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extra15 ある日の鍛冶場
しおりを挟むこれは、真がツィーゲを訪れてしばらくした頃の話だ。
この世界で使われる食器の多くは木製と金属製である。それは亜空でも変わらない。
そして、ドワーフの鍛冶場では武具の他にも金属器が多く製作されていた。
今、その一角に土のドームに煙突が付いた新たな設備が生まれていた。
窯、である。
焼き物を作る為に用いられる物だ。存在だけはドワーフの記憶にも残っていたが、実際に使った経験を持つ者は殆どいなかった。
理由は簡単だ。土や石を原料に作る陶磁器は、製作が容易い代わりに壊れやすい。
地球に比べて多様な金属がある女神の世界では、食器にしても金属製か木製である事が常だった。
一部ローレル連邦に陶器を使う地方があるものの、一般的ではない。磁器やボーンチャイナに至っては名前すらない。
「陶器、ですか。存在は知っておりますが作るのが楽なだけで金属器に比べて利点がさほど無い様に思えますが。もし食べ物に金気がついて感じるなら木器を使えば良いのですから」
深澄真が陶磁器についてドワーフに話をした時の事だ。
多様な金属と木、それに魔法の存在がある世界では陶器はあまり浸透していなかったらしい。
巴が茶碗を作ろうと色々な金属と木を使って挑んで(正確には挑ませて)みたものの、何となく雰囲気が違う。見た目にはかなり似せている辺り、職人技の凄さを真は感じていたが。
そこで土から作る陶器の話を職人にした所、年配の職人がその存在を知っていた。
一般的に出回っていた陶磁器が、ここでは殆ど使われていなかった事に驚くも、確かにあまり見かけなかった事に思い至り彼は納得する。
「何より、壊れやすいのがどうにもいけません。普段使う物ならば、丈夫で気軽に使える方が良いですからな」
「なるほど……なら無理に陶磁器を作る必要は無いですね。僕もこれまでに不便を感じた事は無いし、折角作ってもらう品ですから壊れにくいに越した事は無い」
「はい、近いうちに若様が使われていた物と変わらぬ質感の物をご用意――」
「駄目じゃ! 陶磁器、それを作るんじゃ!」
「巴、無理を言うんじゃない。それに焼き物なんて僕もそんなに詳しく無いんだ。仮にお前が記憶を探し出したとしても、再現が可能な情報量があるかなんてわからな……」
だが、真は思い出してしまった。
義務教育中の社会見学での体験と、弓の師が趣味にしている土いじりに付き合っていた経験を。やろうとすれば出来ない事は無いと。
「……可能性はありそうですな、若」
「だけど必要無いだろう」
「新たな物への挑戦は職人の心意気じゃな?」
真の言葉に答えず、ドワーフを見る巴。
恫喝とも言う。
「ただでさえ刀がどうとかで迷惑をかけているって言うのに。大体、お前は土から作る器って簡単に考えているかもしれないけど、陶磁器って言うのは凄い芸術の一つなんだぞ? そんな気軽に手を出すものじゃないん――」
「やらせて頂きます! どうか、我らに命じて下さい」
「ええっ?」
ドワーフへの負担を増やすまいと巴を嗜めようとした真は、そのドワーフからまさかの巴への賛同を聞いて大いに驚く。
「そうか、やってくれるか! ならば待て。早急に儂が情報を集めてやろう」
「お願いします、巴様」
「任せよ!」
「な、なんで?」
真はやる方向で進む職人と巴の話を唖然として見守る。
彼は自分がドワーフの職人としての意地に、無意識に触れた事に気づいていなかった。
そんな経緯があって、しばらく後。
亜空の中、ドワーフの住まう区域の一角に、窯が出来上がったのだった。
「なるほどのう、茶碗が時に欠けておるのは土から出来ている為に脆いからなのか。で、この粘土を成型した物を火で焼いて硬度を高めるのか……。ふむ、興味深い」
「言われた様にやってみましたが、これを焼いて固めても恐らく目に見えぬ小さな穴が開いてしまいますぞ。そうなるとやはり食器として使うには不向きかと」
ドワーフの一人がお椀の形に成型した粘土を持ってきた。彼はこの企画に参加する職人のまとめ役だった。
流石に火の扱いにおいては深い経験を持っているだけあって色々と気付くことも多いようだ。まず気になったであろう点を真に聞いてきた。
「ええ、そうです。ですから一度乾燥させて焼いてから釉薬と言うのをかけて再び焼き、穴を塞いで耐水性を持たせるようです」
「ユウヤク?」
