着きを見せ、この亜空という新天地における暮らし方というものがようやく見えてきた今日この頃。
 アクアは久しぶりのベッドでの就寝、しかも翌日もかなり眠っていられるこの至福を存分に満喫したかったのだ。
 仮住まいとはいえ上質な寝台で早速快適な眠りに落ちたところにこの仕打ちである。
 別に相棒であるエリスが祭りの前夜の幼児が如く爛々とした瞳で色々な資料をベッドに持ち込んで読み込んでいようが構わなかった。
 そう、己が眠りを邪魔さえされなければ。

「来期のTMブートキャンプから幾つかの地獄が削除されとるんやーー! こんな事あっていいはずないんやーー!!」

「わけわからん方言持ち込むんじゃない! いいか、その資料の出どころは言うなよ、私は関係ないからな。お休み!」

「最悪だ、あいつらも漆を頭からぶっかけられればいいのに! こっち特有の樹木の情報を何も知らずに手探りで地獄をみればいいのに!」

 色々と最低な事を喚くエリス。

「寝かせろー!」

 鬼気迫る様子で訴えるアクア。

「断固断る!」

 だが断るエリス。

「エリース!!」

 被っていた可愛らしいナイトキャップを殺気全開の気迫でエリスに向けて放つアクア。
 恐ろしく鋭く洗練された軌道でエリスに迫るナイトキャップ。
 布製品とは思えない、まるで弓矢の如きナイトキャップ。
 亜空で急激に成長したアクアの技量の為せる技だった。

「甘いわ!」

 だがエリスは即座に反応し、先端の可愛いボンボンを摘まんで放り、ベッドの角柱にキャップをふわりと着地させる。
 こちらもまた見事な対応だった。

「ふふん、同じキャンプを過ごし切磋琢磨した私にそんなものは通用しない!」

「なら同じ地獄を味わった同志として今夜は寝かせてくれても良いだろう!?」

「この次期キャンプ計画には若様成分が圧倒的に足りない! これではMは澪様のMになってしまう懸念さえある!」

「良い事だろう? 正直若様の臨時プログラムが一番負傷者が多かったし無茶苦茶だったんだから」

 事実である。
 これは森鬼全員が心から同意する。
 どこからか精巧に薄く仕上げられた木製の食器を持ってきた亜空の主、深澄真がある日森鬼の仕事として考えていると持ち込んだ漆なる木の樹液採取。
 木製の食器と樹液の関係も謎だったが……地獄だった。
 真が実演してみせた変わった刃物での樹液採取、漆掻き。
 取れる樹液の量はそれなりに多かったものの、特に難易度が高いとも思えない作業。
 森の専門家たる森鬼にとっては樹液にかぶれる危険があると注意されても日常の範囲内。
 若干森鬼に未だ無知な主を侮りつつも、今日は楽な作業になったと森鬼たちがおのおの漆の樹皮に道具を当てた瞬間。
 無防備だった頭上に乳白色の液体がどばっと降り注いだ。
 え、と。
 真の間の抜けた声が聞こえた少し後。
 絶叫とともに転げ回る森鬼たち。
 一人の例外もない。
 地獄絵図だった。
 あの異様なまでに早く強い全身を駆け回る痒みを、アクアもエリスも忘れる事はないだろう。
 ウロのように突如ぽっかりと幹に開いたこぶし大の穴から大量の漆が降り注いだ悪夢の記憶。
 漆集めの作業項目を確認すると今でも緊張感を持って戦闘時と同等の張り詰めた精神で臨んでいるのはそんな経験があっての事だ。
 当然ながらモンドを筆頭としてブートキャンプの第一期生である彼ら彼女らはどうして漆が降り注いてきたのか、どうすれば安全に採取できるのか、実験と実践を通じて学んできた。

