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extra19 その頃亜空③
しおりを挟む亜空、平原。
牛と羊の群れが思い思いに草を食んでいた。
広大な土地は、二つの群れが広がってもまだ広々としていて余裕がある。
「ひっろいねえ」
「だねー……」
「リズーを牧羊犬に出来ないかって話もあるんだって」
「リズーねえ。案外適任かもね」
美しすぎる羊飼いとでも評されそうな妙齢の女性達が、羊の群れから少し離れた所でほのぼのした雰囲気で会話している。
ゴルゴン。
ほんの少し前まで荒野で視覚を封じて窮屈な暮らしをしていた女性だけの種族だ。
亜空という夢のような環境への移住を提示され、面談の末に全員が引越しする事になり今に至る。
彼女たちのここでの役割は、家畜に出来そうだと思われてはいた動物を飼育する事、それから元々得意としていた裁縫技術を活かした衣服作りとなっていた。
何でもしますと申し出てくれた彼女たちに対して、エマはそれらの仕事を割り振った。
人数がそれなりにいる種族で“戦闘力が高い”事が野生動物への飼育担当になった理由だ。
実はリズーを牧羊犬に、などと馬鹿げた話が女性の口から出た事も不思議な事では無い。
強いのだ。
牛も、羊さえも。
今の亜空の成り立ちを考えるならおかしな言い方だが、元々この地に生息していた動物は異様に強かった。
生まれながらの戦士であるミスティオリザードですら当初は狩りの際に負傷する程に。
特殊能力などは持たないものの、単純な力や速さが優れているのだ。
巴が適当に持ち込んだ荒野の魔物など、とうの昔に駆逐されている。
追い込まれた羊の突進ですら致命傷を与える威力を持っていたのだから、放り込まれた魔物達の方が哀れだ。
中でも牛の群れがパニックを起こした際の突進でミンチにされた方々の冥福は特に祈りたい程に。
「ここにもリズーがいたって私聞いたけど?」
「巴様が前に群れ一つ放り込んで、それなりに生き残ってたんだけどオオカミに手を出して皆殺しだって~」
「ああ、オオカミ……。私は見た事無いけど何か物凄く強いのよね。ミスティオリザードの方々が倒すよりも住み分けを、って提案して若様も許可したみたい」
「若様ならいくら強いって言ってもどうって事無いんじゃないの?」
「オオカミなら仕方無いんだって、仰っていたらしいわ。あの方のお考えはたまにわかんないわね」
「まだ誰も誘えてないしね」
「この前誘った娘はヘアカタログもらって誤魔化されて帰ってきてた」
「アレか。アレは確かにいいものね」
「オシャレって楽しいよね」
まだまだ油断の出来ない牛組と違い、羊組の彼女達は比較的のんびりしている。
ゴルゴンは他種族とは色々と事情が違っていた。
視覚が実質無かった事、それに伴う不自由。
そして種の存続に他種族の男を必要とする点。
視覚が解放された事で彼女達の興味は貪欲に広がりつつあり、料理を楽しむ者、着飾る事を覚える者、着飾る為の服や装飾品を作る事に目覚める者と多様な分野で日々を忙しく過ごしている。
最近亜空で流行り出した陶芸に興味を示す者も数少ないが現れていた。
後者についてはオークが当面の候補に挙がったが繁殖時期の不一致や意外に高かったハイランドオークのモラルに阻まれて難しい状況にある。
この亜空の支配者でもある深澄真も彼女達ゴルゴンのターゲットの一つ、いや最高目標と化しているのだがそれも叶っていない。
種族の何割かが常に発情期にあるゴルゴンにとっては、真では無いにせよ一刻も早く相手を確保して問題の解決をしたい重大事項だ。
一応、真との面談で少し話された様に、亜空に迷い込むヒューマンも少数ながら存在するから彼らの中の男性は結構な割合でゴルゴンと関係を持ったりもしている。
しかし安定しない上に成立数も満足なものではない。
現在トップが真とヒューマンの街への干渉を協議している。
そちらが上手く進めば状況は改善されるだろうと彼女たちの内々では考えられている。
「そう言えばさ、ツィーゲって街に出る話、難航してるとか聞いたけど」
「あ、進んだみたいだよ。なんかね、若様はちょっと迷ってたみたいだけど最近少し態度が変わったって」
「ふぅーん。ま、私らナリは人型だけど亜人ですらない魔物だもんね。若様も慎重になるか」
「あ、このウェーブの髪なんか良い感じかも」
「ああ!? スケッチとったんだ? 私も見たい!」
「こっちのロングもイイね。男ウケしそう。私ももうすぐ子ども欲しい時期に入るし」
「あんたはそれなくても男欲しい娘でしょうが」
「そう言えばライムさんも最近見かけないしね」
「実質アンパイなのあの人位だもん。ついみんなで頼り過ぎちゃったかも。万年発情期なんて凄いよね、ある意味私ら以上じゃない?」
「あはは、もしかしてライムさんが音を上げて若様にツィーゲの事を頼んでくれたんだったりして」