「確か、粘土を水に溶かして灰などを混ぜたものです。乾いた器、土器を釉薬で満たした壷とかにくぐらせてもう一度焼くんです」
「……粘土と灰を水にですか。熱した時に膜を作るのが目的でしょうか。恐らく温度にもよりますがガラス状の透明な膜をつけられるかと推測できます」
「た、多分そうです。釉薬に何を混ぜて使うかで色合いや模様なども変わるとか。詳しくは全然説明出来ないんですが。すみません」
「いえいえ! 興味深い手法です。教えて頂いた様にやれば、多分それなりの強度は得られるでしょうし使い物になるかと。しかし……確かにこれは芸術と呼ぶべきなのかもしれませんな」
一通り説明された職人は手を泥で汚しながら何度も頷いている。
真の拙い説明以上に彼は多くの情報を得ているようで、専門家の凄さと言うものを真は感嘆して見ていた。
「どうしてそう思うんじゃ? 儂には若の言った芸術の意味は良くわかっておらんのじゃが」
「巴様。この製作方法は、不確かな要素がある完成された方法と思われます」
「何をおかしな事を。矛盾しておるではないか」
「いいえ。材料や釉薬には拘る事ができ、それだけでも十分多様な器の特徴を出すことが出来ると思います。ですが焼く時間の長さや、その間の細かな天候の変化さえ出来上がる器に影響を与えます。つまり、気を配れば材質こそ同じ様に作れますが、良いものが出来たから同じ物をもう一度作れ、と言われても可能かどうかわからない部分があるのです。魔術による複製でしたら可能だと思いますが、それは出来上がった品への冒涜かもしれませんな」
「……ふむ、なるほど。同じ物を二度作れるかわからないから、か。確かに良く出来た物は大事にしたくなりそうじゃ」
巴はまだ思い至ってはいないが、陶器も磁器もドワーフが最初に説明した様に壊れやすい。失われやすい事もまた陶磁器の価値に付与されているものだと言える。
「気に入りました。土に火を込めるかのようなこの技。奥が深そうです」
「あまりのめりこみ過ぎないで下さいね。他の種族の方でも参加出来る事だと思いますので場所も広くとって、希望者には気軽に体験してみてもらって下さい。そうすれば皆さんだけの負担にもなりませんし」
「わかりました。エマ殿と相談して仰るように致します」
職人が戻っていく。
真がふと巴を見ると、なにやらうずうずした様子が窺える。
やっぱりか。
そんな顔を浮かべて苦笑いする真。監督者として見ているだけだった巴だったが、話を聞いている内にやってみたくなったらしい。
「巴、どうせなら一度作ってみたらどうだ?」
「っ!? で、ではお言葉に甘えまして。いえ土をいじるのが楽しいなどと、そう子どもじみた事でも無いのですがやはり一度はやっておきませんとな……」
主から向けられた言葉に背を押され、 嬉しそうな顔で職人の背を追う巴。
口では言い訳を続けているものの、喜色満面の表情がその心を忠実に表現している。
亜空にまた一つ、新しい物が生まれた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「となると、問題は複製か」
「そうですね、巴様。やはり複製は受け付けぬ様です。予想外ですな」
「精霊魔法でも無理か?」
「一度外に持ち出して試みましたが不可能でした。この亜空には精霊がおりませんから、それも影響しているやもしれません」
「まあ、窯を大きくして一度に作れる量を増やせば特に問題はないか。若も仰っておられたが、特に経験が無くともひとまずは作れるし、ある程度慣れれば普段使うような食器は十分作れる。いっそ、自分たちの食器はそれぞれ作らせてみるのも良いかもしれんな。若の言葉では無いがどこかの種族から芸術家が出るかもしれんぞ。何より、あれは面白い!」
巴は楽しそうに話している。
その手には職人が仕上げた湯呑に似た器があった。試作第一弾の結果だった。
巴の作品は完成が遅れ第二弾の投入となった為、まだ窯の中にあった。今日はその窯出しの日。
その後に出てきた問題点や課題を聞くのも兼ねて巴は工房を訪れていたのだ。
「しかし初めて釜から出した時には驚きました。同じ手法で形だけが違う筈なのに、印象があそこまで多様になるとは。多少は違う不揃いな感じだとは予想していましたがそれ以上でした。それに」
説明していたドワーフの目が巴の持っている湯呑に注がれる。
「金属や木には無い、独特な手触りがあるな。だが心地よい」
「ええ、それも想像とは違うものでした。これは作ってみて本当に良かった。巴様のお陰です」