「次の連中は最初から今私たちが確立したやり方で漆集めをするんだぞ、こんなバカな、こんな理不尽があっていいのか!」

 エリスは最初から変わらぬ怒りのテンションのまま、わなわなと震えている。
 それでも資料にはシワ一つ残していないのは、これもまたキャンプの成果の一環である。

「……いやむしろ当然だろう? 何故後進に同じ苦労をさせねばならんのだ。我々で確立できた技術を学べば時間も短縮できるし新しい事にも取り組める」

「聖人の皮被ってんじゃねーですよアクア。体で覚えなくて漆集めを舐めるような連中が出来上がったら危険倍増手間倍増。百害あって一利無しと私は断ずる」

「その辺は巴様たちが上手く組み直して下さるだろう? で聖人って何の事だ? 神殿っぽい響きが背筋に来るんだが」

「む、確かに。巴様ならば……うん。漆被った体験を幻覚でぶちこんでもらえば少しは私の溜飲とゆーやつも……くふぅ」

 溜飲というフレーズに引っかかりと疲れを感じるアクア。
 だが突っ込みはしない。
 いつもの事だ。
 聖人なる言葉を説明しないのもいつもの事。
 ただゆっくりと眠りたい。
 それだけが今のアクアの望みだった。

「そもそもメニューは回を重ねるにつれて洗練させていくと仰っていたじゃないか。だからもう寝ようエリス、大丈夫、私たちはやったんだ。亜空でも頑張っていけるし外でも大丈夫だからお休み」

「そりゃそーだけどさ」

「うん、じゃそろそろ私の」

「あーー!!」

「Oh」

「樹園の項目も超絶イージーになってるーー!! 肝!! こここそが肝でしょ!?」

(こここ……もう、ヤダ寝たい寝る)

「……エリス」

 少し低い声がアクアから放たれた。

「キンモクセイの精神依存とかカツラの瞬間睡眠とか! それに『樹』についてだって割く時間が少な過ぎ!」

 樹。
 それは亜空で初めて出会った植物の新たな概念。
 真すら多少驚いていた不思議な植物世界の驚愕。
 荒野でもヒューマンの歴史でも聞いた事がない、森鬼が亜空で最も驚いた項目の一つだった。

「中間試験や最終試験だけじゃなく普段から触れ鍛えるべき! 譲れぬポイント二つ目発見だ」

「……エ・リ・ス」

 かなり低い声がアクアから放たれた。

「いいとこなのに、どしたのアクア」

 何らかの危険を事前に察知したのかようやくだが反応するエリス。
 半身を起こした隣のアクアが程よく淀んだ瞳でエリスのベッドの一点を指さす。
 
「私のキャップ、返して」

「……ほーい、っと」

「……ありがと。何となく巴様かエマさんから頼まれて何かやってるのは察した。でもねエリス私寝たいのかなり寝たいの今はバナナより寝たいのわかった?」

「お、おう」

「ヨカッタ、ジャアマタアシタ。オヤスミエリス」

「はぶあぐーない」

 返答は無かった。
 即座に被ったナイトキャップの折り返し部分に指を突っ込むと、アクアは二つの耳栓を取り出し装着。
 首までふかふかの掛布団に包まれ至福の世界に旅立っていった。

「ふむ、個室でないのに確かに少しはしゃぎ過ぎた……かも」

 かもではなく、明らかに騒ぎすぎである。
 ベッドの上、サイドテーブルに様々な物を持ち込んで最早明日いっぱいここから動く気は無いといわんばかりの用意を整えているエリス。
 掛布団の上にうつ伏せに寝転がり、枕に資料を広げてまだまだ寝るつもりなど微塵もなさそうな様子だった。
 そして彼女もアクアとお揃いのナイトキャップを装着していた。
 なんだかんだで相棒である。
 ちなみにこの部屋はちょっとしたホテルのツインルームといった所。
 TMブートキャンプ用に急ぎで仕上げた仮の施設とはいえ、中々のクオリティ。
 森鬼がこのキャンプで現状唯一評価しているポイントがこの宿泊所でもある。
 出張先で同室になった同僚がこっちは疲弊しているというのに妙にハイテンションで騒いでいる。
 エリスの心境はそんな感じだったのだろう。

「そしてこんな資料読んでればアクアにも大体の事は知られちゃうか。反省反省、ま、別にばれて悪くもないけどね」

 ちょっとだけ声を潜めて遠慮を見せるエリス。
 実際、これは巴からの頼まれ事。
 もっともお互いの立場を考えると頼まれ事はそのまま命令なわけだが。

「まー私も明日の休みとかマジ嬉しいし寝たい気持ちもあるけどさ。このお仕事たちを今夜のうちに仕上げてしまえば来週半ばの提出期限まで私は事実上ずっとお休みみたいなモノ」