「まっさかー」
『あははは……』
ほのぼのした様子に見合わない過激な会話が平原に続く。
動物達はそんな事は関係ないとばかりに遊んだり、草を食んだりしていた。
彼女たちは知らない。
そのまさか、である事を。
亜空に出入りする真以外のヒューマン、ライム=ラテ。
彼はまだ若く、健康な男である。
当然女性も好きだ。
過去冒険者であった頃は街の数だけ女がいるという位には遊んでいる。
だからゴルゴンと関係を持つのは至極当然な流れと言えた。
後腐れなく遊ばせてくれる。
むしろ向こうがそれを望んでいる。
遊びたいのが主な目的の男からすると夢の様な条件だ。
それでゴルゴン達はある意味下心なく次から次へと相手をしてくれる。
“最初の内は”ライムもそう考えて歓喜した。
男の楽園はここにあった! と誘い誘われ桃源郷の日々を味わった。
何がとは言わないが訪れるたび毎日ふた桁は頑張ったライムは絶倫な方だっただろう。
しかし何事にも限界はある。
やがて楽しむが頑張るになり、足が遠のく。
それでもライムが亜空にいると探し出されて今夜も、と連れて行かれる。
元々は自分も望んだ事だと奮闘したライムだったが、彼は結局真に土下座した。
いきなりやつれたライムに土下座された真は当然混乱するが、事情を聞く内に顔をひくつかせて納得する。
ただでさえ相手は常に数十人いるのだ。
ライムが一人で頑張って一体どうなるものでもない。
独り占めしたかった当時の自分を全力で張り倒したい、とライムは涙ながらに真に訴えた。
この告白の後、真はツィーゲでゴルゴンが店を出す手伝いを前向きに考えるようになる。
だから、ゴルゴンの他愛ない話は彼女達が知らないながら真実の事だった。
「あれ、ねえあそこ飛んでるのってショナさんじゃない?」
「ホントだ、ウチの長に用事かな?」
「なんだかんだで同じ時期に引越ししたからか親近感あるよね、翼人さんってさ」
「ね。その内あの人達とも楽しめるといいなあ」
「結局さ、問題はケッコンって奴だと思うのよね。私たちもここで暮らすんだし、あの慣習を勉強しないとダメなんじゃないかな」
「それ長の受け売りじゃん」
「バレた?」
「あ、牛組の姉さん達が来る。やば、ちょっと気を抜きすぎかなウチら」
「でも羊は本当に大人しいし飼いやすい子たちだもの、ゆるくもなるわよ~」
上空を飛ぶ翼人が、彼らの種族を束ねるカクンの補佐を務める実質のナンバーツー、ショナだとわかったゴルゴンが何気なく話題を振る。
そこからまた話題が予想も出来ない方向に広がっていきながら、彼女らの一日は過ぎていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「牛乳も羊毛も、皆に大変好評です。この前のお話ですが、我々も是非協力させて下さい」
「ありがとうございます。いざ始めてみるとやはり人手が多くいる仕事ですので、規模を広げていくとなると私達だけでは不安がありまして。翼人の皆さんは飛行出来ますからそれも活かせますし叶うなら共に、と若様にお話をさせて頂きました」
ゴルゴンの長と机を挟んで対面している翼人の女性が、にこやかに談笑していた。
「牛と羊が今飼育に成功されている様ですけど、共にやっていくなら我々はどちらかを引き受けた方がよろしいですか?」
「いえ。牛と羊につきましてはひとまずこのまま我々で。まだ何種か家畜に出来そうな動物がリストアップされていますので、そちらから」
「なるほど。新規にですか」
翼人の女性ショナは言葉を区切る。
新しく動物を飼うとなると、中々大変な仕事になりそうだと思っていた。
勿論、実際に始める際には真の記憶からある程度の知識は引っ張ってこれるだろうし、既に家畜を飼う実務を経験しているゴルゴンからの助言も得られる。
その種特有の問題は別個に出るだろうが、大きな助けになる事は間違い無い。
本当に一から動物を飼育するよりは相当楽なスタートになるだろう。
「はい。お勧めできる候補としましてはまず山羊でしょう。牛よりも小柄で性格も比較的御し易く、斜面をものともしない上に高所を好みます。飛べる利点を考えますとそちらに向いているかと」
「なるほど。ゴルゴンの皆様としては牛と羊に集中して進めたいのですね」
「細かに言えば牛です。彼らは確かに美味しい乳を提供してくれる上に肉も非常に美味なのですが、本当に家畜に向いているのかと言う位に気性が激しいので。若様も驚いておられましたが、しばらくは彼らを飼い慣らす事に注力したいのが本音ですね。あとは小型の鳥、ニワトリという種も飼育を考えています」
「ニワトリですか」
「もし、そちらに同じ翼を持つ種という忌避感が無ければ並行して頂けると助かります」
「お気遣いありがとうございます。恐らくその問題は我々には特に生じないと思いますが、一応後で実物を見せてもらえますか?」