「じゃな。感謝せよ。これは、模様や色、絵をつけたりは難しいのか?」
「若様に伺った所、釉薬を掛ける前や後に絵や模様を描きこむやり方もあるそうです。色については……原料となる粘土やそこに混ぜる石粉、それに釉薬の配合が影響してくるのかと」
「……それも魔法は使えぬのか」
「はい。試行錯誤するしかありません。若様もさほど詳しくはご存知で無いようですから仕方ありません」
ドワーフから巴に報告された内容で特筆すべき点は二つ。
一つは魔法の干渉を殆ど受け付けないという事だった。
亜空の土や手法の何かが関係しているようで、後から魔法で修正したり付け足しをしたりが出来なかった。
もっとも、所詮は土器である。彼らが試みるような内部変化には強い抵抗があるそれも、外部から攻撃魔法をぶつけてみればあっさりと壊れた。
あくまでもその材質に手を加えるのが難しいだけ。あまり使い道も無い無駄な魔法抵抗とも言えた。
もう一つは、巴が楽しそうにしている原因でもある。
中毒者が既に出ているのだった。
土をこねる楽しさ、焼きあがった多様な器を窯から出す瞬間の期待感。製作過程に数々ある人の拘りを許すポイント。
ドワーフの職人の心の琴線に触れ、彼らを夢中にさせたのだった。冷静に報告をしているが、実は責任者である職人の代表もまた、陶芸に魅せられている一人だったりする。
夢中になる者が何名かいると、ドワーフから巴に報告があるほどに。
「色が手軽に加えられれば商会の品としても使えるかと思うんじゃがなあ。こやつは中々心を開かない筋金入りの奥手という訳か。手ごわいのう」
顔の前に湯呑を持ち上げ興味深そうに眺める巴。
「まず考えているのが、外の土を使って作ってみたらどうかと言うのがあります。あとは我々の研究次第としか……」
「頼りにしておる。そろそろ、器が来る頃かの?」
「ええ、間もなく。ああ、丁度来たようです」
「楽しみじゃな。儂の手作りはどうなっておるのか」
巴の目が、やってきた若い職人が手に持つ盆の上、布で隠された膨らみに向けられる。
だが手が盆が震えていた。
いや、若い職人の手が震えていた。
覚悟を決めたのか彼が白い布を取り去る。
「っ!?」
皆が息を呑む。部屋全体に緊張が走った。
震える盆の上。そこには一つの茶碗がある。
ただし、ヒビが入り大きく欠けた代物。焼きに失敗したものと思われる。
「わ、割れとるーー!?」
「だ、誰かが不始末をしたようで! 巴様、申し訳ありません!!」
そんな訳はなかった。
窯から出した段階で既にこれだったのだ。職人の目にはすぐにわかった。
「いや、見た感じ……」
「黙っていろ! 陶芸が終わるかもしれ――」
「聞くが、それは落としたから割れているのか、それとも窯から出した時には割れていたのか。どっちじゃ。正直に答えよ」
巴の顔が嘘は許さないと言っている。それはもう、誰の目にも明らかに。
「……窯から、出した時にはもう」
「……そうか」
職人の代表が天を仰ぐ。
巴が失敗した。
もしこれで彼女の機嫌を損ねてしまうと、今後陶芸は出来なくなるかもしれない。
既にその魅力に取り付かれた彼は、何とかそれを阻止しようと若い職人の誰かに泣いてもらおうとして嘘をついてしまった。
だがその嘘も巴の迫力に負けて職人が素直に答えた為に露見してしまった。
もう終わりだ、彼はそう思った。
沈黙が部屋を支配していた。
「ふぅ。こればっかりは儂も初めてじゃったから、仕方ないのう! いや、ますます土をいじるのが楽しく思えてきたわ!」
わなわなと俯いて震えていた巴が顔を上げる。彼女の口から一転した明るい言葉が場に響いた。
「あまり気にするでない。これからもちょくちょくやらせてもらいに来るから、研究に励めよ」
そう言うと巴は失敗した器を受け取って出て行った。
一同、緊張から解放されて大きな溜息をつく。
「よし、お前達! すぐに結果をまとめるぞ! あと、粘土質の土を採取する班に伝えて出来るだけ色々な場所から集めるように伝えろ。亜空の中の連中にも外の連中にもな」
「はい!」
先頭きって窯に向かう職人から指示が飛ぶ。
亜空の陶芸はこうして始まった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「おや、それは鉄製かい? 木には見えないが」
カウンターの内側にある棚にいくつか飾られている一つの器。客の興味が向いたのか、応対のドワーフ店員に質問が飛んだ。