 エリスの笑みがにんまりと悪いものに変わっていく。
 
「日課みたいなお決まりの訓練を流しちゃえば後は半休がずっと……三日も。これは、ぐふ、最早連休。あーなんて甘い響き、甘露。いやいや……もうじき、私は外に出れるわけだし? ツィーゲって街で不審に思われない為にもお休みに慣れておかないと満喫も出来ない。そうこれはクズノハ商会がブラックではないと周知させるための私から若への私心無き御奉公といって差し支えない」

 実際の所、森鬼エリスにとって。
 この後商会の従業員として亜空の一員として外で活動する事は、巴が計算した地獄と緊張が交互に襲い掛かってくる上に真によるホラーハプニングまで散発するキャンプの日々に比べて天国だった。
 良い意味で楽で気も手も抜けて、絶対に手放したくない役得となっていった。
 エリスなりに全力でこの地位(というほどのものでもない平従業員の立場)を維持する為に働く事になるのだが、それは今の彼女にはまだ知る由もなく。
 また謎の啓示もなかった。

「さーがんばろー!」

 連休という甘く明るい未来に向けてエリスは珍しくわかりやすいやる気を見せる。
 翌日アクアが巴に偶然この夜の事を明かしてしまいエリスの連休計画が一日にして頓挫する切っ掛けとなったのは本当に残念な事で。
 しかし後に街に出たエリスが連休体験を経ずともクズノハ商会の誰より余裕で街ライフに適応したのは不幸中の幸いであり。
 この時巴から教えられた取らぬタヌキの何とやらという言葉を覚えた所為でエリスは亜空のタヌキが少しだけ嫌いになったのはちょっとした余禄だ。
 ちなみに亜空のタヌキは幻術と特殊な変身能力を持つ中々の猛者である。


◇◆◇◆◇◆◇◆


 クズノハ商会のオープンから少し。
 ドワーフによる武具の手入れ、カスタムを熱望する冒険者が密かに増え始めてきた頃。
 二人の姉妹がクズノハ商会の商品を眺めていた。
 
「すっごい雑多なお店ね、ここ」

「そうね。なんでも屋を地で行く王道ぶりだわ」

 驚いているようで呆れているようで。
 僅かな感嘆も含みつつ生粋のツィーゲっ子であるキーマとキャロが広くもない店内をじっくりと見分していた。

「目玉の果物やら薬草やらはもう売り切れかぁ。もう少し早く見に来ないと流石になくなっちゃうか」

「おかしいわね、彼、確かに私から木食器を大量に買っていったのだけど」

「お姉ちゃんの見間違い、はないか。真っ青なコートに筆談は他の人には中々」

「キーマ、お店の主をあまりそんな――」

「んー、だけどそれらしいのは無いね。身内で使う為だったとか?」

「今思うとあれって私の技量の宣伝用に作ったものだから実用には少し薄さを追求し過ぎていたように思うのよね。でも身内で使うには量が多いわ」

「なら破損した時用の予備とか?」

「仮にも商人の方がそんな無駄な事をするかしら?」

「うーん?」

 二人は無造作に置かれている明らかにレアリティの高い素材に驚いたり、空きが目立つ棚に首を傾げたり、傍目には同業者の視察にも見える仕草で店を回る。
 とはいえ姉のキャロは綺麗に洗濯されてはいるがツナギ姿、妹のキーマはレストランの給仕そのままの恰好をしている。
 ツィーゲの商人は身なりにそれなりに気を遣う者が多い。
 商人の同業者にみられる事は無さそうだった。
 幸いにも客はそれほどでもなく、たまにすれ違う程度で不愉快になるほどの混雑はない。
 足を止めて商品を見るにも不自由は無かった。

「でもさ、面白いよね。子どもの小遣いでも買えるような物から冒険者が大枚はたくような武器まで。ある意味圧巻だね」

 キャロが足を止め姉に感想を言いながら一瞬だけ特殊な歩法と手技を持って「子どもの小遣いでも買えるような物」を一つ棚からエプロンの袋に移した。
 横目で店番のドワーフを見るが微かに視線を向けられた気はしたものの、動きは全くない。
 反応される事もなかった。
 そして隣の姉もキーマの盗技に気付かなかった。

(まあまあ腕が立つドワーフみたいだけど、流石に死角も使ったら気付かれないか。あの褐色の肌の店員も……しかしお姉ちゃんは気付いてもいいんじゃないの? あんまり鈍ってもらっても私困るよ?)