「わかりました」
「しかし……牛とは気性が大人しい動物なのだと思っておりました。そのようなご苦労をなさっているとは」
ショナが話題を牛に戻す。
その事を口にしたゴルゴンの長が真剣な表情をしていた事が印象的で、つい彼女は話を戻してしまった。
「何人か怪我をする者も出ています。牛の世話は気の抜けない仕事ですね。若様は大人しくて飼いやすいから最初は羊とか牛じゃないかと提案されたそうですが、とんでもない」
羊は実際に飼いやすかったし、これまで大きな問題も起こっていない。
従事する者もそれほど気を張る必要は無い。
だが牛の方は苦難の連続だ。
ゴルゴンでも牛の世話に関わるのは能力を認められたエリートの職と位置づけられている。
能力と言っても、何かあるたびに石化させていては解除にアルケーや識、時に真まで出てこなくてはならなくなる。
この場合は、動物の飼育と、石化を用いない身体能力としての戦闘能力を指して高い値を基準としていた。
それでもどうしようも無くなった時は石化を使って緊急回避が出来るのも、彼らが動物の飼育を任された要因の一つには違いなく、使用自体は許可されている。
実際何度かその機会はあり、一度は真が後始末に訪れた事もあった。
「若様は色々と規格外の方ですからね。我々も中々力を認めてもらえず族長のカクンは日々練兵に励んでいますよ」
「十分なお力だと思うのですが。やはり、戦いの相性ゆえ、なんでしょうね」
「まったくです。こればかりは難しい。弓矢への対処など我らは本来得意としているのですが、あの方のは別物ですから……。しかし動物の飼育に我々も関わる事が出来れば、主に狩りに出ている種族混成のチームを探索や開拓に向けられます。その折には我々翼人も精鋭をそちらに加えられるように若様に認めてもらいますとも」
「その意気、素晴らしいですね。私達も見習わないと――」
「お姉ちゃーーん! アレ、出来たって!! 早く工房に来てって呼んでるーー!」
『……』
戸外からかけられた大声にゴルゴンの長は困った顔をして翼人の客人を見る。
「妹からしてあんな様で……。お見苦しい所をお見せしました。それにしても、もう出来るなんて……有難いけれどタイミングが悪いわね」
長はショナに詫びる。
「いえいえ。元気な方ではないですか。何か大事な用事みたいですし構いませんとも。それでは、私も今日はこれで」
「最後までご案内出来ず申し訳ありません。すぐに人を呼んでニワトリからお見せしますのでお許し下さい。失礼します」
長の退室を、ショナは起立して見送る。
一人部屋に残される翼人。
(あれがゴルゴン種族。問答無用、無敵の石化能力を持つ種族。けれど、それさえも若様の前では無力。自身でさえ制御が難しかった力も今や道具の助けを得てコントロールさせている。まったく、ここは途方も無い場所ね。私たちも空を支配した戦いで自信はあったのに。ハイランドオークとは空の利を得て互角、魔術の制限を外すと劣勢。ミスティオリザードには空を飛んでる内はともかく補給の為の拠点を良い様に叩かれてしまうから毎回負け。攻撃があまり通らないのがきつい所ね。亜空での調練が足りていないと言えばそれまでだけど……何より若様が……)
ショナの思考は自分たちの戦力と他の種族の比較に沈む。
翼人は決して弱く無い。
亜空で十分に調練すればじきにオークやリザードとも肩を並べていくだろう。
魔術による戦いの幅や、一対一の戦闘で及ばない所は残るかもしれないが彼らには何よりも空という圧倒的な利点がある。
しかし、その空が、この亜空の主である真に対して大きなネックになっているのだった。
「ショナ様、お待たせしました。ニワトリとヤギですが、お見せ出来る場所に案内致します。牛と羊についてもご覧になりますか?」
「あ、わざわざすみません。そうですね、一通り見せて頂けますか。参考に出来る事も多いと思いますので」
「わかりました。羊にはそこまで詳しくありませんが、そちらは現地で羊組の娘に説明させましょう。牛と、その他につきましては私から折々ご説明を」
「ありがとう、お願いします」
テキパキと会話を進める案内の女性に好感を持ちながら、ショナは翼人の新しい仕事になるであろう家畜の飼育を学ぶべく彼女の後を付いていくのだった。
カクンが目下一番悩んでいる戦闘力向上、いや真に一矢報いるための調練については、ひとまず忘れる事にして。
当面解決するとは思えない事に頭を悩ませるより、ゴルゴンの村で家畜の事を学ぶ方が有益だと割り切ったのだ。
やり甲斐のある仕事だと思わず笑みをこぼすショナは、いっそ自分はこちらを専門にして担当しようか、などと密かに考えたりしていた。
亜空の新しい仕事はそれなりに順調に進んでいる。
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