「いや、土から作ってみたもんだ。ほんの手慰みだが、ちと凝っちまってな」
「土から!? 凝ってって事は……じゃ、あんたが作ったのか! 大したものだ、武具だけじゃなく色々やれるんだねえ。しかし土器なんて使えるのかい? 水漏れしそうだし壊れやすそうな感じなんだが」
「水はよっぽど漏れねえな。そこは工夫してある。重さや壊れやすさはあるんだが、それ以上に使ってみると良い味がある。触ってみるかい」
「是非! うわ、なんだろうな手に馴染む感じがするよ。それに、土とは思えないツヤだね。色も良い。白なのに僅かに青みがかって、吸い込まれそうだ」
客の評価に、器を渡したドワーフは嬉しそうにヒゲを触った。表情は頑固な親父そのものだったが、気恥かしさを隠す為のようにも見えて可愛くもある。
「まだまだ勉強中だがな。金属器と違って同じ物を大量に作れないのが、ちと残念に思えるよ」
「私らが複製するのは御法度だろうが、職人さんは気にする事ないんじゃないのかい? 一定の要件で許可がもらえると聞いているけど?」
「まあ、その許可ならうちも取ってるよ。違うんだ、その製法で作る器はな。変質や複製といった魔法に妙な抵抗がありやがってな。使えねえのさ」
「はぁ……世の中には不思議な事もあるんだねえ」
「まったくだ」
ここは辺境都市ツィーゲ。街で知らぬ者はいない大商会の中に間借りしている、小さな商会。
客と店員の会話が止まった。
皿を見ている客は言葉を発することを止めて、角度を変えたり近づけたり遠ざけたりしながら真剣に器を見ている。
店員もそれを止めるでも無く、再び話しかけられる前に拭いていた武器の手入れに戻る。
何度も息をつく男の溜息と、武器を拭く布の音だけが続く。
「……なあ、相談なんだけど」
「ん?」
再びドワーフに話しかける男。その目には感動ではなく、意を決した強い光があった。
「この皿、私に譲ってくれないか?」
「それをか? うーん、売り物の心算で出していたんじゃないんだが」
店員であるドワーフが困ったような顔をする。店に飾ろうと持ってきたもので、事実時折眺めては楽しんでいた。
「頼む! 値はあんたが決めていい! 私はどうしてもこの皿に自分の料理を載せてみたいんだ」
「……あんた、料理人なのかい?」
「あ、ああ! ここへは骨休めに来たんだ」
「料理の専門家から見て、この皿は良いもんに見えるかい?」
「勿論だ!」
「なら、やるよ。値段はその皿にあんたが作った料理を盛って俺に食わせてくれれば良い。どうだ?」
少しだけ考える風に顔を伏せた店員があっさりと譲渡に応じる。
「ほ、ほほほ本当に!? 喜んで、全力で、作らせてもらうよ! 宿代わりに滞在している知り合いの料理店があるんだ。そこに来てくれないか!?」
今後どれほどの月賦になろうとも手に入れる心算でいた料理人を名乗った男は真意を確かめつつも、一度はカウンターに置いた皿を大事そうに手に取った。
それなりに年を重ねてみえる男性だったが、その表情は念願の玩具を手に入れた男の子と何も変わらない。これは、いくつになっても変わらない男の性の一つかもしれない。
喜ぶ男を見るドワーフの店員にも、その気持ちは我が事のようにわかった。
「ああ、あんたの納得がいく物が出来たら呼んでくれ。行くからよ」
「ありがとう! これは俺の財布だ、全部置いていく。料理があんたの目に叶ったら返してくれれば良いから!」
男は皿を両手で抱いて走り去っていった。
陶磁器の存在はこの日を境に少しずつ、広まっていく。
後にアイオンがその起こりとされる陶芸は、徐々にヒューマンの間でも浸透していった。真はその製法を別段秘密にする事は無かったし、ドワーフも快く学びたい者には基本的な方法を伝えたからだ。
ドワーフから最初に皿を譲られた彼は陶磁器に魅せられ、やがてツィーゲに住まいを移す。そして料理店を開いた。
男の店からの評判が陶磁器にとって大きな切っ掛けとなった。素晴らしい味と、使われている珍しい皿や椀が相乗効果を得て口コミで広がっていったのだった。
巴の強引から始まった亜空の陶芸。
その産物は一部の好事家の目に止まり、やがて地球での芸術品としての扱いと変わらぬ様になっていく。
中でもツィーゲから時折産出される最高級の器は、陶芸の誕生に深く関わったとされる人の名を取って「トモエ」と呼ばれることになるが、それはまだ誰も知らない後々の事。
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