 レンブラント商会やツィーゲのイリーガルな裏組織にも釘を刺されている為、クズノハ商会と揉め事を抱える気は無い。
 だからこそ極めて少額の、挨拶代わりの窃盗だ。
 もしモリス辺りが出鱈目な能力を発揮してコトが発覚しても、後日返しておけば済むだろう。
 そんな軽い気持ちでの行いだった。

「お客様がた、何かお探し?」

「っ!?」

「っ、あら店員の方の手を煩わせる程ではないんですけど」

 突然かけられた言葉に対しての姉妹の反応は対照的だった。
 キーマは微かに肩を震わせて息を詰まらせた。
 キャロは特に買い気もなく自分の作品はいくらくらいで棚に並べられているのか気になっただけの来店で店員を呼び寄せてしまった事を少しだけ申し訳なく思っていた。

「遠慮なく声をかけて欲しい。生憎代表は不在だけど商品の事なら私でも大体わかる。特殊な武具の話題はあっちのヒゲに聞けばおーけー」

「手入れをしてらっしゃるし、お忙しそうだけど?」

「ああ見えて実は結構手持ち無沙汰。初めまして、私はエリス。こんなに大きな街は初めてだけど商品知識は頼ってくれていいよ。間違いない」

 随分とフレンドリーというかフランクな様子で話しかけてくる褐色の肌の亜人。
 キャロは前評判で聞いていたヒューマンが殆どいない商会だった事を改めて実感し、エリスの自己紹介に挨拶を返す。
 孤児だった過去を持つキーマやキャロにとって亜人への差別意識はさほど強くない。
 表裏あるビルキという大きなレストランの主に拾われ引き取られた後、普通のヒューマンよりも世の裏を見てきた経験もまた、キャロの自然な対応を助けていた。

「ありがとう、小さいのに偉いのねエリス。私はキャロよ、こっちは妹のキーマ」

「小さいは余計。多分お客様たちよりも私年上。エルフの親戚みたいな種族だから外見の成長が遅い、ただそれだけ」

「そうなんだ。てっきりあちらの方の娘さんかなとばかり。姉妹だったのね」

「あっちのアクアは同い年の幼馴染。親でも姉でもない。キャロ、初対面なのにナチュラル失礼」

「え、幼馴染!? でも外見の成長……え? あ、ああごめんなさい。ちょっと、キーマ、挨拶は?」

 エリスのペースに巻き込まれながらも、妹に挨拶を促す事で頑張って話題を逸らそうとするキャロ。
 実際無茶な事を言っているのはエリスの方で、よく見れば入口付近で商品の陳列をしていたアクアも、少し離れたカウンターの対面にいたドワーフも苦笑している。

「……キーマよ、よろしくねエリス」

 一方妹のキーマは本来の愛嬌ある笑顔を潜めさせた、口角だけで作った薄笑みを浮かべて名乗った。

(手の届く、この距離までこの私が接近に気付かなかった? この小さいの、いつの間にここまで……)

 油断をしていたつもりはない。
 悪戯とはいえ商品の窃盗を行なおうというのだからキーマは当然店員三名の位置は現在進行形で把握していたはずだった。
 にも関わらずエリスと名乗った亜人はこの距離まで近づき声を掛けてきた。
 アサシンとして腕に自信を持つキーマの警戒をかいくぐって。

「ん、よろしくね。チラッと様子を見ていた感じ、キーマは付き添いでキャロが何か探している様子だったけど、正解?」

「正解」

 キャロが答える。
 既にエリスの口調はあまり気にしていない様子だ。
 エリスの小柄で可愛らしい、でも得体のしれない仄かなヤベー感じがそうさせたのかもしれない。
 ともあれ予想通りの返答にエリスは満足気に頷いた。
 キーマは最大限に警戒を強めつつ給仕の時とは違う、ポーカーフェイス代わりの笑みを浮かべ姉に従う様子で大人しくしている。

「でわお客様、お求めの品はどんな物でしょーか?」

「木製の器よ」

「……木製の、器?」

 少しだけエリスの雰囲気が変わった、姉妹はそんな印象を抱いた。

「ええ、お椀とかお皿、鍋敷きなんかも。こちらの代表のマコトさんって方が沢山買ってくださったの。てっきり商品として扱うおつもりかと思っていたのだけど……」

「お椀に、お皿、だと?」

 エリスの肩が小さく震えている。
 両手で肩を抱くように、何かに耐える様に。
 親指と人差し指で強くつままれた袖に皺が出来ていた。
 顔はやや俯いていてキーマとキャロから表情は見えない。

「そう、だけど。どうかしたの?」

「それは、実用性を疑うくらい薄く仕上げてある?」

「え、ええ。それで間違いないと思う」

「そこ以外は特に珍しい素材を用いた訳でもない?」

「そうね」

「……木地を、若に、見せたのは、おまっ――」

 疾風が駆け抜けた。
 キーマはもう一人の褐色の亜人、アクアの姿がぶれるように掻き消えるのを辛うじて視認した。

『っ』

 キーマとキャロが突然の風に驚いた次の瞬間、様子がおかしかったエリスの姿は既になく。
 代わりにカウンターにいた筈のドワーフがそこに立っていた。
 二人の耳には「うるぅぅぅ」と謎の響きが残っていた気がしたが意味が分からず気にもしなかった。

「やー申し訳ねえ。ちいとあの娘には辛い過去があってなあ」

「辛い過去って、あの、木製食器に?」

 キャロは全身から訳が分からないと疑問のオーラを纏って尋ねる。
 無理もない。
 辛い過去と木製の食器。
 一体どんな因果が二つを結び付けたのか想像もつかない。
 キーマの方は別の意味での緊張と警戒で既に笑顔を浮かべる余裕を失っていた。

「ああ。あれは不幸な事故だったよ。しかしそうか、あんたがあの木地を。良い腕をしているじゃないか」

 ドワーフは自らも職人であるからかキーマに真摯な目を向けている。
 
「キジ、とは私の作品の事でしょうか?」

「そうだ。うちの若様が凄く気に入っていてな。巴様もご興味を持たれていた」

「巴さん、いえもしかして巴様というのは、あの荒野をもものともしない女傑の」

 キャロが予想外の名前が登場した事に驚愕する。
 詳細は不明だが並外れた高レベルの女冒険者、巴。
 確認した者はいないが一説には四桁という空想すら超えた存在。
 子どもたちの最強は大体レベル999なのだから。
 現実的にそこに匹敵するのは上位竜を狩ったと竜殺しソフィアくらいだろうか。
 自らの姉が噂の商会の代表である真だけならともかく、巴に関心を持ってもらえているかもしれない事実にキーマは一気に緊張した。

「うむ。あれを木地と呼ぶのはな。若様はお前さんの作品を素材としてもうひと手間加えてみようとお考えだからだな」

「手を加える、ですか」

 はて、とキャロは首を傾げる。
 確かに特殊な素材を用いた訳でもない単なる木製の器。
 更なる加工自体は可能だろう。
 だが、実際何をするというのだろう。
 破損対策にコーティング魔術を施すとか、模様一つつけていない飾り気もない器だったから模様を彫るとか。
 一瞬で思いついた加工だがキーマはそれを自ら否定する。

「コーティングしても費用に見合う価値はつきませんし、あそこに追加で模様や絵を彫るというのなら、それが可能な職人を抱えているのに私の作品を必要とするわけもないし……」

「ふふふ、まあ安易だが手堅い加工だな」

「う」

「半分正解だ」

「え?」

「っと、申し遅れた。俺はベレン、この店での武具やら素材の出入りについてすべて任されてるモンだ」

 ドワーフが名乗り、己の役職を姉妹に伝えた。

「あ、私はキャロといいます。木工の駆け出し職人です。こっちは妹とキーマ。見ての通り給仕です」

「おう、今後ともよろしくお願いする」 

 軽く頭を下げるベレン。
 キャロの木地師としての腕に敬意を表しての事だった。
 遠からずドワーフも同等の技量を身に付けるだろうが、ヒューマンの身で、見たところたった十年にも満たない修業期間をもってあれほどの薄さで食器を作り上げるキャロの才能は長い寿命を持つエルダードワーフのベレンの目に眩しく映った。

「あの、それで。もしよろしければどのような加工をお考えなのか可能な範囲で教えてもらえたら嬉しいんですけど、その、材料を提供している身として」

 商売のタネを頂こうという意からの行動ではないとベレンに伝えつつ、隠しきれない興味をキャロは示す。

「無理からん事だな。わかるとも。近い内に加工して完成した実物を持ってお宅に参ろうかと思うが、どうかな」

「ええ!? 大丈夫なんですか?」

「勿論。ああ、だがそうだな。お宅にお邪魔するというのはそちらのご都合もあるか。ご婦人に対する礼も失するというもの。いかな職人相手とはいえ未だ付き合いは浅くクズノハ商会の看板に傷を残しかねん」

「あの、そこまでお気遣いいただかなくても私なら大丈夫ですけど」

「……一週間後」

「?」

「一週間後以降で、キーマ殿の都合が良い時にここを訪ねてもらえんかな? 店の奥でお見せするのが良い落としどころだろう」

 ベレンは自身の提案に満足気に頷く。
 キャロからしても願ってもない申し出だった。
 買った以上どう加工するかなど買い手の自由だし、そこに付加価値を持たせるのなら商売のタネそのものだ。
 知られて真似られてしまったら間違いなく痛手になるのだから。
 そう考えるとクズノハ商会の申し出はあまりにもキーマに都合が良過ぎて気味が悪い程、といっていい。
 だが既にキャロの心中は施される加工への興味で埋め尽くされていた。
 ベレンが誠実に彼女を尊敬すべき職人として扱い、接しているのも警戒を薄れさせている。

「あの」

「? 何か?」

「それ、私も同席して構いませんか? 折角のご厚意ですけど、姉が職人馬鹿の目をしている時って何だか危なっかしくて」

 もしクズノハ商会に悪意があれば大変危険な状況だけに、キーマが同行を希望する。
 最大限の警戒を要する相手ではあるが、それでも自分がそのつもりなら姉と逃げる程度の事は出来るだろうと彼女は予測していた。

「……よく出来たお身内もお持ちだ。勿論、姉妹でおいで頂いて結構。お待ちしておりますよ」

「ありがとう、ございます。お姉ちゃん、行こう」

「うん。あの、ベレンさん、どうか代表の真さんにもよろしくお伝え下さい。必ず伺わせて頂きますから。今日はこれで失礼します」
 
「お姉ちゃん!」

 足早に店を去ろうとするキーマが足を止めて頭を下げるキャロを急かす。
 ベレンはその様子を僅かな苦笑で見守る。
 地下の在庫置き場から鈍く響いた「ウルシのタマシイ、ヒャクまでぇぇぇ!!」という意味不明の絶叫は今度こそ姉妹の耳には入る事なく消えていった。
 ところでキャロのエプロンに消えた小物に「粗品、エリスより」と直筆で書かれたサインがあった事に彼女が気付くのは商会から十分離れた後、迂闊な姉に説教をしている最中の事であり、珍しく表情が次々に色鮮やかなものに変じていく妹の姿を見てキーマが思わず笑いを漏らすのだが、まあ余談である。


 漆器という器がある。
 陶器と並んで日本でもよく知られるメジャーな器で、軽くて丈夫、作成に窯も必要としない。
 ツィーゲでこの器が登場した時期は陶器の前とも後とも言われている。
 というのも最初ごく少数の漆器が出回ったがすぐに消え、後に陶器の登場を待っていたかの様に再び見られるようになったという奇妙な動きがあったが為だ。
 薄く仕上げた木の器に特殊な薬剤を塗る事で軽さと丈夫さ、美しさも備えたこの芸術は以後陶器と同じく高い評価をされていく事になる。
 後の時代になり薬剤の正体が荒野に自生するとある樹木の樹液である事が明らかになると試行錯誤の末に生産も安定していく。
 のだが。
 陶器以上に漆器には謎が多く残されている。
 いったいどうやって樹液発見以前の漆器が作られたのか、どう広まったのか。
 明らかに漆の存在が知られていない筈の時代に存在した漆器、そして木地師の祖キャロ=カツラが残した技の数々。
 矛盾が多すぎて歴史を専門とする学者でさえ目を背ける愉快な分野の一つでもある。
 クズノハ商会とレンブラント商会が並び立った時期はツィーゲにおいて最大の激動かつ暗黒時代。
 規模が大きいとはいえ街一つの歴史に過ぎないのに細分化された専門家が存在する。
 その中でも鬼門の一つが漆器。
 今や街でお土産物として安価に買える名物だというのに、その源流は深い深い闇の中。
 途中までは容易く遡れても黎明期は光一つ差さないまま。
 やがて解き明かされるその日まで。
 一説には女神の現身とまで妄想されるキャロ=カツラの神秘はまだ続いている。

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